♦️1063『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカの賃金はどのように決まっているか(2021)

2021-10-23 19:02:04 | Weblog
1063『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカの賃金はどのように決まっているか(2021)

 

 冒頭から、ややこしい話になるが、資本主義下で、賃金はどのようにして決まるかを、少しだけ考えてみたい。これは、資本主義のメカニズムでの重要なテーマとして、長い間、議論されてきたものの、いまだに通説らしきものは見当たらないようだ。
 それというのも、経済学の分野では、近代経済学派とマルクス経済学派とが、方法論もかなり異なっていて、なかなかに同じ土俵の中で議論を闘わせることが、難しいのだ。
 そこで、その一例を、この資本主義体制の下(この社会体制下では、その名前の通り、人間ではなくて、資本が主人公である)での賃金の大きさをどのように規定したらよいのだろうか。その場合に往々にして取り上げられるのが、限界生産力説と労働力再生産費用説の二つである。。
 まずは、前者に登場してもらおう。こちらの主眼とするのは、かかる生産要素のうち他の要素を一括して固定して見なした場合の市場を考え、かたや人間労働だけ1単位の追加投入を行なってみる。そのときに得られる追加的産出量を労働の限界生産力と呼ぼう。

 そこで、わかりやすいように、記号を用いるとしよう。すると、その大きさは、産出量 q 、労働 l 、固定資本 k とすると、生産関数 q=f(l、k) から、∂q/∂l(この見慣れない記号の呼び方は「ラウンド」といって、労働量のある変化に応じてどのくらいの産出量の変化がもらされるかを示す、この操作を数学では偏微分(へんびぶん)という) で示される。
 これを経済の指標として用いようとする際には、一般に追加投入の増加によって変化していくであろう。そのうち、増加するものを限界生産力逓増、減少するものを限界生産力逓減という。そして、通常はすべての生産要素について限界生産力は逓減すると仮定されている。

 一方、労働力の供給側はどうなのかというと、こちらは始めオーストリア学派が唱えた限界不効用でいわれる「働くことは常に苦痛である」という心理法則をもって、労働者がその都度自己の労働力を資本家に供給するかしないかを決めるとした。
 だが、そもそも、世の中に雇われないで生きることのてきる労働者はおらず、無理な話で組み立てられているのではないかと。そこで、供給側の限界生産力だけで、理論を組み立てなければならなくなった。
 しかし、この労働の限界生産力と賃金率は一致するという賃金の限界生産力説には、当初から、現実との妥当性の点から異論がかなり出されてきた。それというのも、具体的にどうなるかは、それを何らかの形で測ることでなければなるまいが、以来今日に至るまで、それが納得できる内容で測定されたことは聞かないのである。

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 賃金決定の理論として次に紹介するのは、マルクスが考えた労働力再生産をキイ(鍵)とする説なのだが、これを簡単かつ分かりやすく解説するのは、簡単なようでなかなか難しい。以下では、この問題への参考になりそうな経済専門家の論説の中から、マルクスへのガイダンス(道案内)に当たりそうな部分をしばし紹介してみよう。

 一杉哲也氏の著書では、こう解説されている。

 「マルクスの理論は、労働の供給側を重視したものであった。特に、資本主義社会では、ほとんどつねに労働供給が需要を上回る傾向があるため、賃金は上がることが難しく、最低生活水準に抑えつけられるのが正常であるとしたのは、賃金に対する供給側の働きを重くみた証拠に他ならない。しかし賃金は、歴史的に見て必ずしもつねに最低生活水準に抑えつけられているわけではないし、また最低生活水準そのものが時代とともに上昇してくることは、マルクス自身も認めていた。そして、それが彼の理論体系上矛盾するということもないのである。
 他方限界生産力説においては、資本家がつねに労働者の限界生産力を考慮しなからの雇用量を決定するかどうか、第一それが測定できるかどうかも疑問である。かくてそれを企業側の支払能力を問題にする理論であると解釈し直そう。そして労働者一人当たりの純付加価値生産性(平均生産力)を上限とし、労働力の再生産費(最低生活費)を下限とし、その中間において、労働組合と資本家との交渉力(bagaining power)のバランスによって決定されると見るのが、現在においては最も妥当であろう。」(一杉哲也「現代経済学の基礎理論」)


 二つ目、宮沢健一氏は論文の中で、こう述べておられる。

 「マルクスの分配理論によれば賃金がまず生存のための最低賃金で先決され、逆に利潤がその残余として決定される。すなわちいま実質賃金率をw、労働量をNであらわせば、マルクスの分配率定式は、
P/Y(利潤分配率)=(Y-wN)/Y
と書かれる。この式のうえに、(1)産業予備軍の存在と、(2)資本家の蓄積衝動という2つの想定が加えられて、実質賃金支払額wNは、ある最低賃金率「wバー」に応ずる額以上には上がりえないという結論が導かれる。もちろん短期においては、資本家の蓄積の増大は労働需要を拡大して賃金を高めるが、もちろん短期においては、資本家の蓄積の増大は労働需要を拡大して賃金を高めるが、しかし長期的には、失業者の産業予備軍の存在が、雇用されている労働者との競争を通じて、賃金を最低賃金水準に引き下げる力として作用する。
 また、蓄積衝動は、たとえ方向性として雇用を高めても、それに伴う経過的な賃金上昇が労働節約的な技術を促進させ、労働需要の相対的低下を導いて産業予備軍を増大させるという形で結実し、結果としてふたたび賃金を引き下げるように作用する。
 このようにして、まず賃金が先決されれば、そのとき利潤P、したがってその分配率は、生産物価値Yから最低生存賃金「wバーN」を差し引いた剰余価値の形で、残余として決められる。」(宮沢健一「巨視的所得分配の理論」)
 

 参考までに、景気の上昇局面において、労働力供給と労働需要の不均衡の累積があるとした上で、マルクス経済学者の置塩信雄は、資本がどのようにしてその繁栄を未来へ繋ごうとするかに触れ、こう述べている。

 「このような説明に対して、労働需要が増大し、産業予備軍を吸収してゆくにつれて、労働市場の需給が緊迫し、貨幣賃金率が上昇する結果、利潤率の低下、それによる旧来の生産技術で操業する資本の破壊、また全体としての蓄積需要の減少が生じ逆転するという異論が出されるかもしれない。事実、このような考えを基礎において恐慌論を組み立てている人びとがある(宇野理論)。
 しかし、貨幣賃金率の上昇は、直ちに搾取率、利潤率の低下となるわけではない。問題は、貨幣賃金率が諸商品価格に比して上昇するかどうかである。すなわち、諸商品で測った、実質賃金率の運動が問題である。ところが、資本家の蓄積需要が加速的に増加している場合には、諸商品で測った実質賃金率の上昇率は、労働生産性の上昇率より必ず下回る。別言すれば、搾取率は必ず上昇する。それゆえ、上昇局面では、蓄積需要、搾取率、労働需要はいずれも累積的増大をみせる。」(置塩信雄「マルクス経済学2資本蓄積の理論」)


 見られるように、前者(一杉)では「賃金は、歴史的に見て必ずしもつねに最低生活水準に抑えつけられているわけではないし、また最低生活水準そのものが時代とともに上昇してくることは、マルクス自身も認めていた。そして、それが彼の理論体系上矛盾するということもないのである」と、柔軟に解釈しているのに比べ、後者(宮沢)は、「マルクスの分配理論によれば賃金がまず生存のための最低賃金で先決され、逆に利潤がその残余として決定される」と、かなりの限定解釈を行っている。
 そのため、後者の続きにおいては、追々「すなわち、賃金は、リカードやマルクスのいうように、決して生存のために必要な最低賃金にきまる必然性はない、という点がそれである」と結論づけ、かわりにケインズ左派のカルドアによる、利潤分配率式を援用し、限界資本係数、資本家の成長率期待度及び資本家の貯蓄性向の「3つの要因に依存して利潤のわけまえが先決されるならば、賃金はその残余として決まってくる」(同)と結論づけている。


 もう一つ、今度はより実際的な場での賃金から一例を紹介しよう。岡野進氏の「失業率が下がっても賃金が上がりにくいのはなせか?」とのタイトルが付けられた「レポート・コラム」(大和総研提供、2016年12月22日付け)の一節には、当時の日本経済の分析の一環としてだろうか、次のような賃金解説を提供しておられる。

 「(前略)こうみると、景気はまあまあの状況で雇用情勢がこれだけよければ、賃金上昇が起きてもおかしくないが、なかなか賃上げが動き出さないのはなぜだろうか?賃金は市場原理を反映しつつも、基軸のところでは経営側と労働者の交渉で決まるという要素が大きい。アルバイト賃金は需給かひっ迫すればすぐ上昇するご、大企業の正規労働者の賃金はそうはいかない。長期的に雇用を守れるかどうかという観点でどの程度の賃金上昇が許容できるのかが問題になる。
 90年代以降の雇用悪化の中で日本の大企業の労働組合は、雇用を守ることを優先し、そのために賃金コストの上昇抑制を受け入れてきたようにみえる。その行動原理がまだ続いているのてはないか。そろそろ方向転換が必要になってきているのではないだろうか。」(インターネット配信からの入手)

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 およそこのような論調を参考として踏まえつつ、アメリカの現局面での賃金決定のあり方を窺うのであれば、さしあたりいまアメリカ経済がどうなっているか、この先どうなっていくのだろうか。また、その中で企業の支払い能力の水準はどうなっているのか、さらに現在の労働者側の賃上げ運動と政府の労働問題への関わりなどを調べ、特にこの国の労働者がいまどのようなことを考え、行動しているかを調査・分析することが求められよう。


(続く)

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