630○○『自然と人間の歴史・日本篇』日本の領土問題(ロシアとの北方4島、同経済協力を巡って(2016~、韓国との竹島、中国との尖閣諸島)

2021-10-08 21:55:56 | Weblog

630○○『自然と人間の歴史・日本篇』日本の領土問題(ロシアとの北方4島、同経済協力を巡って(2016~、韓国との竹島、中国との尖閣諸島)

 さて。現在の日本が直面している「領土問題」というのは、はたして日本及び世界のどれだけの人々が、それなりの問題意識をもって眺めているのだろうか、それに対する解答はなかなかに見あたらない。
 例えば、議論の中で国際法を持ち出す向きがあるのだが、双方が認めざるを得ないような、これといった条文なり、慣習法があるわけではあるまい。
 といっても、第二次世界大戦後の世界で起こっている領土問題の多くは、国対国のもめ事であろう。したがって、それを持ち出して自分の主張を正当化しようとする、それぞれの国の政府・人民の気持ちはわからないでもない。


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 ここでの話のそもそもは、第二次世界大戦の終盤からその戦後処理にかけて、顕在化した。その後、サンフランシスコ講話条約のおり、日本側は2島返還の主張であったのだが、その会議にはソ連が参加していなかった。そのため、合意は不成立であった。日本は、その後に4島一括返還要求に転じ、双方合意のないままに現在にいたっているのは、別項で述べておいた。

 「日ソ共同宣言」の後、すべからく、この領土問題の解決に向けた両国の足取りについては、遅々として進んでこなかった。それが、2016年12月になって、ロシアのプーチン大統領が来日しての日ロ首脳会談で、日ソ経済協力の活動(共同経済活動)に向けて協議することで合意した。それまでの交渉の仕切り直し、もしくは新たな目標設定ということであろうか、新たな出発だといえよう。

 ところが、2017年に入ってはやくも今後の見通しに修正を迫る動きが出できている。いずれも、ロシア発のもので、次のような動きである。

 2017年2月22日、ロシアのショイグ国防相が、わが国の呼称でいう北方4島と千島列島に、2017年中にロシア軍を配置する新しい師団をもうける考えを、ロシア下院での報告で発表した。また、ロシアのプーチン大統領は2017年6月1日、わが国の呼称でいう北方4島につき、「日本の主権下に入れば、これらの島に米軍の基地置かれる可能性がある」などと述べ、日米安保条約が適用される現状では日本への返還(条約でいうと2島となる)は難しいとの認識を示した。

 この背景には、2017年に入り、日本の政府(自民と公明の連立)が安全保障問題でアメリカに盲従を強めている中で、ロシアが危惧を抱いていることがあろう。ロシアが、自国の安全保障にとってこの島々を確保しておくことが有益だと考えるのは、現在の世界の政治・軍事バランスの上では大方自然な流れでもあろう。それから2017年8月23日には、メドベージェフ首相が色丹島での水産加工業を対象に、ロシアの法律での経済特区(先行発展地域)を創設する決定に署名したと、現地ノーボス地通信などが伝えた。

 こうなると、話は「ぎくしゃくしてくる」のが、これまでの歴史の常(つね)であって、せっかく定めた日ソ経済協力においても、ロシア領土、ロシアの法律の影響下の前提に立っての協力を求めるロシアに対して、それを望まない日本との間で引っ張り合いが強まる、そのことで全体がうまく行かなくなっていく可能性があるだろう。

 それでは、経済協力の項目としてはどのようなものが考えられるだろうか。これについて、双方にとって利益が見込め、将来性のある道が示されるべきであろう。その一つに、LNG(液化天然ガス)の共同開発・輸入が考えられるのではないか。LNGは、マイナス摂氏162度で液体(体積は約600分の1)になり、船に積んで日本に運べる。

 おりしも、2017年1月6日、東京電力ホールディングス子会社の東電フュエル&パワーと中部電力sの共同出資会社「JERA(ジェラ)」が、米国産シェールガス由来のLNG(液化天然ガス)を国内で初めて輸入した。積載船が同日、中電上越火力発電所(新潟県上越市)に到着した。

 2015年度のLNGの国別輸入比率は豪州(22.9%)が最多で、マレーシア(18.7%)、カタール(15.8%)、ロシア(8.5%)(財務省の貿易統計)。アメリカの東海岸ないし南海岸からの輸入ルートで考えれば、先頃拡張されたパナマ運河を通って大平洋に出る輸送ルートがコスト安の要因となっている。一方、ロシアからLNGを調達する場合は、今のところ船だが、ロシアとはパイプラインで繋がりうる。そういう意味では、ロシアLNG、米国産LNGを調達する動きは加速していく可能性を秘めているのではないか。


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 韓国との間では、竹島が領土問題となっていて、現在ここを占有しているのは、韓国側である。

 こちらについては、まずは歴史学の中にも、優れた研究業績なり、提言なりが提出されていて、かなりの程度、これからの道案内人になってくれるのではないだろうか。

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 それから、現在の日本と中国との間には、尖閣の島々(中国側の表現でいうと釣魚島)の領有をめぐって意見の対立がある。そこで今、ここを領有しているのは日本ながら、中国側はこれを認めていない、いやそこは自分の国のものであると主張してゆずらない。
 思い起こせば、1970年代の日中国交回復のおり、尖閣・釣魚領有帰属の問題は、まずは国交回復が大事というコンセンサスが何かしらあったりで、双方が激突を控えたのだった。

 ところが、あれから約50年を経た今日、このことを認めない議論が日本の政論に少なからず見受けられるものの、そう言うのなら、中国側になぜあのとき、その問題を明確に日本側に示し、要求しなかったのかと聞いてみるべきだろう。なぜなら、あのときの日本も、かかる問題をあえて交渉の場に持ち出さなかった。そして、もし両者があの時激突していたなら、日中国交は暗礁に乗り上げていたのかもしれないと考えるのだが、いかがであろうか。
 近いところでは、テレビの時事ニュースなり解説を見ていると、「我が国の尖閣に中国の艦船、飛行機が何回進入した」旨の話の向きなのだが、かたや中国側は自国の海域にいて何が悪いということになっているようである。それというのも、21世紀になってから、ここを日本が国有化し、占有してしまう。当時の野田・民主党首班内閣が行ったものだが、当然のことながら、中国側は反発する。

 その際の双方の論点となるのは、互いに張り合い中なのだが、どうやら現在、そんな中での理詰めの話はほとんど世論に反映されずに推移しているかのように感じられる。これは、正しいあり方ではあるまい。

 この問題に関連して、各位に検討してもらう一環として、明治時代の半ばに出された閣議決定から、次の一文を紹介しておこう。

「朕(ちん)沖縄県の郡編制に関する件を栽下し茲に之を公布せしむ
御名御璽
1896年(明治29年)3月5日
内閣総理大臣侯爵、伊藤博文
内務大臣、芳川顕正
勅令13号
第1条
那覇首里両区の区域を除く外沖縄県を画して左の五郡とす。
島尻郡
島尻郡各間切久米島慶良間諸島渡名喜島栗国島伊平屋諸鳥島及大東島
中東郡
中頭各間切
国東郡
国東各間切及伊江島
宮古郡
宮古諸島
八重島郡
八重山諸島
第2条
郡の境界
若しくは名称を変更点することを要するときは内務大臣之を定む
附則
第3条
本令施行の時期は内務大臣之を定む」

 この一文に示されるのは、沖縄県の郡編成の一部なのであって、ご覧のように、この中に尖閣諸島の名前がない。ところが、これに触れて、日清戦争後の講話条約調印の3か月前に沖縄県では閣議決定を受けて八重島諸島の中に入れているのだから、当該勅令によって尖閣諸島は八重山郡の中に入ったことになる、したがって、尖閣諸島は日本の領土と目されていないとの批判は当たらないというのが、現在の日本側の主張なのだろうか。
 また、このように閣議決定で領土の事を決めるという話は、第二次世界大戦(当然ながら、太平洋戦争も含まれよう)敗戦まで天皇が「大権」(明治憲法)を握っていたのに照らして、この閣議決定などは実効性を持たない、との主張がある。これに対しては、「日本の皇室は古代に遡っても、いつも政治権力の飾りものにすぎなかった」(例えば、有吉佐和子「日本の島々、昔と今」集英社、1981)などとして、あくまでも、かかる閣議決定などで当時の内閣が決め事をしているのは正当なのだというのが、今日の政府側の解釈なのだろうか。
 だが、これらの対立する二説が提示する、いずれの観点も、これまでのところ日本国民にきちんと説明されて後、それを踏まえて議論されているとは到底いえないのではないだろうか。ついては、こうした観点を顧みることなく、ただ「尖閣諸島は古来日本の領土だ」と言い張っているばかりでは、国際世論の理解・賛同を得るのは難しいと考えるのだが、いかがであろうか。
 なお、21世紀現代においては、アメリカ中心なのが只今の国際社会ではないことに留意されたい、国連の場では、ごく大まかに米中の力が拮抗するという、かつてない状況が生まれていることに、くれぐれも留意してほしい。
 そういう意味合いては、この問題の扱いについては、日本の学者においても、いうなれば「寝た子を起こすようなもの」との声が上がったのは、改めて述べるまでもなかろう。それからは、日中双方が、この問題で火花を散らすように変じている。
 したがって、ここで述べておきたいのは、両者が張り合っていても解決しない、話し合う姿勢がないと、もはやこの問題は解決の方向に向かうことはない。それともう一つ、日本はアメリカとの安全保障条約をかざしてアメリカに、この問題で有事が発生したら助力してほしいと頼んで、アメリカ側もこれに理解を示している。
 だが、そのことを額面通りに受け取る識者(何かしら関心のある人のうち)は、そう多くはあるまい。というのも、もはや経済力(購買力の比較でいうと、2014年に逆転、為替でも差はそれほどない、政治家や政治学者などではいざしらず、経済を勉強している者の中では、現下の状況は当然の成り行きであろう)はほぼ互角の上、軍事バランスも2018年頃を境にほぼ拮抗してきている。なお、後段については、日米の軍事専門家の間でも今や共通の認識なのではないだろうか。
 ついては、幾ら安全保障で日米に取り決めがあっても、米中がこの問題で激突する(小競り合いではなく)ことは、可能性としては少ないだろう。少なくとも、それを避けるため最大限の注意をはらうのが、この二つの大国にとっては、その時の他の何物にも増して最重要となるのであろう。
 このことをなぜ今いうのかといえば、それは1941年10~12月に遡ろう。その前の10月、近衛文麿(このえあやまろ)内閣を追い落として首相となる直前の東条英機(とうじようひでき、当時は陸軍大臣)は、支那などは日本の「心臓である」として、対米英戦争への最終飛躍を促した。それまでアメリカの力を知ることでは、人後に落ちなかったであろう山本五十六(やまもといそろく)は、それをどのように受け止めたのであろうか、けれども軍人の常として、その後の天皇(大元帥・政府・議会の大号令に従う。
 

(続く)


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