週末に読んだ「世界を変えた100日」(日経ナショナル・ジオグラフィック社刊)より、筆者が記憶に留めたいと思った数字です。(#11だけ国名)
1.1871年3月18日 パリ・コミューンの蜂起
血の1週間での殺害・処刑者:3万5千人以上。フランス革命に続く恐怖政治の2年間の10倍。
2.1903年12月17日 ライト兄弟の初飛行
滞空時間12秒、36.6メートル。
3.1908年9月27日 フォード、T型車を発表
値段845ドル、20馬力エンジン、最高時速70キロ、40リットル燃料タンク、240キロ~340キロの連続走行、累計生産台数1500万台以上。
4.1915年4月24日 アルメニア人大虐殺
第一次世界大戦中のオスマン帝国で150万人のアルメニア人が虐殺される。民族の大浄化で、ナチスのホロコーストの伏線に。
5.1934年10月16日 毛沢東の長征開始
370日間で行軍は1万2500キロ(欧米の研究ではこの半分と見られている)に及び、10万人が出発して最後までたどり着いたのは7000人。
6.1941年12月7日 真珠湾攻撃
360機の日本軍爆撃機が6隻の空母から飛び立ち、米軍の戦艦8隻、駆逐艦3隻、小型戦艦11隻、軍用機200機を破壊。アメリカの軍人と民間人あわせて2400人以上が死亡。うち1177人が戦艦アリゾナ号の乗組員。日本の損失は飛行機38機に小型潜行艇5隻のみ。但し、米国に2つの幸運が。①オアフ島の石油貯蔵タンクが無事だった。 ②空母艦隊が真珠湾を離れており無傷だった。これが後の米軍の反撃を容易に。
7.1945年8月6日 広島、原爆投下
マンハッタン計画に20億ドル支出。広島の人口35万人のうち、最終的な死亡者数14万人。
8.1950年9月15日 朝鮮戦争、仁川上陸作戦
軍艦320隻、車両6500両、物資2万5千トン、水兵、陸兵54000人以上が準備された。1953年7月27日に停戦を迎えた時、米国が失った命は2万5千人以上。韓国は100万人以上。中国と北朝鮮は更に多数。
9.1956年10月23日 ハンガリー動乱
何千人という市民がソ連の戦車部隊に殺され、20万人のハンガリー人がオーストリアに逃亡。若者が大半のデモ隊の350人が処刑さる。
10.1967年7月6日 ビアフラ内戦と飢餓
ナイジェリア東部州のビアフラ。3万人のイボ族が死亡。ビアフラの封鎖で100万人を越える住民が飢餓で命を落とす。子供たちの多くは、クワシオルコル(やせ細り、腹が異常に膨れる病気)にかかって300万人近い子供が瀕死の状態に。
11.1968年8月20日 チェコスロバキア侵攻
ポーランド、ブルガリア、ハンガリー、東ドイツに加えて、ソ連の戦車がプラハになだれ込み、30人の市民が殺され300人が負傷。
12.1975年4月30日 サイゴン陥落
米国はベトナム戦争で5万8千人の犠牲を出し、1500億ドルの戦費をつぎ込む。
13.1979年1月7日 ポル・ポト政権崩壊
毛沢東思想に沿った完全自給自足の農園国家を作り上げるというカンボジアのポル・ポトの目的のために200万人の命が奪われる。実に人口の4分の1が死に追いやられる。
14.1989年6月4日 天安門事件
学生デモ隊鎮圧に人民解放軍に出動を命じる。西側諸国の推定で数百人、ひょっとすると数千人が撃たれる。
15.2001年9月11日 米国同時多発テロ
アメリカン航空11便は、時速790キロで世界貿易センターツインタワー北棟の北側に激突。ユナイテッド航空175便は、時速950キロでタワー南棟の南側に突っ込んだ。アメリカン航空77便が国防総省の西側部分に衝突し、国防総省の職員125人が死亡。
以上です。
世界は近代以降、様々な動乱を乗り越えてきました。今回の「世界金融動乱」の結末や如何に。。。
1.1871年3月18日 パリ・コミューンの蜂起
血の1週間での殺害・処刑者:3万5千人以上。フランス革命に続く恐怖政治の2年間の10倍。
2.1903年12月17日 ライト兄弟の初飛行
滞空時間12秒、36.6メートル。
3.1908年9月27日 フォード、T型車を発表
値段845ドル、20馬力エンジン、最高時速70キロ、40リットル燃料タンク、240キロ~340キロの連続走行、累計生産台数1500万台以上。
4.1915年4月24日 アルメニア人大虐殺
第一次世界大戦中のオスマン帝国で150万人のアルメニア人が虐殺される。民族の大浄化で、ナチスのホロコーストの伏線に。
5.1934年10月16日 毛沢東の長征開始
370日間で行軍は1万2500キロ(欧米の研究ではこの半分と見られている)に及び、10万人が出発して最後までたどり着いたのは7000人。
6.1941年12月7日 真珠湾攻撃
360機の日本軍爆撃機が6隻の空母から飛び立ち、米軍の戦艦8隻、駆逐艦3隻、小型戦艦11隻、軍用機200機を破壊。アメリカの軍人と民間人あわせて2400人以上が死亡。うち1177人が戦艦アリゾナ号の乗組員。日本の損失は飛行機38機に小型潜行艇5隻のみ。但し、米国に2つの幸運が。①オアフ島の石油貯蔵タンクが無事だった。 ②空母艦隊が真珠湾を離れており無傷だった。これが後の米軍の反撃を容易に。
7.1945年8月6日 広島、原爆投下
マンハッタン計画に20億ドル支出。広島の人口35万人のうち、最終的な死亡者数14万人。
8.1950年9月15日 朝鮮戦争、仁川上陸作戦
軍艦320隻、車両6500両、物資2万5千トン、水兵、陸兵54000人以上が準備された。1953年7月27日に停戦を迎えた時、米国が失った命は2万5千人以上。韓国は100万人以上。中国と北朝鮮は更に多数。
9.1956年10月23日 ハンガリー動乱
何千人という市民がソ連の戦車部隊に殺され、20万人のハンガリー人がオーストリアに逃亡。若者が大半のデモ隊の350人が処刑さる。
10.1967年7月6日 ビアフラ内戦と飢餓
ナイジェリア東部州のビアフラ。3万人のイボ族が死亡。ビアフラの封鎖で100万人を越える住民が飢餓で命を落とす。子供たちの多くは、クワシオルコル(やせ細り、腹が異常に膨れる病気)にかかって300万人近い子供が瀕死の状態に。
11.1968年8月20日 チェコスロバキア侵攻
ポーランド、ブルガリア、ハンガリー、東ドイツに加えて、ソ連の戦車がプラハになだれ込み、30人の市民が殺され300人が負傷。
12.1975年4月30日 サイゴン陥落
米国はベトナム戦争で5万8千人の犠牲を出し、1500億ドルの戦費をつぎ込む。
13.1979年1月7日 ポル・ポト政権崩壊
毛沢東思想に沿った完全自給自足の農園国家を作り上げるというカンボジアのポル・ポトの目的のために200万人の命が奪われる。実に人口の4分の1が死に追いやられる。
14.1989年6月4日 天安門事件
学生デモ隊鎮圧に人民解放軍に出動を命じる。西側諸国の推定で数百人、ひょっとすると数千人が撃たれる。
15.2001年9月11日 米国同時多発テロ
アメリカン航空11便は、時速790キロで世界貿易センターツインタワー北棟の北側に激突。ユナイテッド航空175便は、時速950キロでタワー南棟の南側に突っ込んだ。アメリカン航空77便が国防総省の西側部分に衝突し、国防総省の職員125人が死亡。
以上です。
世界は近代以降、様々な動乱を乗り越えてきました。今回の「世界金融動乱」の結末や如何に。。。