【掲載日:平成22年9月10日】
わが屋前の 花橘に 霍公鳥
今こそ鳴かめ 友に逢へる時
書持に せっつかれての 歌作り修行
連日の 琢磨が続く
「今日は 『橘』に 致しましょう」
わが屋前の 花橘を 霍公鳥 来鳴かず地に 散らしてむとか
《庭咲いた 橘花を ほととぎす 鳴きに来んまま 散らすんかいな》
―大伴家持―〈巻八・一四八六〉
わが屋前の 花橘に 霍公鳥 今こそ鳴かめ 友に逢へる時
《庭に咲く 橘花に ほととぎす 今鳴かんかい 友と居るのに》
―大伴書持―〈巻八・一四八一〉
「さすが 書持 思い付きが違う
わしのは 見たまま そのままじゃ」
わが屋前の 花橘の 何時しかも 珠に貫くべく その実なりなむ
《庭植えた 花橘は いつ頃に 糸通しできる 実ぃ成るんやろ》
―大伴家持―〈巻八・一四七八〉
わが屋前の 花橘は 散り過ぎて 玉に貫くべく 実になりにけり
《庭咲いた 橘の花 散って仕舞い 糸通しする 実になって仕舞た》
―大伴家持―〈巻八・一四八九〉
「兄上 今度は 橘を離れ
他の何かに 気を転じられての歌を」
夏まけて 咲きたる唐棣 ひさかたの 雨うち降れば うつろひなむか
《夏待って 咲いたハネズは 雨来たら やっと咲いたん 色褪せるがな》
―大伴家持―〈巻八・一四八五〉
隠りのみ 居ればいぶせみ 慰むと 出で立ち聞けば 来鳴く晩蝉
《籠ってて 沈んだ気ィを 晴らそうと 出たら蜩 来て鳴いたがな》
―大伴家持―〈巻八・一四七九〉
わが屋前の 瞿麦の花 盛りなり 手折りて一目 見せむ児もがも
《庭で咲く 撫子の花 今盛り 採って見せる児 居らんもんかな》
―大伴家持―〈巻八・一四九六〉
「見る間の上達 さすがでございます
籠りの慰みと 蜩セミの取り合わせ
相聞色合い備えた 撫子
どうして どうして かなりの歌上手」
導き上手の書持 褒めることを忘れない
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