令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

旅人編(19)磐国山を

2009年10月23日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月3日】

周防すはなる 磐国山いはくにやまを えむ日は 
             よくせよ 荒しその道

【磐国山=今の欽明路峠への道】


早馬は  飛ぶ
大和へ  朝廷へ
旅人たびとの 申し状 以下の通り
「先ごろよりの そう腫物はれもの〕によるやまい
 快復の 捗々はかばかしくあらず
 しものこと あり候わば 悔いあるにより
 遺言ゆいごんいたしたきの儀 これあるにつき
 急ぎ 在京親族 稲公いなきみ並びに麿まろの二人をして
 西下さいかの取り計らい 乞い願うばかりなり」
早速に 勅許ちょっきょを得た 両名 
馬をいで 西へ 筑紫へ 大宰府へ

一方 旅人のやかたでは
護摩ごまき煙の 上る中 祈りの声音こわねが響き
百済医師執刀しっとうの 切開術の 手が進んでいた
「取れ申した これが 病の原因もとい
見れば 大人のこぶしもあろうかと言う 腫瘍しゅようだま
さすがの旅人も  ギョとなった
「もう  大丈夫でござる
 一命は取り留めて候 
 ただ  いま少しの 養生節制は 欠かせぬが」

「何は  ともあれ 良かったではないか
 なになに やまい原因たね 心ふさぎの重なりじゃと
 ひなへの赴任 奥方の死 長屋王の変事と
 公私共の  気疲れでは あったのう」
ここ 大宰府の外れ ひのもり八幡の地
快癒かいゆお礼まいりを終えた 一行
旅人の回復を見届けた  稲公・胡麿
両名を 送るべく同行した 大伴百代おおとものももよ 山口若麿
それに  旅人の子家持の五人であった
夷守ひなもりうまや ここで 別れの小宴が持たれた 
「御苦労で  ござった
 後は  我々が
 今以降の  気疲れをなされぬよう お守り致す
 ご両名は  朝廷への よしなの報告と
 道中くれぐれもの  心配りを なさいませ」
草枕 旅行く君を うるはしみ たぐひてそし 志賀しか浜辺はまべ
《あんたはん 旅立たれるの しよって ついて来たんや 志賀の浜まで》
                         ―大伴百代―〔巻四・五五六〕 
周防すはなる 磐国山いはくにやまを えむ日は よくせよ 荒しその道
《岩国の 山越える日は 神さんに ちゃんとおがみや 道けわしから》
                         ―山口若麿―〔巻四・五五七〕 

送る者  送られる者 
双方の胸に  旅人平癒の安堵が 広がっていた





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