人麻呂編（３）浦の浜木綿

【掲載日：平成21年8月5日】

み熊野の　浦の浜木綿はまゆふ　百重ももへなす
　　　　　　　　　　心は思もへど　直ただに逢あはぬかも

【孔島の野生浜木綿】

（なんとした　ことか）　
人麻呂は　苛立いらだっていた
文机ふづくえをまえに　小半時こはんときも
（ええい　言葉が　結むすべぬ
　天皇すめらみことの　寿ことほぎ歌　
　身罷みまかり人びとへの　挽ひき歌
　次々と　口をついて　出るものを　
　女人おみなへの　思い歌　それも　わが思い歌　となると　結べぬ）　
人麻呂は　仰向あおむけ倒だおれに　天井を見る
目を　つぶる　
閉じた目に　軽郎女かるのいらつめ

「抜くのじゃ　己おのが身から　思いを抜くのじゃ」
もう一人の　人麻呂が　囁ささやきかける

み熊野の　浦の浜木綿はまゆふ　百重ももへなす　心は思もへど　直ただに逢あはぬかも
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―柿本人麻呂―（巻四・四九六）
《浜木綿はまゆうの　葉いっぱいに　茂ってる　思いもそうやが　よう逢い行かん》　
（出来たぞ　出来た　
　われにも　あらぬ　初うぶな歌じゃ）

古いにしへに　ありけむ人も　わがごとか　妹いもに恋ひつつ　寝いねかてずけむ
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―柿本人麻呂―（巻四・四九七）
《同おんなじか　昔の人も　ワシみたい　焦がれ恋して　寝られへんのは》　
（なんと　まあ　恥ずかしげもなく）　

（この歌を　贈るとして　返し歌は　どうかな）　
今のみの　行事わざにはあらず　古いにしへの　人そまさりて　哭ねにさへ泣なきし
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―柿本人麻呂―（巻四・四九八）
《今だけの　こととは違ちごて　昔かて　恋して泣いた　今よりもっと》
百重ももへにも　来及きしかぬかもと　思へかも　君が使つかひの　見れど飽あかざらむ
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―柿本人麻呂―（巻四・四九九）
《何遍なんべんも　来て欲し思う　あんたから　使い来るたび　見るたびずっと》

（自分で　返し歌まで　詠よむか）
人麻呂の頬ほおは　緩(ゆる)んでいる

喪の明けやらない　人麻呂に　恋の奴やっこが　取り付いた




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