令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

憶良編(1)行きし荒雄ら

2009年09月28日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月11日】

大君おほきみの つかはさなくに 情進さかしら
           行きし荒雄あらをら 沖に袖振る


【福江島 半島部最北端の柏港】


筑前守ちくぜんのかみ様 大変でございます」 
着任早々の 憶良のもとに 悲報がもたらされた

筑前国ちくぜんのくに滓屋郡かすやのこおり志賀村の荒雄の船「鴨丸」遭難
五島列島みみらくから 対馬つしまへの食糧輸送の船
出航間なしの にわかの嵐 荒れ狂う海に なす術なし 船は敢えなく 波間に沈む 
「本来なら 宗像郡むなかたのこおりの 宗形津麿むなかたのつまろに下っためい
 津麿の 老身ろうしん故の頼みに 友思いの荒雄が 買って出た任務
 海の荒れ 静まっての捜索も 甲斐無く 板子いたこ残骸ざんがいの浮遊を 認めるのみ」

残された妻子つまこの悲しみを思い 憶良は うた

大君おほきみの つかはさなくに 情進さかしらに 行きし荒雄あらをら 沖に袖振る
《荒雄はん 助け求めて 袖を振る 君命くんめいちゃうのに 男気出して》

荒雄らを むかじかと いひりて 門に出で立ち 待てどまさず
《荒雄はん 帰って欲しと 陰膳ぜんえて なんぼ待っても 戻ってこない》

志賀の山 いたくなりそ 荒雄らが よすかの山と 見つつしのはむ
《志賀山の 木ィ切らんとき 荒雄はん 偲ぶよすがに 置いといてんか》 

荒雄らが 行きにし日より 志賀の海人あまの 大浦おほうら田沼たぬは ざぶしくもあるか
《荒雄はん 船出ふなでしてから らへんで 大浦田沼は さみしいなった》

つかさこそ 指してもらめ 情出さかしらに 行きし荒雄ら 波に袖振る
《お役所が 名指しせんのに 荒雄はん 可哀相やな 男気出して》 

荒雄らは 妻子めこ産業なりをば 思はずろ 年の八歳やとせを 待てどまさず
《荒雄はん 妻子つまこ生活くらし 思わんと いつまで経っても 行ったままかい》 

沖つ烏 かもとふ船の かへり来ば さきもり 早く告げこそ
さきもりはん 鴨う船が 戻ったら 早よ早ようて 待ってるよって》

沖つ鳥 鴨とふ船は の崎 みてと きこぬかも
《也良の崎 岬まわって 鴨とう 船が来たう 知らせが来んか》

沖行くや あか小船をぶねに つとらばけだし人見て ひらき見むかも
《荒雄はん 土産を積んだ 船出して 見舞いにしたら 見てくれまっか》 

大船に 小船をぶね引きえ かづくとも 志賀の荒雄に かづきあはめやも
《荒雄はん 大船小船で 探したが 何処へ行ったか 見つけられへん》 
                    ―山上憶良―〔巻十六・三八六〇~三八六九〕 



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