もがり または 恩師 ⑮

2019-05-19 08:38:30 | 物語
ものがたりにモデルはありますが、事実通りではありません。


 その後も日帰りで秋の吉田山や一泊で冬の宇治を訪ねる旅に先生をお誘いした。

 雨の中御所の休憩所の隅で持参したポットのお湯と聚洸のわらび餅でにわか仕立ての茶席を設けたり、ネ

パール民芸店で先生が誕生石のターコイズの指輪をみつけて喜ばれたり、宇治でヤドリギをとったり、縄手

のカチャトーリで大当たりの北イタリア料理に出あったり、泉涌寺道を歩いて紅葉に包まれたり、今熊野神

社でお遍路を模したお詣りをしたり、正伝寺で叡山の借景を見たり、点邑で新幹線用の弁当を買ったりと。

 これで痛みがあっても先生は京都まで来て下さると確信を得た私は、次は少し長めの京都滞在を計画し

た。

 今までもいくつもの京都の桜を見ては頂いたが、早い桜から遅い桜まで移り変わる、町全体がが桜色にな

るある時期の京都に浸っていただくには、せめて十日は京都にとどまっていただきたい。それには先生が急

にキャンセルをなさっても負担を感じられないよう、私にも意味がある滞在にするために、何人かの人に会

う予定も組み入れた。

 まず私の料理の生徒たちとの勉強旅行、京都の旧友たちとの食事会、大山崎待庵の拝観など。そして先生

と十日もご一緒できるならと宿で一つの勉強をすることを企てていた。

「先生、『徒然草』の本を持ってきましたので一緒に読んでいただけませんか」


 それは何年も前から私が座右に置く受験生用の参考書で、二百四十三段までの全段が収録されていた。

「一段ずつ二人で交互に音読して、解釈して、訂正しあうというのを毎日二十五段ずつ進めば十日で終わり

ます」

「じゃあ私も一冊買うわ」

と新幹線から下りたその足で、宿に着く前に四条のジュンク堂に向かった。私の本はまだ検印のある時代の

ものだったが、偶然同じ内容の参考書が版を重ねて新しい表紙で書店の棚に並んでいた。

“つれづれなるままに ひぐらし硯にむかひて心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば

 あやしうこそものぐるほしけれ”

 十日間の旅が始まった。


 三日目に料理の生徒たちが着くまでは錦市場のお惣菜などを買って過ごし、生徒が来た日は宿のオーヴン

トースターで三色の豆腐田楽を作って夕食にした。

 生徒の一人が菜の花畑を知らないと言っていたので次の日は奥嵯峨の「鯉茶屋」に筍料理を食べに行き、

帰り道にある菜の花畑まで歩くコースにした。生徒たちには綾綺殿カフェ、俵屋吉富、式亭、本法寺のあ

と、北村美術館、知恩院、思文閣ギャラリーなどを見てもらい、料理塾のツアーは終了した。

 先生と二人になると行き当たりばったりで茶舗栁桜園まで行き、いかにも街中のおまんやはんという友栄

堂で桜餅を買い、著書の多い釜座のお茶の先生のお宅のお蔵を眺め、二条若狭屋でも菓子を買って宿に戻

り、蟹ときゅうりと胡麻のお寿司、もやしの味噌汁、おひたしで夕食にした。

 五日目は先生が祇園の売店にしかないという舞妓ちゃんボンボンと言う菓子を買いたいとおっしゃり、八

坂神社近くまで歩き、出町で穴子弁当を買って鴨川べりでお昼にした。その後叡電に乗って木野まで行き、

妙満寺の紅枝垂れを見てからフレール・ムトウのケーキで休憩し、宿でカレーうどんと牛肉もやし炒め。

 次の日は東京からバスでアキさんが早朝に到着したので一緒に朝食をとって三人で日向大神宮に向かっ

た。そこから南禅寺までの山道が面白いと知人に教えられていたので、先生に痛みを忘れていただくには良

いコースではないかと思った。ところが途中暗い森の中で細い道を間違えて行き止まりになり、戻るのも不

確かで焦った、こんな時若いアキさんがいてくれてよかったと思った。疎水の水の流れる脇に来て下から人

の声のする南禅寺近くに来たときはどんなにほっとしたことか。

 そこから野村碧雲荘前の枝垂れ桜を見て永観堂、吉田山まで歩き、吉田山荘のカフェで一服した。神楽岡

通りを歩いて今出川通りまで出てから千本玉寿軒で菓子を買った。昼食は上七軒歌舞練場の食堂で。それから

織屋街に残る民家でパンを売っている「はちはち」をのぞき、アニスのパンを買って一旦宿に戻った。

 夕食は豆ごはん、鶏レバー煮、碧雲荘横で採ったつくし、揚げとネギの味噌汁をとり、夕暮の御所御苑に

満月の夜桜を見に行った。薄暮の中で山桜の赤い葉が輝く。すっかり暮れて三人で東山を眺めて月の出を

待った。ほんのり明かりをさした場所から、気づいたあとはみるみるうちに真ん丸な月が昇った。

 翌日の午前は予約しておいた山崎の妙喜庵待庵の拝観に出かけた。お茶室を見せて頂いた後、駅の上にあ

る大山崎山荘まで上り、洋館と庭園を散策した。邸内のカフェテラスはは南に開けて、以前正月に見た石清

水八幡からの眺望とは丁度反対の方向から三川合流が見えた。

 帰りは阪急で長岡天神に詣でて境内で筍ご飯を食べた。午後は翌日の食事会の準備に材料の買い出しにい

行かねばならなかったが、先生は見たいからとどの店にも付き合って下さった。

 次の日はアキさんが風邪らしく寝ていたいというので、先生と二人で嵐山に行った。任天堂が作った今で

は文華館という時雨殿ができたばかりで、人形を相手に百人一首のゲームなどに興じた。当然のことながら

先生の方が私より成績がよかった。先生が足をとめられたのは天龍寺近くのふとんやで、売り場の半分は和

の雑貨になっているが老舗らしく、高級な布団ばかりが置いてあった。真綿のふとんは当然のように何種類

もあり、布団地の色デザインが素晴らしかった。先生は丁寧に説明をお聞きになり、できれば買って福岡に

まで送ってもらいたいご様子だった。店の人の話ではその店は家庭画報にも紹介されたということだった。

 帰りに十二段家のお茶漬けで昼食にし、烏丸丸太町にあった甘楽花子でお茶にした。宿に戻って急いで食

事会の準備をした。六人が集まるので、錦市場丸弥太の穴子寿司のほか、とようけ屋の豪華ひろうす煮、

菜の花辛し和え、あさりの味噌汁、そして松屋常盤のきんとんなどを献立にした。

 
 “八つになりし年、父に問ひていはく、「仏はいかなるものにか候ふらん」…”
 
 十日目の朝、最後の段を読み終えた。冷蔵庫の残り物などで二人分の弁当を作り、円山公園の桜の下に敷

き物を敷いて先生と開いた。

 音楽堂、西行庵、石塀小路、知恩院、青蓮院、古川町市場、白川沿いなどを歩いて仁王門前のカフェ・

オータンペルデュまで来た。帰りの新幹線用にはここの詰め合わせボックスを予約しておいた。

*ローストポークのサンドイッチ
*海老とアボカドのサンドイッチ
*レバーテリーヌのサンドイッチ
*鶏胸肉とレタスのサンドイッチ
*あさりとアスパラガスのプチシュー
*セージ風味の地鶏のテリーヌ
*パプリカのムースとプチトマト
*ホタテとクレソンの苺ビネグレット
*サフラン風味のカニのミルクレープ
*サーモンの冷製
*豚肉とプルーンの白ワイン煮冷製
*生ハムのそば粉ミルクレープ
*カレー風味の茄子のピュレと小海老
*フロマージュブランのムースのスモークサーモン包み

「オータンペルデュってどういう意味」

宿までのタクシーの中で、先生が尋ねられた。

「失われた時、という意味なので、プルーストのA la recherche du temps perdu

からとったのだと思います」

 宿で荷物をまとめて送り出し、先生は身軽にお弁当だけをお持ちになり、私は猫二匹の籠を抱えて西と東

に別れた。長いお花見が終わった。