はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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以下の記述は、1月11日記載の文章:"平等vs.競争の図式に惑わされるな"の〔追記3〕として書いたものだが、重要に感じたので、少々加筆の上、独立のエントリーとしてここに載せる。
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先月1.11に指摘した悪質なレトリック:「結果平等から機会の平等へ」、よりいっそうたちの悪い誤魔化し言葉がある。最近頻繁に見かけるようになった「努力が報われる社会」という表現がそれだ(つい最近の日経新聞のコラムにもあった)。

‘努力が報われる’のは良いことに決まっている。そこで、どんな主張だろうと(自分だけの都合に基づく、悪質なものだろうと)、誤魔化してこの言葉に結びつけてしまえば、あらゆる批判や反論を封じる仕組みが出来上がってしまう。「努力が報われる社会」は、このような卑怯なレトリックのため利用される言葉なのだ。

さて、この言葉を操る人が言うところの「努力」というのは、現在の(俗に言う)勝者あるいは勝ちに近い有利な立場にいる人が欲望に駆られ邁進している類の偏狭な努力の意味であって、決して通常一般の努力の意味ではないことに注意しよう。平たく言えば、自分のやっていることは今以上に報われたいが、別の価値観に根ざす努力は認めたくないということなのだ。結局、人に金はやりたくないが、自分はもっと儲けたい、という程度の意味なのだ。

難病に立ち向かって生きる努力をしている人にできるだけの幸福を与えようとか、社会的責任を重視した清廉・正直な仕事の姿勢を貫く努力を評価しようとか、即効的には産業に結びつかない物理の基礎教育に奮闘する努力に報いようとか、イラクで誘拐される危険をおかしてまで人道活動をしようとした努力を認めよう、などという意識は、これっぽっちも含まれていない。

真に努力の報われる社会などというのは、理想共産主義社会よりも一層夢物語に近い、まさに子供だましの発想であることを、この言葉を頻用する論者にお伝えしたい。

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〔追記〕
国会でも格差社会が論争になっているそうだ。
(→毎日・msn.ニュース:格差社会論争:小泉首相、強気に転換 「機会の平等」を強調
政治家の教養の有無と思考能力の程度が如実に分かる。鋭い目を向け続けよう。

〔追記のリンク追補〕'2011-9-2
リンク切れのため、harmonia_mundi氏の個人ブログ上の記録を引用させていただく。
格差社会論争:小泉首相、強気に転換「機会の平等」を強調


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〔'06.2.9 日付を1日後に変更しました〕
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私的スクラップ帳(Agata氏)の「経済格差の拡大は本当に「誤解」なのか?」より、相互Trackbackをいただいています。


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