巨人・レッズ・チャーハン(2019年は和と動)

基本的には巨人応援ブログです。しばし更新していませんでしたがマイペースで再開。

懐かしい名前(吉岡雄二)

2014-10-13 18:27:06 | 巨人
巨人は11・12日とCSへの調整としてBCリーグ選抜チームと練習試合を東京ドーム(無観客試合)で行ったが、そのBCリーグ選抜を率いたのが元巨人の吉岡雄二だった。懐かしい名前である。

吉岡が脚光を浴びたのは今から25年前(1989年)の夏の甲子園。帝京高校のエースとして投打に大活躍し全国制覇を成し遂げた。5試合で3完投。41回投げて失点わずか1と抜群の安定感を見せたが、プロのスカウトには高校通算51ホームランの打力に注目が集まった。

その年の秋のドラフトで巨人から3位で指名を受ける(ちなみにこの年のドラフトの主役は8球団から指名された野茂英雄と意中の巨人に指名されなかった元木大介)。当時の巨人の監督の藤田監督が「投手として育ててみたい」という意向から、投手としてスタートしたが入団初年度に右肩を負傷。手術しリハビリに2年も要する羽目になった。やはり甲子園での投げすぎの影響だろうか?

その後、野手に転向すると、95年に1軍デビュー。この年の優勝が絶望的になるとサードで起用される機会が増え、そこで結果を残す。この年限りで巨人の看板選手だった原辰徳が引退したため、翌年以降の活躍が期待されたが、ナント巨人は新外国人のジェフ・マントを獲得するという愚策に出る。この辺りが当時の巨人の悪癖で若手を育てようとせず、未知数の外国人に頼ろうとする。案の定、ポンコツで逆から読んで「トンマ」と呼ばれた。

マントがシーズン早々にお祓い箱となると、ルーキーだった仁志敏久がセカンドからサードへコンバートされたため、吉岡の出番はめっきり減り、その年のオフに石井浩郎とのトレードで近鉄に移籍した。

私の知る吉岡雄二はこの辺りで途切れている。近鉄でそこそこ出番はあったと思うというレベルくらい。しかしネットで調べてみたらとんでもない。結構な活躍をしている。99年から03年まで5年連続で100試合以上に出場し、100安打以上。レギュラー格であったのだ。近鉄は01年に優勝しているから、それにも多大に貢献していることになる。

04年のオープン戦でアキレス腱を断裂する重傷を負い、その年は1試合出場にとどまると、翌年から新球団の東北楽天でプレー。主に3番を打ち116試合に出場しているが、これがプロのキャリアでは最後の輝きだった。野村新監督の構想からは外れ出番は減り、2008年限りで戦力外となった。プロ通算は883安打。

引退後は2011年から3年間は愛媛マンダリンパイレーツで打撃コーチ。今年から富山サンダーバースの監督に就任している。今は独立リーグがあったりと、引退後も指導者としての道が拓けている野球界。決して順風満帆の野球人生ではなかった吉岡だが、こういう人が良い指導者となるのだろう。個人的には帝京高校の前田監督が辞めたら、後任監督になってほしいと思っている。

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2 コメント

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同世代のヒーロー (kobby)
2014-10-13 20:20:02
吉岡選手は同い年です。帝京高校時代の投打での「甲子園の星」、巨人で打者に転向して開花したあたりは覚えています。ただ、MAKOTOさんがおっしゃる通り、当時の巨人は外国人戦略が下手でした。日本のプロ野球もメジャーとは違うやり方が必要なリーグなのに、メジャーのレギュラークラスを引っ張ってくれば戦力になると判断して、当時ボルチモア・オリオールズにいたマントを取ってきてしまったのですね。

私はパリーグファンなので、近鉄、楽天時代は西武戦でずいぶん打たれた印象があります。近鉄とオリックスが合併して楽天ができた分配ドラフト当時、吉岡は楽天の目玉選手で、甲子園での活躍を覚えていた東北のファンから熱烈な歓迎を受けました。

それでも、これだけ故障で苦しんだことは、ライバル球団なのでチェックはしていませんでした。こういう、苦しい道を歩んだ人が、指導者の道に進むのは野球界全体の底上げになります。独立リーグとはいえ、今でも野球にかかわっていたのは嬉しい知らせです。
kobbyさんへ (MAKOTO)
2014-10-15 22:22:26
吉岡と同い年でしたか。同学年の動向は気になるものですね。今は独立リーグもあるし、講習を受ければ高校の監督も務められるようになりました。確実に指導者の裾野は広がっています。

巨人の外国人戦略は今も下手でしたが、90年代半ばはホント酷かったです。マントで懲りたと思いきや、翌年は「台湾のイチロー」という触れ込みのルイスを連れてきました。打てないばかりか、高校生以下の守備には閉口しました。それでも使った長嶋監督にも。
この年、清原や石井らを獲得。30億補強とか言われましたが、ヒルマンが「肩に小錦が乗っている」という名言を吐き、まったく仕事をしないなど、すべてがうまくいかず4位に終わりました。思い出したくもない過去です。

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