巨人・レッズ・チャーハン(2019年は和と動)

基本的には巨人応援ブログです。しばし更新していませんでしたがマイペースで再開。

イチローの思い出 1996年日本シリーズ第1戦

2019-03-23 17:55:43 | MLB
イチローが引退してしまった。
正直、この日本での公式戦で最後という予感みたいなのはあった。
この日本ではメジャー枠が28人だが、アメリカに戻れば25人になる。いくらチームのレジェンドとはいえ、45歳でオープン戦の打率が1割未満では厳しい。昨年はチームのフロント入り?のような奥の手を球団側は用意したが、奥の手は2年連続では使えない。

個人的にはメジャーにこだわるのではなく、最後は日本に戻ってきてほしかった(古巣のオリックス、地元・愛知県の中日は大歓迎だろう)が、最後の感動的なシーンを見ると「なんも言えねえ」である。幕引きとしてはこれ以上ないものだったのではないか?

イチローは数多くヒットを放ってきた。その中で最も印象に残るヒットは?
というアンケートがあれば1位は間違いなく09年・第2回WBC決勝での勝ち越しタイムリーだろう。
それに触れるのはありきたりなので、ここでは2番目に印象に残っている、96年日本シリーズ第1戦について触れようと思う。

この年の日本シリーズは巨人VSオリックスというカードだった。
巨人は一時11.5ゲーム差をつけられ自力優勝がなくなったが、そこから反撃し優勝。「メークドラマ」と言われた。
松井秀喜はホームラン王のタイトルこそ逃したが38本99打点とブレイク。4番は落合でこの年が巨人最終年(オフにFAで清原が入団したため追われるような形で退団)。仁志と清水がルーキーながら活躍し、2人で新人王争いを繰り広げた(新人王は仁志が受賞)。

一方のオリックスは前年に続く2年連続リーグ優勝。イチローもすっかりチームの柱になり、監督の仰木彬の「マジック」によってチームは円熟期を迎えていた。なにより、95年の1月には神戸で震災があり、「がんばろうKOBE」の合言葉のもと、チームはその復興の象徴のようになっていた。

そんな両チームの対戦は初戦から大接戦。
2点を追う9回裏、巨人は大森剛の2ランホームランで同点。
延長10回、表のオリックスの攻撃も簡単に2人が倒れ2アウト。
東京ドームは大森の同点弾に沸き、雰囲気も最高潮。
「あとアウト1つとってチェンジとなり、裏の攻撃でサヨナラだ」

そんな巨人ファンの思いを打ち砕いたのがイチローだった。
2死無走者で打席に入る。それまでの4打席はすべて凡退だった。
ピッチャーは「ゲンちゃん」こと河野博文。

当時のプロ野球界は交流戦がまだない時代だったため、セの投手と対戦する機会はなかなかない(オープン戦、オールスター、日本シリーズくらい)が、河野は前年まで日本ハムに所属しており、対戦経験は豊富で、しかもイチローは河野をよく打っていたらしい。
イチローは高めのストレートを逃さなかった。振り抜いた打球はライトスタンドへ消えた。
勝ち越しホームランである。
普段は1番打者だが、まるで4番打者のような一撃に唖然とさせられた。

これが決勝点となり、第1戦はオリックスの勝利。
結局、これが流れを変え、巨人はわずか1勝しかできずシリーズに敗れた。

シリーズ全体をみれば19打数5安打1打点と巨人はイチローをある程度抑えられた。
だがその「1打点」はあまりにも貴重だった。

実は私は第6戦のチケットを持っていた。チケットを確保するために早朝から並んだのに、それが無駄(第5戦でシリーズが終わったから)になり、その悔しさもあって、あれから23年経ってもよく覚えています。

イチロー選手、長い現役生活、お疲れ様でした。
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上原浩治39歳 1年でも長く現役を

2014-04-03 23:01:45 | MLB
4月3日は上原浩治の39歳の誕生日である。おめでとうございます 私と同学年である。

上原は中学時代は陸上部、高校時代は補欠。大学も1年間浪人するというちょっと変わった経歴の選手である。同期入団の松坂大輔が甲子園で春夏連覇するなどスター街道を歩んだのとは対照的に、日向の道を歩いてきた。本人はそれゆえに雑草魂と言っており、この言葉は1999年の流行語大賞にもなった。

上原の背番号といえば「19」だが、これは浪人時代の19歳の苦しい時期を忘れないように、という意味が込められている。今の背番号19の菅野智之が浪人して巨人に入団しており、因縁を感じる。

入団初年度、いきなり20勝をあげ新人王に輝いた。とにかく投げるテンポが早く、上原が投げる試合は早々に終わることが多々あった。一度18時試合開始で高校野球並みに2時間で試合が終わってしまい、放送した局が困ってしまったことがあった。松井秀喜は「彼が投げると予定が立てやすかった」と述べている。

上原は今はリリーフだが、先発志向が非常に強い選手。だがリリーフとしての素質をいち早く見抜いたのは原監督だった。監督初年度の2002年の春のキャンプで、原監督はいつ上原に抑え転向を言いだそうかとタイミングをうかがっていたが、「俺は先発がやりたいんだという強いオーラが見え、言う隙を全く与えなかった」として、河原を抑えにした経緯がある。

だが2007年になると抑えの豊田の不調などもあり、この年に限りシーズン途中から抑えに転向。32セーブをあげて巨人のリーグ優勝に貢献した。プロで20勝を挙げ、30セーブを記録したのは上原と江夏豊の2人だけである。

2008年は横浜からクルーンを獲得したため先発に戻った。またこの年でFA権を取得。もともとメジャー志向が強く、ポスティングでの移籍を再三要請していたが、ナベツネの「あれは人身売買制度」という鶴の一声で実現せずにいた。そのため、上原は古巣・巨人をあまり快く思っていない発言が最近では見られる。

2009年、オリオールズ移籍。これは先発投手として投げられることを補償してくれたからである。やはり先発へのこだわりは強かった。だが右肘の手術や、度重なる下半身の故障で中継ぎへ。そしてレンジャースへまさかのトレード。そのレンジャースでも事あるごとにトレードの記事が出て、チームへの不信感が強くなり、FAとなった2012年オフに「一番必要だと感じだ球団」だったと本人が述べたレッドソックスへ移籍した。2013年の大活躍は語るまでもないだろう。

日本で10年、メジャーで5年やった。メジャーでも10年やりたいとオフの松井秀喜との対談で語っていた。メジャーは慢性的に投手不足なので、体のメンテナンスさえ怠らなければあと5年できるかもしれない。同学年としては、とにかく1年でも長く現役を続けてほしい、という気持ちでいっぱいだ。

不変
上原 浩治
小学館


カルビー2003 プロ野球チップス タイトルホルダー クリスタルパラレル No.T-21 上原浩治
クリエーター情報なし
かーど屋本店


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イチロー ヤンキース移籍

2012-07-29 05:19:55 | MLB
マリナーズのイチローが日本時間24日、ヤンキースにマイナー2投手との交換トレードで電撃移籍した。
会見終了後、すぐに「8番・ライト」で古巣のマリナーズ戦に出場するあたりが、いかにもメジャーらしい。ドライというか…。

もともと私はイチローには優勝を狙えるチームへ移籍してほしいと思っていた。
2008年6月17日には「移籍しろ!イチロー」と題して、世界で一番ヒットを打つのが上手い選手が弱小・マリナーズで埋もれているのはもったいない、としてトレード志願しても批判はされないだろうと書いた。

日本では英雄扱いのイチローだが、実はアメリカでの評価はそれほど高くはない。
「ヒットを打つだけの選手」と揶揄されることもある。これは弱小チームでプレーする宿命かもしれない。
当然のことながら優勝経験はないため、チャンピオン・リングは持っていない。あのマイケル・ジョーダンも優勝するまでは「勝てない選手」と何かと批判されたものだ。

だがヤンキースに移籍したことで優勝する大チャンス。何しろメジャーで一番勝てるチームに移籍したのである。
ここで優勝に貢献すれば、「勝てない選手」というレッテルは剥がされる。そのためにも「.261」という低打率から上昇しなければならない。

負け犬根性に染まっていて、救いようのないチームから、常に勝利を求められるチームに移籍したイチロー。これ以上の刺激はないだろう。スポーツ選手にとって「勝つ」ということは何事にも変えられない良薬なのだから。
現地27日にはホームでピンストライプのユニフォームを初披露。なかなか似合っていた。イチローがプレイオフでプレーしたのはマリナーズ1年目の2001年のみ。さあ、イチロー。大舞台で暴れてくれ。
プレイオフでダルのいるレンジャースと対戦、ということになれば日本も盛り上がるだろう。


さてイチローの背番号が51ではなく31を着けていることに違和感を持っている人もいるだろうが、ヤンキースの51はバーニー・ウィリアムズ(ヤンキースで通算2336安打)がかつてつけており、「恐れ多い」とイチロー自らが辞退したという。51は正式には永久欠番にはなっていないが、リベラの42と共に、近い将来、間違いなく永久欠番になるだろう。


最後にイチローを慕って、アメリカまで追いかけた川崎へ一言


ソフトバンクに帰っておいで


イチロー 262のメッセージ
『夢をつかむイチロー262のメッセージ』編集委員会
ぴあ



未来をかえる イチロー 262のNextメッセージ
「未来をかえるイチロー262のNextメッセージ」編集委員会
ぴあ


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スモルツとモイヤー

2012-04-24 00:00:06 | MLB
ブレーブスが通算213勝155敗154セーブを残したJ・スモルツ氏の背番号29を永久欠番にすると発表。スモルツ氏の200勝と150セーブは史上ただ1人の快挙だ。これでG・マダックスの31、T・グラビンの47と90年代からブ軍黄金時代を支えた先発3本柱がそろって永久欠番となる
(18日スポーツ報知6面より)


ま、当然だよね。それくらいスゴイ3本柱だったよ、この3人は。
昭和50年生まれの私にとって「3本柱」といえば同じく90年代の巨人を支えた斎藤・桑田・槙原だが、メジャーでいえばこの3人だよね。
巨人の3人がいずれも名球界入り(200勝)していないのに対し、マダックスが355勝、グラビンが305勝、スモルツは200勝150セーブ超え。また40を過ぎても活躍したという意味でスケールが違う。
この3人の活躍もあって、ブレーブスは毎年のように地区優勝をはたし、プレイオフに進んだが、ワールドシリーズ制覇は95年の1度だけと、勝ち運には恵まれなかった。




また、アメリカ現地時間17日にはロッキーズのジェイミー・モイヤーが49歳151日の最年長勝利記録をマーク。80年ぶりに記録を更新した。恐るべしである。
日本でも中日の山本昌が46歳8カ月のプロ野球最年長先発勝利を記録したが、モイヤーは3年も上回る。また、彼がすごいのは40歳を超えてから104勝も白星を積み上げていることである。(山本昌は40を超えてから20~30しか勝っていないはず)

このモイヤーもメジャー生活27年で獲得したチャンピオンリングの数は1つだけ。
ボンズ、イチローにいたっては1つも持っていない。黒田が広島に復帰せずヤンキースに移籍したのもチャンピオンリングが欲しいからだろう。

一方でメジャーではレギュラーではなくサブプレイヤーでありながらチャンピオンリングを2つも持っている田口壮のような選手もいる。
スモルツもモイヤーもイチローもボンズ(は薬物関連で怪しいかもしれんが…)も将来の殿堂入りは間違いないだろうが、はたしてどちらの野球人生の方が幸せなのだろうか。
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天然芝に西岡悩む

2011-02-19 22:10:30 | MLB
ツインズの西岡剛内野手(26)が、早くもメジャーの壁にぶち当たった。キャンプインを6日後に控えた17日、メジャー、マイナーが交じった25選手と合同練習を行った。今季は二塁手としての起用が濃厚だが、当地では遊撃と二塁のポジションを1週間、練習していた。結論は「内野グラウンドの対応は難しい」だった。
慣れ親しんだ人工芝と違い、メジャーで主流の天然芝は打球が止まりやすい。だからこそ「ボールが来るのを待つのではなく、突っ込んで捕りにいかないとアウトにできない」。と下半身のスタミナの必要性を痛感している

(19日スポーツ報知4面より)


日本ではロッテの本拠地・千葉マリンをはじめ人工芝の球場が多いが、メジャーでは人工芝の球場はほとんどない。トロントのスカイドームくらいか。
下半身に負担のかかる人工芝はメジャーでは敬遠されているのだ。その影響をもっとも受けるポジションがセカンド、ショートだろう。「世界一のショートになる」といって海を渡ったリトル松井も相当苦労し、ショート失格の烙印を押されてしまった。

今では数多くの選手がメジャーでプレイするようになったが、野手で活躍しているのはイチローくらい。松井秀喜はヒザの故障もあって多くは期待できない。
そんな中で西岡には頑張ってほしいのだが、この天然芝を克服することが活躍のカギとなりそうだ。
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松井 アスレチックスへ

2010-12-18 20:15:28 | MLB
マネー・ボール (ランダムハウス講談社文庫)
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エンゼルスからFAになっていた松井秀喜の移籍先がアスレチックスに決まった。

アスレチックスといえば、88~90年にかけてア・リーグを3連覇。カンセコ、マクガイアの‘バッシュ・ブラザーズ’。盗塁王のリッキー・ヘンダーソン。長髪・髭の抑えの切り札エカーズリーと個性的な選手を揃え、強かった。松井はその頃のアスレチックスに憧れ、帽子を買ったそうだが、私も松井と学年が1つ下なので、憧れたし、メジャーを知るきっかけとなったチームである。

2000年代に入ると、少ない予算ながらも、強力な投手陣を揃えて地区優勝を何度もする。その模様を書した「マネー・ボール」は全米でベスト・セラーになり、私も読んだことがあるが、アスレチックスをこれから応援するなら、ぜひ読んでもらいたい本である。

松井より年齢が1つ上のイチローがいまだ衰えを見せない中、松井はヒザの影響もあり、バッティングに粘りがなくなってきた。おそらく松井の現役姿を見られるのは長くて3年、まあ2年が妥当なところだろう。

個人的には来年はメジャーでやって、再来年は巨人に戻ってきて最後の花を咲かせてほしい。


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尚成 開幕メジャー

2010-04-05 23:35:36 | MLB
ニューヨーク・メッツの高橋尚成の開幕からのメジャー昇格が決まった。

昨年11月に巨人をFA宣言。だがこの不景気で契約はなかなかまとまらず、決まったのは2月11日。しかもマイナー契約。
本人は焦っただろうし、「FAなんかしないで巨人にいればよかった」と思ったこともあっただろう。

だがオープン戦で結果を出し、開幕メジャーを成し遂げたことは敬意を表したいね。

コントロールもいいし、シンカーはメジャーリーガー相手には通用するのでは。ただし短いイニングならね。本人は先発を希望しているけど、年齢的なこともあって、これからは中継ぎとして生き残っていく道を探らなければならない。


日本時間の5日にメジャーは開幕。
この日はレッドソックスヤンキースの1試合だけだったが、岡島が勝利投手に。
元G戦士の活躍はうれしいね。
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全然イケてない

2010-03-23 23:50:00 | MLB
イチローと松井がオープン戦で初対決。
松井がヤンキースからエンゼルスに移籍したので、イチロー対松井の直接対決は19試合も見られる。日本人の楽しみがひとつ増えた、といったところか。

2回終了時。攻守交代時に松井がイチローに声を掛けたという。会話の中身は、


松井「赤どうですか?

イチロー「全然イケてないよ~」



このイチローの発言には同感。
松井ほど赤が似合わない人はいない。おそらく世界一、赤が似合わないスポーツ選手だろう。
あの、ごつい顔に赤が似合うわけがない。
ヤンキースのピンストライプも似合わなかったけど。

だから、巨人に戻ってこいよ。来年でラミレスの契約が切れるから2012年から巨人でプレーすればいい。
それに巨人なら守れるよ。DHないからね。


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松井がエンゼルスに移籍

2009-12-15 22:00:00 | MLB
FAとなっていた松井秀喜の移籍先が決定した。エンゼルスで年俸は650万ドルの1年契約。今年の年俸から半減するわけだが、選手からみれば試合に出てナンボのわけで、DHとしてしか考えていないヤンキースに残留するよりはいいと思う。

日本には馴染みのないチームだが、ア・リーグ西地区で常に優勝を争う(他の3チームが弱いだけでもあるが…)強豪で再びワールド・シリーズを狙えるチーム。本拠地のロサンゼルス(カルフォルニア州)は温暖な気候でもあるので、持病のヒザの痛みを抱える松井にとって、最適なチームと言える。

イチローのマリナーズと同じア・リーグ西地区の移籍したということで、これまで以上に松井VSイチローの直接対決が見れるので、日本のメディア、特に試合を中継するNHKは喜ぶんじゃないだろうか。

それにしてもみんな松井の去就に注目していたんだね。
NHKの21時からのニュースではトップで報道していた
沖縄の普天間基地移設問題とか、鳩山首相の偽装献金問題、中国の国家副主席来日を差し置いてのトップ報道。
松井のスゴさを改めて証明した。

だが松井が赤のユニフォーム?
うわ、似合わなそう。
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おめでとう松井

2009-11-07 01:39:24 | MLB
メジャーリーグはワールド・シリーズが終了。
ニューヨーク・ヤンキースが9年ぶり27回目の優勝
9年前というと2000年以来。まだニューヨークでテロが起こる前だからかなり前になる。
そしてうれしいことにMVPには松井秀喜が選ばれた。
日本でも大きく報道されていた。スポニチは1面だったしね。


おめでとう松井


ヤンキースに行ってよかったね。
7年という歳月は苦難の連続だったはずだ。
左手首の骨折、ヒザの故障・手術、守備につかせてもらえずDHのみの出場。試合に出るのが当たり前だった選手にとってこれほど苦しいことはなかっただろう。
WBCを辞退してバッシングを受けたこともあった。
でも苦しんだ分だけ喜びは大きい。高々とMVPトロフィーを掲げた姿に威厳と充実感を感じた。

世間一般的には「大リーグで大活躍&成功=イチロー」
みたいな認識があるけど松井だって負けていない。勝つ気がないシアトルではなく、常に勝利を要求するニューヨーク、そしてメジャーで1番実績と伝統のあるヤンキースで活躍するのはすごいことだ。

今年で契約が切れる松井。巨人ファンとしては帰ってきてほしいがレフトにはラミレスがいるし、本人もその気はないらしい。(ヒザの状態が悪く、人工芝の球場が多い日本でのプレーは無理とのこと)
以前このブログで「奇跡が起きないと残留はないだろう」と書いたけど、ここにきて評価はうなぎ昇り。
今季年俸の1300万ドルからの大幅減俸は避けられないものの、逆転残留もありそうだ。




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