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有終の美を飾った車両の陰で…小田急4000形

2006-05-15 | 小田急グループ
先週の土曜日は唐木田で「さよなら9000形フェスタ」が開催され、悪天候ながらも会場は大混雑、小田急9000形は大勢の人々に見送られて有終の美を飾りました。

また2年前に営業から引退した2600形も最後まで残存した2670Fが復活旧塗装となり、半年以上に渡ってこの塗装で走り一般客からも大きな注目を浴び、また最後には開成で「ありがとう2600形フェスタ」が開催、今回の9000形同様大勢の人々に見送られて有終の美を飾っています。

しかし小田急ではこの様に大勢の人々に見送られて有終の美を飾った車両がある反面、2600形引退の少し後にひっそりと消えていった車両があります。

それが4000形であり、9000形引退で騒がれている今、ここで取り上げたいと思います。

晩年の画像も載せておきますので、活躍していた頃を忍んで頂ければ幸いです。

4000形は1960年代末期~70年台初頭、2600形製造終了直後から9000形登場の年代にかけて製造され、車体は2600形とほぼ同様ながら下回りは旧型電車から転用した吊掛式モーターを再用し、80年代中頃までは釣掛モーターの音を高らかに奏でて走っていたのはMAKIKYUもよく覚えています。

また小田急では中型車2400形と並んで最後まで非冷房車で、しかも他の車両に比べて性能が大きく劣る事もあって他形式とは併結されず、専ら各停で走る地味な存在でした。

しかしこの頃の同車はまだ幼かったMAKIKYUにとってお気に入り車両で、親にねだってこの電車を選んで乗った思い出もあります。
(それも夏場の各停、隣に冷房が入って涼しい5000形の急行が止まっている所です)

しかし80年代中頃には次々と引退した中型車2400形の機器を転用して高性能化、また同時に冷房化も行われ、編成も4両と6両に組み替えられ(以前は5両等の半端な車両数で走る事も多かった)他形式との併結も行われる様になり、2600形や5000形と遜色のない車両として以後引退までの間活躍する事に。

しかし2600形や5000形などとは台車や冷房装置(形・台数)が異なり、車内も扇風機が残っている等、他の車両とは随分違いが見られたものの、以前の釣り掛け車時代に比べると快適な反面、MAKIKYUにとっては魅力の乏しい車両になってしまった感があります。

実際この車両も2600形や5000形の陰に隠れた地味な存在で、引退間際にはレールファンの間ではそれなりに注目もされた様ですが、最後にイベントや告知がなされる事もなく、一般客には気づかない形でひっそりと引退していきました。