また池田信夫氏が彼のブログで、納得のいかない記事を書いている。「アンチ・パテントへの転換?」と言う記事だ。
彼は記事の中で、「特許や著作権は過去の技術を使った累積的な研究開発を阻害し、イノベーションには負の効果を及ぼす。」としている。
しかし、特許と著作権を同等に並べている時点で、あまりこの分野に詳しくないだろうということが推察される。まず、特許であるが、これは、自然法則を応用した技術的思想を保護するものである。一方著作権の方は表現を保護するものだ。本来、水と油くらい性質の違うものを同一に扱うことはできない。それに、著作権とは、そもそもが技術とは何の関係もない制度である。(ソフトウェアは著作権でも保護されるが、単に表現を保護しているだけである。)
著作権の方は、著作者の死後50年と異常なほど権利期間が長いし、審査や登録も不要なので、本来は保護に値しないようなものまで保護されてしまうということがあり、私も行き過ぎた規制は逆に文化の発展にマイナスであると思う。もちろん、適切な保護は、文化の発展に有益だということは言うまでもない。
しかし、特許は違う。権利期間が僅か出願から20年しかないし、出願から1年半後には、内容が公開されてしまう。これは、独創的な技術には、ある程度権利を保護する代わりに、一定の権利期間を過ぎた後は社会の共通財産として提供させるという極めて合理的な制度なのである。重要なのは1年半後に特許が公開されるということだ。もし特許制度がないと、企業は自社開発技術の多くを営業秘密としてしまうため、いたるところで同じような技術開発を行い、社会全体では壮大な無駄が積み重なることとなる。
池田氏は、ビジネスモデル特許やソフトウエア特許の問題点を安易に特許制度全般に拡張しすぎている。もともと、これらは、本来は特許と言う制度と相性の悪いものを、政策的に特許の枠組みに載せたものであることを忘れてはならない。だから、この部分が行き過ぎると歪がでるのはあたりまで、それがそのまま特許制度の問題点ということにはならない。
気になるのは、特許や著作権に否定的な池田氏が、果たして自分の著書などのアイディアや表現について権利を放棄しているのだろうかいうことだ。特許や著作権について否定すると言うことはそういうことなのだが。
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・時空の流離人
・本の宇宙
彼は記事の中で、「特許や著作権は過去の技術を使った累積的な研究開発を阻害し、イノベーションには負の効果を及ぼす。」としている。
しかし、特許と著作権を同等に並べている時点で、あまりこの分野に詳しくないだろうということが推察される。まず、特許であるが、これは、自然法則を応用した技術的思想を保護するものである。一方著作権の方は表現を保護するものだ。本来、水と油くらい性質の違うものを同一に扱うことはできない。それに、著作権とは、そもそもが技術とは何の関係もない制度である。(ソフトウェアは著作権でも保護されるが、単に表現を保護しているだけである。)
著作権の方は、著作者の死後50年と異常なほど権利期間が長いし、審査や登録も不要なので、本来は保護に値しないようなものまで保護されてしまうということがあり、私も行き過ぎた規制は逆に文化の発展にマイナスであると思う。もちろん、適切な保護は、文化の発展に有益だということは言うまでもない。
しかし、特許は違う。権利期間が僅か出願から20年しかないし、出願から1年半後には、内容が公開されてしまう。これは、独創的な技術には、ある程度権利を保護する代わりに、一定の権利期間を過ぎた後は社会の共通財産として提供させるという極めて合理的な制度なのである。重要なのは1年半後に特許が公開されるということだ。もし特許制度がないと、企業は自社開発技術の多くを営業秘密としてしまうため、いたるところで同じような技術開発を行い、社会全体では壮大な無駄が積み重なることとなる。
池田氏は、ビジネスモデル特許やソフトウエア特許の問題点を安易に特許制度全般に拡張しすぎている。もともと、これらは、本来は特許と言う制度と相性の悪いものを、政策的に特許の枠組みに載せたものであることを忘れてはならない。だから、この部分が行き過ぎると歪がでるのはあたりまで、それがそのまま特許制度の問題点ということにはならない。
気になるのは、特許や著作権に否定的な池田氏が、果たして自分の著書などのアイディアや表現について権利を放棄しているのだろうかいうことだ。特許や著作権について否定すると言うことはそういうことなのだが。
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池田信夫さんは相変わらずつっこみやすいですね^^;
トラバ送らせていただきました。よろしくお願い致します。
思われることでも、おかしげな方向で断定的に言いますね。しかも金魚のフンが多いので、変な固定観念を持つ人が多くならないよう、つい反論をしてしまいます。