こちらも少し前の画像ですが、”飯山”へパソコン教室の皆さんと一緒に”お出かけ”した時の記録
奥信濃”富倉地区”のはしば食堂で昼食です。
富倉地区で農家が営む食堂で味わえる富倉そばは、十割蕎麦にも通じる香りの良さやコシが強くのど越しの良い麺の魅力と、交通の不便な地域でしか味わえなかった希少性から一部では「幻のそば」として紹介されている様です。
「幻の富倉蕎麦」
オヤマボクチ(雄山火口)と言うヤマゴボウの一種の繊維をつなぎに打つ10割そば、この地域は小麦粉が採れないためオヤマボクチを使っているそうです。(ちなみにキク科で10月に開花。)
上杉謙信が川中島へ向かう際に富倉で調達していたらしいです。そんな繊維を蕎麦のつなぎに使うと言うことが幻と言うわけです。
飯山市内から、かなり山道を進み、お待ちかねの”富倉そば&笹寿し”・・・絶品です
「笹寿し」は、戦国時代から伝わる野趣豊かな押しずしで、かつて信越国境の富倉地区の人々が川中島と春日山を往復する上杉謙信に送った野戦食だといわれています。謙信は戦時にこの笹寿しを携帯して保存食として食べていたとされ、別名「謙信ずし」とも呼ばれているとの事です。
富倉にて
青梅雨や 媼(おうな)の打ちし 蕎麦勁(つよ)し
奥信濃”富倉地区”のはしば食堂で昼食です。
富倉地区で農家が営む食堂で味わえる富倉そばは、十割蕎麦にも通じる香りの良さやコシが強くのど越しの良い麺の魅力と、交通の不便な地域でしか味わえなかった希少性から一部では「幻のそば」として紹介されている様です。
「幻の富倉蕎麦」
オヤマボクチ(雄山火口)と言うヤマゴボウの一種の繊維をつなぎに打つ10割そば、この地域は小麦粉が採れないためオヤマボクチを使っているそうです。(ちなみにキク科で10月に開花。)
上杉謙信が川中島へ向かう際に富倉で調達していたらしいです。そんな繊維を蕎麦のつなぎに使うと言うことが幻と言うわけです。
飯山市内から、かなり山道を進み、お待ちかねの”富倉そば&笹寿し”・・・絶品です
「笹寿し」は、戦国時代から伝わる野趣豊かな押しずしで、かつて信越国境の富倉地区の人々が川中島と春日山を往復する上杉謙信に送った野戦食だといわれています。謙信は戦時にこの笹寿しを携帯して保存食として食べていたとされ、別名「謙信ずし」とも呼ばれているとの事です。
富倉にて
青梅雨や 媼(おうな)の打ちし 蕎麦勁(つよ)し