健康には程ほどの自信があった。程ほどとはたまに風邪を引くことくらいだった。10年ほど前に山登りを強行して心房細動になり以後数回の病気で、健康について遅まきながら考えるようになった。
家族の食の管理も見直すのがいいかなと、すこし関心が出てきたのでこの本を読んで見た。
題名が日ごろの考えに近いこともあって、同意できることが多かった。
今まで新聞の派手な見出しで「~すれば癌はなおる」「この食べ物で体質が変わった」
臨床データもなく大声で主張するこういう類の本は読まなかった。
この本では第二章に、健康「トンデモ」本というところで述べられている。
「極論が多い」「科学では説明できないこともある」「自然治癒力」「日本古来の」「古代からの」「自然免疫力」
などの「キラキラワード」を多用する。
こういう健康情報満載の本が新聞紹介欄にある。言葉には納得する部分があるが、だがその後に続く効用を信じていいのだろうか。
そうしてこの題名「からだに訊け」が目に付いた。
静かにからだに訊くと、見逃していたわずかな変調に気がつくことがある。予兆を見つかることが出来る。寝る前のすこしの時間、静かに声を聞く。
病気なってから治すのではなく、その前に耳を傾ける。
それは個人差のある自分というたった一つの個体を知ることで、そのうち健康に関心が持て、一概に、こうすれば「癌にならない」「血圧が下がる」「体重が減る」「増える」などと言うことが全てに通じるのかという疑問がわく
いいことは試してみるのがいい、人によって効果があるかもしれない、人はそれぞれ体質も嗜好も違う。健康状態も日々すこしは違っている。
ただ過食はよくない。カロリーの撮りすぎは、消費することを前提に考える。使わない余分なものをため込まない。
このあたりは非常に常識的で、納得できた。
ただ一点、実に信じがたい部分がある。
第一章に上げられる位なので、まず読むべきだろう。
*糖質制限は本当にからだによいのか。
筆者は若く健康体で、昼食は仕事しながらコンビにのおにぎりだと言う。
糖質制限でも、バースデイケーキの一切れで癒されるならいいそうだ。そうかもしれない。
だが。
これは、いかに筆者が臨床医でも、糖尿病患者には無神経ではないだろうか。
糖質制限は、大切であり糖尿病は完治しない、気長な治療も必要だ、しっかりとした指針もいる。食は楽しみであり生きて行く基礎なのだが、思うまま摂取できない体質(病気)を持つことがある。(母が糖尿病だった)
それぞれの専門医の意見をしっかり守ることが一番であるが、実行するのは自分でありいかに先進医療を受けても、健康を取り戻すには前向きに地道な努力がいる。
等質制限(とり過ぎない)事は常に頭にあっていい。病気でなくても、肥満、皮下脂肪、中性脂肪型の油脂の摂取、消費のバランスには注意がいる。
窮屈な生活は楽しくない。ただ知っていて、時にからだの声に耳を傾け、若さで許されることもいつか小さな割れ目から不要な病原がたまり、ほんのすこし年を重ねて代謝が劣ることに気づく、そんな時のために健康に目を向けることも必要だ。
平均余命がのびてきた今、若いからといって油断せず、小さな積み重ねが、心身の健康を守ることだと感じた。高齢者が自立するためのも知識と努力は続けなくてはいけない。
ストレスというような、ちょっとした自覚のない状態でも、心を広げ、遠い山河を思うだけでも、ささやかなで短い人間の人生はわずかに軽くなるのではないだろうか。
健康情報の過度な喧伝から、しっかりとした智恵と知識で生きることを考えさせられた。
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