空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「断罪」 和久俊三 徳間書店

2018-08-27 | 読書



「赤かぶ検事」など沢山の作品で親しんできた、和久峻三さんの作品をみつけた。1984年刊のずいぶん前のものだけれど、全く時代のずれを感じないで読了。


美貌には恵まれたが、倫理観の欠如で奔放すぎた生活の結果、誰の子供かも分らない息子がいる。
そんな母親の下で、上の20歳の息子が、溺愛されている3歳の息子にポットの熱湯を浴びせ、顔を無残にやけどをさせ、片方の目まで失明させてしまったという事件が起きる。

病院長をしている男が母親の浮気相手で、男には子供がない。妾宅で生まれた3歳の息子を、喜んで認知したことで、その子供は彼の相続人になり、将来が約束されている。

すでに20歳になっている息子が異父弟に対する嫉妬のために犯した罪だと、法廷で証言する母は、彼に対しては、一片の愛情もない。


弁護人の萩野は言った。
「一般的にいって、母性愛と言うのは、どういうものでしょうか?」

証言にたった、息子のかつての担任の女教師はいきなり疑問をぶつけられ、一瞬、戸惑ったかに見えたが、的確な言葉を選ぶのに、さほど時間はかからなかった。


「内外の心理学者の見解を総合しますと、母性愛と言うのは、犠牲と献身に裏打ちされた愛情だと考えられています」
「犠牲と献身ね」
彼女は言葉をつないだ。
「母性愛は、言うなれば、大人の愛でしょう。もっと、わかりやすい表現をすれば、捧げる愛とでも申しましょうか・・・・・・」
「捧げる愛? これと対照的なのは『奪う愛』と言うわけですか?」
「その通りです。自分が愛してもらいたいと、そのことばかりにとらわれているのが、『奪う愛』であり子供が親に愛されたいと思う気持が、これです。俗な言い方をすれば、未熟と言うか、未発達の愛なんです。若い人たちの恋愛感情も、これと通じるものがあります」
「要するに、積極的に自分を投げ出して、献身的に愛する、これが母性愛と考えてよろしいですか?」

恵まれない青年は苦しみながら生きてきた。彼を助ける弁護士と彼が愛する美しい教師。
法廷のやり取りも緊迫感があり、最後まで気を抜けないスリルがあり面白い。

虐げられた青年の悲哀が重く、最近読んだ中ではベストに入れてもいいくらいだった




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「ダリの繭」 有栖川有栖 角川文庫

2018-07-21 | 読書



初めて読んだ火村シリーズは「乱烏の島」だった。こういう本格密室ものを書く人だと思っていたし、最近絵画を題材にしたタイトルが目につくので、気になっていた『ダリの繭』が文庫になったので楽しみに読んだ。


有栖川有栖さんはちょっと親しみを感じる大阪弁の人で、最近は上町台地の七坂を書いた「幻坂」がある(まだ積んでいるが)だからか火村助教授も相棒のアリスさんも親しみがある。


タイトルは、ダリに心酔している宝飾会社の社長が使っている、リフレッシュ装置のエポジウム溶液が入ったフロートカプセルを繭にたとえたもの。それは鉄の器にも繭にも見える。
その社長が、六甲にある六麓荘の別荘でカプセルの中に浮かんで死んだ。額に傷があり他殺だった。狭い容器には開閉口があり、使うときは蓋を引き上げて出入りするが狭い。
側の脱衣籠は空だった。その上奇怪なことに世間に知られているダリ髭がさっぱり剃り落とされていた。

創設者の父よりも経営手腕の優れた現社長がテナントを増やして会社を拡大してきた。ダリに心酔するあまり鼻の下にひげを蓄え両端は固めて跳ね上げて、それをトレードマークにしている有名人だった。別荘はダリの模写やレリーフで飾り、仕事を離れると付き合い下手で終末は別荘で一人静かに過ごすことが多かった。

社長が長男だったが、三人の兄弟は皆母親が違っていた。
次男は副社長で店を手伝い三男は広告会社にいた。
三男は姓が違っていたので、付き合いがあるアリスも宝飾店とのつながりを知らなかった。兄弟はそれぞれ仕事も順調で資産もあり、兄を殺す動機は薄かった。

独身の社長は秘書の鷲尾優子を愛していたがプロポーズの機会がなく、優子の方は仕事上の付き合いと割り切っていた。
しかし二人の関係は周りがやきもきして見守っていた。
だが勝手な勘繰り以上のことはよくわからず、事情聴取ということで優子の線を当たり始めたところ、彼女は社内の宝石デザイナーと婚約して間もなく結婚する予定だったことがわかる。

火村とアリスは科捜研の調べで殺人現場はリビングで、遺体をカプセルまで運び衣類は処分したことを知る。
しかし、それなら犯人はどうやって見とがめられずに来て帰っていったか疑問が残る。
なくなっていた二足の靴と凶器の人形が、道筋の河原に捨てられていた。

火村が見ると凶器になったできの悪い人形の眼に、歪なパールがはめ込んであった。社員旅行の折に土産物屋で買った者がいたそうだ。しかし彼は人形を自宅にそのまま飾ってあった。人形は二体あった。

回りの人たちはみな曰くがありそうだがアリバイがあり、遺産相続がらみというありふれた原因は兄弟ともになく、恋敵の仕業でもなく、といって決して自殺ではない。凶行時間に別荘に来ていた三男がカプセルに入っていたが、彼も入るのは二度目でタイマ―がいつもより長い50分にセットされていた。その間に凶行が行われたと思われる。彼は音を聞いていない。
多分血に染まっていただろう衣類は?
火村は終盤まで混乱していた。

一体だれがなぜどこでどうやったのか。
手がかりは血に染まった衣類か、それはどこにあるのか。
人形から出た指紋は?


読みやすいが謎は取っ組みにくい。
火村さんの手引きで終盤になって一気にケリが付いてしまったが。そこまでのこんがらがったストーリーは面白い。地理がよくわかるのもいい。

謎解きは楽しいし、火村助教授とアリス、二人の関係がほほえましいので次作も楽しみ。




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「傘を持たない蟻たちは」 加藤シゲアキ 角川文庫

2018-07-20 | 読書




本屋さんでカドフェス2018の棚に並んでいた中からタイトル買いをした。 読み始めて作者のプロフィールを読んだが、なんと彼は30歳の若者で、ジャニーズのタレントだった。失敗したかもと思いながら。


だからどうというのではないが、タレントや芸人という既にその世界で名前が出ている人たちの本も多い。小泉今日子さんの書評は前に読んでいたのでとても好感を持っていた。タレント本という名前で苦労話や成功譚など特にファン向けにあるような本や写真集が出ていたが、最近は又吉さんのこともあって、タレントという名実ともに才能がある小説家で活躍する人が増えて来た。

世代の差や世界観の違いがあればレビューが難しいかもしれない、と重い気分で読み始めた。

短編が7編、初めての短編集だというが、キャラクターもストーリーもいい。べたべたの現実を自己流の視点で著すのではなく、心に拡がる風景を暖かく時には哀歓をもって語っていく。スタイルも言葉も新鮮で、年齢の差を超えて共感できる部分があった。

☆染色
美大生のはなし。橋げたにこっそりアートを描いている女性との出会いと別れ。
これは若者の平均的な生活の欠片のようだが、今時感がたっぷり。

☆Undress
 タイトルが面白い。
父親のように零細企業に勤め倒産の憂き目にあいたくない。家族は満足な暮らしができなかった。そんなのはごめん だ。
猛勉強をして有名広告会社に入り実績を積んだ10年。さあ念願の脱サラだ。脱いで重なったスーツは過去の抜け殻だった。送別会の拍手に送られて、こちらも選りすぐった赤いボールペンを配った。残った一本は自分用に。
休暇が始まった。実績があるし未来には余裕があった。そろそろひた隠しにしていた彼女と遠慮なく会える。と思ったが。彼女の意外な真実が甘い未来を打ち壊す。軽いミステリかも。

☆恋愛小説(仮)
出版社から「男子の恋愛」という女性週刊誌から執筆依頼が来た。という書き出しで。これで作者は何を書くのかちょっと期待した。 
これは上手い。着想がファンタジックなSFだ。
書けるはずがないと思いつつ題名は「恋愛小説(仮)」とした。とりあえず200文字書いた後酒を飲んで眠ってしまった。200字に書いた理想の美女とのあれこれをそのまま夢に見た。200字書けばそれを夢に見る。次々に200字だけの内容は理想通りに更新して付き合いが発展して行った。200字の夢に取り込まれた。だが。予想外なことに。

この依頼は実際にあったそうだ。

☆イガヌの雨
 イガヌは食べ物だ、18歳未満は食べてはいけない決まりがある。
イガヌは突然飛行機から降ってきた、それから毎年12月に降ってくる、おいしいし薬効がある、栄養が豊富で食べれば餓死寸前の子供がみるみる回復する。試験明けの開放感で友達と初めて食べた。おいしすぎて従来の家庭料理や食材が消えていく。

☆インターセプト
なんとなく自分留意いいと思った彼女の落とし方。
こんな所はこう演じるのか、スーパーボールで黄色いタオルを降ることなどまねる。
大人な世界が若者風に。

☆おれさまのいうとおり
ゲームをしていたら8階なのにベランダから「おっさん」が入って来た。
「LOOPER」とか「時かけ」だの「タイムリープ」だのという言葉が挟まる。おっさんは俺の恥ずかしいことまで知っている。これは未来の俺か。まじで?

☆にべもなく、よるべもなく
 田舎町なので首都高速に乗ったことがあるという工藤先輩を尊敬している。中三で「妄想ライン」という小説で小さな賞を取った、村で知らない者はない。先輩は首都高を走ったのか、免許もないのに。
しかし親友のケイスケは、フィクションだろうそれでも本質には変わりがない、という。
ケイスケの秘密を知って、彼を理解するのに時間がかかった。
浜で独り暮らしの根津ジイとは親しくしていた。ケイスケが遠くなっていく姿を見て、根津ジイがいう。

「お前、なにか間違ってるな。人ってのはな、喜ぼうと思っても限界があるが、悲しもうと思うと際限なく悲しむ悲しむことができる。わしは悲しんだりしない。ただの出来事として受け入れる」

喜びは有限。悲しみは無限。僕は心の中でそう何度もつぶやいた。

先輩は実際に運転したのだろうか、免許を取った僕は首都高を走っている。


スタイルも、テーマもよく考えられ面白かった。アイドルで今30歳の加藤シゲアキさんに若書きとは言えない。
私はその頃子育てで忙しかった、環境は全く違っていても、この短編集の面白さはよくわかる。
言葉の感覚もテーマも好きなので、こういった人間性や観察感の豊かさが好きでこれからもいい文学を作り出してほしいと思う。ずいぶん世代のギャップはあるが現代の若者言葉もうまく嵌っていいリズム感を出している。




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「ハーレムの闘う本屋」ウォーンダ・ミショー・ネルソン あすなろ書房 

2018-06-27 | 読書



20世紀初頭、ニューヨークのスラム街に黒人専門の書店が誕生した。


黒人はスラム街に住んでいるということだけで、肌の色が黒いというだけで差別されてきた。
アメリカは20世紀当時もまだ白人の物だった。

9人兄弟を父親は魚売りで育てた。だが父とルイスだけよく似ていた。ルイスは盗みで捕まった時、盗みについて、恐れ気もなく裁判官に言う「白人はインデアンから国を盗みアフリカから黒人を盗み奴隷にした」

父親は歴史を見ることができた、黒人のための機関や施設を増やさないといけない。教育を受けなくてはならない。その言葉はルイスに受け継がれた。
民族としての黒人、アメリカ国民としての黒人、しかし白人に比べてないものが多すぎる。

兄ライトフットは母の信仰を受け継いで牧師になった。ルイスにも神の道を歩んでほしかった。だがルイスの生き方は違っていた。
黒人の牧師は行動することで彼の思想を広めていった。

ルイスはギャンブルに目を付けて盗んだ金で店を開いた。繁盛したが警察に捕まり抵抗して片目を失った。

ルイスは兄の教会で働き始めたが違和感があった。天国を目指す前に現実を知らなくてはならない。
大学で学ぶのは白人社会の知識だ。しかし奴隷制度についての知識だけ学んだくらいでは人間としての真の尊厳を学んではいない。黒人は知らなくてはならない。学ばなくてならない。知識は頭や心の中にある、そして本の中にある。本というものを知って読まないといけない。

彼は兄の宗教活動を手伝いながら、もっと広くこの世の問題の多くを見る必要を感じた。

42歳で教会を出た。黒人がなぜ抑圧されてきたのか、それを社会のせいにしてきた。だが、黒人は正しく認められなくてはならない。人として。

兄が閉めようとした事務所は本屋にうってつけだ。
どこの本屋にでも売っているような本のことではない。黒人のために黒人が書いたアメリカだけでなく世界中の黒人について書かれている本だ。「いわゆるニグロ」たちは世の黒人男女が発する声を聞き学ぶ必要がある。ここはうってつけだ「私の本屋に」

兄は本屋のことは理解できたがギャンブルのように見えるルイスの将来が不安だった。
それでも開店資金を出し、ルイスは理解者から5冊の本を手にいれ100ドルの金で開店した。

手押し車に本を載せて売って歩いていた。「よってらっしゃい見てらっしゃい」ルイスは呼び込みをした。

通信販売も滑り出しがよく蔵書は少しずつ増えて行った。

ルイスは店に来る人を拒まなかった、読みたい本があれば店で読ませ、質問には答え教授と呼ばれるようになった。


ルイス・ミショーは本のこと、そして、本の販売のことに詳しかった。しかも、その知識を熱心に教えてくれた。やや自信過剰気味ではあるが魅力的な人物で、彼の書店、ナショナル、メモリアル・アフリカン・ブックストアは貴重な文献の宝庫だ


でたらめの記事を書かれ悪意にもさらされ、黒人が集まるというのでFBIにも目を付けられていた。

やがて黒人作家や活動家も本を読みに来た。そこで少年が育ち、詩人になった。

公民権運動のさなか、店で読書に没頭していたマルコムXが暗殺された。続いてバス・ボイコット運動のキング牧師が暗殺された。偉大な指導者の名前は残っているが、それに参加した多くの市民は名もなく悲惨な犠牲者も多かった。その人たちに公民権が認められ人種差別は表面的には法で退けられ、人の尊厳は守られることになった。

一粒の種をまくにもつよい意思と努力がいる。それを理解して協力する人がある。

差別・区別することから逃れることがないのは人間本能の負い目だと思う。それを超えるヒントの一部はがこの本にある。



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「超音速漂流」 ネルソン・デミル トマス・ブロック 村上博基訳 文春文庫

2018-06-21 | 読書


裏表紙に「今や古典となった航空サスペンス」とあった。それを全面加筆して決定版にした。それでも手元にあるのは2001年版だったが。映画化もされたようだが極上のパニック・サスペンスで面白かった。


トランス・ユナイテッド航空の旅客機52便、ストラトン797はサンフランシスコを39分遅れで飛び立ち、太平洋上を東京に向かっていた。マッハ1、8 時速930マイル。高度6万2千フィート。窓の外はなにもない亜宇宙が広がっていた。
コックピットは自動操縦に変わり飛行計画通り飛んでいた。
しかし今日は出発が少し遅れた、その上気象予報によりコースをやや南に変えていた。
ファーストクラスのラウンジでは若いピアにストが演奏し、乗務員も仕事をこなしながらくつろいでいた。

中部太平洋上に原子力空母ニミッツが秘密の実験のために待機していた。国際条約には違反するが密かに自動誘導システムの特殊テストを行おうとしていた。テスト用の軍事用超高速無人標的機を飛ばし、フェニックスミサイルで撃ち落とす作戦だった。
そのためにミサイルを二個搭載したF18が飛び立ち、操縦士マトスはスクリーンに輝く点を確認した。ためらわず自己の昇進のかかった発射ボタンを押した。ミサイルの軌跡は輝点に向かっていった。
しかし同時にレ-ダー・スクリーンにはもう一つの弱い輝点を認めてもいた。
これはスクリーンシステムの誤作動かゴーストに違いない。
だがミサイルが到達した先の輝点はそのまま飛び続けている。弱々しい輝点の方は小さく弧を描いて落下して行った。おかしい。彼は機を大きな点の方角に向けた。
そこには胴体に二つの穴が開いた旅客機が徐々に高度を下げながら飛び続けていた、1万1千フィートで水平飛行にはいった。そんなはずはない。
彼は近づいてみたが人影はない。コックピットも無人だった。
空母に知らせた。「誤射しました。ストラトン797、トランス・ユナイテッド機です、人影は見えません」

穴の開いた旅客機の中は、固定されていなものは人とともに飛び出していった。瞬時の減圧の影響で人々の体内が破壊され脳組織も損なわれた。人が人でなくなり形をとどめていても制御不応のロボットのようにてんでに動き汚物にまみれあたりは出血で汚れた。
酸素補給も圧力によって用をなさずかろうじて燃料の循環装置が損なわれず働いていた。
たまたま3つの化粧室にいた人たちだけが小さなダメージで生き残った。
ジョン・ベリーも化粧室の与圧装置に守られてかろうじて生き残った。呼吸可能高度で外に出ると、まだ生き残りが三人いた。
少女と男性が一人、フライト・アテンダントのシャロン。
機長は亡くなり2人のパイロットは意識がなかった。
ベリーはセスナを飛ばしたことがあった。しかし大型旅客機は勝手が違う。それでも落下を食い止めるために操縦席につく。そのうち計器も読めるようになるだろう。

空母ニミッツでは誤射を確認して対策に追われていた。ミサイルはもう一発積んでいる。

過去に、暗号装置を備えた駆逐艦が航行不能となっていたことがある、敵に曳航させないために、生存者ともども撃沈した。

飛行の障害になる機は除かなくてはならない。幸いミサイルはまだ残っている。その上海軍に要らぬ疑いをもたれてはならない。トマスに汚い仕事をさせるのだ。

ユナイテッド航空はストラトン通常運航データを待っていた。だが通信室には何も入ってきていない。プリント装置を備えた航空機とのダイレクト・リンクが一瞬瞬いて消えた。SOSと読めたような。馬鹿な今どき時代遅れのシグナル「SOS」とは何かのいたずらだろう。

52便でベリーは応答を待っていた。ランプが瞬いたように思った。誰だ!
ベリーのメッセージを送る手が震えた。
受け手の航空管制官は一目見て叫んだ。ジーサス・クライスト。
メーデー・・・機体損傷・・・無線故障  ダイレクト・リンクが文字を吐き出し始めた。

ベネフィシャル保険会社でも担当者が事態に備えた。提案が採択され乗客賠償保険を引き受けていた。だが今は不時着の恐れがある。町を擦りつぶしたら。彼は将来の暗雲を見た。一生涯の保証は家族にも及ぶ向こう75年はかかるだろう。
1億ドルを超す機体保険がなかったのが幸いだった。

ベリーはハワイ島に着陸せよという連絡に不審を持った。燃料ギリギリであの小さい島になぜ着陸せよという。
彼は回転して引き返し、ベテランに誘導してほしいと送信した。

空母上では最後のミサイルを発射しなかったトマスとともに誤射機を消した。


様々な組織につながる人々は、組織の保全と自己の将来のため策を練る。ちょっとした過失が招いたかもしれない。この事故を消しにかかった。
中には道徳観に縛られながら苦しみ、それでも逃れる方法を探す人もいたにはいたが。

そしてヒーローの出番になる。
ベリーは、命を見捨てない。
無事を祈るというメッセージが何度も繰り返されるのを見る。

いい話だ。緊張感が盛り上がる中に、地上の人々の醜い心理や、潔い決断や、読みどころが最後まで詰め込まれ500ページ近いストーリーが飽きることない。逃げない男になるのは命がけ。だが小説というのはこうでないと。掴み所も外してない。作家と元パイロットの共作は極上の冒険小説になっている。




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「詩歌の待ち伏せ1」 北村薫 文春文庫

2018-06-20 | 読書



<待ち伏せ>という題名。読書好きにとってこういうシーンが多ければ多いほどいい。本を開いて出会った言葉や文章に再会する感動とか、懐かしい題名を思い出し長い疑問が解けることがあるとか。


北村さんの、そんな嬉しい出会い、まるで待ち伏せに逢ったような驚きと感激が満載のエッセイ。

読書を積み重ねていると、忘れられない言葉や文章に出会う。それに思いがけない所でまた出会う。作者が引用していたり、登場人物のふと浮かんだ想いだったりする。
 北村さんが取り上げる様々な詩歌との出会いは時の流れに埋もれていたのを改めて思い出す。ああそうだった、そんなところが好きだったと。

ここではタイトルのように詩や俳句短歌に限っているが、それでも読書量に比べて一冊には収まり切れなかったらしい。い1,2,3とシリーズが出ている。

あげられているものは、人柄を写してほのぼのと暖かい、どこでどんな風に出会ったか。収められている詩や俳句の断片が、作者の歴史と重なり、読んでいると、昇華されていなかった謎解きやほかの読み手が受け取った違った面や新しい意味に目が開く。知識を広げる爽快さも味わうことができる。そして鑑賞の深さや理解が、また違った楽しみを開いてくれる。
面白かった。
200ページに足りない本だが自分を振り返りながら読むと、読むことがどんなに愉快で心にしみるものか、幸せを感じた。

例えば少年少女の詩に,純粋に驚き感動する。

「じ」 松田豊子 京都・竹田小4年


おとうさんは
「じ」だった
せんそうに行かれなかった
せんそうにいけなかってよかった
ばくだんで
家のとんだ人
おとうさんに死にわかれた人
しょういだんでやけ死んだ人

お父さんは
「じ」でよかった
「じ」でよかった

不謹慎ながら吹き出し、捕らえられた。病気にユーモラスなものはないし、生理的に読むのが苦手だが力を持っている。
たまたま「キリンの詩集」でこの「じ」に再会して嬉しかった。


私も生理的な言葉を露骨に書いているのは特に苦手で、途中で本を置いてしまう、文学というものの価値を知るには読まなくてはいけないこともあるとは思うけれど。

サキサキとセロリ嚙みいてあどきなき汝を愛する理由はいらず  佐々木幸綱

セロリはお洒落、野性的という人もいたけれど
北村さんは都会的と読む

胸に抱く青きセロリと新刊書  舘岡幸子

きゅうりをかじってもセロリをかじる日常はまだ現実ではなかった。
堀口大學はある女性をセロリの芯コにたとえた「日本のウグイス 堀口大學聞き書き」
母白い。
サキサキという音で、砂漠の歌の「サキちゃんも思い出す」
「月の砂漠をさばさばと」とはいい話だった。

『閑かさや岩にしみ入る蝉の声』
その蝉はなにぜみか。北村さんはいっぴきのアブラゼミのように思っていた。
ニイニイ蝉や法師蝉では軽すぎるし日暮は寂しいし、アブラゼミが一匹ジーと鳴いて染みこんでいくと。
ところが大人になって諸説あることを知った。現在ではニイニイ蝉であろうということに落ち着いている「芭蕉全句 加藤楸邨」
また多数説もあるらしい。


多数という説があるのには驚きました。感じ方は色々あるものです。それは面白かった。しかし『作られた時と場所を考えるといた蝉はこれこれだ』などという迫り方には、正しくとも、あまり有り難味を感じませんでした、事実と真実は違います。


私はとても共感を覚えます。読書の楽しみ方もそれぞれでいいと思っているのです。

少し引用しましたが
三好達治「測量船」から「乳母車」の詩について、心惹かれる詩人は詩集がいい。

西城八十について、歌謡、流行歌を多く残しているが、生き方の他方の面から考察もしている。

黄泉路かへし母よふらここおしたまえ 星野慶子

「ふらここ」ブランコのこと
響きも優しい。「鞦韆」という固い響きもいいが、やはり日本語のふんわりとした言葉や淡い悲しみが感じられる歌に親しみを覚える。
目次は21ある、数え歌しりとり歌もあって懐かしい。
2も読んでみよう.




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落ちた! 転んだ!!

2018-05-31 | 日常の中の発見

馬手に風鈴、弓手にスダレ♪
とうたいながら窓枠に手を掛けたら、足台にしていた椅子が倒れた。
ワォという間も無く落下した。
腰のあたりを打ったらしいが、一瞬悶絶。息がつまって一瞬仮死状態(-_-;)

かかり付けの先生から病院に連絡してもらって、診察を受けることができた。
「すぐ行くなら救急車いりますか?」
「家族が帰ってからうちの車で行きます」何事も救急車より忍耐だ、まだ生きているし(恥)

夕方までベッドに丸まって我慢した。

”オオ、変身か芋虫か、奥泉さんのイモナベか”

病院は時間外だったが、係の方が車椅子を準備してくれた。
即CT撮影。

温和な先生は、「よかった骨に異常なし、帰れますよ。」とニコニコ。私も泣き笑いで帰宅した。

しかし、即効という鎮痛剤もわずかしか効かず、気力でソロリソロリとすり足で「能」歩き。5日目にやっと人心地が付いた。

スダレと風鈴で今年の夏支度は個人的には痛い大事件を経験した。

治りかけた頃にシップも鎮痛剤も劇的に効いてきた(遅)

車の運転はこれまで以上に慎重にしよう、大事故を免れても人間は強打撲でも命がけ、余裕が出てからシミジミ思うこと。

しかし、頼りの運動神経も鈍って来たものだ。クッ o( `ω´)o


それで気付くとヤブデマリのかわいい時期を見逃してしまっていた。
蝶々のような白い花はもう寂れ始めていた。


ヤブデマリ 市大植物園



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「罪と罰」を読まない 三浦しをん 岸本佐知子 吉田篤弘 吉田浩美 文藝春秋

2018-05-14 | 読書



「罪と罰」をさかなに、笑いと涙の座談会 読まずに読むで幕開け。岸本さんが最初と最後の一部を訳して配布する。立会人として読んでいる文藝春秋の編集者が参加して、時々本文のごく一部を朗読して軌道修正をする。


「四人が知っている数少ない情報を寄せ集めて、そこから探偵のように推理していくわけです」(吉田篤弘) 

読まない!(未読座談・其の一)
 <誰も読んでいないまま、冒頭を訳した岸本さんがまず口火を切るが、それぞれの持っている情報は大雑把で、背景や人物などについて異口同音に「へ~」という感じで始まる。
ここで、ドストエフスキーがシベリアに流刑、死刑執行直前に回避された。と「三浦さん」の情報。その後大作を書き始めたそうでこの後カラマーゾフの兄弟を書いている>
また
「岸本さん」ラスコはね、なんか二人殺してるっぽいんですよ。
「三浦さん」 ええーっ
「篤弘さん」ホントに?

<という具合に少しの情報で驚き、推理していく。このあたりから名前を省略、ドストエフスキーは「ドスト」にラスコーリニコフは「ラスコ」に。ラズミーヒンは「馬」に爆笑 
 約束で編集さんに少し読んでもらうと、「イリヤってだれ?」>
「岸本さん」殺し終わってから出てくるなんてイリヤもわるいやつだねえ。
「三浦さん」私たち他に人名を知りませんからね(どや)
「三浦さん」そうか、捨てキャラか。
「岸本さん」捨てキャラ!
<やはり作家さんたちはこの方向でも読む (笑)
びくびく者のラスコ判明、そして「浩美さん」が15分放送した影絵を見ているので少し知っている。ついでに殺してしまった二人目のリザヴェータについてもソーニャと知り合いだったというと>
「三浦さん」『リザヴェータおばさんを殺したのは誰なの!』ソーニャは悲憤し、ついに安楽椅子から立ち上がった。」
「篤弘さん」名探偵ソーニャ。
「浩美さん」つかまえたら、わりにイケメンだった―――。
<ここ「79p」三浦さんなりきって創作話を独演> 
「三浦さん」第二部はこのようにハーレクイン的に攻めて、第三部で神の残酷さを本格的に問う宗教論争になだれ込む。
「岸本さん」盛り沢山で、いろいろしないとね、なにしろ、この長さだし。

読むのかな…(未読座談・其の二)
<ラスコーリニコフって苗字なんだ。と始まり謎解きに至る。
ラスコが酒場で知り合った飲んだくれの親父がソーニャの父親と判明「浩美さん」の影絵情報。>
「三浦さん」父親が飲んだくれだからソーニャが娼婦をやっていると。
(朗読)ラスコは母と妹をしっかり抱きしめ…一歩前に踏み出すと、ぐらっとよろめいて、つんのめるように床に倒れ、そのまま気を失った。戸口に立っていたラズミーヒンは。
後で話題になるがラスコはよく気を失ったり病気になったりして倒れる。
「三浦さん」ラズミーヒンて、誰?響きからして馬?
「岸本さん」戸口に立っているし!
「三浦さん」「はニャー、ご主人様、しっかりしてくださいなりー」

読んだりして…(未読座談・其の三)
ラスコ婚約するの巻
<長くなるので発言を勝手に総合すると>、あまりきれいでない娘は家主の子で、家賃の滞納で、政略結婚?娘とつながっていれば踏み倒せるかも、ってなんか、超ワルじゃない。不細工で持て余して、いい男が入ってきたからくっつけちゃえ、みたいな。そっちか。「三浦さん」まずそっちかと思った。「篤弘さん」どっちがワルなんだ。
「三浦さん」「金銭的にまずいぜ俺」となって革命もしなくちゃならない。そこであわてて因業婆を殺した――違うかな?」
「岸本さん」辻褄はそれで合うよね。
「三浦さん」え、辻褄、合ってましたか?

殺してお金とってきたんでしたかね。取ってたんじゃなかったっけ。思想があるんですよラスコは。その思想自体ラスコのいいわけだとおもうんですが、一番の動機は当座のかねじゃないでしょうか。
ラスコの思惑通りにいかない、そこに惹かれて読んでいくんじゃないでしょうかね。思惑通りに運ばない、とういう追い詰め展開にするはずですよ。

<こあたりミステリ的推理の流れになっていて、推測の筋道も何気に面白い>
「篤弘さん」お金なのか社会へのメッセージなのか。
「三浦さん」両方だと思います。
「岸本さん」ラスコって「顔だけ男」で、友達もいない。

正しいと思っていたけど、ついでに犯した第二の殺人が重荷になってくる。(篤弘)
ラスコが悩む理由は二人目の殺人がソーニャの知り合いだったからではないか(三浦)

<お母さんとドーニャ(妹)がサントペテルブルグに来る、ここまでで一日しかたってないことに驚く4人。「罪と罰」って二週間くらいの話?、一つのエピソードを異様に長く書いている。ここも作家の目で>

「罪と罰」登場人物紹介 P198~202
これをよめば大筋もなんとなく理解できる。名前が長い長い、ニックネームを付けてあるので話が早い。
それでも
マルメラードフって誰でしたっけ?(三浦さん)
「岸本さん」マメ父ですよ。(ソーニャの飲んだくれの父親)
<名前からも推測が広がっていく、この登場人物一覧は素晴らしい忘れたころにまた役に立つかも、図書館本なのでコピーしておきたい>

そしてついに「あらすじ」の公開<これもコピーして永久保存>


というわけで「罪と罰」を読み終えた4人は、再び都内某所に集い、それぞれが読んだ文庫本と、読みながら控えたメモとノートを机上にならべ、立会人による開会宣言を待たずして、なし崩し的に話し始める。最初の話題は、読書会に選定された二種類の翻訳本
の、どちらを選んだか――。

<光文社古典新訳文庫と新潮文庫>

最初の一言は揃って
面白かった!だそうで、
人多すぎ、しゃべりすぎ(岸本さん)後出てくる人はみんな頭おかしい(三浦さん)
カテリーナさん(ソーニャの義理のお母さん)は皆さん大好きで、でも一番人気はスヴィドリガイロフ(ドーニャが雇われていた主人、妻が死んだあとドーニャを追いかけている)
「篤弘さん」スヴィドリガイロフはこの人が小説の鍵ですね。あと本編で経過する時間が二週間くらいで本当に短くて驚いた。

泉鏡花やニコルソン・ベイカーに似ているかもといったのは岸本さん。

<読後の締めあたりでも様々に参考になる話題が広がって、ただ面白いだけでなく幅広い読みっぷりに感激。肩肘張らない会話がまた気持ちを楽にしてくれる。名作といわれる重厚さが見た目だけで、長いけれど一面エンタメ風味もあるかのような。ドストエフスキーのこの折り紙付きの名作がどことなく怪作に思えたりする。登場人物にも次第に親しみがわいてくるところが伝わってきた、さすがにこの方たちの読みは幅広く(妄想だけでなく)深い。どんな本もこう読めればいいが>

中学卒業したころにカラマーゾフの兄弟、白痴、悪霊を読んだけれど、はっきりした記憶は欠片も残ってない。きっと読まないといけないところがわからなかったのかもしれない。この対談はしみじみと面白かった。メンバーも好きだったし。





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「悲しみを聴く石」アティーク・ラヒーミー 関口涼子訳 白水社

2018-05-13 | 読書

 


原題の「サンゲ・サブール」とは「忍耐の石」その石に向かって、人にいえない不幸や苦しみを打ち明けると石は聞き飲み込みある日粉々に割れる。その瞬間人は苦しみから解放されるというペルシアの神話によるそうだ。


父親は人が来るとその黒い石に向かって話した。石に話すとその言葉をすべて吸い取り、石が割れるとすべてから解放されると言った。

夫の父を看取った時、亡くなる前の日にその黒い石の話をした。

「死の使いが来た、大天使から託されたことを伝えよう。石は神の住まわれるメッカにある。多くの巡礼がその周りを巡っている。神は石に自分の苦しみや悲しみを話すことができるようにしてくださった。…この石は地上に生きるあらゆる不幸な者たちのためにあるのだ。そこに行きなさい。そして、石が砕けるまでお前の秘密を告白しなさい、苦しみから解放されるまで」

女は「何世紀も前から、巡礼者はメッカに行ってその石の周りを回っているのに、どうしてその石はまだくだけないのかしら」と思う。

女は首の後ろに弾をめり込ませたまま戻ってきて動かない夫に、話しかけている。三週間ほどで意識が戻るというお告げはとっくに過ぎた。コーランを読んで祈り数珠の玉を数えながら敬虔なムスリムの女は、夫に話しかける。

夫は石だ。チューブを流れる点滴液と半眼の目にさす目薬で生き続けている。

女は夫になった夜のこと、夫が動けないと知って見捨てた親兄弟のこと、二人の娘のこと。子供を産めないで家にいられなくなった叔母のこと。尊敬する夫の父から聞いた言い伝えのこと。
女は話し続け、声を荒げついに叫ぶ。石に向かうように今まで言えなかった自分だけの秘密。夫にも言えなかった今の暮らし、体を売っている夜のこと。

外では銃の音や人声が響いて、戦争の足音はすぐそばまで来ている。兵士が踏み込んできて、コーランまでも浚えていって部屋を荒らす。
夫をカーテンの裏の物入れに隠し、今までの日々を何もかも話し、後でその重みと呵責に耐えかねて祈り、また夫につらい言葉を浴びせる。
日替わりの聖人の名前を唱えていたものがいつか、夫を「サンゲ・サブール」と名付けその石のような体に言葉を浴びせかける。夫の代わりに交わった男の事も。戦争に志願して、英雄と呼ばれ石になって戻ってきた男に向かって叫ぶ。

アフガニスタン出身の作者は長い時間をかけてフランス語でこの物語を書いたそうで、母国語でない言葉は慎重に選択されているのか短いセンテンスに重みがある。
定点撮影のような、一場だけの舞台劇のような構成が面白い。床に直に敷いたマットレスに横たわったまま胸の動きで生きているのがわかる、遠目には石像のような男。
女は部屋から出てまた現れる、輸液を満たし男の目に目薬を差す。そして胸にたまった滓を言葉にして吐き出す。

あるいはこういうシーンは場所を変えれば、また形を変えれば起きていることかもしれない。
過ぎた忍耐は人を狂わせる。
この作品の普遍は、鮮明なシーンを作り出し、脚本のような展開で、退場する女は目前からフェードアウトする、詩のような短い言葉を残して。女が部屋から消えては現れ、次第に狂っていく様子も映像的に鮮明に書かれている。
衝撃的で、心に刺さるような、読み終えた後もしばらくの間、圧倒されてしまうような作品だった。





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「チャリングクロス街84番地」ヘレーン・ハンフ 江藤淳訳 文春文庫 

2018-05-05 | 読書




20年にわたる往復文書。イギリスの古書店の人たちとアメリカに住む一人の女性作家との心温まる交流の実録。


チャリングクロス街84番地にあるマークス古書店に一通の手紙が来る。アメリカの若い女性作家から書籍の注文だった。
古書店のフランク・ドエルは、注文の本を郵送し、手元にないものは同じものを紹介したり探しに行ったりした。希望の文書がほかの本に収録されているものがあればそれを参考に書き添えた。
こうして、絶版本や稀覯本なども手に入れ、お互いに交流を深めていく。
美しい装丁や製本のものを選んで送られてくるたびに、ヘレーンは包みを開けて涙ぐむほど喜び手紙を書く。

そのうちイギリスは大戦後の物資不足に見舞われる。アメリカで手に入るものを古書店の人たちに贈りお返しに、美しい刺繍のテーブルクロスが送られてきたりする。

女性の店員からは生活情報を手紙に書いてくるようになる。
主になって買い付けや本探しをする目利きのフランクは、書籍についての造詣が深く、また役立ちそうな本を見つけて情報も送る。

ヘレーンはイギリスの文化や文学に親しむにつれ行きたいという思いが募り何度も手紙に書いている。
古書店のひとたちも楽しみに待っているがなかなか実現しないうちに時が流れる。

20年後、作家のヘレーン・ハンフも仕事が増え、古書店を訪れることもできないまま、フランクは亡くなり二人の娘は成人し、親しかった店員の人々も退職したり、転居したりしている。


「絶版本もできるだけ手に入れます」という広告を見た時から始まった交流が、次第に深まって、社名だけの型通りの文書が、本名で届きだす。物資を送ったことで書店員の人たちとの私信も増えていく。

江藤淳さんという名高い文学者の訳文は思いがけずとても読みやすかった。
注文する署名を読んでもほとんど知らないものばかりで、超有名なディッケンズやバーナードショウその他の名前もただ知っているだけだったが、丁寧な注釈は読むだけで役に立った。

粗末な下宿住まいだったヘレーン・ハンフがTVドラマの脚本を書くようになり、古書店の人々とのほのぼのとした交流も時とともに終わりに近づいていく。



実はこういう私的なものを公開することに少し抵抗があるが、教えて貰わなくては知る機会もない。
江藤さんはあとがきでこう書いている。

『チャリング・クロス街84番地』を読む人々は書物というものの本来あるべき姿を思い、真に書物を愛する人々がどのような人々であるかを思い、そういう人々の心が奏でた善意の音楽を聴くであろう。世の中が荒れ果て、悪意と敵意に占領され人と人とのあいだの信頼が軽んじられるような風潮がさかんな現代にあってこそ、このようなささやかな本の存在意義は大きいように思われる。



チャリング・クロスという街の名前を読むと、クリスティの街で、シャーロックホームズもいたなと思う。
そこに古書店マークス社のフランク・ドエルさんや店の人々も入れよう。




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「鳥肌が」 穂村弘 PHP研究所

2018-04-28 | 読書



44編を集めたエッセイ集。初めて読んでみたが、じわっときたり、ぞぞぞときたりその怖さが面白かった。


話題の穂村さんのエッセイを初めて読んだ。題名が「鳥肌が」(?)
穂村さんの名前はよく見かけていたし訳された本(スナーク狩り)も読んだので、穂村エッセイに嵌まって全刊読了という人がいると知って借りて来た。図書館では話の予想がつかなかったが。怖い話を集めたものだった。怖いは、気持ち悪いから心理的に恐ろしいものまでさまざまで、後を引くような忘れられないような怖さから、訳が分かればナンダと解決するものまで44編。
いつも「びくびく」暮らしているそうだが、私だって正真正銘、引けを取らない小心者。だから閉所だって高所だって次のシーンを想像しただけで足がすくむ。思い当たるところが多くて面白かった。

☆「母」なるもの
優しくおいしい食事を塩漬けにして、お風呂は熱めで夫にすすめて、、、という話があるがいらないものを愛もどきにまぶして排除していく、というのもなかなか怖いものがある。
ここでは「母」の愛情が柔らかい竹の子の穂先をいつまでも娘には食べさせる。母を通して娘の生まれる前と生まれた後はつながっている。「愛」の極めつけが一面怖い。

「Fちゃんが死ぬのを見届けてからじゃないと、私も死ねない」
怖い。こどもの後に死にたいのか。
まぁ心情がわかるけれど。子供には「ありがとう。じゃね」といって先に死にたいが。

☆ 原材料という不安
ちょっと思い出して、薬品に含まれる「タルク」について調べたばかりで、薬や食品の原材料にはわからない怖さがある。タルクはアスベストに似て非なるもので一応危険なものではないらしいという結論だった。
誰かが甘いものは毒だという極論を言っていた。それにしても過度の肥満はよくない。私も商品の裏を見カロリーもチェックする。生産地も読む。

単純に化学式をカタカナ化したようなものは怖い気がする。カカオマス、麦芽糖はいい
そう、こういうものだとなんだか安心で穂村さんに一票。

☆ 現実の素顔
知識と現実は違う、殺人事件もテレビでは生々しい描写はひかえているし、臨終もあんなものかとおもっている。しかし現実の死はもっとおぞましい姿だろう。それが自分の将来かと思うと恐ろしい。自分だけは違うという今を生きている。父も母も苦しまなかった。未来が見えないのが幸せかもと思う。
手術室で思った。華岡青洲さんのおかげだ。麻酔というものがなかったら超えられなかったかもしれない。ノミの心臓だし。

☆ ヤゴと電車

蜻蛉を喰いたいと蛙がいうのだ。おたまじゃくしの仇を討つと 
                           中村みゆき
一見すると異様な言葉の背後には「論理」の文脈があったのだ。

おたまじゃくしの間にヤゴに柔らかい足を喰われるということがあったそうだ。
穂村さんの、固い文脈、定型の限られた世界の中を想像して読みこなす柔らかい心が見える。
言葉数が限られた文藝では、背後の世界は読み手の持ち分で面白くなるのだなとあたらめて思う。

☆ 落ちている

道に手袋などか落ちているとドキッとする。哀しい存在に見える。

私もツタンカーメンのミイラはあまり怖くなかったが、枕元に展示されていた皮の手袋が一番気味悪かった。はるか紀元前、この中に肉体が入っていたのかと、生々しい妙に迫るものがあった。
同じように、博物館などで観る故人の肉筆というものなども、初めて見るとうら哀しい。

☆ しまった、しまった、しまった

この世界にこれ以上存在したくなくなって実行に移す人がいる。
「ビルの屋上に呼ばれて別れ話をしていたら突然、『俺のこと、忘れられなくさせやるよ』といって目の前から消えちゃった。笑顔でした」

あ~そういうことか。
少し前に似たような本を読んだ。尽くし過ぎた女の目の前で男が消える話だった。死んだわけは、恨みだろうか。絶望だろうか。復讐だろうか。作者が出家したことがあるというのだから宗教的な意味があるのだろうか。単純にもう此岸にいたくはない自分も彼女も自由にしてやろう、彼岸の方が居心地がいい。などと思ったのだろうか。
わからなかったが、こういうこともあるかもしれないと目が開いた気がした。

身近な人間の裏は知りたくない、と強く思った。知らないことは同じだろうか。


☆ ケジャン

この世には思いがけない危険が満ちている。でも立ち向かうための気合いや胆力が私には欠けている。

穂村さんも普通の人だ。そうだから立場を変えて思いやりも生まれる。そうでなかったら歴史に残るだろう。これは小心だが、今の私にだけ通じる人生観で、それも本を読むたびにころころ変わるが。

短編集をより短くしてしまったが、一編ごとに納得のじわっと来る怖さがあった




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「偽りのレベッカ」 アンナ・スヌクストラ 北沢あかね 講談社文庫

2018-04-24 | 読書



レベッカは16歳の時失踪した。11年たってもまだ行方が分からない。万引きで捕まった主人公は「誘拐されたレベッカ・ウインター」ですといった。


efさんのレビューで面白そうだと図書館に予約したらすぐに来た。主にミステリを読むようなって10年くらいになる、定石通りの展開には驚かなくなって困っていた、映画を見過ぎて無駄に細かい所に気が付くようになってしまったように、知るほどにミステリの海は広く深いが、どこかから新味のあるものを掘り出したいなぁなどと、自分は海の浅い所で泳いでいて考え始めたところだったので、ホント面白くて嬉しかった。


主人公は13歳で家出したままホームレスになってしまったが、今も家に帰る気はない、継母だし父親は好きでない。
だが空腹は耐え難い、でもお金はない。
何度か万引きがうまくいっていた、ところが運悪く警備員に捕まってしまった。警官も来た。
尋問され進退窮まって、最近ニュースで見た捜索中の家出人を思い出した。
ツレ(最近覚えたいろいろに使える便利な言葉、今回は彼氏のピーター)が「あれっ 君じゃないか」というほど似ていた。

切羽詰まった。
バレてもともと「名前はレベッカ・ウインター、11年前に誘拐されたの」


ここからいよいよストーリーが動き出す。

そして11年前のレベッカの話と、なりすましたレベッカの暮らしが交互に進んでいく。面白い展開。

両親は涙ながらに迎え入れてくれた。双子の弟たちも駆けつけて来た。

ところが、歓迎されてはいるが、両親の態度はおかしい。双子は成長して家を離れているが、それにしても二人だけの世界は今でも固い。

11年の歳月が流れたにしても、レベッカとそんなにそっくりなのだろうか。

11年前は16歳だったレベッカの暮らしは。
「マクドナルド」からアルバイト帰りに失踪した。ストーリーはレベッカの消えた時間に徐々に近づいていく。
殺されたのか、消えたのか。
親友のリジーも成人しているが、歳月を感じないくらいだ。

居心地がよいと感じたのもつかの間、なんだかおかしい家の雰囲気。失踪した時のままの部屋。
消えたレベッカも何かにおびえていたようだ。

過去と現在のこの不安な雰囲気は何だろう。

と、様々な出来事が起こり緊張感を孕んで時間が進んでいく。

こうなると先が知りたくて一気読み。


作者はオーストラリアの人でデビュー作とか。



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「コナン・ドイル」 ジュリアン・シモンズ  深町眞理子訳 東京創元社

2018-04-23 | 読書



先に読んだコナン・ドイルの作者紹介があまり短くまとまりすぎて、褒めるにしても、何というか身も蓋もないので、読んでみた。


これではシャーロキアン(私はミーハーで主にBBC制作のカンバ―バッチ・シャーロックのファンでしたが)は少し物足りないでしょう。生みの親のコナン・ドイルについても世界にいるというシャーロキアンならとっくにご存じでしょうが、頼まれもしないのにこの本を読んでみた。ホームズというのも、ドラマのタイトル(SHERLOCK)に漬かりすぎて、ホームズとは呼びにくい。180ページほどで写真も多く、好感が持てる面白い本だった。説明されると、コナン・ドイルという人を「善良な巨人」と呼んだというフランスのジャーナリストの言葉に納得した。
コナン・ドイルってどんな人?
本名サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイルというのでね、と知ったかぶりができる。
でもWikipediaでも相当詳しいのを発見した。

コナン・ドイルの自伝や評伝もたくさん見つかったが、推理作家でポーの伝記も書いているというジュリアン・シモンズの本を選んだのがよかった、これは訳者もお勧めで、闊達で簡潔で伝記と作品の評論を合わせて読むことができるそうで、写真も多く作品評はわかりやすかった。

コナン・ドイルという人はお父さんが酒好きで苦労したようですが、お母さんは愛情深く厳しく、学問にも日常生活もきっちり子供たちを教育しました。お母さん好きのコナン・ドイルはどこにいても近況を手紙に書いて、生活費のやりくりを助け、その手紙の写真が載っている。

成績もよくお母さんの希望だったのですが、それに応えるように在学中なのに金を稼ごうと捕鯨船の船医になった。これで彼のロマンティックな気持ちは大いに満足したのですが、尊敬する母(マーム)に稼いできた50ポンドの金貨を渡すのに服のあちこちに隠して楽しませ、船旅で見た外国の風景が気に入って、次に寒い所から今度は熱い国に憧れたのかアフリカ海岸に向かう貨客船に乗った。そこで病気になり(たぶんマラリア)『死神と死闘を演じ』たと書いている。航海から戻って学校も無事卒業して開業することになった。

彼は大柄でスポーツマンだった。今でいう体育会系、思い立ったら性急に一直線に進む気性で、ラグビー仲間に共同経営で医院をどうかと誘われて乗った。患者は多くて順調だった。

だがこの友人は変わった治療法と薬の濫用で利益はほとんど薬代、おまけに趣味の発明癖があった。
マームからの手紙に「彼はいかがわしい山師に思える」と書いてあった。その手紙が盗み読みされていたと知り、別れて開業したが約束の経済援助もなく窮地に陥った。
マームの援助もあってまた新たに開業したが思わしくなく、短編でわずかに稼いだこともあり、今度は長編を書こうとした。だがまだ名もない身で断られ続け、8年後にやっと「ガールストーン会社」が刊行された。次に「緋色の研究」が25ポンドで売れた。
これまで8年間短編を書き続けていたが本人は歴史小説が書きたかった。評判が良かったので二冊目のシャーロック・ホームズもので「四人の署名」を書いた。この支払いで何とか息を継いだ。
書きたかった長編歴史小説「ホワイトカンパニー」は最高の自信作に仕上がった。書き上げた時は「やったぞ」と叫んだそうでそれでもまだ本業は医者で、まだドイルにとって小説は副業だった。だが弟のヤニスを寄宿させて育てていて生活は楽ではなかった。
弟と二人きりの生活は短く、最初の妻と結婚した。

コナン・ドイルは新しいことに挑戦するタイプで、それも熟慮してということはなく軽々と決断する癖があった。ドイツの新しい結核の治療法が見つかったと知ると妻を連れてドイツまで行った。ドイツで切りあった医師の勧めで進んだ知識を取り入れるためウィーンに向かったが、ドイツ語に躓いて帰国する。
新しい医院には相変わらず患者が来ず、重い風邪を引いたこともあってこの時文筆一本にかけることを決心した。

次第に名前を知られるようになりアメリカで歓迎されたが、妻が結核に侵され長い介護生活に入る。この頃のストレスをさけるため書斎と外の生活に逃げた。


飾り気がなく、外交的で親しみやすい人だったが、自分が好きで直情径行、スポーツマンで愛国者だった。

ロードレースにも参加した。
わくわくするような出来事に出来るだけ近づきたいという本能こそ、一生を通じてしばしばそうであったように、彼を衝き動かしている最も大きなものだったろう
と、シモンズは述べている。
ボーア戦争で前線に出たり、捕虜収容所を訪れ、自由人の気概を読み取り親近感を持ったが、この戦争での体験、彼はすべてに強烈な反応を示したが、この熱中癖は彼の持って生まれた性癖の中で最も魅力的な一面だった。

また 初期の読者を何よりも驚嘆させ、喜ばせたのは、ホームズの推理法であった。つまり、一目見てある人物の職業を言いあてたり、ときには、ワトスンの視線の方向と表情の変化とから、その心のうちを読みとりさえするそのやりかたである。


あけっぴろげで、親しみやすく、情にもろく喧嘩っ早い、コナン・ドイルという人が、一癖も二癖もあり嫌味なところもあるシャーロックを書いて名を高めたが、実は短編も含めて、好きな歴史小説が書きたかった。SFや伝記や詩も戯曲も書いているがあまり知られていないそうだ。
ただ晩年は心霊現象の研究に打ち込んだ。妖精がいると信じていた。

婦人参政権には憤懣をもって、女は家に入るべしだと思っていたそうだ。
彼が力を入れた作品の多くは過去のものになったが、シャーロック・ホームズは今でも読み続けられている。でも短編集を含めて9冊しかない。

1930年心不全で亡くなった。71歳。

簡単なメモ仕様なので、読んでいただいてもあまり役立たないと思います。知っている人は知っている、知らない私はそれなりに(古)、書いてみました。




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「ブラッド・メリディアン」 コーマックマッカーシー 黒原敏行訳 早川書房

2018-04-11 | 読書




美しい風景描写に救われるが、そこに血の跡を残していくインディアン討伐隊。マッカーシーは汚れつつ生まれたアメリカ開拓期の一面にある、人と命を直視する。


半分ちょっと読み残している「平原の町」が気になるが、これはYasuhiroさんがレビューされた素晴らしい労作に感謝して「Cities of the Plain」を読んで解決したつもりになってます。
ビリーが繰り返す不幸そうな恋愛と、ジョン・グレイディの共演は面白そうですがなんだか気が乗らずおいてあったのですっきりしました。これも又機会があれば読みたいと思っています。

そして取り掛かったのが「ブラッド・メリディアン」でこれは読んでおかないと一応マッカーシーの締めにならないと思って。
あとがきでは「20世紀アメリカ文学屈指の傑作。歴史的現実を尊重するもの」とか。あちこちでこれは傑作だという評があふれています。でもしっかり理解できず多少のもどかしさが残るのです。特に、時を経て判事と少年が再会して何を話して何が起きたのかよくわからなかった。ここは勝手な想像でいいのだろうか。

少年(the kid)とだけ呼ばれる14歳の主人公は1833年に生まれている。まさにインディアン狩りの渦中に成長している。孤児になった彼は生きるすべとして誘われるままに頭皮狩りの一団に加わる。
文字通り頭の皮をはぐ、頭皮狩りのなんと血なまぐさい、残虐とくれば非道。なぶり殺し、斬り殺し、吊るし、もちろん葬りもしないが、時には穴に放り込んで埋めることはあっても、それは自分たちを守るため。
政府の政策で殺した頭の皮の数で金をもらう、米墨戦争の後兵士たちが仕事にあぶれ、生きるために選んだ仕事がインディアン狩りなのだ。
建国の途上にあったアメリカは、国土拡張路線で各地でインディアン排除の戦いが繰り広げられていた。西部開拓史の始まりは、戦争の歴史で、騎兵隊、インディアンともに名高い戦争英雄の物語を残した。だが人間の暗い行為の歴史の後を残してもいる。

マッカーシーはこの時代のド真ん中に筆をおいて書いている。
批判するでもなく同調するでもなく、登場人物の行為に沿ってリアルな光景を描き出している。

グラントン将軍を頭にした頭皮狩りの一団は、インディアン部落を探して、砂漠を渡り山を越えて、谷間の貧しい集落を襲う。これは実話に基づいていて隊員にはモデルがあったそうだ。

水辺で逃げまどう人々を狙撃し、動物を殺し、大人も子供も頭の皮をはぎ髪でつなぎ、首や耳を戦利品代わりに首にぶら下げて行進する。読み始めは泡立つような不快感があるが哀しいかな不思議に慣れて読んでいく。
中には逆に襲われて命を落とす隊員も出る。
町につくと皮を数えて高値で売り捌き、女と暴力、酔った勢いで手当たり次第の破壊行為、殺人、無法の限りを尽くし、町に入ったときは歓迎の声に迎えられたが、出るときは怯えた人々は顔も見せない。

主な人物は隊長のグラントン、ホールデン判事、元司祭、少年、黒人と白人の同名の二人。斥候に出るデラウェア族のインディアンたち。隊員が殺されたり死んだりして、隊員が減ると街で募集する。
障がい者の弟を連れた兄が加わる。グラントはなぜかその知的障がいをもつ弟を檻に入れて曳かせる。
何を思ったか迷い犬に餌をやりいつも連れている。
ヒューマニズムというものでもない、彼は隊に加えて連れて行き、不要になれば無残に切り捨てていく。

独特の存在感がある身長二メートルをこす無毛のホールデン判事。眉毛もまつげも頭髪も体毛もない禿頭の彼が聳えるように 登場すると不気味な空気に包まれる。外国語を自国語のように話し絵を描き、科学に通じ学識が豊かで、歌もダンスもうまい。何気に隊に加わりインディアンを無感動に殺し、自説をとうとうと述べる。その説や思想は 一面正当にも聞こえる。コーマックはこれ聞き流すように書き続ける。この説が彼の何に起因しているのかはわからないが、判事という人格の一面を著しているには違いない。

生と死に関した彼の説は興味深い。

人間は遊戯をするために生まれて来たんだ。ほかのどんなことのためでもでもなく。子供は誰でも仕事より遊戯の方が高貴であるのを知っている。遊戯の価値とは遊戯そのものの価値ではなくそこで賭けられるものの価値がということもね。

カード・ゲームをする二人の男が命以外に賭けるものを持っていないとしょう。こういう話は誰でも聴いたことがあるだろう。カードの一めくり。この遊戯をする人間にとっては自分が死ぬか相手が死ぬかを決定するその一めくりに宇宙全体が収斂する。一人の人間の値打ちを検証する方法としてこれほど確かなものはあるかね。遊戯がこの究極の状態まで高まれば運命というものが存在することには議論の余地がなくなる。あの人間でなくこの人間が選ばれるというのは絶対的で取り消し不可能な選択であってこれほど深遠な決定に何者の作用もはたらいていないとか意味などないという人間は鈍いとしか言いようがない。負けた方が抹殺される遊戯では勝負の結果は明確だ。ある組み合わせのカードを手にしている者は抹殺される。これこそがまさに戦争の本質であってその遊戯の意味も経緯も正当性も賭けに勝ったものが手に入れることになるんだ。こんなふうに見れば戦争とは一番確かな占いと言えるだろう。それは一方の側の意思を試しもう一方の側の意思を試すがそれらを試すより大きな意思はこの二つの意思を結び合わせるがゆえに選択を強いられる。戦争が究極の遊戯だというのは要するに選択の統一を強いるものだからだ。戦争は神だ。


言い切る判事は狂っているのか。戦争は神だ本能だと言い切る。
彼の信念はゆるぎなく、集まった人々に向かって延々と話し続ける。彼の肩にかけた袋には頭皮と引き換えた金貨や銀貨で膨れている。
神を信じない元司祭が時々反論する。

こういったシーンが多いが、一面狂ったような、しかしある時代にはそれが正義であった生き方を語る中に、難しい命についての論理(そうと言わないまでも一種の哲学)が挟み込まれている。無残に殺される人々は、選んでもいない環境や運命の中でもがいて死ぬ。
空を見上げる、時には雨上がりの霧に方向を見失うような何もない荒れた世界から平和に戻った文化文明は、ただ時の流れとともに人の知恵や力の結果生み出されるものだけだったのだろうか。
10日、半月あるいは何年も飢えや渇きに耐えて生き続け、罪の意識なしに同じ人間の命を奪う。狂った時代に生きた人々の、善悪を超えた論理を書いていく。
討伐禁止令が出て彼らは追われるものになる。

命がけの究極の選択(例えばユタ族との戦いで多くの犠牲を出し逃げる、砂の山を上るか下るか川を渡るのは生か死かというシーン)の中でも、マッカーシーは隊員のエゴはそのまま無惨な風景を描写する。光るあるいは澄み切った言葉たちをつかって現実の風景を掬いあげる。続く作品につながる命と一体化した透明なほど美しい言葉が作る宇宙観は、ここから始まったのかと思いながら読む。
ここでも変わらない見事に澄み切った詩的な風景描写。月や星座の巡りや雷鳴や砂の流れや落日の描写だけでも無数にある。
マッカーシーの作品には心理描写がないといわれる中で、こうした風景から浮かび上がってくる、人の心のありかたの抒情は、優れた自然描写が虚空に繋がり心に訴えかける見事さは、残酷な行為を描いているにしても、時々しんとした静寂に包まれ深い感銘を受ける。

最後のページ
短いエピローグは何を意味するのだろう。大きな視野から見た人間の営みのことだろうか。
判らないたとえ(スパークする鉄球)の、不思議な文章だった。


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「あの紫は」 皆川博子 実業の日本社

2018-04-09 | 読書



わらべ歌と詩をモチーフにしている。それは夢の中から生まれたように、今になって現実ににじみ出てくる、夢だったのだろうか。その不思議にとらえられた人たちの話がなにか妖しい情感を醸し出している。


前に読んだ「蝶」は詩や和歌が取り上げられていた。おなじように歌がモチーフになっている。
童話や童謡、わらべ歌などはよく読んでみると文字通り恐ろしい出来事などがさらっと歌われていることに気が付く。「わらべ歌は恐ろしい」とか一時はグリム童話などとともにも話題になった。
「ことろ」という歌があった「コトロコトロ ドノコヲ トロウ」と祖母の歌をまねて私も何気なく歌っていたし「はないちもんめ」も、「どの子が欲しい」とうたっていた。

ただ皆川さんのこの本には西城八十や白秋の「詩」と、「わらべ歌」も入っている。様々な工夫を凝らした短い話の底の底に、詩や歌になぞらえて、そこからにじみ出る幻想的な風景が哀しく、中には狂気じみたストーリーになっている。それが身近な生々しい現実につながって皆川ワールドが展開する。
図書館で見つけて借りてきたが、1994年の初版だった。とりあえず備忘録として。

「薔薇」 船の中の 赤い薔薇を 拾ったものは
水たまりに落ちていた本はここでちぎれていた。荒れた社の前で千釵子が「返して」といった。二人とも家族と馴染めなかった。女学生の千釵子は僕より7つ年上だったが不良だと言われていた。社の階段を上がると千釵子はサーカスにいた彼が行方不明になったといった。そして僕をきつく抱きしめた。そして。

「百八燈」兄さは川を超えなれも 兄さは舟にのりなれも
歌声が聞こえた。ペルゴレージの「スタバト・マーテル」この悲しみの調べにふと足が止まった。幻聴。
五人で映画を撮る相談をした、一億の半分は目途がついた。アミダで決めれば。「片眼、片足、片手、おれが三千万作る」「ばか、やめろ」
父親も映画を撮っていた。ちょっと話題になったそうだ。二度目の若い母に累子が来て女の子が生まれた。ナデシコと名付けた。「かさねとは八重撫子の名なるべし」父が曽良の句を引き合いに出した。「怪談累が淵」か。
兄さは川をこえなれも 
累子の兄はバイク事故で死んだという。5千万あてができた時、金は父の脚本に流れた。5千万のために俺はバイクで当たって失敗した。思うと累子がけしかけたのだ。昔の累子と俺。これは俺、死者の記憶だ。

「具足の袂に」 具足の袂に矢を受けて 兄から貰うた笙の笛 姉から貰うた小刀
母が死んで預けられた叔父の家の空き部屋は、息子の肇の部屋だった。肇は頭の病で入院中だと女中がいった。押し入れには彼が買い集めたという本があった。禁断の本の中には禍々しい世界が蠱惑的な挿絵とともにあった。中にあった一節を口ずさんでいると、蔵の中から次女の百合子が出て来た。彼女も同じように口ずさみ、肇は蔵の中にいるといった。

「あの紫は」 あの紫は お姉ちゃんの振袖 
水の面に手が咲いている。(印象的な書き出し)
子供時代の一つの夢の思い出がある。その花のように開いた掌に青い葩びらを落とした。つゆ草のひとひらと、女の手の記憶だった。
退屈しのぎに乗った金沢行き飛行機のシートで夢を見ていると、端の席の女の香りと重なった。なぜか手首の話を漏らした。初対面の女は今時珍しい匂い手袋をしていた。あの手と同じではないのに手首のことを話してしまった。
手首の女は紫の着物を着ていた、そんな矛盾した話も夢だから、、、。
口をついてでた死んだ姉の手帳にあった鏡花の詞、女はそれに曲をつけるといった。私作曲家なの。
そして彼女は「時」と「時間」について言葉を探しながら話した。時は刹那だし永遠でもあるの。
飛行機が揺れた。過去は今と同時に存在するわ、手袋を脱いだ掌に青いしみがあった。
あなたは水に沈む私を見ていたのね。
彼女はのぞいている子供を見たのだろうか。

「花折りに」 花折りにいかんか なんの花折りに 彼岸花折りに
うたいながら石段を上る小さな少女、少年も石段を上る。上は曼殊沙華が咲き乱れる墓地。二人は雨をよけて身を寄せ合って眠り、雨の中で曼殊沙華を手折って踊った。
浪人中の由比は相良に出会い映画作りの手伝いになった。現場は下手な女優久美、と叔父だという古藤がいた。
ふと古藤は久美が妹だと漏らした。姓が違うのは俺が私生児だから。添い寝するのは久美の悪夢を見てやるためさ。
石段を上る小さな少女、少年も石段を上る。上は曼殊沙華が咲き乱れる墓地。
俺は夢を見ているのか。これは古藤の夢か。
夕べさ、久美子孕んだかな。これも古藤の夢か。

「睡り流し」 睡り流し 睡り流し 睡り流して捨て申そ
雨をよけて入った喫茶店で隅に座っていた男から声を掛けられ、その話を聞いた。
医者の家系だったがなぜか男の子が短命だった。
姉が私のことを、捨てられっ子の拾われっこだといったのです。
子供の頃のことは,襤褸小屋に流れ鍛冶の家族がいたことしか覚えていないのですが、そこで鍛冶屋の女房が駆け込んできたのです。夫がけがをしたというので。傷が治って一家はどこかに移っていきましたが。
それは夢のような記憶です。
東北に、眠りながしという祭りがあるそうです。ねぶた流しの源流だとか。夏の眠気醒ましの祭りと言われていますが、不運不幸を眠りと一緒に流す催しだという説もあるようです。
でもあなた早世しなかったのでしょう。どうかな生きている実感が薄くて。
捨てられっ子の拾われっ子だった彼は無事育ったのですが。
この話はとりとめもなく、鍛冶屋の話がなにかしら、気味悪く面白かった。

「雪花散らんせ」雪花散らんせ 空に花咲かんせ 薄刀腰にさして きりりっと舞わんせ
足元に封筒が墜ちていた。――新聞で「雪花散らんせ」というエッセイを拝読したのですが――
納戸に「雪花散らんせ」という絵があり、ビアズレーの悪魔的な美と国貞の錦絵とを融合させたような画風であった。

女にしては凛々しく、男であるなら優雅に過ぎる。
しどけなくまとった曙染めの大振袖の衣裳は右肩から半ば滑り落ち、ふくらみのない胸から右腕にかけて肌があらわになっている。その右腕は肘から先がなかった。左の肩にかろうじてかかる衣の袖は、だらりと垂れている。つまり、左の腕もないのである。極彩色だった。金泥をぼかした背景に、散り舞う桜は渦を巻いていた。「さゆめ」という署名があった

これが皆川さんの語りで、既に妖艶な世界に誘われる。

エッセイが縁で、田上に差出人である作者の孫という喫茶店のマスターと、木版画に出会う「牡丹燈籠画譜 沙羅さゆめ」という題簽がついていた。
マスターは天野と言い筆を折った画家だった。
雪花散らんせ は偶然現れた詞だったが、夢の中の歌だと言ってマスターの前で歌った。マスタ―も歌い「私も夢で覚えたんです」といった。
そして立てかけてある屏風絵を見せた。

妖しについての友人との会話、マスターの持っていた絵の来歴。血の流れる絵のおぞましさ、などが歌のような雪花の舞う絢爛の中に秘められた歌舞伎役者の姿を絡め、最終章にふさわしい厚みがある。ただ最後のところ少し平仄が合い過ぎかも。

一気に読める短編集で面白かった。皆川さんは作品の数が多いので次は何を読もうかと楽しみになる。




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HNことなみ





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