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「孤独のチカラ」 齋藤孝 新潮文庫

2019-08-06 | 日日是好日

 

 

まずプロローグから 現代人は孤独を恐れる。その反動なのか<友達がいないと不安だ症候群>とでも言いたいほど、人とつるみたがる。だから、、、という本だった。
人気の齋藤先生は今は孤独と距離のある人だろうと感じていたので、この方の孤独って、と興味を持ったのです。孤独感がない人だとは全く思っていませんが。
続きで
それが居心地がいいというなら、それも一つの生き方だ。だが、本心では満足していないのに、一人でいることの意味をポジティブにとらえることができなくて不本意な時間を過ごしているなら、その膨大な無為は人生の意味を薄めてしまうことに等しい。
だから無為に人生を空費しないためにこの本がある。
本書は、孤独が力になることを実感してきた私なりの<孤独礼賛>なのである。
礼賛するほどのものでなくても、人は孤独なのが普通だと思っている。人それぞれなのだから心から溶け込める場所などは稀だとおもう。 「チカラ」を「チカラ」に出来るのは孤独であろうとなかろうと自分自身の心の「チカラ」だともおもう。
世間から引き離され放り出される孤独、仲間から切り離され無視される孤独。生まれながらの孤独。自分で心の中にとり込んでしまった孤独。 知らない間に年を取り死が見えてきたという孤独。孤独にはまだまだ人の数だけある。自覚していてもしなくても。 生きていく物理的的な機能の裏にあるもの。幸せや不幸の中に垣間見える負の心が孤独という名だったとしよう。
そんな孤独とどう仲良くするのか、と書いてある。 孤独を愛し充電する方法を考えよう。放浪するスナフキンのように。 時代との違和感はパワーに代えよう。 年齢によって変わることもある孤独感は、折り合いをつけてみよう。
等々。
そこはかとない寂しい気持ちを言葉にして分析すればこうなるのか、それでも孤独感とはいつも二人連れだ。 人である限り、薄れたり濃くなって取り込まれそうになることもあるが。
言葉に出来ない複雑な個人的な寂しさを見つめていこうという。 これはそういう本で、最後は文学や詩にあらわされた孤独についても書かれている。
単独者になる 内観する 教養を養う 読書をする
最後に 単独者たることから見えてくるもの 愛の孤独を知る 孤独こそが他者への理解力を深める 孤独と楽器 孤独にふさわしい作業とは 孤独力のベースはノルアドレナリン(不快感の素かな) 無常観を武器に 地下水脈
だが仕事もなく病気で家族も養えない、生活の困窮からくる孤独や社会のひずみによる孤独について書かれたものではない。 「チカラ」のない人はどうするのだろう。手を引くのもひかれるのも辛い。 これを読んでチカラになる人、孤独感にまだ余裕があり頑張れるひとなら、ヒントが欲しいときに読んでみてもいいかも知れない。
それぞれ異なった読後感を持つに違いないが、或る意味、孤独に縛られる形の違いはあるけれど、お試し型の孤独の癒し方のようでもある。
コメント
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