空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

2008-05-30 | 山野草

2008.05 枚方




かたっぽがどこかに行ってしまった
待っているのに帰ってこない

花の中にいると
可愛いね
小さいね
と通る人が言って微笑む

きっと見つけに来てくれる
小さな可愛いかたっぽが
ムクムクした手に抱いて連れて帰ってくれる

この花が終わる前に

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おぞましいということ

2008-05-26 | 日日是好日



2008.05 アグロステンマ




こんな話を聞いた。友人の同僚で、足が少し不自由になった人がいた。彼女はそのことを「こんなにおぞましくて」と言ったそうだ。身体の一部に少しでも障害があると生活に支障があることを自覚する。そして他人から見た姿はいかにもおぞましく映るのではないか。という意味の言葉だと思ったそうだ。
でもその人の言った意味はそうではなかった。
定年になっても資格を生かして職場も与えられていたので、仕事を続けていたのだが、いつも朝早く出勤している、どうしたのかと思っていると、始業時間まで体育館で時間をかけてゆっくりゆっくり歩いていたそうだ。
「彼女は昔の大和言葉に堪能でね、、おぞましいというのは、悍しいと書いてタケダケシイと読むそうで、とても強いという意味だって。今の猛々しいにも通じるようよ」という。
「おぞましいというのは強いことらしいよ」
私は初めてそんな言葉を知った。
「自分は不自由をこんなにも強く感じている、そんな強い人なので、不自由くらいには負けない、ということを言ったようなのよ」と友人は言った。
そして、毎日体育館で歩いている姿に感銘を受けたそうだ。

おぞましいとは、今ではとてもいやな感じがする、忌み嫌われるというようなものに対して使われている。でもルーツはそれだけではではなかったらしい。
五感に強く訴えるほどインパクトあるものに使う言葉だったのだろうか。

あぞましいという言葉でさえおぞましく余り使いたくないが、言葉に深い理解があると、違った意味が含まれているのだろう。
日ごろ使っている言葉というものから自分の知った世界だけで生きている狭さも感じてしまった。。

昨日は、一年に一度の友人たちの会があった。和やかに話し合う姿を見ながら、若かった頃から過ごした歳月が、それぞれの形になって実を結んでいるのを見聞きしてきた。
いい友人は世界を広げてくれる。

追記
昨日読んだ本のなかにこんな一文を見つけた

吉古は、ヨーロッパにきてから、意外なことをいくつも知った。
 ナポレオン一世は騎兵の運用について天才的な戦史をいくつも残した人物だが、そのくせ本人は乗馬がへたなのか騾馬に乗っていたという(略)

 騾馬はおとなしい。しかも悍威の気象がまるでない。騎兵の馬は悍ぶってたけだけしい気象のものを駿馬とする伝統があるから、騎兵隊ではむろん使っていない。

      司馬遼太郎 「坂の上の雲」 馬より ブロック体は管理人仕様

なるほど自分をおぞましいと話した人は駿馬だったのだろう。

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ミモザ

2008-05-23 | 山野草

2008.05 枚方



ミモザを見た?
黄色や白や
丸くて柔らかい優しいあの花が
今年も咲いている

ミモザと声を出すと
細い葉がサワサワと揺れて
柔らかな光が漏れてくる

まだ見ていないなら
唇を丸めて小さな声で呼んでみると
あなたの明るい顔が見返してくれるでしょうね



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ご飯食べに行く?

2008-05-21 | 日日是好日


2008.05.19 ネジキ



体調の回復までと毎日、休養ということで気分をなだめながらテレビを見たり本を読んだりDVDで映画を見たりして過ごしていた。普段見ないTVも見慣れるとそれなりに面白くて、いつも見ないドラマも次々に再放送で見ることが出来て、一ヶ月も見ているとすっかり詳しくなった(ような気がする)
若者向けのドラマでは、言葉も世につれというのかちょっとした言い回しの変化に気づくことも多かった。
ギャル語といわれる難解な略語、新語とまでも行かなくてもあ~変わったなと感じることが多くなっていた。
シナリオ作家も若いんだろうなと思ったり、ベテランでも世代の違いを書くには勉強もいるのだろうと思ったり変なところで裏事情を考えてみたりした。

ドラマの中で「ご飯食べに行く?」「ご飯食べに行かない?」とよくいう。若者言葉かと思うと、結構年配のゲストやニュースキャスターでもそれらしい言い回しをする。
同じことでも私の世代は「食事に行く」と言った。「ご飯」と言うのはとても家庭的な匂いがする上に、お茶碗とお箸のイメージがついてくる。
「ご飯食べる」と言うなら、まぁ社員食堂で定食か、一歩譲ってうどん、そばでしょう、と思うのだが、食べるのはパスタだったりラーメンだったり気取ったフレンチというものだったりする。

ここまで書いて翌日になった。
そして気がついた。テレビで次には「ランチしようか」と言うのが聞こえた。
ほほ~~これいいな。ランチなら使える。
でも、聞く分にはいいが、こんな日常の中で気楽に「ちょっとランチどう?」なんておばさん仲間に言うのはなんだか気取っているようで照れる。ランチについていけない日常なので。

考えてみると、もう現役のOLや若者との間には世代の壁とともに言葉の壁も厚くなってきているらしい。
ほほ~~とちょっと気づいてもらえる私世代の取り柄って何だろう。ちょっと複雑。
「ご飯食べに行く?」と言って一歩近づいてみるかな。



コメント (2)
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