空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「詩人 菅原道真 うつしの美学」 大岡信

2018-03-28 | 読書



道真と言えばどうして遣唐使廃止の上奏をしたのか、どうして王朝経済を立て直す当然必要な重要政策から降ろされ太宰府のわび住まいで悲惨な死を迎えたのか、疑問をもっていましたのでひとまず名著から読み始めました


詩人大岡信さんの著作なので、詩心に込められところを理解するうえで「うつし」という言葉から例をあげて書きこまれています。特に芭蕉の頃の連歌をひいてあるのでこの意味が一層よくわかりました。
次につく一句が、説明的でなく、前の句の心、言葉から連想される心や同じ風景が、詩心のたんなる継承ではなく、5.7.5の語句から受け手の次に付ける句の心に、その句がどんな風に響いているのか、読み手は受け手として、詩心をどんなふうに興味を膨らませているかがよくわかりました。その世界の広さや大きさは、作者の力読み手の力といったもののように思います。
それを大岡さんの言葉に直すと

「写・映」の「うつす」にあっては、うつす行為の前と後で、うつす主体とうつされる対象の間に、質的変化や転換が生じることは予想されないのに対し「移」の「うつす」にあっては、対象の質そのものに生じうべき変化までも暗に予想されているところに、興味深い違いがあるのです。とくに、「移す」に「色や香りを他の物にしみこませる」という意味があることは「写・映」のうつすとの重要な相違点と言わねばなりません。
と的確に文章化されてなるほどと感銘を受けました。

そして一方、服部土芳の実践的詩作法で、

「移る」という主客一致の心的現象の実態は、まさに電光一閃、気合い充実、瞬時の出来事であるのです。

これはどんな言葉や文章を読んでも共通することとして納得できました。書評の書き方や対象になっている書籍についても、共感しているのかどこに感動したかということについてもつながるように思いました。それは個人の特質に由来する部分で、それぞれ違った評や受け止め方があって不思議ではないということを実感しました。

外国生まれの大岡さんの友人との書簡で、「なぞらえる文学」という言葉が出てきましたが、大岡さんは「なぞらえる」という言葉を「うつし」で語る方向を選んでいます。

そして、道真にテーマが移ります。
藤岡作太郎の著作「国文学全史平安朝編」から

道真の詩の特色は、平易にして暢達、忠誠にして純潔、至情を披歴して、淀まず、滞らず、恰も白玉を水晶盤上に転ばす如きにあり。白楽天は平易の文学を喜び(…)而して平安人士が試作の至境と仰ぎしは、かれ楽天にあり。(…)なおその奥旨を会得したるもの、道真の如きはなからん。


道真が太宰府に持って行った書物の中に白楽天の全巻があったということからも納得しました。
これを道真の漢詩は白詩の「うつし」と語られています。

宇多天皇に重用され、寵臣として最高位の位置について、政治改革で手腕を見せた。道真は当時歌会でも認められ宇多天皇の命で、大和言葉で書かれていた万葉集を漢詩に移し替えて見せた、ということがとても面白い。
大岡さんはこれも「うつし」の形だと述べています。
例に挙げられている道真の詩が、漢詩の形で、読者のためには書き下しで説明されていますが、私も、漢詩に使われている漢字というものが、一文字でも、大げさに言えば大きな一つの詩的な宇宙を持っていることを改めて感じました。
道長が漢詩に通じてたくさんの詩や歌を残し、それが美しい詩心を写していることを教えられ、この点は今までの感じていた印象が改まりました。


道長の澄んだ、憂いのにじんだ詩や、晴れて暖かくなった春を愛でて純に喜ぶ人柄からは、感じやすく繊細で、研鑽から得た美しさが感じられました。

大岡さんのこの著作は名著と言われていますが、「うつし」という言葉が、難解と言われる詩の世界は、詩人の言葉や詩心がうまく「うつらなかった」読み手との相性や、人の異なった特質にあるのかとも感じました。

道真の今に伝わる資料が、少なすぎていることなど、生きにくかった時代に揉まれた跡がしのばれます。
今では各国の神社でまつられているのは死後どういう経緯でそうなったのか。陰陽師では怨霊になって襲う設定は何が原因なのか。長く抱えていた疑問を解きたいと思い、この後「消された政治家、菅原道真」も読んでいます。

ただ、今、大きな組織の、文書改ざん問題は、庶民のあずかり知らないところにあり、政治の闇を見るようなニュースは、時を経ても変わらない人の営みの奥深さを感じます。






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HNことなみ



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「ワニの町に来たスパイ」 ジャナ・デリオン 島村浩子訳 創元推理文庫

2018-03-21 | 読書



面白かったです。
なんといってもCIAで訓練された万能(たぶん)女性のスパイがいけている。いけすぎて任務途中で、闇の元締めの弟をプラダのヒールで殴り殺してしまった。当然罰を受ける。「保護システムは嫌です」どこまでも強気。
事もあろうに弟を殺された憤怒のボスが高額の賞金を首にかけた。

上司の恩情で、飛ばされて着いた所はルイジアナのミシシッピの河口に広がる湿気た街だった。
「ミスコン女王で自信をつけて街から出て行った女性の偽物になってこい。住む家もある」亡くなったばかりの大叔母の遺品整理という名目でもある。

そこで息をつめて暮らせということで、ルイジアナ観光の穴場という湿地帯に落ち着いた。
裏庭の先にバイユーと呼ばれる川が流れていた。
彼女どこまでもついている。大叔母の飼い犬だった老犬がじゃれていると見たのは咥えているのが古い人間の骨だった。

というので、とりあえず小さな町で蓋がされていた未解決殺人事件に巻き込まれてしまった。
なまじCIA時代の訓練が邪魔をする。骨の分析から事件が匂う。上品な令嬢の化けの皮が剥がれては危ないのだが。

町を二分する勢力がある。教会のふたつの会派に分かれて争って来た歴史にまで巻きこまれる。
町のレストランの席取り合戦で得意のダッシュを決め、バプテスト派の仲間入りをしてしまった。これに幸か不幸か、長年会を取り仕切っている二人のおばあさんと気が合ってしまった。

この二人はひそかに昔の事件を調べて、状況証拠崖で犯人にされかかったかわいそうな女性をかばっている。事情を聴くとなるほど殺された男はそれなりの憎い奴だ。
とうとう事件に両足を突っ込んでしまった。

という展開。あれやこれやと事件にまつわる出来事もあって、かわいく見えた二人のおばあさんたちの活躍が意外な方向に飛んでいき、突拍子もない過去がでてくる。

美しいヒロインのつもりが、貼り付けたロングヘアが忍び込んだ先で犬にむしり取られる。飼い主がまたそこの保安官助手だった。彼は実直一点張りだが見かけはわるくない。



頭の中が快晴で、難解なパズルでも解こうかというときなどは少し物足りないかもしれないけれど。
今日は春の嵐で気温も冬に戻っています。読書日和かも。






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地上の青 <オオイヌノフグリ>

2018-03-17 | 山野草




今年も一面の青い花を見る季節になった。
寒い冬の風の中で一綸二輪開いているのを見かけるが、
やはり陽光を浴びて一斉に咲いているのを見ると
喜びの大きさがわかる。


地上をこの花が埋めていると
曽野綾子さんの「天上の青」という感動的な小説を思い出す。





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生きている

2018-03-16 | その外のあれこれ



新聞のエンターテインメント小説月評で「老いと死を見つめて」という特集を読んだ。

☆ 小池真理子 「死の島」
☆ レイフ・GW・ペーション 「許されざる者」
☆ 久坂部羊 「祝葬」
☆ 宮内裕介 「超動く家にて」

☆ 若竹千佐子 「おらおらでひとりいぐも」


老いや死は生きている側からの目だ。死んでしまえば本も読まない世界に行くのだろうか。

今日も目が覚めたら生きていた。
喉も乾いた。

冷蔵庫にある炭酸水にオレンジジュースとイチジクジュースを混ぜてみた。
ほとんど酢に近い味だったが、少しは甘くおいしかった。

生きている。





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梅林で

2018-03-11 | 山野草



緑萼枝垂 市大理学部付属植物園



緑萼の白梅が咲いていたよ
今年はタイミングよく出会えたね

見上げると傘のように枝垂れかかって今ちょうど満開

髪に白い花びらが降ってきて

よく見ると風花
あ 梅花散らしの乱気流





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どうかしたらね

2018-03-10 | 日日是好日
 
恰好がいい生き方かな

女が言っていた
「どうかしたらね」 

あの人にはそう答えよう
そっと心の中でいうのだ

「どうかしたらね」

私もどうかするときもある
ということ。





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「魔法の夜」 スティーヴン・ミルハウザー 柴田元幸訳 白水社

2018-03-09 | 読書




太陽の昼は現実、月の光に照らされたのは魔法の夜。ミルハウザーの美しく精緻な言葉が月夜に目覚め、眠れない人々を描き出す、冴える幻想と美。9作目。


ごく短い話が物語は、深夜に起きる人たちと月を語る詩のような言葉でできている。夜に目覚めた少女や、マネキンや、眠れない一人暮らしの老女、若者たち、5人の少女窃盗団、作家になりたい男、酔っ払い、コウロギの歌、トイストーリーのように動き出す人形たち、外に出てみる子供がいて、周りの風景や森や、工場、コオロギの鳴き声や車の音や風の音、それぞれの夜を月が照らしていることがわかる。


今宵は啓示の夜。人形たちが目覚める夜。屋根裏で夢見る者の夜。森の笛吹きの夜。

海沿いの、南コネチカットの夏の夜、月が上ってきた。
息をしよう、眠っていたローラが起きて着替え始める。
外に出てやっと息ができる。


自分だけの場所が。戸外だけれど屋根裏みたいに密やかな、誰にも見つからない場所が。空に昇った月を彼女は見る。ほぼ真ん丸の、ただし一方の端が片方少し平べったく、誰かが指でこすったみたいに少し汚れて見える月を見ている。彼女は突然あそこに行きたいと思う。あの燃える白さの中に入って、下の小さな町を誰にも見られず見下ろしたい。


窓から庭を見下ろしている少女ジャネット。

雪の冷たさを偲ばせる光、青く澄んだしんと静かな空気。庭の静寂、この庭には静けさが満ちてきて、それがまだまだ大きくなってついにはあふれ出るのか。窓辺でジャネットは動くのを恐れ月を待つ
生け垣を超えて海で見た若者がやってくる。

ハヴァストロー39歳は決まった生活(記憶をめぐる実験についての記述)を繰り返している、本棚がぎっしり並んだ二階の屋根裏書斎からそっと下に降りる。大きな夏の月が見守る中、青いナイロンのウインドブレイカーを羽織って、もう16年間もミセス・カスコと話すために通っている。「記憶なんていったって要するに忘却の、削除の営みであるわけです、あるのは喪失だけ、減少、喪失、忘却だけです。嘘、すべては嘘です」彼は語る。「で、あなた信じるの?」「ええ、いいえわかりません」彼は三時になるとそこを去る。
森に入り、解放された少女に出会う。

盗んだカギで図書館に入る三人の青年、ソファーやカウチに座って、青年らしい話をする。幻の少女の胸の隆起や太ももの並木を旅した話をする、まるで経験したように。
ダニーは家に帰り月明かりでガレージの洗濯物の陰が揺れる下で眠ってしまう。

マネキンはポーズの硬直が秘密の欲望を呼び起こす。彼女は解放を夢見る。
指がかすかに震え目を覚ます。
正体をさらすことはやってはいけないと知りながら夜の中に出て行く。


女子高生たちが街を荒らしている、些細なものを盗み、私たちはあなた方の娘ですと書いた紙を残ししばらく居間に座っていく。リーダーは<夏の嵐>と名乗っている。
少女たちは仮面をつけて今の椅子やカウチにこしをおろす。
一人暮らしの女は少女たちに気が付く。見知らない客たちにレモネードを出し正体は知っていても知らないふりをする。私は夏の月の妹と名乗ろう。素敵な夏の世のお客さんたちに。
少女たちは夜に溶け、女はレモネードのグラスを洗う。

子供たちが寝室のドアを開けている。そっと夏の夜に足を踏み出して、遠く眠りより快い夜の音楽を聞いている。

マネキンと散歩をした男。
月の神に抱かれたダニー。
森の中の散歩から家に向かうハヴァストロー。
人形は動きを止め、ピエロは崇拝する形のままコロンビーナを見続ける。

月の女神が庭の馬車に乗り込み闇をける、笛吹きは合図の笛を吹く。


現代詩の中で風景が揺らぐようなミルハウザーの世界に感動した。





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「外套・鼻」 ゴーゴリ 平井肇訳 岩波文庫

2018-03-01 | 読書




運命に辱められた不幸な人々への憐憫の情溢れる「外套」 幻想的な「鼻」 という表紙の言葉に惹かれて読んだ。名作。


まず、ロシア文学というもの。私の知っているロシアを代表する作家は、「読んだ」というのも今となってはなんだ。なまじあれこれ読んだことがあるというおぼろな記憶の壁があっては再読をしなくなってしまう、読めば読めるのに。それが何か貴重なものを落としているようなきがする。

このゴーゴリという人は高名な作家が生まれた時代に先立って大きな影響を与えたそうで、トルストイ、ドストエフスキイ、ツルゲーネフ、チェーホフ、パステルナーク、ショーロホフなど。眠らせないという拷問が記憶にあるソルジェニーツィンの「収容所群島」。
19世紀ころのロシア文学は、ハハッとひれ伏したくなるほど偉大な人生観を大長編に込めたという印象がある。
新しく開けていくロシア文学に影響を与え牽引したというゴーゴリの写真を改めてしみじみと見た。

何気ない市井の人、気にも留められない男を書いた「外套」に感動し。そして「鼻」だ。
芥川の禅智内供の鼻も面白いが、ゴーゴリが書いた異形の鼻の話に仰天してしまった。奇想天外な鼻から、最後まで離れられないとんでもなく面白かった。

「外套」
ペテルブルグに住む万年九等管のアカーキイ・アカーキエウィッチ・パシマチキンという男。この名のためにずいぶん馬鹿にされてきた。(気の毒なこの名の由来も面白い)
彼は十年一日のごとくに書類を書き写す文書係だった。彼はこの仕事を熱愛していた。時間内にどんなに周りがうるさくしても黙々と仕事を続けていたが「かまわないで下さい!なんだってそんなに人を馬鹿にするんです」と一言言ったことがある。それは新任の若者の胸を打った。若者はその言葉を思い出すと人の心の奥の凶悪なものに気づいて戦慄することがあった。

彼には文字に千変万化の世界を見ていた。お気に入りの文字は見ただけで笑いが浮かびキスまでした。
彼は服装には無頓着でひどいものだった。つぎはぎだらけで変色しゴミが引っかかっていた。彼は食べ物にも関心がなく夕食を済ませ持ち帰った書類を写し始める。娯楽などというものには縁がなかった。
厳しい冬がやってきたとき、外套がもう手の施しようがないほどになっているのに気が付いた。手のいい仕立屋に通ってつぎをあててもらってきたが、もう直せないと断られた。すでにそれは外套でなく半纏と呼ばれていた。新調するしか手がないと悟った時は金がなかった。仕立屋は酔っぱらえば値を引くというのでそれを狙ってみた、哀願してみた、が失敗だった。80ルーブル、貯金半分しかない。食事を減らし、すべてを切り詰めたが金はまだ足りなかった、天の助けボーナスが多めに出た。外套ができるとなると彼の生活は一変した。ウキウキワクワク、毎日仕立屋にかよった。ついに仕立屋が自賛するほどの上等な外套が出来上がった。こみ上げる笑いとともにさっそくそれを着て出勤した。脱いで守衛室に預けるのも晴れがましかった。うわさが広がり同僚が見に来た。そして祝いの夜会を催してくれるという、会場は目抜き通りの繁華街だった。気が進まないが参加して帰り、彼の家に向かうほどに人影は少なくなり、かなりの道のりは寂しい所を歩かなくてはならなかった。彼の心に恐怖が忍び寄った。そして暴漢に襲われて外套をとられてしまった。
凍り付くような寒さで意識を失って倒れ、気が付いた後はわめきながら駐在所から本署までかけ巡ったが相手にされなかった。官吏は官吏で下々には冷たい。友人に見せるために、たずねて来たアカーキイ・アカーキエウィッチを玄関に立たせたままにしておき、「なんだきみは、誰に向かって言っているのだね」と居丈高に追い返してしまった。彼は口をポカンと開けたまま立ち尽くしていたが、ふらふらと帰宅した。そして彼は不幸とともにこの世から消えた。
外套をはぎ取る幽霊が出るようになった。あの横柄な官吏も外套をはぎ取れられ逃げ帰った。その後態度が改まったそうで、幽霊も出なくなったとか。

読まないと雰囲気がわからないが、目立たなく生きているだけの惨めなアカーキイ・アカーキエウィッチについてヒューマニズムという土壌は別にしても、それを語るのに歓喜と絶望を対比させ、諧謔と愉快な描写で話を作り上げている。彼のどこか官吏嫌いがうかがえる冒頭の部分など時代を感じさせない深みがある。しんみり面白かった。

「鼻」
これは素晴らしい奇想天外物語で、大好きな世界だった。一言で言えばありそうにない出来事を滑稽な喜劇に作り上げている。

床屋が朝パンを切った、そうすると中から埋まっていた鼻が出て来た。髭をあたったことで八等官イワリョーフの鼻だと気が付いた。困った、どこかに捨てよう。紙に包んで外に出たが、捨てようとすると邪魔が入ってとうとうネワ川の上の橋まで来た、覗くふりをして投げ込んだが巡査に見とがめられてしまった、しかしその後のことはすっかり霧の中。

一方イワリョーフは朝起きると鼻がなくなっていた。あった場所はつるつるしている。
これはどうしたことか、鼻はどこに行った。探しに出ると礼拝堂で鼻が敬虔な祈りをささげていた。追いかけたが逃げられた。
広告を出そう、広告屋を訪ねて頼もうとするが、そんなおかしな話は載せられないと断られた。そのうえ嗅ぎ煙草を進められ憤然として「私には物を嗅ぐ器官がないのですよ!ちぇっ、君の煙草なんか、クソ喰らぇだ!」彼はカンカンに怒って飛び出した。
分署長に訴えたがちゃんとした人なら鼻をそぎ取られるなんてことはあり得ないと言われた。
黄昏になって疲れて帰宅した。
なんでこんな目に合うのだろう、あの左官夫人の娘を断ったせいだろうか。
鼻のあったところは痛みもなくつるつるになって、ああなんてことだ。
ところが意外なところで見つかった。やってきた巡査がかくしから取り出して、リガへ高跳びしようとしたところをつかまえたのだという。
しばらく放心状態だったが喜びが爆発した。くっつけてみよう。
だが着けようとする度にポトンと落ちた。何度試してもつかない。
ここの中二階に医者がいたと思いついた。呼んできたがそれでもつかない。「いじるとよくありません。鼻はなくても健康に暮らせます、何ならアルコール漬にしては、頂戴してもいいですがね」「腐っても譲りませんよ」医者は帰ってしまった。
ところがこの噂が広まった。鼻が散歩するという道に群衆が集まった。鼻見物用に椅子をこしらえて貸すものまで出て来た。これを話のタネにした連中を大いに喜ばせた。
だがこのことはいつか迷宮入りになって消えた。

おかしなこともあるものである日イワリョーフが顔をなでると鼻が付いていた。下僕に鼻を見せるとべつに訝しみもしない。
たしかについているんだ!!
外に出て鏡に映してみた、アル。

ということになったがどうも怪しい話で、勝手に鼻が逃げるなんて、といぶかしんでいるが、この世に不思議はある、不合理もありがちで。
こんなことをいくら書いても国家のためにはならない。全く何が何だか、さっぱり私にはわからない……
と著者は結んでいる。




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