空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「カフーを待ちわびて」 原田マハ 宝島社

2016-05-31 | 読書



2005年の第一回「日本ラブストーリー大賞」受賞作
なのでラブストーリーなのかと今まで読まずに来たが、原田マハさんは美術系でないエンタメ作品も好きだったので借りてきた。「シネマの神様」なんてもう面白すぎたし。

沖縄の小さな島に住む青年、明青がもらってきて可愛がっているイヌの名前がカフーという。
カフーは沖縄の言葉で果報というそうだ、いい題名だ。
明青は家族をなくして一人で雑貨屋をついでいる、
今では家族になったそのカフーが彩りを添えて、顔を出してはいい役割を果たす。海に行けば海中に投げた珊瑚を間違いなく拾ってくる、飽きもしない遊びをねだり、時にはうまい具合に刺されないようにハリセンボンを咥えてきたりする。隣に住むこれまた独り暮らしの巫女、オバアが喜んで汁物にしてくれる、という具合。

島の行事で、能登のはずれ日本海にある孤島のリゾート地に旅行に行き、そこの小さな神社の絵馬に「嫁に来ないか」とかいた。い
暫くして「もらってください」という返事が来た。

そして娘がやってきた。店を手伝いこまごまと家事をこなす、ただし料理は下手という所も愛嬌の綺麗な人だった。言葉通り嫁に来たものか、観光ついでに寄ったものか悩みながら様子を見ていた。

島は、リゾート施設を建てて開発しようと言う計画が持ち上がっていた。島を出て行った同級生がリゾート会社からやってきて、家を開けわたすように勧める。

彼女は本当に嫁になるつもりで来たのか。条件のいいリゾート開発にのるべきなのか。

出て行った母親のその後の消息は。

いそいそと働いてオバアにまで気にいられた彼女の過去は。

明生の心の微妙な揺れや、帰るつもりのなさそうな人に寄せる思い、などがほんわかかした雰囲気の中で進んでいく。

立ち退きに同意する村人や同級生もそれとなく優しい。とはいえ人生の一大事に向かって明青の決心はちょっと辛いが。

最後まで沖縄言葉を混ぜながら紡いだ物語は、とても優しく気持ちのいいものだった。
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5月26日 市大植物園にいって来ました

2016-05-30 | 山野草
少し遅いかなと言いながら待ち合わせて、恒例の「初夏の花を写そう」と散歩に行きました。
曇り時々晴れの絶好の写真日和で、交換して食べたお弁当もおいしかったです。

画像が出ないときは、右の「フォトチャンネル」の画像をクリックしてください→


初夏のハーブの花



笹ユリも見ごろでした



木の白い花



いろいろな花たち









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「一茶」 藤沢周平 文春文庫

2016-05-19 | 読書



藤沢さんの「一茶」は、自分の経験を下敷きにして史実を織り交ぜ書き上げた渾身の作だと思った。
若い頃の挫折感を一茶に見ている、その中に何か暖かい共感をもつ。
他の藤沢作品にある、恵まれない運命や境遇にある主人公に向ける心が、「一茶」という人の生涯に共鳴している、全編にわたって、経験だけでなく想像力豊かな作品になっている。悲惨で運命に対してあがき続けた一人の「風狂の人」が生き生きと写されている。

義母と折り合いが悪く、15歳で江戸に出された。勤め先も長続きせず、一日の食べ物にも事欠き、住むところも決まらない生活だった。その頃流行した戯れ歌作りでしばしば賭け金を取ったことで俳句の才能があることに気がつく。

江戸で一派を作り、名を挙げ、庇護者を得て暮らしを立てようとする。しかし育ちや生き方は作品とは別物といっても回りはそうは思わない、つねに変わらない扱われ方が、出自の貧しいところだった。
句作に興じる人たちは、富裕な生活の慰みだったり、既に名のある人の門下だったりした。

一茶はその中で苦悶し、あがき苦しみやがて年が過ぎていく。芭蕉や蕪村に倣い、周りの宗匠たちも見習い、少し江戸で名が知れたことを頼りに、地方をめぐって草鞋銭を稼ぎ、句会に出て指導して宿を求め、漂白の旅をすることで月日を埋めていた。旅先では少しの自尊心は満足し、そこから江戸に名前が伝わるかもしれないと言う考えもあった。
しかし追い求めた俳諧の世界で生きていくことは叶わず、帰郷する決心をする。

15歳で出て行く息子を哀れんだ父の遺言書をかたに家を守ってきた弟と相続争いに勝ち、妻帯し子供をもうける。しかし妻も子も死に、三度目の妻に見とられるまま老境に入る。
故郷ではそれでも俳諧を日々の糧にしていた。江戸にいた頃、真剣に句作について語り合った友も次々になくなっていったが、一茶はその頃になって、次第に自分の句を自己の思うままにつくり、それを受け入れるようになっていた。身近なところから今に伝わる秀句が生まれた。
生涯で2万句を作ったという。自然や生活や、思いをこめた句は、中央からは貧乏心を抜け出せない、貧しい暮らしを読んだ卑しいところのある歌のようにいわれ、一茶はそれに対するように、ひがみや諧謔や悪口まで句にしているが、それでも今になれば自然は野の詩人として飾らない詩心が返って強く胸を打つ。

「風狂の人」というのは俗世を離れて風流に身を任せ、身寄りや故郷を省みない、自分の求めるところに向かってひと筋に進んでいく人だと思っていた。

私のわずかな知識だと「西行」や「北斎」「芭蕉」が浮かぶ。他にはどんな人がいるのだろうと検索してみた。

名前の上がった人の数をみて驚いた。知らない人たちばかりの中に「寅さん」もいた。

西行も風流を求め歌の道を究めるために旅に出た人だった、でも「一茶」とは違う。恵まれた家の出で、努力の結果とはいえ都で貴族の中に入り帝にも認められた。歌の道を求めて家族を捨てた漂泊の旅だったが、常に政治にかかわり世を正すと言う目的もあった。

だが一茶はタダ食うために、明日を生きるために俳諧を手がかりに這い上がろうとした。力尽きようとしたとき、彼はまた生きるために、故郷に頭を下げる醜い相続争いも辞さなかった。と藤沢周平の中で「一茶」は一人の人間となって息を継いでいる。

藤沢作品は風景描写も美しい、信濃の空は一茶の境遇を照らすように模様を変えて読者を導く。
風光る頃、雲も重い冷え込む秋、雪に閉ざされた閉塞感に行き場のない思い、自然を感じる鮮やかな文章にいっそう引き込まれた。

「芭蕉」は辞世の句で,旅に病んで夢は枯野をかけ廻る、と 詠んでいる。風狂の人は旅をして旅の中で死ぬのか、死にぎわまで旅を思うのか、それが名声を得たり、あがき苦しむ運命の中であっても。
読後は何か重たい。名作。

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「元気でいてよ、R2-D2」 北村薫 角川文庫

2016-05-17 | 読書
 


  


見つけてきた初版本の(文庫だけれど)題名が気に入って、というか気になって。
ミステリといえるようないえないような、面白い、じんわりと怖い、という短編集だった。
「陰のある短編集」にしたそうだ。


マスカット・グリーン
馴染んだ夫婦におせっかい女が噂を耳に入れる。そういえば夫は理由をつけて新しい万年筆なんかを持っている。夫婦の間はちょっとしたことで揺れる。

腹中の恐怖
お母さんは息子の様子がおかしいと気がつく。女の写真を隠し撮りして溜めていた。息子に聞くと好きなだけだという。その彼女が結婚して妊娠した。息子は異常に喜んで機嫌がいい。


微塵隠れのあっこちゃん

ものにすっぽり埋まって遊ぶのが好きだった。子供の頃は弟に落ち葉で埋めてもらった。あつ子はデザイン事務所に勤めている、代理店の嫌な奴はクライアントが満足すれば自分の手柄、まずいと現場のせいにする。あれこれあって、ええい微塵隠れだ。という話。余談が面白い。


三つ、惚れられ
社内の人間関係は思わない展開をする。あっけらかんに見せて底意地の悪い女もいる。

よいしょ、よいしょ
以前、ちょっとした物を書いて賞をもらったことがある。そのときの雑誌が出てきたが詳しいプロフィールが載っていた。今頃になってそれが仇になった。息子に絡む意外な展開。

元気でいてよ、R2-D2
喫茶店で友達相手にしゃべる女、話題は四方に広がり、面白いがうらさびしい、R2-D2に似たコーヒーメーカーにも声を掛ける。
私引っ越すのよね、理由がベランダにのびてきた木のはがアフロになってきたので散髪するように頼んだが、大家さんがばっさり切ってしまった。見おろすと大きな丸い切り株が白い。
…… そういうわけだよR2-D2
とは書いてないが、そんな話。一人称で喋り捲る女がなぜか身近に感じる。

さりさりさり
仕事で忙しくしている姉の家に居候をする。でも猫がドアを掻く音で目が覚めていたが、姉の家にはそれがない。

ざくろ
ざくろの木ってあの世とこの世のさかいにはえているんだって。
ペルセポネーはざくろの実を食べた。少しだったのであちらに行っている時間も短い、それが冬になったんだって。
でもおばあちゃんはいろんなことが分からなくなってきた、今は60歳、ホントに私はおばあさんになっているのだろうか、今はいつなのここはどこなの。

スイッチ
雑誌の編集者が、産休をとって子育てをしている。一人の老大家から名指しで原稿をもらった、そうして彼はすぐに亡くなった。
果てしない育児の時間にスイッチが入った。いい本を出そう。



「腹中の恐怖」は面白い、人間の心の奥にある怖さが他人事ながら読ませる。

中でも「さりさりさり」にある昔話の、「蛇と蟹」の恩返しは怖い。

すぐ読めるが、感じるところはジンと怖い、人の生きる陰にある恐怖のつぼが押される。



***

《今度の「スターウォーズ」のね、BB-8だけど。体が回るのに頭が滑り落ちないのね。》
「あぁ磁石でしょう」
何でだろうとサイトまで調べた私って、、、黙っておこう。   


《すぐ読める薄い文庫 大作戦》実行中で、積んであるのを横目にこれで知らない作家も読めると思ったらすこしよんで止めたくなるのも多い。この作戦は忍耐大作戦かも。
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5月16日 <散歩道の野の花>

2016-05-17 | 山野草



昨日読み始めた本は、我が家周辺に似ている風景から始まっていた。

バブルの頃はあちこちで山や丘が住宅地になったが、今もまだベッドタウン化が進んでいる。そんな町。

住宅地と手付かずの田畑が混在して、中に地主たちの風格のある建物や、近代風に建て替えた豪勢な屋敷もある。

その田んぼや畑の間を歩いていくと、桜が散って、梅は小さな実をつけている、柿の若葉が光っている。

ゆっくりゆっくり、花を探しながら歩いてきた。





雲がぽっかり


ジャガイモの花は可愛らしいブーケ


矢車草は紫色がいいけれど、ピンクも可愛いなぁ


キショウブの群生、ここにはそのうちハスが咲く



みかんの花


ヒルザキツキミソウ、外国から来て頑張っている。


小川のクレソンの群れ、水は綺麗になったけれど
マダマダ食卓には遠い。


アメリカフウロ、これも外来種.


タムラソウかなぁ。


若葉の季節だ。


ハクチョウゲ、垣根に可愛い花が咲いていた。









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5月14日 <ミホミュージアム>

2016-05-14 | その外のあれこれ


GWの混雑も一段落したし、お天気もいい。信楽に行ってみよう、それならついでにミホミュージアムに、と話が決まった。
高速をつかって一時間弱でついた

滋賀も奥まった山の中にある私設美術館。美しいという桜並木は新緑に変わっていたが、自然の中にちょっと近代的な建築物が埋め込まれたような少し変わった雰囲気があった。
狭い日本の地では、こうしてふんだんに自然を取り入れた文化施設は、珍しいのかもしれない。


「かざり」と題して仏像や、平安時代の曼荼羅などが展示されていた。

駐車場からは案外距離があり、電気自動車が回遊していた。

賑やかな団体は台湾からとか。観光先に組み込まれているそうで、若者たちが大声で呼び合ったり話したりする。
「台湾の人はあのくらい大きな声で話すの?」というと「トラベラーズハイじゃないの」といった。
そういわれてみると微笑ましい光景だった。でもやはりスマホ片手に、というのはどこも同じらしい。





トンネルを抜けると建物が見える




疲れたのでお茶を飲んだ。和菓子は「卯月」という名前だったが、
濁ったピンクで味もあっさり、お茶は宇治の新茶かと期待しだが
ちょっと外れ。チョイスミスかな。






信楽でお店を冷やかした。茶色いたぬき色に
緑の縞のある、静かな感じの壷を買った。









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「溺レる」 川上弘美 文春文庫

2016-05-11 | 読書






現実とは、少し軸のずれたところにいるような男女。どの作品も片方は生活者として社会参加もしている、しかし、どちらかは日常生活の中で時間や、住んでいる地面から少し浮かんだような奇妙な空間で暮らしている。
二人はこういうカゲロウのような淡い、見方によってははかない弱い生き物になってしまっている、そんな日向か蔭よく分からない、流されて生きる人を書くのは、川上さんならでの世界だ。

短編集だが、テーマは、道行というか、世間からはみ出した二人連れの話で、行き着くところは、お定まりの別れだったり、話の最初から心中行だったりする。
別れは、まぁ文字通り、世間並みに生きていける方が去っていく。
情死は遂げたが、目的どおりうまく死ねたり、片方が生き残ったりする。そして死んだ魂が、百年、五百年と漂っていたりする。
こういう風に人の生活は何かとりとめがなさそうで、その根源は、単純に見えたり、哀しかったり恐ろしいものかもしれないと感じる。

川上さんの言葉似対する独特の優れた感覚、感性が雰囲気のある、短編集になっている。


「溺レる」という題名。次第に溺れていく男と女がアテもなくさまよい、部屋に帰ればはアイヨクに溺れる。
そういう行為が全編に書わたって書かれているが、アイヨクに溺れたり、交歓だったり、交合したり、情を交わしたり、挑みかかられたりして極まったり、極まれなかったり極まったフリをしたりする。男が可哀想で施してやったりする。

下品なポルノに堕ちない文学作品はこういう書き方もあるのかと読みきるのが惜しまれた。

作品の背景によって書き分けてられている情景も、言葉も素晴らしい。

さやさや
溺レル
亀が鳴く
可哀想
七面鳥か
百年
神虫
無明

男がこどものころ寝ていたら「七面鳥」が胸に乗ったという、夢の話か、それにしても足をたたんだ七面鳥の感覚が今でも甦る。
面白い話。

「さやさや」もいい。飲んで揺れる男の腰を見ながらついて歩く。気持が悪くなって道端で吐き、草むらに入って放尿する「さやさや」と音がした。

「溺レル」では、逃げている二人の会話がどこかずれているのに、二人で逃げている。
「リフジンなものからはね、逃げなければいけませんよ」といわれ
ひとつ逃げてみますか、というので逃げ始め、だんだんその意味も分からなくなってくる。

女は何もしないでゴロゴロしている。物事も全うできなくなった、以前は出来ていたのに、だから男との生活も全うできなかったのだ、「別れる」「出て行く」といって男が去った。


「百年」は心中で海に飛び込み死んでしまったが、男は助かり何もなかったように以家族との生活に戻った。男は87歳で死に子も死に孫も死んだのがわかる。

「無明」
不思議な世界、事故で二人とも死んだが、今度は不死の体になった。男は50年前にタクシーの免許を取り運転手をしている。五百年経ったけれどまた五百年くらいすぐ過ぎるさ、と男が言う。

あらすじは余り意味がない。短い物語なのに面白くて、特に結びがいい。

川上さんの作品は読むたびに後に残る。全部読もうかなと思うがそういう作家が多くてなかなか追いつかない。まだ先があるというのも嬉しいけれど。



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5月9日 <野ばらを写しに>

2016-05-09 | 山野草

昨日、まだGWだったのをすっかり忘れて車で出たので、野ばらどころでなくあわてて帰ってきた。止めるところがないくらいの渋滞だった。

今日は小さい雨が降り続いていたが、毎年気がつくと散っているので、今年こそとウォーキングついでに行ってみた。こんなことのために足は使わないと。

道路から見つけていた白い花は、シャリンバイとスイカヅラだった。シマッた、と見渡すと川のふちにこんもりと白い。アレこそ野ばらだ。わぁ~~い、わあ~~い というところ。
以前は山だったのであちこちに咲いていた。住宅地になって一時はもうなくなったのかとがっかりしたが、生き残って茂ってきたらしい。

ビニール傘を傾けて写してきた。




















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「ふるさと銀河線」 高田郁 双葉文庫

2016-05-08 | 読書




高田郁さん、カオルさんと読むんですね。友人と同じ名前なのでイクさんと読んでいた。

「みをつくし料理帳1」の「八朔の月」だけを読んだ。 シリーズのたった一冊だけ読んだだけなのにとても面白かったので、そのあとも気になるのは柔らかく引き込まれるようなストーリーのせいかななどと思っていた。

300頁前後の文庫を探してまとめ買いをしたが、そんな訳でこの本から手に取った。
帰って読み始めたらとうとう夜中過ぎまでかかってしまった。
読み終わっても感動してしまって、もう一度拾い読みまでした。

田舎があるので故郷という言葉に弱い。その上この短編集の表題になっている北の故郷は、風景も美しく、兄弟愛も主人公の郷土愛の深さも胸にせまってきた、どの作品も短いけれど、日ごろ溜まった様々なものが流れ落ちるようだった。

お弁当ふたつ
退職した夫とそれを察した妻が、いつものようにお弁当を持って出かけていく夫を、そっと追いかけて駅のベンチで一緒に食べる話。

車窓家族
信号停止する電車から見えるアパートに、夜中でも電気が消えない部屋がある。そこに住んでいる老夫婦の生活が電車の窓からよく見える。乗客の中に二人をいつも気にかけている人たちがいた。人のふれあいが暖かい。

ムシヤシナイ
長く絶縁している息子のところから孫がふらっと来た。おじいさんは駅のホームで立ち食いそばの店をしている。外から半身を見せているが入ってこない孫には、何か鬱屈したものがあるらしい。そのうち少し手伝ってくれたりするようになる。家に連れて帰って少し暮らしているうちに、孫はなにか吹っ切れたような優しい顔をして帰っていった。

ふるさと銀河線
めったに通らない電車だったが、育った風景の中にいつもあった、過疎化していく故郷を出て行く決心がつかなかった。兄が背中を押してくれるまでは。秀作。

返信
15年前になくなった筆不精の息子が旅先から出した一枚の手紙がある。老夫婦は息子の跡を訪ねる旅をする。旅の宿で、夫婦ははじめて返信を書いた。

雨を聴く午後
線路脇の古いアパート。前に住んでいた部屋が気になって電車の中から見ていると、ベランダに一足の真っ白く洗ったソックスがいつも干してある、住んでいるのはどんな人なのだろう。彼は前に作っていた合鍵で入ってみる。留守の部屋に入ると少しだけ気配が残っている。「ダイジョウブ」と話すインコもいる。ある日テーブルに書きかけの手紙があった。

あなたへの伝言
線路脇の古いアパート。住んでいる女は別居中の夫に手紙を書いている。断酒もして仕事も続けていると。その日履いたソックスを、白く白く洗い上げて夫の通勤電車から見える所に干す。元気です、ダイジョウブ。

晩夏光
アルツハイマーの予感がしてノートをつけ始めた。正常な自分と壊れていく自分に向き合わなくてはならない。

幸福が遠すぎたら
同級生三人が嵐山で再会する。大学を卒業して16年経った、それぞれの人生がしみしみと感動を呼ぶ。






雨に濡れてみかんの花が咲いていた






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「殺人者の顔」 ヘニング・マンケル 柳沢由美子訳 創元推理文庫

2016-05-07 | 読書
  



クルト・ヴァランダー刑事シリーズの第一作。もうこのシリーズは完結している。順番に読まなかったのはよくないかな、と思っていたが、ヴぁランダーを取り巻く人たちとは、初めて遭うのではなく既におなじみになっているのもちょっと嬉しかった。

スウェーデンのイースタでは滅多に起きないような、残虐な殺人事件の通報があった。
人里はなれた老人家族が住む二軒の家、そのうち一軒で老夫婦が襲われ夫は死に妻は重症だった。妻も助からない状況で「外国の…」と言い残す。

隣人からみても、日ごろから地味て堅実そうに見えたというが、亡くなった夫には秘密があった。「外国の…」を手がかりにヴァランダーと長年の友人リードベリは捜査を開始する。

「外国の…」を裏付けるように現場の綱の結び方にも特徴があった。そして事件はスコーネの、バルト海に面した湾岸にある難民の居留地につながる。政府は海外から来た人たちを受け入れられたものの、人々は職場にも恵まれず極貧生活を強いられていた。
殺された夫婦も、外国から来て住み着いたらしい。そういった背景と、殺人事件を結ぶ糸から、犯人を割り出していく。

車の音から車種を言い当てる特殊な能力を持った人を見つけだす。ヴァランダーが自分のプジョーも走らして当てさせてみる所など稚気があっていい。
彼はごく普通の冴えない男である。別れた妻にいつまでも未練があり、それなのに気に入った女性を見かけるとついお茶にでも誘いたくなり、あれこれと想像する。娘にも会いたい、その上事件が起きてもうまく解決できるかというようなことでいつもうじうじと悩んでいる。
だが彼のやる気は天啓のように謎を解く鍵に気づくことがある。そう言った直感とは別に変わったことではない、常に思いつめ、捜査に悩んでいることから我知らず導き出されたものなのだろう。
その熱心さが、危険も顧みず犯人を追い詰め、半死半生の目にもあう、過激なアクションシーンを演じることもある。

彼を取り巻く環境や人々も細かく描写され、今風でないタイプの警官だけれど、何か親しみがわく、警察内でも東洋的な人情など人との結びつきが優しく感じられるのも親しめる要因かもしれない。

作者のヘニング・マンケルさんは昨年なくなったそうだ。感謝とお別れを。

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「楽園のカンヴァス」 原田マハ 新潮文庫

2016-05-06 | 読書



高階秀爾さんの解説には、冒頭に
--- 美術史とミステリーは相性がいい。
犯罪の種類、複雑な謎、謎解きの玄人興奮、そして最後に真相という過程がよく似ている。---
とある。

ネタバレだろうとなかろうと、解説から読んで、ああこれもそうなんだ、面白そうだと思った。
ミステリー要素も大いにあって惹かれるが、それよりもルソーの「夢」にまつわる話に加えて同じ絵がもう一枚あるという、それの真贋を判定するのも面白いが、それにかかわる人たちの造形と、表紙にもなっている「夢」とルソーを語る原田さんの筆致に最後まで気が抜けなかった。

倉敷美術館の監視員をしている早川織絵はかってルソーの研究者として学会でも知られた存在だった。
フランスに留学して美術史を学び、若くして論文が認められ博士号を取得していた。
訳あって、今は母と娘とともに倉敷に住んで、ひっそりと監視員をしている。気に入った絵の前に座って一日あかず眺めるのに幸せを感じている。
そこに、隠棲している富豪で名高いコレクターから招待状が来る。一方ニューヨーク近代美術館で、アシスタント・キュレーターをしているティム・ブラウンのところにも手紙が届く。実はその招待状は館長のトム・ブラウン宛だった。それはコレクションの中にあるルソーの絵の作品鑑定依頼だったが、彼はルソーの研究者だったし、常にトムの影にいることについて不満があった、ぜひともその絵が見たい。彼は野望にまけ、一時違いのトムに成りすました。

7日間、織絵と交互に誰が書いたとも知れないルソーに関する手記を読む、「夢」と全く同じ大きさと構図で描かれた絵には一点異なった部分があった。その絵を「夢をみた」と呼ぶことにした。
手記には、ルソーの悲惨な暮らしや、モデルになった女性に対する思いや、最初に、ルソーの絵は時代を先取りする傑作だと認めたピカソや、仲間達との交流の様子が書かれていた

ルソーは今に知られるように、貧しく基礎を無視した平板にも見える画風で、子供の遊びのように見られていた。
彼はカンヴァス代にも事欠き、古道具屋でかった絵の上に書くことも多かった。
そんな逸話から、「夢をみた」はブルーピカソの上に描かれたものではないだろうか、という疑いが生じた。
構図からも偽者かも知れないという疑いがあった。

選ばれた二人のうち本物と断定したものに絵を譲るという。手記からその根拠が見つかるのだろうか。

面白かった。原田マハさんは倉敷に住んで大原美術館に親しんで育った。その後美術館の設立準備室に勤め、ニューヨーク近代美術館に研修にも行ったという、絵が好きで造詣も深くその作品が出来たそうだ。
物語としても父のない娘と母親との家庭、過去と縁を切った生活、ルソーノ絵の真偽を探る中で、敵対するはずのティムとの暖かい交流など、虚実ない交ぜになった豊かな話に引き込まれた。
再会と題する終わりの部分は胸が温かくなる幸せな閉め方で、殺しのないミステリといえるかもしれないし、「夢」という絵の鑑賞眼を養いながら、読んだ後は美術書を開けてみようかと思うほどルソーが好きになった。

同じ時代に生きたピカソはルソーより十年ほど後になくなっている。仲間の中に登場するアポリネールも、ほーこの時代だったのかと知ることが出来た。
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「さよなら渓谷」 吉田修一 新潮文庫

2016-05-05 | 読書





読むよりずっと先に映画を見ていた。
その頃、同じ作者で評判がいい「悪人」を読んでいたけれど、さほど目新しくもなく、この映画は俳優の熱演だけででよく出来上がっているのかなと思っていた。
比べるわけではないけれど、「悪人」の方が何かテーマがありきたりで今の風潮をうけたものに過ぎないようで余り入り込めなかった。

ただ、買ってあった、この「さよなら渓谷」は、勝手に名作だと思っている「赤目四十八瀧心中未遂」と同じような濃密な人生の一編を見せられるようで面白かった。
生活圏の最下層に属する人たちが織り成す過去と現在、読書の世界は、現在の自分と距離がありそうでどこか重なる、そいった生きる重みがずっしりと感じ取れた。


映画は、真木よう子と大西信満の過激な絡みが話題になったが、夏のむんむんする暑さや、隣りの主婦のわが子殺しや、その主婦と大西信満の浮気疑惑が、これは夏に読まないでよかったと思うほど、汗臭く泥臭い物語だった。

既にこの作品は話題作だったので(映画書籍ともに)書きつくされた感がある、
レイプ犯と被害者の同居関係。人生を狂わしてしまった一夜の悪ふざけの事件が、生涯の不幸の根となって生き残り根をはり、周の好奇な面白半分の目に晒される。
それがこともあろうに事件の中でも大学生野球部と女子高校生の悪質なレイプ事件。

その当事者たちは時間がたってしまったが、お互い生きづらい中で出逢ってしまう。
二人の過去は、深い悲しみと、周囲の好奇な冷たい目に晒されて生きてきた。
他人ごとのように考え忘れることが、救いであったのかもかもしれない。だが周囲がそうさせなかった。

いつか寄り添いながら常に距離があるふたりを、周りの人々の生活を絡めて読ませる一冊だった。
交互に語られる二人の過去も、いい構成だった。
同じ作者の「横道世の介」が明るい中にもの悲しさを秘めているのに比べて、これは終始、重く暗い人生と、人はそんな中でも空気を求めるようにささやかな安らぎがあれば生きていけるのかということ、しかし開放されるために何をしたのだろう。
こういった特殊な世界でなくても、人は重い何かを背負っていることを、感じた。

しかし根源的な愛や性に関わるのニュースや事件となると、それを見聞きする人の品性があらわになる、最近報道される日ごろの出来事を思い出した。

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6月3日<ラベンダーの切り戻し>

2016-05-03 | 山野草




鉢植えやら、地植えやらのラベンダーが、横に寝たり、斜めの木に倒れか買ったり、それはそれでムリがな安定しているようで彩もいいのだが、余り伸びすぎて幹の辺りが隣りの味紫陽花と見分けがつかない程混じってしまった。
そんなに年数もたってないはずなのに、古木の風格まで出てきた。
ラベンダーなんだからこれではいけない。ラベンダーならそれなりの形に戻さないと。
折りよく、園芸番組でラベンダ-の切り戻しを包装していた。富良野あたりは菜の上で山形に駆るらしい。整えるのは今なのか。
新茶を摘む要領か。毎年校こうやれば新鮮な花が見られるのか。
でも幹の下が木質化するほど手入れが足りないうちのラベンダーは、この際一気に刈り込まないとどうにもならないだろう。

5種類ほどのラベンダーは特徴どおりつんつん伸びたり、大株になって細い花が無数に花束のように咲いていたり、花の上に色とりどりのウサギの耳の様な花弁がついていたりする。このフレンチラベンダーがひいきなのだが、将来のためだ、涙を呑んで、思い切って硬い幹をノコギリで引いた。
可愛い花は渦を巻いていたのでほぐして壷に生けた。少し乾いたらドライフラワーの中に混ぜようかな。








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5月2日<スイカヅラ>

2016-05-02 | 山野草





今年の初めに見つけておいたスイカヅラはどうなっているだろう。遠回りして見に行った。
まだ朝夕は寒い。
小さいつぼみが出来ていた。あと少しかな。












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