空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

ファントム・ピークス 北林一光 新潮文庫

2020-07-28 | 日日是好日

前にこの本を見て、一時大きな話題になったツイン・ピークスというドラマから、当時盛んに見たデヴィッド・リンチ監督の作品を思い出した、この本はファントム、日本のファントムか、と思ったが読むのを忘れていた。
舞台は北アルプス、常念岳の麓に広がる樹林や渓谷など、穂高を東に見て梓川の西、麓の素朴な農家などが集まっているところ。
美しく爽やかな高原の風景、作家の持ち味だと思われる情感の中に静謐さをもった風景描写から始まる。

思い出のほとんどはこういった山に置いて来たような気がする今は、こんな静かですべての音が消えたようで密かに自然だけが息づいている始まりは、もうそれだけでこの本に入り込んでしまった。大糸線から見えるこのあたりは、登山とも言えないようなフィールドワークの起点だった。知った地名や山間の寂しい温泉の名前も懐かしかった。


安曇野の地に移住した夫婦、特に妻は日々の自然の移ろいの中で巡ってきた秋の木漏れ日を楽しんでいた。夫が臨時の仕事に出かけた日、キノコを採りに山に入った妻に襲い掛かった大きな影、そして妻は消えてしまった。

妻を必死で探しながら、今は林道で作業中の周平に半年後に訃報がもたらされた。探し尽くしたと思っていた妻の遺体が離れた渓で見つかった。妻は頭部だけだった。
周平は、雇い主の生駒建設、生駒社長の気遣に感謝しながらも妻の事故という見方に納得がいかなかった。

土地の警察、管轄の役所、特に信州大学の野生動物研究会の助手山口凛子。彼女は鳥獣保護を主にサルの検察をしている。妻の探索を兼ねて山に入った周平と出会い事件に加わることになる。

キャンプに来た四人組の一人で、渓流釣りに出た青年の背後で、愛用のカメラのシャッターを押していた彼女がふっと消えた。
五日後一旦帰省した青年が犬を連れて探索に来た。探す術も尽きたころ犬が彼女のスニーカーをくわえて来た。血溜まりができるほど血で汚れた靴を見て希望も消えたことを悟った。
その後、土地の老人が、娘と孫が下草を刈っていた間に消えたと言って来た。
捜索活動が雨で中断したそのとき、阿修羅のような形相の女が女の子を背負って近づいていてきた、「なんて親子だこんな時に山に入るなんて」
だが母親と見えたのは凛子だった。子供の体は魂が抜けた様にこわばり言葉を失っていた

「神隠しではないか」続く蒸発事件にそんな言葉が飛び出した。

日赤病院にいる女の子が、テレビに映ったクマを見て叫びだし手に負えないということだった。
また近くの養豚業者は高価な餌を何者かに食われ、養蜂業者も蜂洞を二つ荒らされた。
出たばかりのリンゴの木の花芽をサルにくわれた。ほかに大きな被害も出ている。

一方、定年退職した夫婦が信州を巡り安曇野まで来た。夫は蕎麦屋で新聞を見て「神隠し」「魔の山」などという惹句に興味を持ち、「行ってみないか」と妻を誘った。
梓橋に沿ったお決まりの林道から車は道を西に取った。常念、蝶が岳の登り口の駐車場で休み、妻はビデオを回し、夫は次は山歩きをしようかといっていた、その時車の前に大きな影が覆いかぶさり、夫はブレーキのつもりがアクセルを踏み片側の渓に転げ落ちて行った。

作業中音に気づいて周平が駆け付けた時妻はもう手遅れ、夫は死亡していた。

妻のビデオに一瞬黒い大きな獣のような影が映っていた。
凛子は半信半疑ながらクマではないかというが、それにしても大きい。
信大から専門の研究者が来る。

そして、手始めに倒産した観光クマ牧場から調査を始める。

怪物のような猛々しい獣を追い詰める人々の死闘が生々しい。被害者の描写は精細な風景を描く人に似合わない、血なまぐさい死者の姿まで書いている。書き出しの静謐さとはまるで異なった視点に少し戸惑う所もあるが、悲劇の現場はこうなのだろうと読み終わる。

もしこれが現実的なストーリーでなくて、書き始めの雰囲気をリンチ風に持ち続けていたら、もっと刺激的ではなかったかと思ったりした。

でも若くして亡くなった著者が、風景を描く筆致はとても繊細で美しい、ご存命ならまだ読めただろう名作を思うと寂しい。
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四連休は鍵を開けたり、先行きを考えたり

2020-07-25 | 日日是好日

夕食後、そそくさと動き出した。今日はわずかな団らんもカット。

「どこ行くの」「二階(自室アリ)に上がるね」「早いね」

「もうぅ、鍵が開かないし、今回はやり方がわからん」

「ふすまに鍵なんかつけたの」「いやいや貴志さんと張り合ってるねん」

 

近くの図書館で月一の読書会。

「どう生きるかって 、どう生きたかの方がピンと来るね。」

若者は司書さんだけ、でもこの先大いに役立つ知識は若者だけではないと

話にわずかに花が咲いた。もう満開はとっくに過ぎてから読むにはもったいない

名著ではあった。司書さんが並べてくれた関連本の中で

やはり池上さんに人気が集まった。ご時世だなぁ。

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「白いしるし」 西加奈子 新潮文庫

2020-07-16 | 読書

 

白いしるしって何かな、あれかなこれかな、西マジックのような恋愛小説。
西さんの物はキリコについて」と「円卓」を読んだ。どちらもほのぼのした親子や家族の物語で、暖かい肩の凝らないいい話だった。
様々な賞をうけ、ベストセラーにもなり、今は人気作家の一人だと思う。
問題の受賞作は読んでいないので、いい読者だとは言えないけれど、好感を持っていた。これは猫の背中が可愛らしい表紙を見つけたので読んでもいいなと買ってあった。
題名はその猫の背中にある白い毛のことで猫の話だろうなと。相変わらずいい加減な選択だったが、「新潮文庫の100冊2020」に入っていたので読まないと面白い本が腐るかもと、読みます宣言をした。

前置きが長すぎだが、読み始めて、これはなんだという予想外の恋愛小説。それも少し婚期が遅れ気味で、絵など描きながら生活のためにバーでアルバイトをしているという今時の主人公。
なんか聞いたことがあるような設定で、解説の言う「男漁り」で何度も傷つき、やっと2か月前に男と別れたことから立ち上がったところ。
「男漁り」って誉め言葉かなと解説者をいぶかりつつ、いやこの内容ならぴったりなのかなどなど、いささか当て外れの出だしだった。

絵を気に入ってくれている、付かず離れずの瀬田という写真家がいて、オープンする間島という画家の個展に誘われた。
間島というのは好みにぴったり合った青年で、会った瞬間惹かれ過ぎまた落ちた。気のなさそうな活力の乏しそうな、無気力かといえば絵を見ればそうでもない、という役どころ、気にいった絵は白地の上に白い絵の具で富士山が書いてある。絵具に光が当たり発光していたという感覚も、普通に言えばそれは恋の始まりでしょう。
西さんは主人公の、悪く言えばありきたりな境遇を何か独特のものであるかのように描写するのが旨い。
間島というごく普通に見える青年の頼りなさげな様子なども、人によればビビッと来る(古?)のだな。大抵の読者が納得するようなまつ毛の陰の瞳の美しさや細身すぎる体つきまで主人公向けにうまく書いている。

そしてついに部屋まで誘い二人で暮らすが、四日目になって漏らした身の上話から彼には女がらみの出生の秘密があった。

一方瀬田にも彼が深入りしない訳があった。彼の過去は「猫」に繋がる。ここでやっと猫が出てくる。しかし脇役、背景だが、表紙にしてドジョウを狙ったのかも。と勘繰るのは卑しいかな。

まぁそのくらいのおとな子供という、成長しきらない恋愛がらみにドタバタして話が終わった。

一口で言えば、西さんはストーリーの展開が巧みで、表現も綺麗に納める。主人公だけがひどく悩み苦しみながら読者はそれを追いかけていく、現実的だと思えればきっと感動的な物語に違いない。
まっすぐに読めば恋愛の心理や、境遇に流される悲しみのようなものも読み取れるかもしれないが。

過去を振り返る年にもなると、そいうこともあるかもしれないなぁという距離感が少し残念。
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今日は笑って締めよう

2020-07-14 | 日日是好日

今日はなんとなく楽しくない日だった。気の持ちようか、思い過ごしかもという程度だったので反省することもないし、思い出すのはやめた。

 

さっき、お風呂上りにジュースをもって部屋に上がってPCの前に座り、なんか書かねば、と思っていたら、こんこんと音がしてドアが開いた。

「ほい!これ」  「お!猫の餌みたいやね」  「体にいいよ」

と差し入れ。

その前に今夜読もうと思っていた本があって、、、

キーボードの横から猫が狙ってたので見えるところに

置き換えてあげた。

何にも買ったわけでないのに、いつもは鬱陶しい広告郵便の中に

これがあった。まだちょっと痛い脇腹でお試ししてみる。

貼るのかと思ったら塗るのか、そういえば袋が小さい。

 

 

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「フウセントウワタの花」が咲いていました

2020-07-13 | 山野草

Wikipediaフウセントウワタの花

ガードレールからはみ出していて、アレ珍しい花を見つけた

と降りて、じっくり見てみました。ずいぶん前に明日香路で出会って以来の

対面です。花材に使いますが、面白い実になるのが楽しみ

図書館のまわりは和やかです

セグロセキレイの子供がいました。

雨の日はききょうの色が爽やかです

 

夏の花です

  

梅雨明けを待っています。ちょっと覗いてみた感じ(^^♪

優しい色のダリアですね

  

アガパンサスの季節も終わりです。

田圃の周りは家庭菜園になっています。

フウセントウワタを植えた方の畑は

枝豆やキュウリ、珍しい胡麻が二畝、元気に並んで

花盛りでした(遠すぎて写せなくて残念)

色々な花も咲いていました。お好きなんですね。

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「ジキルとハイド」 ロバート・L・スティーヴンソン 田口俊樹訳

2020-07-12 | 読書

この作品が世に出たときは、きっと内容の怪奇さと、人の心理の二面性をこんなに鮮明に書き出した、生々しい善と悪の心の葛藤の物語を、共感と驚きをもって多くの読者は絶賛し読まれたに違いない。

※ネタバレ注意! 以下の文には結末や犯人など重要な内容が含まれている場合があります。

二重人格というだけでおおよそのことは想像できるし、今では二重人格どころか多重人格、解離性同一性障害等という一層複雑な病名まで知られてきている。

そんな物語なので、つい最近までストーリーも分かったような気分で改めて読もうとは思わなかった。
それが「2020新潮文庫100」でリストを見ているうちに、現代の多くは不遇な子供時代の心の傷や不幸な環境がつくりだしたという話が多い解離性の心の病気とは違って、これは意図してふたつの人格を作りだした話だ。
主人公が何時、どうやって、親友や雇人にも見分けられないほど異なった外貌を持つようになったのか。
深入りしなければ気にならないようなことだが、これは原作を読んでみないと、面白みは分からないのではないかと思った。

まず
ハイドを作り出したジキル博士とは
二重人格を作り出した方法
ジキルとハイドの風貌の相違
お互いに対する認識
ジキル博士がハイドという人格になったことに周りはどう反応したか

そんな子供じみた興味でじっくり読んでみた。

結論。
スティーブンソンさんの作り出したおどろおどろしい雰囲気の文章も素晴らしい。医学的には多分創作だと判りすぎる部分は大雑把に適度に緻密で読み過ごせる。

殺人を犯して平然としているハイドを、恐れと後悔から、元に戻そうとする、分離できない体にする薬づくりに没頭するジキルの懊悩。

恵まれた環境のジキルには優れた友人もいた。その友人たちは、反面隠し続けた二つの姿が明らかにされるかも知れない知性を備えた危険な友人たちだった。
中でもジキルに遺言を託されたアタスン弁護士、その遺言書がまたナニコレで興味深く面白い。
最後のジキルの告白の手紙で全貌を知るラニヨン博士。
ここでジキルの手紙を読んだラニヨン博士の手記は圧巻、博士は死ぬほどの恐怖に捕らえられる。

ついに分離が薬の作用でなく、絶え間なく起き始める。
その時周りも、薄々ジキルの人格が分離しているのではないかと気が付き始める。

ジキルは子供の頃から密かに隠していた野蛮な本能が形になったことで、快楽だけではなく、次第に制御しきれないハイドの悪が力をつけて心を蝕んでいく。
自分で招いたこととはいえ、親友に向けた告白文は哀れだ。

堂々とした風采のジキル博士が薬を飲めば小柄で目をそむけたくなるような悪の雰囲気を纏った男になる。
ハイドは肌の青白い、小人のような男だった。はっきりとした病名のあるものではないにしろ、なんらかの奇形を思わせる。不愉快な笑み、臆病さと厚かましさがないまぜになった異様な振る舞い、どこか壊れたようなしゃがれた囁き声。それらすべてがハイドを不快に見せている。


ジキル博士といえば
長身で、均整の取れた体つきをした、人当たりのいい五十代の男。それがジキル博士で、少しばかりの狡猾さはうかがえるものの、肝要と優しさがそれをはるかに凌いでいる。

その体格の違いが生活するには様々な不自由がある、そのところなど読む面白さが十分で、読んでよかった、面白かった。
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一歩とまって右左、を見ないことにする。

2020-07-12 | その外のあれこれ

こういうことになるのは、ちょっと気の利いたスーパーの隣に薬屋と本屋があるからだ。

暑くなると汗にかぶれるし、窓ふきをして脇腹をぶつけたし(?)塗ったり貼ったりの薬はいいとして、本屋さんが横にあるのが悪い。

並んだ本が誘うように必ず目のふちに入る。駐車場がスーパーと共通だし。最近人陰はまばらだし。

その上、本屋さんはなくてはならないし、国民の、人民の世界の文化を担ってきたのだ。私の生活の一部なのだ。

 

あ‼ あれ買ったかな。(本のこと)読んでないのはまだ買ってないからだ(と思う)記憶力のせいだとはまだ思わない(ようにしている)

帰ってすぐ読むつもりが積んでおく。

また同じコースを歩いて、同じコースで本を買う。

昔は、読書ノートが作ってあった。買った本も読むまでは未読ノートにメモしてあった(遠い目)

整理魔の母が捨てたのだろうか(´;ω;`)ウッ…

「何も言うことはないけど片づけをしなさい」といつも叱られた。何も言うことがないという所だけを気分よく聴いて、、、、片づけをしなさいという母は亡くなってしまった。

本は乏しいお小遣いで考えたすえに買っていたからだ。

今はなんということ、食費や交際費が本になっている。

明日からは、禊の気持ちで今でも余っているわけではないが、より乏しい交際費で暮らそう。へそくりを増やそう。災難は忘れたころにやってくる、寺田先生も書いている。

外出も減り外食も減り、ガソリン代も減り、ついでに暇を持て余している友人も減るだろう。

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「三つ子の魂百まで」

2020-07-10 | 読書

今年のフェア新潮文庫100から在庫を集めて積んでそのあと、カドブンのラインナップを見て積読山から掘り出した本が小山になった。

読書も本も何かつながりで、山系になったり連峰になったりする。

なにか目標があるとやる気が出るのは子供の頃からみんな同じ、山があれば上りたくなる、海では泳いでみたい知らない国に行ってみたい、何か目の前にあれば元気が出るのはきっと私ばかりではないと思い楽しい。

ちょっとした小さい達成感があれば幸せ。やった気分は最高。

鬱陶しい梅雨も読書のため。暑い夏も避暑ということで読書、冬などは冬眠引きこもり言い訳で読書

 

気分に従って、新潮文庫の「ジギルとハイド」を読み始めた。

研究中の薬を自分の体で実験した。いい人暮らしが負担で悪事の快感を得るための心身を作るのに薬を飲んだ。

細かい記憶は薄れている、有名な二重人格の地獄と極楽。

さてスティーブンソンさんはどう書いていたのかな。

読むべし読むべし。

 

ところが子供時代に帰ってみるとこの二重人格博士に並んで「透明人間」を思い出した。

SFの大御所ウェルズさんの名作。

知っているようなそれでもどんな話?と思い出そうとしても腑に落ちる説明ができないところで、それでは読んでみよう。

フェアから始まってこんな風に関係ない道草を食いながら、山を崩していくのです。

 

花めぐりも、日日好日も空き時間は本読みで過ぎていきます。

 

小山を作りました。

 

 

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アイロンが壊れた

2020-07-06 | その外のあれこれ

気分よくアイロンをかけていて、スチームのボタンを押したら、

がくんと外れてしまった。スライドさせてはめ込んでも隙間が開く、

20年以上使えば壊れるかもと気分を落ち着けて。

 

水に混ぜて使える便利なのりを見つけて混ぜていれてみたら、

少し香りがきついが薄物でもパリッと仕上がっていい調子だったのに。

と喜んでいたけれど、仕方がないアイロン買いに行こうかな、と腰を上げたら

外は雨風で大荒れだった。ニュースを見ると被害が大きい、

台風でもないのに豪雨の被害まで大きくなるのは辛過ぎる。

 

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新潮文庫とシジミチョウ

2020-07-04 | その外のあれこれ

休日なのでスタートが遅かったが、”本が好き!”を覗いて「新潮文庫の100冊」が始まっているのに気が付いた。

リストアップしてあったので、いつものようにプリントして、棚から在庫本を選び出した。ここになくても読みたいものは後で本屋さんに行ってウチワシオリをもらうのだ。

ダブって買ってあったり、”すぐ読みたい山”がそのままだったり。コロナ自粛に本をろくに読まなかったリ、記録しなかったリ。

光陰は矢のように過ぎた。

名作は一度や二度でなく読んだつもりが全く思い出せない。

中村文則さんも穂信さんも今年こそと思った平野啓一郎さんも、並べてみるとなんだかつめたいのね。早く読んで暖まろう。

それに”読むべし”というのが一山あったのも横目でちらっと見た。

よそ見しないように今年の新潮社など並べてみた。読むのは何とかなるが、「記録する」の方の頭が固まっている、がんばろうかな。

 

 

 

外に大葉を摘みに出たらシジミチョウが飛んできて。ポーズをとってじっとしていた。小さいくせに大物だな。

 

クーラーの時間設定を忘れ朝まで動いていた、言うことはよく聞くが黙っていると自分では考えないものだ。

あまり賢過ぎるのも困るけれど。

その上小雨に濡れて喉が痛い。

明日も休日だし、今夜も早寝遅起きで体力をつけよう♪

 

 

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小雨決行で 散歩

2020-07-03 | 日日是好日

コロナ自粛のせいで、散歩道を歩いていなかった。思いついたら小雨になってきたのでそろそろと歩き出した。午後のこんな時間は、お天気ならうだる暑さ、今日は歩いても汗もかかない。

何時もの出発点。定点写真。曇り、田圃よし。草刈りはまだ。

川はわずかに増水。

畑のポンポンダリア、盛りが過ぎ一輪だけ(寂)

ルドベキアも少しだけ

シロタエギクの銀色の葉は綺麗だが、黄色い花も小さく固まって咲いている

散歩で顔見知りになった方の畑でスペアミントが咲いている。

貰って来たうちでも茂りすぎて、気の毒に仲間外れになっている。

大根畑だったのに今年はスイカ畑になった。豊作だ。

ソフトボールクラブで、合宿をしたことがある。神戸の山すその学校で

一面スイカ畑だった。そこから来ている相手選手達が家のスイカを差し入れしてくれた。

井戸があってそこに放り込んでひやして、お腹を壊すのでやめろと言われるほど食べた。

スイカはみんな汗になって流れた。

平気平気、一日三試合、強いチームでそれでもいい試合をした。ポジションはキャッチャーで三番、体育館で雑魚寝も楽しかった。

真っ黒に日焼けをしてあだ名が「金太郎」母が黒い顔も金太郎も気に入らないといったが、

先生がつけた名だといったらしょんぼりと黙った。スイカの思い出。

小さいため池が今は沼地になっていていろんな花が咲く。

リアトリス

いつもびっしり茂るガマの穂が出ていなかった。ここでも栄枯盛衰かも。

道端のワルナスビ。花は可愛いが元気すぎる帰化植物。

遠くにノカンゾウ、愛用のキャノンG7Xは小さいのにいい仕事をしてくれる。

上達しなくても黙って10メートルくらいは楽々引き寄せてくれる。

この頃の家電はよくしゃべる、コンロでお姉さんが「上に鍋を置いてください」

「温度が設定できます」忙しくて騒がしい。

コンデジでも音声に切り替えると「シャッタスピードを速くして、とかマイナス補正をしてください、ピントが甘いです」

くらいはそっといってくれてもいいぞ。

傘地蔵のようなきゅうりとトマト

帰り道に白山吹が咲き残っていた。

アメリカフヨウも。

フィルタ-がつかないので白い花が好きなのに

勉強不足(ア!才能不足)もあって画像はいつも(残念なり。

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銀木犀と柊木犀

2020-07-01 | 山野草

梅雨の雨の音が激しくなるたびに、お隣の雨樋まで伸びた柊木犀が気になって

いた。「葉が落ちない木だし花はいい香りがするし、大丈夫ですよ」とお隣の方は言ってくれていたが、大きな枝を切ってもらってすっきりした。

 

神戸の山の麓にある祠の横で、真っ白い花をびっしりつけた銀木犀を見た。

しばらく眺めて観察した。「金木犀のようだけれど花が白い、香りも違う」

と房になって咲いている小さな花の塊を見て、白い花も小さくて可愛い

香りもいい。帰ってさっそく近くの造園屋さんに苗木を植えてもらった。

ところが、暫くして神戸で見たのと葉の形が違うことに気が付いた。銀木犀の

深緑でカーブしたあの葉ではない。図鑑でみると、柊と混じって生まれた柊木犀で銀木犀ではない。植え替えてもらおうと、当時元気だった母に話すと

柊は魔除けだというし(おお、初めて気が付いた、節分のあの柊か)

同じ花が咲くならこちらがいいのでは、という。

せっかく機嫌よく根付いたらしいし防犯にもいいかもね、とそのまま狭い裏庭の木にした。そして今では、庭の隅ですくすくと育ってあたり一面に枝を伸ばし、花を咲かせ、おまけに珍しく実がたくさん生る。それが落ちでなんと可愛らしい柊型の小さなはっぱを広げていたりする。庭だって裏も表も猫の額で育てるほど広くないし、気が付かないと隅の方で30センチほどに育っていて、君たちごめんよ。といって抜いている。

秋には近所にいい香を撒いて、なんの香りですかいいですねと、褒めてもらうようになった。でも雨音が激しくなって風もきつい日はお隣の樋が気になる。元気に伸びてくる小枝は私が切ってきたが、大きな枝をやっと切ってもらった。ちょっと気の毒で銀木犀だとよかったのにと思っても口には出さない。葉っぱを袋に詰めて、ゴミの日に出し、大きな枝は束ねて粗ゴミに出す。

 

剪定しなかったので大きく雑然と広がった。

地上は私の仕事。葉っぱをパチンパチンと切る。ここでもう疲れた。

まぁなんということでしょう、枝にひっかけていた物干しの棒の形に曲がっていた。それとなく気を使っていてくれたのね。

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