空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

韓国映画「春夏秋冬そして春」 を見ました

2021-10-05 | 映画

ファンだったキム・ギドク監督作品。この作品も多くの賞を受賞しています。

静かな東洋的な作品で背景も静謐な雰囲気をたたえてとても美しい。

心に染み入る風景です。人は自分が招いたことかもしれませんが、罪を犯してしまうほどの荒々しい運命に見舞われることもあって、

それはどうして贖ったらいいのか、時は待ったなく流れて巻き戻すことができない。

わずかな登場人物ですが、時の流れとともに、四季の移り変わりが心の中に残ります。残酷で哀しいお話です。

監督は昨年暮れコロナウィルスに感染して亡くなられた。69歳まだお若いのに。残念で哀しい。

 

二時間ほどです。amazon primeで見ました。

久しぶりに映画をメモしました。

 

 

 

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「アメージング・グレイス」 2006年 イギリス映画

2019-04-01 | 映画

   
原題
AMAZING GRACE
製作年
2006年
製作国
イギリス

キャスト
ウィリアム・ウィルバーフォース [ヨアン・グリフィズ]
バーバラ・スプーナー [ロモーラ・ガライ]
フォックス卿 [マイケル・ガンボン]
タールトン卿 [キアラン・ハインズ]
ウィリアム・ピット [ベネディクト・カンバーバッチ]
トマス・クラークソン [ルーファス・シーウェル]
ジョン・ニュートン [アルバート・フィニー]
オラウダ・エクィアノ [ユッスー・ンドゥール]


18世紀のイギリス経済は奴隷によって支えられていたと言っていい。
先日「アメージング・グレース」物語 を読んだが、その中に時代背景と奴隷貿易廃止法案成立のために活躍した、ウィリアム・ウィルバーフォースのことがちらっと書かれていた。

この映画は、ウィリアム・ウィルバーフォースがどうして世論に立ち向かい奴隷解放活動に政治生命をかけたか。またケンブリッジ時代からの友人だった、若いピット首相や賛同してくれる同志とともに何度もの挫折を乗り越えて、ついに法案を成立させて多くの奴隷の人権を復活させた。その人間愛と信仰心が感動的な作品になっていた。
四面楚歌に近い議会での彼の飽きることがない演説シーンや、経済力を持つ議員たちの反対。それは時代の当然の流れだった。フランス革命やアメリカの独立戦争で経済的にも痛手を被り、当時世界経済を牽引していたピット政権は、安易に奴隷の人権を認めることはできなかった。しかし陰ながらウィリアム・ウィルバーフォースを支えたピット首相は毛色が変わっている。家庭も持たず政治力に必要な人々とも深くは交わらず、ワインを愛し、若くして亡くなってしまった、政治しか知らなかったとはいえある意味一種の自由人として生きればよかったのかもしれない。彼の行った政策はイギリスを支えたのかもしれないが。
ウィリアム・ウィルバーフォースは地位も爵位までも持つ議会議員たちに立ち向かうために、庶民の中に入りこみ世論を味方につけようとする。
財力があり信仰心を持つ彼の一途な想いが熱い。
アメージング・グレースを作ったジョン・ニュートンの自伝の働きもあったかもしれない。それがウィリアム・ウィルバーフォースを動かしたかもしれない。しかしすでに彼は老いていた。それでも奴隷貿易についていたことを深く悔やんでいた。
二人の話し合いは映画的に脚色している部分もあるかもしれないが、恵まれた環境で育ったウィリアム・ウィルバーフォースが奴隷の悲惨な境遇を知って、彼らも同じ人間として苦しみを自身の心に同期させ、命がけで救おうとする、やはり偉大な行為に身を投じた一人の青年の意志から広がっていった歴史的な奇跡を描いた映画だった。

賛美歌の「アメージング・グレイス」はすでに出来上がっていた時代だったし、教会からすでに広く歌われるようになっていたかもしれない。最後のシーンで流れるバグパイプの演奏は胸を打つ。いい映画だった。

奥さんのバーバラは賢くて優しく魅力的だった。
ウイルバー・フォース役のヨアン・グリフィズはなんとなく岡田准一に見えて仕方がなかった。なんか似てますよね。 笑

  





HNことなみ






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映画 「ブレードランナー」

2018-01-27 | 映画
  
積読の山が増える一方で、山の方向に目を向けないようにしている。
でも今日のように小雪がちらつく休日はつい、部屋の整理がしたくなる。
まず本から。

で、また眼の端にいつもちらちらと見える『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が 気になる。

そこでちょっと外の空気を吸いに出てついでにDVDを借りて来た。

「ブレードランナー」

面白かった。

原作は1968年発刊
三度目のDVD最終版は1992年。

そして舞台は2019年。来年だった(*_*;

もうまったく人間と見分けがつかないまでに進化したアンドロイド(レプリカント)を判別しなくてはならない。確定した後のレプリカント狩りの壮絶なこと。人と見分けがつかないものを作り出し、血が通い、人と同じ精神活動を備えていても、殺さなくてはならない。

ロボットに生まれた悲哀と、ロボットを愛したブレードランナー(ハリソンフォードが若い)の矛盾した苦しみなどちょっと深みもある内容で、4年しか生きられないレプリカント作った人間の傲慢さも見える。

アシモフのロボット三原則はすでに霧のかなただった。

イメージが出来上がったところでそのうち読んでみよう。アンドロイドは電気羊の夢を見るのかどうか。







クリックしてください↓↓↓↓

HNことなみ

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10月22日木曜日曇 <DVD アメリカン・スナイパー>

2015-11-21 | 映画
読書から少し離れているのに、つい本屋さんに寄ってしまう。
レンタルDVDも最近見てなかったので一回りして、見たかったものを少し借りてきた。

「アメリカン・スナイパー」
 少し前に話題になっていた。

レジェンドと呼ばれたスナイパー、ブラッドリー・クーパー 扮するクリス・カイル
監督/製作クリント・イーストウッド
これは見るべきかなと思ったが

アカデミー賞では作品賞、脚本賞を受賞している。

クリス・カイルは実在の人物で、海軍所属の狙撃手だったが、2013年2月、同じイラク戦線で戦い後遺症を病んでいる青年に射殺された。
160人以上の敵兵を撃ち、味方を助けた。だが自身も戦争から帰還したあと、後遺症に悩み、同じ悩みを持つものを助けようとし始めたところだった。
クリント・イーストウッド 監督作品によくある人間性と背景とのほのぼのとした、あるときは劇的な融合、社会性との関連も顕著だったが、やはりどこかエンタメ映画作品の、厳しく言うなら軽さのようなものも感じた。

人間の命の重さは十分にあらわされているが、一面、同時多発テロが引き金になったイラク戦争、対テロ組織内部抗争の形や、ブッシュの介入政策の客観的な事実は抑え気味だった。

最後の、カイルの荘厳な葬儀の実像は、実感として迫るものがあった。

「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」を監督したことに比べると重量感について少し物足りなかった。









雲が多い


ツワブキ
この花が咲くとなんだか年の瀬が近くなったような気がする。


アオツヅラフジ
青い実が少なくなって葉ももうすぐ堕ちそうだ。


季節はずれのスモモの花がたくさん咲いている。


コヒルガオの青色が綺麗だ、もう少し頑張れ!!










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9月29日 火曜日 晴れ <テレビで映画 市川雷蔵 大菩薩峠>

2015-09-29 | 映画

やっと日記が追いついた。
今日もいいお天気で洗濯物が乾く。食品も整理するので買い物には行かない。ちょっと時間に余裕があるが、歩きながら予定を考える。

ここでコーヒーを一杯ッ…。

少し先にある大型スーパーの二階に広い手芸店ができた。開店大売り出しに行って、また買ってしまった。
毛糸や厚手の布地、これでエプロンを作って、セーターも編もう。そろそろ冬支度。

買い込んだ本も、読みたい順に積んだ。読書の秋になったが、最近の作家をよく知らない、広く浅くが身上なので読まねばならない。
知らない作家は要注意だが、読みかけてしまったと思っても、途中で止められない、時は金なりだけれど、「金」というのは普通お金のことだろう、でも沈黙は「金」のように貴重品にも使う。本代は貴重だけれど少しくらいはほかを削っても何とかなる。時間はもっと貴重だ失えばなんともならない。分かっていても読み始めるとどこかいいところがないかと最後まで読んでしまう。
買う前のリサーチが足りないと言うか、衝動的といおうか、軽薄なところが我ながらますます時間欠乏の穴に落ち込んでいく。

さてこれから軽い掃除機を引っ張りながらゴミを吸い取り、さっぱりしたところで、録画した映画を一本やっつけよう。

市川雷蔵の「大菩薩峠」を見たばかり。一部と二部。
中里介山は人の狂気を素晴らしく書いた。机龍之介は「音なしの構え」という正眼から少し右にずらした独特の構え方をする、それが美しく強い。市川雷蔵という俳優によく似合っていた。この作品は竜神温泉に行ってから気になっていた。

市川雷蔵という俳優、は「眠狂四郎」を見たことがある。知る人ぞ知る「円月殺法」
「眠狂四郎」は柴田錬三郎。中里介山どちらが先か調べないと分からないが、机龍之介と同じように生来の狂気と虚無、天才的な剣の腕。悲運というか運命に操られる様子が壮絶だった。

市川雷蔵という人は「忠直卿行状記」でも見た。いかにして暴君になったか、感受性の鋭い青年が周りの媚びへつらいで崩れていく。逃げるに逃げられない現状から狂っていく、菊池寛の短編が重厚な、今に通じる物語になっていた。


市川雷蔵は美しい、彼の薄幸で複雑な生い立ちや早逝したところがこの映画に滲んでいた。

ところが「大菩薩峠」最後の三部目が撮れてなかった。そのうちDVDを借りに行こう。残念、悔しい。

今日はこのくらいで花に。
  




昨夜のスーパームーン 夜の散歩で写してみた。ながく人の顔に見えていたが、
よく見ると右にウサギの耳が二つ見え、お餅をついていた。


田んぼが少し黄色くなってきた。


「キンエノコロ」
エノコログサより少し小さくて日に映えて美しい。

「キウイ」
これも秋の味覚かな。


今日もコスモスが美しい。


「ボタンクサギ」
山のクサギと違って大きくて華やかだ。


「ケイトウ、ニガウリ、アサガオ」
おそろいで覗いていた。






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無料視聴で、ホラー映画「顔のない眼」を見た

2014-09-27 | 映画



 午後になって時間が出来たので本を読んでいるとすぐに時間が過ぎていった。急いで夕食の支度をしたら、もう夕方だった。

相撲を見なければと思い出してテレビをつけると御嶽山の噴火のニュースだった、こんなことに出会う受難の人もいるのだ。不意の災難は避けようがない、まだ噴火は続いているようだし。何度か通ったことがある御嶽山を思い出して、早く鎮まることを祈った。

相撲は、どちらも負けてほしくない取り組みだったが、やはり横綱の貫禄か、入幕したばかりの逸ノ 城は立会いの眼も少し力負けしていた。遠藤に続く若い力士が出てこれからが楽しみ。

部屋の中は早々に薄暗くなって、窓から見える空も遠い山も輪郭だけになり、沈んで見え始めた。なんだか不安な気分で座っていたらふいに昔見た恐ろしい映画を思い出した。

「顔のない眼」という題だった。
誰と行ったのか覚えてないが心斎橋を歩いていて、映画でも見ようということになった。(誰だか知らないがよく見ようと思いついたものだと今思う)
映画を見る前に近所にあった「びっくり善哉」という店の暖簾をくぐって入った。大きなどんぶりに大きなお餅が入って、噂どおりびっくりするほど大きかった。変わったものは見てみよう、食べてみようと言うので、子供のころから変な経験を積んでいる。今はなん言う映画館だったか建物はぼんやり思い出すが、どこにあったかは分からなくなった。
おいしいおいしいと全部食べてしまった。暖簾が下がった地味な店だったような記憶があるが、細かいことは忘れてしまった。

「びっくりうどん」というお店もあったと思うが、それはその頃、歌手の実演を見る劇場のそばだったようだが、周りでは誰も関心がなくて連れて行ってもらったことがなく「びっくりうどん」は食べたことがなかった。歌手をじかに見たい歌を聴きたいという人はいなかったのだろう。

それで思い出した映画は、以前テレビ欄に出ていたが見逃してしまっていた。どこかにないかとPCを探してみたら、昔の映画なので無料視聴が出来た。

食事か終わって早速90分、パソコン部屋に座り続けて見てしまった。怖かったシーンはところどころ覚えていた。ただ秘書が運転して被害者を運ぶシーンは終わりのほうで見たと思っていたが最初の場面だった。

今でこそ残虐なシーンもカットなしで見せているが、皮膚移植の生々しいシーンは当時としては余り見ることがなく、ここが恐ろしかったのかな、と後々まで折りに触れて思い出した。ほんと怖かった、幼い子なら夜泣きでもするところ。今なら少しのことくらいで驚かなくなったが、その頃は暫く夜になると誰かのそばにいた。

今にすれば短い映画だが、余り古さを感じない。ホラー映画の王道を行くような恐怖映画で、見直しても、場面だけでなく、ストーリーも相まって忘れられないのも道理だと思った。

外科医は皮膚移植の研究をしているのだが、皮膚が新しい身体に適応できず成功していない。原因は他人の皮膚なので抗体ができる、それを防ぐには放射線を当てるのがいい。と研究発表をする。今の医学ではこの部分はどうなのだろう、放射線が抗体をやっつけると言うことになっている。顔にやけどをした娘のためなのだが成功しない。今は自分の皮膚を取って部分的に移植していくようだが、ここでは他人の顔の部分を丸ごと移植しようとしている。代わりの顔の皮膚を手に入れる手段は、誰かを誘拐するほかはない。後の始末もある。半世紀以上の古い映画だが、細かい部分は面白く出来ていた。


その頃の恐ろしい日本映画は、怪談や猫化けなどが主で、私は弟を連れてよく映画を見ていた。お殿様が将棋に負けた悔しさで、相手の坊さんを斬り殺して祟られる話などは、学校に行って、同級生を集めて休み時間に話をした。
「怖いねー」とみんなが首をすくめるので、先生が通りかかって「なにがそんなに怖いの」と聞いたりした。

中学校を卒業するくらいまでは周りにいる友達と丸く座っていろいろの出来事を話をしていたので、今でも覚えている人がいるが。本人はもっとよく覚えている不思議な出来事や映画がある。

今日も一日があっという間に過ぎた。
朝に大まかな予定をたてるのだが、予定なので、映画を見たりして終わることもあって、心残りのまま。
明日は日曜日、いつもの休日のようにのんびりに過ごせるだろうと思っている。


唐突に、こんなことを思い出した。
 一般に情報は日々刻々変化しつづけ、それを受け止める人間の方は変化しない、と思われがちです。情報は日替わりだが、自分は変わらない、自分にはいつも「個性」がある、という考え方です。しかしこれもまた、実はあべこべの話です。
 少し考えてみればわかりますが、私たちは日々変化しています。ヘラクレイトスは「万物は流転する」と言いました。人間は寝ている間も含めて成長なり老化なりをしているのですから、変化しつづけています。
 昨日の寝る前の「私」と起きた後の「私」は明らかに別人ですし、去年の「私」と今年の「私」も別人のはずです。しかし、起きるたびに、生まれ変わった、と言う実感は湧きません、それは脳の働きによるものです。
 脳は「自己同一性」を追求するという作業が、私たちそれぞれの脳の中でも、毎日行われている、それが「私は私」と思い込むことです。

                                    養老孟司  「バカの壁」より


明日は同じ明日ではないかも、流転しているんだから、、、、半世紀以上経っても恐ろしい映画は恐ろしい「私は私」で変化はない部分もあるし。
閑話休題、明日もいつもと同じ明日であればいいと願いながら今日もほぼ終りかけた。






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DVD 「悪の法則」

2014-08-04 | 映画
監督がリドリー・スコットだし、見てみようかなと思った。俳優もいいみたいで楽しみにしていたが、悪は悪でも全く汚れきった社会悪のどん底あたりの話で少し辟易した。

ちょっと欲を出した弁護士が、仕事柄知るようになった儲け話に足を突っ込み、破綻する話だった。
大金になると言う麻薬取引に加担すれば、うまく行っても行かなくても身の破滅だが、覚悟が浅かった。
取引と言うのは相手もあるし運び屋も居る。そううまく行くものではない。秘密などどこからでも漏れる、結局、そういったシンジケートに知られ、途端に手を組んだつもりの仲間は逃げてしまう。

頼っていったギャング社会のボスが、悪の哲学のようなものを話すが、悪にもそれなりの哲学がありルールがあるということ。
そんな事を聞かされても後の祭りで、浮かぶつもりがごみのように処理されてしまう。行く末の悲惨な、それでも、生きていくには甘い汁だけではない、強靭な精神力と智恵と、抜け目なさがいる、と言うことで、暗い救いのない、何も得るところのない映画の世界だった。

画面も無意味に残虐なシーンが多く、それが何かを主張しているわけではない、映像に自信のある監督で重厚な映画を作る人だと思っていたが、空回りをしたようだ。


後は気楽に、「スタートレック」を見よう。これはちょっと楽しみ ♪




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DVD ゼロ・グラビティ

2014-05-07 | 映画
ゼロ・グラビティのアカデミー賞7冠を祝ってNASAが提供した実際の宇宙映像

監督 アルフォンソ・キュアロン
製作総指揮 クリス・デファリア 、ニッキー・ペニー 、スティーヴン・ジョーンズ
音楽 スティーヴン・プライス
脚本 アルフォンソ・キュアロン 、ホナス・キュアロン
出演 サンドラ・ブロック ジョージ・クルーニー エド・ハリス


我が家の小画面(笑)でも宇宙は美しく、無重力の中で作業をする様子は息が詰まりそうだった。
アカデミー賞では多くの部門で受賞し、莫大な興行成績を上げて、レンタルビデオでもダントツの一位だという。

(好きなので、宇宙に関わる作品は随分見た。「アポロ13」や不思議な「惑星ソラリス」、名作「2001年宇宙の旅」そのほか宇宙ものと一括していいのか「スターウォーズ」「スタートレック」などなど、忘れている作品が多すぎるけれど)


ロシアが破壊した宇宙船のかけらが散らばって次々に破壊の連鎖が起き、襲ってくる。「エクスプローラー号」で船外の修理作業をしていた三人は 一人が直撃を受け死亡。船内の乗組員も死亡した、外にいたライアン(サンドラ・ブロック)とマット(クルーニー)は逃げおくれたが助かった。
ゴミが当たって破壊された部分を修理しているが、無線も途絶え、宇宙服内の酸素もつきかける。
ふたりはマットの指示で 宇宙センターに向かうが、これも破壊されていた。残った帰還用の船にはパラシュートが開いたままでつながっていた。外そうとしたパラシュートに絡まったマットは、辛うじてライアンと綱でつながっていたが、ライアンを救うためフックをはずして宇宙に消えて行く。

ライアンは帰還用「ソユーズ」で逆噴射し、中国の宇宙センター「天宮」に着く、やっと起動した宇宙船「神船」で大気圏まで帰還して湖に落下し、波打際で重力を感じながらゆっくり立あがる。

宇宙船の内外も画像では見慣れたが、この映画についてはいろいろ専門家による指摘があるようだが私には難しい。ただ息が詰るような酸素切れ間近の宇宙服を着て、操作手順を模索するシーンはスリルがある。

マットの自己犠牲、仲間の死、のなかでライアンが思い出す地上の生活や、ときどきつながる電波から聞こえてくるどこかの生活の一部、犬や話し声や子どもの声が効果的で、硬質な宇宙での作業にやわらかさを与えている。


数年前にいった、つくばのJAXAで宇宙船の模型に入ってみたが狭く息苦しかった。膨らんだぶかぶかの宇宙服も別世界のものに見え、宇宙に行った人たちは、やはり選ばれたスーパー人類のように思える。


映像は美しく、まだ広がり続けているという大きな宇宙の中で、人間は微小な点に過ぎないことを思った。

ローレンス・クラウスン著「宇宙が始まる前には何があったのか?」読んでみたいと思う。





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デニス・ルヘイン原作の映画

2014-04-28 | 映画
デニス・ルヘインの「夜に生きる」を半分読んだところで、とまらないのを無理に止めて、気にかかっている映画をメモしておかねば。

ルヘイン原作の映画や、作品のことは、あとがきや解説で初めて知った。
原作は二冊([ミスティック・リバー] と [雨に祈りを]) しか読んでいない。
これはメモしてあるので思い出せたのだが、映画は見ただけでもう細かいことは 記憶が朧になってきている。

「ミスティック・リバー」「ゴーン・ベイビー・ゴーン」「シャッターアイランド」の三本を見たのだが゜(*´□`*)゜




「ミスティック・リバー」はアカデミー賞を受賞した。3人の遊び仲間のひとりが誘拐された。暫くして帰ってはきたのだが。その後成人した三人は過去から逃れることが出来ない上に、さらにおきた悲劇、原作の意図も良く伝わってきた。ショーンペンが名優ぶりをみせた。


「ゴーン・ベイビー・ゴーン」はベン・アフレックの監督、俳優もいいし身近なテーマも含めた問題作だった。
題名のように子どもの誘拐事件なのだが、話の結論は観客に任せたような形で、そういうところも迷いがなく案外好きだと思った。
劇場では公開されなかったそうでDVDしかないけど、余計なお世話かもしれないのに、一度見れば、面白いよと周りに勧めた。

ちょっと話がそれるけれど、ベン・アフレックといえば、先日彼の監督した「アルゴ」を見たがこれは面白かった。実話だそうだが、スリルありサスペンスあり、タイムリミットありというもの。テヘランが舞台で撮影も大変だったろうと思ったが、テヘランの雑踏を抜けて脱出するシーンは見所だった。
映画の中で映画を撮るというのも、実際は映画撮影という奇想天外な作戦であってハラハラドキドキ、文句なくおもしろかった。
史実は少し違うとかいう意見もあったそうだが。

「シャッターアイランド」は脳みそをかき混ぜられるような変った作品で、噛み砕いて時系列に、あるいは出来事順に分類して流れをつかんでから見直すという厄介な作品だったが、それも面白かった。
心理学や流行のシステムを使ったSF映画というか、込み入った内容だった。この程度しか覚えていないので、もう一度見直してみようと思っている。

ただ原作とは違った映画作品自身の価値というものもあるが。

後になって原作があると知れば興味も深まる、面白かった映画も出きるだけ怠けないでちょっとでもメモしておこう。


今読んでいる「夜に生きる」も面白い、残念なことに、この前につながりのある「運命の日」が出ているそうで、しまった!順番を間違えたと気がついたがもう遅い。二作目からでも十分面白いという解説に救われるが、良く調べもしなくて、何事にも軽々しい自分の性格を、改めてあきれながら見直している。でも、もうなおらない。
図書館に予約したが「上下」二巻の大部とかで、体力をつけておかないといけない(^^)





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TVドラマ 『ダブルフェイス「偽装警察編」』

2013-01-10 | 映画



ダブルフェイスが「インファナル・アフェア」のリメイクだと知っていたら1作目の「潜入捜査編」も見たのに、残念。


少し前になるが、香港ノワールの「男たちの挽歌」三部作にしびれた(笑)弟役のレスリー・チャンは若くして亡くなったが、兄役のチョウ・ユンファはハリウッドまで出る俳優になった。このころから、香港の映画は面白いと思ってきた、あの監督はジョン・ウーだったし。

そして何年か前に「インファナル・アフェア」三部作を見た。どういうわけか、DVDも含めて三度も見てしまったが、見るたびに緊張感、、東洋的な死生観、何かしら漂ううら寂しさがすばらしかった。

リメイク版のハリウッド映画「ディパーテッド」もレオナルド・ディカプリオ,マット・デイモン,ジャック・ニコルソンなど錚々たる俳優陣だったが、やはりアメリカ的な露悪さ、警官、ヤクザともに下品で、言葉も汚く、アカデミー賞を受けたことが不思議だった。話の設定の面白さ、運命の悲哀は判っても、現在も東洋文化の底にある思想はアメリカでは理解できないのかもしれないと感じた。


さて肝心の日本版『ダブルフェイス「偽装警察編」』、面白かった。先の「潜入捜査編」はそのうち探して見よう。

「潜入捜査編」のダイジェスト版があったので、「インファナル・アフェア」にとても忠実に作られているとわかった。

モールス信号で麻薬取引場所を内通する、オープンすぐの緊張する見せ場も、劇場内で情報交換する名場面も落とさずに見せてくれていた。

そして「偽装警察編」では、長い潜入生活で、自分の生きる場所(スタンス)が曖昧になりはじめ、少し精神を病んできているヤクザ(西島秀俊)、警察に潜入して、順調に昇進している警官(香川照之)、ただ一人、潜入を知っている警視の死で、身分を回復をする機会が見失われそうな、生きる目的の瀬戸際に追い詰められたヤクザ。今回は、ヤクザ組織に潜入した警官(西島秀俊)にスポットを当て、闇の中から這い出そうとする姿を描く。
警官(香川照之)の強い精神力を前にして、多少人間的な弱さを見せるヤクザの、対象的な二人の姿が、緊張感のある、実にいいドラマになっていた。最後のシーンは、尾を引く。

私にしては珍しくよく覚えていて、精神科医のキャラクターの違いも気づいたが、ヤクザとの絡み方は少し違ってあくがなくあっさりしていただけに、和久井映見、蒼井優、らのさわやかさもよかった。また


西島秀俊の作品は「あすなろ白書、あの時は死んでしまったけれど(笑)「DOLLS」「大奥」など随分沢山ドラマや映画を見た。ミニシアター系もよかった。最近の「ストローベリーナイト」で幾分痩せて線が細い気がしたが、今回の「ダブルフェイス」では筋肉質のヤクザッポイ体形で、熱演だった。

香川照之についてはもう名優の域に入るので、言葉がないが、今公演中の歌舞伎に行くのかと思ったら、まだ映画にも出るようでこれからも厚みのあるいい作品が見られることだろう。
もし三部が作られるなら今度はヤクザの身分で警官に成りすましている自分との戦い、善と悪の狭間で悩む難しい役になる。

香港版では三部作だったが、この後の日本版は出来るのだろうか。
警官役はアンディ・ラウで、個人的にはなんだか少し違和感があったが(トニー・レオンのファンなので)それでも印象に残るような壮絶な演技だった。

日本版にも期待したい。

久しぶりに骨太のいいドラマを見た。内容を知らないのでオンタイムでなく録画で見たのはなんだか気が付けばしまった、チェって感じだけど(^^)




過去に書いていた映画の感想を後日編集したものです。
「インファナル・アフエア」
http://www.sora-m.jp/mteiga/cat23/




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TVドラマ 「テロリストのパラソル」 原作 藤原伊織

2012-08-29 | 映画

毎日休日だが、録画予約しておいた「テロリストのパラソル」を見た。

藤原伊織さんは若くして突然に亡くなったが、この作品は江戸川乱歩賞と直木賞を同時受賞をして話題になった。

私はこの作品も好きだが、「シリウスの道」「ひまわりの祝祭」「手のひらの闇」などに夢中になった。もう次が読めないのが残念。

特に「シリウスの道」は広告業界の内部が興味深く、ドラマにもなったので頼んで録画してもらっていたのだが、期待していた緊迫した山場のシーンはカットされていて薄味だった。

今回のドラマは1996年ていた放送されたそうだが16年もたったのに、時代の流れもあまり影響がなくとてもよくできていた。

原作はほとんど忘れていたが、最初の新宿中央広場の爆弾事件から始まる部分は非常に面白く、読んだころの記憶と重なるドラマティックな出だしだった。

学生運動の同士で友人だった三人のその後。二人は警察に追われ、逃げ続けて20年後に再会する。

生活の陰に隠れて、薄暗いスナックで生きている男が、爆発事件で存在があらわになる。しばらく同棲したことのあるかっての同士だった女性がこの日に爆発で死に、友人だった男の名前も挙がる。

あまりの偶然に、20年の間知ることもなかった二人の過去を調べ始める。

スナックにかくれて生きているアル中の男が萩原健一、かって同士だった男に根津甚八、恋人だった女性が高橋恵子、そのほか西岡徳馬、大杉漣 など。若い木村佳乃も。

あまりべたべたしない演出や脚本もよかった。監督の気持ちが入りすぎて、見ているほうが押されそうな意欲作もたまにはいいが疲れる。
内容は重いが、それぞれの生き方が物悲しい、いい作品だった。

藤原さんの作品ジャンルは「ハードボイルド」らしい。

なんだか過ぎた時代を感じさせる作品で、懐かしかった。

コメント (2)
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韓国映画 「牛の鈴音」

2011-01-07 | 映画
監督 イ・チュンニョル 出演 チェ・ウォンギュン イ・サムスン

ドキュメンタリー映画。2009年公開。

* * *

89歳の76歳の夫婦が牛を飼っている。この牛は平均15年の寿命というのにもう40年も生きている。
耕作用の牛で、荷車をひき、田を耕し、今まで夫婦が8人の子供を育て独立させる手助けをしてきた。
だがもう年で、診察に来た獣医にあと一年くらいだ言われる。
口やかましいおばあさんは、牛の草が汚染されると農薬を使わないおじいさんに、追いかけるように感高い声で小言とを言い続けている。「そんな牛は売って若い牛にしよう」「農薬を撒かないから草がはびこる私はこれでずっと苦労してきた」
と、草を引きながらも小言が尽きることがない。
おじいさんは決心して牛の市に行って売ろうとするが、誰も買い手がつかない。牛が引く荷車に乗って、首につけた鈴の音を聞きながら、夕日が落ちていく夕暮れの道を帰ってくる。
牛はとうとう動かなくなってしまう。おじいさんとおばあさんはじっとうずくまったままで別れの時を迎える。
牛は雪の降る日、山すそに埋めこんもりと土を盛って墓にした。おじいさんは牛の鈴を両手に持ってうずくまっている。

* * *

子供の頃こんな風景は身近にあった。
春に梅が咲いた道を牛が引いたおじいさんの荷車が帰ってくる。
薄紫の三つ葉つつじの花がうす雲のように見える山すそで、鋤を引いている牛とおじいさん。畑ではいざった形で後ろ向きに畝を作るおじいさん。そのそばで寝そべって草をかんでいる牛。
足の悪いおじいさんは体を支えるのに両手に杖を突いている。杖を横において、這うようにして牛の草を刈り、大きな束をしょいこに乗せて運んでくる。夕方になると小枝を集めた薪を乗せてくる。
広々とした畑の中を遠くから荷車を引いた牛が、ゆっくりよろよろと、一歩ずつ踏ん張って近づいてくる。
おじいさんの古いトランジスターラジオが歌ったり話したりしている。

稲刈りは二人ではもう無理だとおじいさんは言う、そこに息子が手配したバインダーがきた。
できたお米を一袋ずつ分けて「子供の数だけあるかね」とおばあさんが言っている。

昔、三ちゃん農業といった、兼業農家とも言うが、近くの畑などは高齢の夫婦がえんどう豆の垣を作ったり、枝豆を植えたりしている。
近くにいる子供は日曜日に手伝いに来たり来なかったり、でも子供たちが食べる米だけは作ると言っている。

私が子供の頃は、家の横に牛小屋も馬小屋もあった。鶏舎に卵を取りに行ったこともある。
田の草取りも泥まみれで子供まで手伝っていた。
今は機械化されてしまったが、この映画のような暮らしがまだ目に残っている。
足の不自由なおじいさんが自分の年に照らし合わせ、苦労をともにした牛との絆が切れないでいる。
静かに流れていく一日一日の暮らしが、この映画のように淡々と進んでいると、形は違っても、こういった人生のあり方に、しみじみと心が静まっていく。

年末年始の特別番組が騒がしい、くだらないことで騒いでも、一日は埋まる。
楽しいこと、便利なことを求めて日々暮らしていくのが豊かなことのようには思える。

でもこの映画のように貧しく、手を汚して暮らす生き方を頑固に守り続けている、何もない変化のない日常こそ平安と言うものではないかと感じる。

韓国のこんな映画はとても身近に感じる、胸が一杯になって泣けた。



この映画に写っているおじいさんとおばあさんは今も変わりなく暮らしているそうだ。


映 Vol.1

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我流 映画の楽しみ

2008-01-21 | 映画
昨夜、BS11を何気なくつけたら、シネマ堂という番組であの髭の監督さんと
女優さんが来週の番組の話をしていた。
「インファナル・アフエア」三部作と「モーターサイクルダイアリーズ」を放映する
という。又見ないといけない。
「インファナル・アフエア」はリメイクされた「ディパーテッド」を見たが、
アカデミー賞の候補になっていて驚いた。
あの香港映画がこんな風に理解されていたのか。やはりハリウッド映画は
ストーリーとアクション映画なのだと実感した。
そこで来週にはまたオリジナルを見ないといけない。
というようなことを昨夜書いたのに、BackSpaceキーを押した途端にみんな
消えてしまった
このこの~~指が悪いのだとおもいつつ寝てしまった

そこでまた懲りずに書いている
今日は時々小雨の降る曇り空で特に用事もない
絶好の映画曜日なのに、近くの映画館を検索しても見たい映画がない
あの、スゥイニー・トッドは面白いだろうか。歌うジヨニー・デップは
見たいような、見たくないような。
「ムーランルージュ」のマクレガーも歌っていた。非常にいい声で驚い
たが、私はジェダイの騎士はあんなつまらない恋愛映画では歌ってほし
くなかった。ミュージカルが好きな人はいいのだろうが、映画ではスト
ーリーが間延びしたようで好きではない。
話はトントンとテンポよく進むか、じっくりと話しかけてほしい。

「モータ-サイクルダイアリーズ」は一度見ただけなので、又機会が訪れ
たことが嬉しい
最近の新聞でチェ・ゲバラの記事を見た
晩年はどうであっても、彼の精神的な基礎が出来たことが分かるこの映画には
又感動するだろう
たとえ少々のフィクションと、若者らしい衒いが含まれた日記が元だとしても、
この映画は作るだけの価値があったと思える。
コメント (4)
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映画好き?

2006-02-03 | 映画

最近は見なかった時間の空白を埋めるためにいろいろな映画を見るが、どんなに評価が高くても好き嫌いはあるし、自分なりの見方がある。
だから、いろいろな映画評が参考にはなるけど、いつまでも心に残っているのはその中の誰も語らなかったちょっと違う部分であって当然かな、と思っている。
旅に出た時のように。離れれば離れるほど、ちょっとした出来事が忘れられなかったりする。
そして自分勝手に感激して人に話す。どうも話したがりやの上に、暫くはその映画から離れられないので話してしまう。
映画が趣味でない人には迷惑この上ないだろうと思うけど、もしその人も同じように興味を持っていてくれたらなぁという一縷の(?)望みがある。
ほんと迷惑だろうと後になって思う。でもつい話してしまって後悔する。
同じ見方で同じように感じている人は滅多にいないことにとっくに気づいているのに。そうそうそうなのよ、と誰かに言って聞いて欲しい、あの俳優、あのシーン笑えたよねとかいって一緒に手を叩きたい。でも殆ど一人芝居で自分でも滑稽になってしまう。
こういう風にしゃべっているとたまに映画好き、マニアだという人に会う。映画になった背景の故事来歴、俳優の歴史、裏話、監督の傾向、受賞暦、もう生き字引のように詳しい。あ~こんな風に分析して鑑賞すれば、映画は深まるのか。面白くてびっくりしてその上感動する。いい映画を観た感激も一段と深いのだろう。これはマニアでなくて立派な評論家というのかな、などと思う。
感じるところも豊かで申し分なく似ていて、近くにいれば時間があると電話でもして、落ち込んでるけど何がいい?と気分に合わせた映画を選んでくれるだろう。
色で言うとバラ色っていうのない?とか。ちょっとした空想が広がってしまう。
でもそんな便利な人はもういないし勘に頼って選ぶしかない。
人は複雑だしそれぞれだし勝手気ままだし自分の趣味は自分のもので、映画だって一度見てしまえばどう感じたかはその人のものでとやかく言う謂れはない。
人の勧めで読んだ本が絶賛されたほど面白いとは限らないし、見た夢を語られてもどうも身が入らないことが多い。そんなもので、強引に勧めても参考にはなっても役に立たないこともあるし。
多数決が通るのは政治の世界などで、個人の趣味にはあまり適当な手段ではない。
だから何を言っても許されるし、何を見てもいいはずだけど、それが外れだったらいやだな~と思うし、やはり見た人の意見も聞いてみようかなということになる。
一度見てしまえば話すことも出来るけど見ない前には何の意見もない。好きにすればといわれると少し寂しい。といって一緒に行った人が詰まらなさそうにしていると責任を感じて俯いてしまう。
最近はいろいろな話を覚えていて選んで来る(レンタル屋さんで)勝手に決めるのもある。好きなことは聞いたら案外忘れない。
暖かい部屋で自由に楽しむことが出来る本当に恵まれた時代だ。昔映画が滅多に見られないときは何でも面白かった。本が少ない時は文字を読むことだけで楽しかった。今は選ぶことが出来る。コレはしまった、と考えもしないで決め付けたりする。ハテナともう一度見直すこともある。何でも人のせいにするがこちらの見方が浅いことも多いと気づくこともある。
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映画の時間ですよ

2006-01-23 | 映画

空白の長い時間の間には思い出したように話題の映画がはさまれていたが、殆どは紹介を読んだだけで見ることの出来なかった、心残りなものが山のように溜まっていった。
以前はテレビ局が流す映画をその時間に合わせて見なくてはいけなかった。当時の生活の中では楽しみは与えられるもので見たいものを見たい時に見ることは出来ないものだと思っていた。
時間を自分のものにするために、20数年前にビデオデッキを買った。いつか見ることが出来るだろう。コマーシャルも吹き替えも我慢して撮っては、どんどん増えるビデオを眺めて楽しみに待っていた。ところが、今度はDVDというものが出来た。早速レコーダーも買った。レンタルというものが出来た。店に入ってまさに狂喜乱舞、は大袈裟でも顔が笑み崩れるような思いがした。今崩れかけていると言われたらそのせいかもしれないが。映画館も近くに出来た。シネマ館の中ではたくさんの入り口がサァどうぞと待っていてくれる。ますます崩れてきている。

私の映画の時間が来た
夜になってゆっくり心置きなく見始める。テレビドラマも好きだが、まだ発展途上にある映像やお手軽なお話にはちょっと不満があるし、毎週続けてみる忍耐力もなくなった。その事もまた次に考えるとして。映画を見る。
前に映画の現実逃避について考えたのだが、そんなに逃げたいものもなくなったと楽観している今は、手軽な娯楽の中で一日を終えることが出来るのが無性に嬉しい。
逃げたいものがなくなることはない、ただ逃げても解決しない事柄をうまくかわす術を見につけてきているのかもしれない。その手段に映画を使わなくなったのは、映画の楽しみ方が違ってきたということらしい。
コメント (2)
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