空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

左胸のポケット

2019-07-27 | 日常の中の発見

 

 

 

ジーンズは少し暑くなってきたけれど、接触冷感という生地を見つけたので今年の夏もこれでいけそうだ。

上着のシャツも去年の気に入ったシャツ(ブラウスかも)を出して着ている。

改めて小さいポケットの使い方が分かった。

一日目は歯科医院にいくので診察券を入れた。

二日目は 買い物に行き駐車券を入れた。

 

なかなか出てこないこともあるのでこんな便利な使い方があるのを見つけて、ただの飾りじゃなかった小さいポケットを褒めた。

この程度の物ならもしなくしてもいいかな。ちょっとした使い道だけれどずいぶん得した気分で嬉しかったぞ。

 

 

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「江戸川乱歩名作選」 江戸川乱歩 新潮文庫

2019-07-20 | 読書

 

 

 

全集も何度も刊行されているし今親しんでいる和製ミステリの生みの親育ての親で、これが読めるのは嬉しかった。横溝正史や高木彬光などを見つけ出した大乱歩の探偵小説。ミステリといわないところが重みを感じます。
目次は「石榴」「押絵と旅する男」「目羅博士」「人でなしの恋」「白昼夢」「踊る一寸法師」「陰獣」です。
どれも何度も取り上げられていたのをずいぶん前に読んだので、ストーリーはきちんと覚えてはいないのですが、肝心の解決部分の方を覚えていたのが多かった、残念。

それで謎解きというより改めて背景になっている幻想的な表現を読むと、当時の珍しい風俗などくっきり鮮やかな手並みで書いてあるのが改めて印象的でした。ジャンルとしては推理小説ですが、多少エロティックだったりグロい所もあって、短編でもずいぶんひねりが効いて面白かった。

最後に載っているのが長編の「陰獣」 これは初めて読んだのですが「陰獣」は今では年のせいか恐怖感にも慣れてしまっていて、書き出しから興味深かった。
私は思うことがある。 探偵小説家というものは二種類あって、一つの方は犯罪者型とでもいうか、に犯罪ばかりに興味を持ち、たとえ推理的な探偵小説を書くにしても、犯罪の残虐な心理を思うさま書かないでは満足しないような作家であるし、もう一つの方は探偵型とでもいうか、ごく健全で、理知的な探偵の径路のみ興味を持ち、犯罪者の心理などには一向頓着しない作家であると。
「陰獣」にはこの二つのタイプの探偵作家が出てくる。
殺人事件が起き、それの回顧録をノートに残しているのはもちろん理知的な後者で、自分は全くのおひとよしの善人だと言っている、確かにその通りなので事件に巻き込まれる。

 事件当時世間に受けているのは犯罪を煽情的にこれでもかと書く大江春泥などで前者だった。

 私(善人という作家)は博物館でそっと隣に立った女性に一目でひかれた。言葉を交わしてみると彼女は私の小説のファンだと言って、ときどき手紙が来るようになった。その女性・静子は実業家小山田氏の妻だった。
相談があるという手紙で出かけてみると、彼女は身の上話をした。 女学生時代の大恋愛の相手だった平田という男がいまだにつき纏ってくるので恐ろしい。いつもどこかで平田の気配がする。耳を澄ますと天井から時計の音がする。 平田の筆跡で手紙が来る、その手紙を見ると、平田は今では売れっ子の大江春泥だと書いてあった。 あの血みどろで悪趣味な小説を書き、そこが世間に受けている春泥だから何をされるか、と怯えていた。

たびたびあっているうちに静子と深い恋愛関係に堕ちてしまった。借りた土蔵の二階を静子の趣味でしつらえ遊戯と称して関係を持つようになる。 二人が夢中になって遊び耽っている間に、静子の夫の死体が隅田川に流れ着き乗り合い汽船のトイレで発見された。

 恨んでやる殺してやると手紙に書いてきた春泥が実行したのか。 しかし彼は人嫌いで世間に顔を見せるのを極端に嫌い転居を繰り返していたが、事件の後ふっつりと後を絶ってしまった。

さぁ、静子は?春泥は?犯人は?私の日記は克明に経緯を記してあったがその後春泥は見つからず、脅迫の手紙も来なくなった。

 事件の様相は二転三転、最初に書いたように、善良な作家である私は、腑に落ちない時間の矛盾に気が付く。
 

 残りの6篇も、オチが鮮やかなもの、もの悲しい結末をにおわせるもの。思いもよらない真実が隠されていたもの。酔っ払いの悪い冗談で辱められた男の胸のすく復讐譚など。やはり面白かった。 再読して乱歩の世界に浸ることができた。

 

 

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「ハロー、アメリカ」 J・G/バラード 南山宏訳 創元SF文庫

2019-07-17 | 日日是好日

 

 

物語の中の崩壊したアメリカは地球の将来の姿と二重写しになる。バラードの世界は未来に対する預言のようだ。そこにやってきた密航者のウェインと探検隊のスリリングな活躍で再生なるか。
旧式エンジンを積んでプリマスを出た船、アポロ号は七週間かけてニューヨーク、マンハッタン沖に着いた。初めて見る夢の国は黄金色に輝いていた。だがそれはうずたかく積もって街を覆いつくす砂の色だった。一面のブロンズの荒野だった。
太陽にガラスをきらめかせたビルの頭が裾は過去の亡霊のように砂にうずもれ、突き出した先が午後の太陽に虚ろな輝きを跳ね返していた。 「あれは自由の女神じゃないか!!」という叫びもなんのその、海に横たわった女神にアポロ号の竜骨が傷つけられ船は沈みかけたままニューヨーク港にたどり着いた。 湧きかえる船上では、船長は一言脅しかけたがウェインの密航などもうとがめられることもなかった。
船長、機関士、探検隊、科学者と乗組員の希望の国であった夢を全て埋め尽くした砂漠は、今や遠く地の果てまで西部劇の舞台に変えてしまっていた。彼らは狂ったように躍り上がって降り立った。タカラが埋まっているかもしれない。 だがマンハッタン、タイムズ・スクエア、ブロードウェイ、五番街。すべてが見る影もなく静まり返りビルの間から巨大なサボテンが林立していた。 ウェインはとぼとぼとあるいた。
過去のアメリカは世界をリードする国だった。夢の国エルドラド、一世紀が過ぎた今は繁栄の痕跡だけが残ったが。
無尽蔵に見えた資源は徐々に枯渇した。ヨーロッパの官僚主義、社会主義政体だけがかろうじて生き延びた。その国々へヨーロッパへ、移住を決めた人々は東海岸から船に乗り国を捨てて出て行った。
44代、最後の大統領さえも禅寺に逃げ込んだということだった。 最後の一仕事、埋蔵された核燃料は最後の時には爆破して廃棄されたことになっていた。その結果地域的な災害は重なり核被害も広がった。
アジア・ヨーロッパで増大した人口を養うために世界政府は気候コントロールに迫られた、ベーリング海の浅海にダムを築き暖かい水を北極海に流し込み、冷たい水を太平洋に流した。凍土だった北の土地は石炭採掘と耕作が可能になった。一方アメリカは熱帯の海水が押し寄せついにすべてを飲み込み沿岸から砂漠化が始まったのだ。
船長の指示でワシントンまで南下を始める。馬やラバに乗り、砂にうずもれていた使える物資を何とか利用していく。平常なら命を維持することが第一だったが、ブティックには豪奢な服が宝石や化粧品があり、酒やたばこまで見つかった。当時の高級車も貯水タンクの水も、使えるものは掘り出すのだ。 ウェインは命綱の輸送を任され、水や食料を運びついに号令指揮者として一団を率いていく。 船長は割れた船を見捨てた。一行はワシントンからマイアミに向かう計画だった。
ワシントンに着いたがそこも同じく砂漠だった。サソリやトカゲ、空に舞う猛禽類を恐れながらたどり着いた。残った建物に入ってみると二重ガラスで防備された無人のホワイトハウスは居心地がよかった。 そこここに生き残った浮浪者のコロニーがあった。彼らは独自の生き方で命をつないでいた。
スピーカーから声がした。ニューヨークに残った天才機関長はアポロ号の竜骨を修理しその上一基のエレベータ―を修理したという。しかしそこは危ない、残存の核燃料の爆発が続いて放射能は警戒レベルを超えている。
さぁ多少物資に恵まれたここからは、補給して腰を上げて西へ進まなくてはならない。ロッキーを超えて。 サボテンの林には小動物がすんでいた。夢や幻を食って生き延びてきた人々もいた、彼らの人間離れした姿は過去の生活など思いもよらないほど命の危険も増している。 彼らの名前がわけありで面白い。 インターステイトに沿って歩く。西へ西へ今や西部開拓使のように。
山脈に着いたが気候もまるで変わった、山頂に上りきると反対側に雲が見えた下は雨らしい、雨があれば樹木が茂る。生き返った一行は、キリンや猛獣のいる麓のジャングルに着いた。ラスベガス、そこは過去の不夜城のように煌々とネオンが輝き、思いもかけず人が住んでいた。
途中で出会った一団は勝手にエグゼクティブ族と名付けた味のある人達で彼らのそれぞれの名前と活躍も読みどころ。
そこは要塞だった、生き残った小さな国だった。45代と名乗るマンソン大統領がメキシコ移民の少年少女を訓練して兵士として育てていた。 電気設備も、進化した光学機器も通信設備も、最強の攻撃態勢も完備していた。 一行は歓迎され保護されたウェインはお気に入りになった。
一方科学者たちはビジョンを失い、船長は砂丘に消えた、荒野をよみがえらすこと、憧れの夢の国を再建することウェインは大きな幻想に憑りつかれる。
我らの機関長マクネア(気にいったので副主人公にしてしまった^^)が空から現れる、なんと足踏式のグライダー。 薄い箔で作られたゴッサマー・アルバトロスを強靭な脚力で回してきた。スミソニアン博物館から、解体して持ち出し、翼を伸ばして組み立てなおしたという 天才!!面白い! これがウェインにも役立つ。
出会ったフレミング博士はロボット工学が専門で歴代大統領にそっくりなロボットを作って動かしていた。彼はマンソンと袂を分かったのはマンソンは極度の潔癖症で狂人だという、海外から持ち込まれる細菌を恐れて侵入者と闘い続けているという。
作戦室はどこだろうウェインにもわからなかったが、襲ってくる偵察機をマンソンの少年少女が銃を空に向けて撃ち続けている 先進の破壊兵器、ついにガンシップが飛び出してくる。 作戦室で二機のガンシップを操作するコンソールの前に大統領を見つけた。 カメラ画像には6基の巡航ミサイルと一基のタイタンが発射傾斜版に乗っているのが映っている。マンソンの指はルーレットの待機ボタンの上に載っていた。 緊迫の一瞬。 ウェインは進み出てボタンを押す。砂漠の無人都市を狙って。
こうなるお約束だとしても、海外からの偵察隊の波状攻撃と、迎え撃つマンソンの狂気がぶつかる、そう来なくちゃというところ。おもしろかった。
海流の変化でカリフォルニア、ネバダの州境を過ぎるとロングビーチはよみがえっていた。荒れ地は花に覆われ大デルタから太平洋を見た。
面白いはずでバラード原作の映画がたくさん見つかった。原作ももっと読んでみたいけれど、まだ先は長いとメモをした、めもだらけ。
この世界は物語になって過ぎてしまい、今アメリカは45代大統領の下で元気すぎるほど。いまも資源は問題はありつつも供給できている、 理解できないくらい分科した化学式で作られる石油製品は生活を便利にしたが、やっと海の保護のもとに将来について話し合いが始まったばかり。
追 面白かったので書いておこう、こう来たかさすが人気のSF。
ゴーグルと運転用ケープ姿のハインツは、クライスラーの大型ハンドルにかがみこんでアクセルを踏みっぱなしにし、となりの給炭席に座ったマクネアがスコップですくった石炭を火室の白熱しきった入り口から投げ込むときだけやっとゆるめるのだった。
ウェインは肩越しに後続車を振り返ってみた。GMの運転するビュイックがうしろについて巨大な車輪で砂塵を蹴散らし、二条の蒸気の噴流をまるで怒り狂った鎌髯みたいに、ハイウェイの左右に散らしていく。GMはハンドルに乗り出し気味に座り、そばの機関席では逞しい腕をした若妻が、ゴーグルをかけて眠っている幼い息子を胸に抱えたまま石炭をシャベルですくっていた。ペプソデントの強力なフォード・ギャラクシーはしんがりで水槽車とその屋根に解体されてしっかり括りつけられたグライダーを引っ張っている。放浪民たちの自動車に対する惚れこみようは驚くばかりだが、考えてみれば、彼らこそ真のアメリカ人なのだ
ミシガン湖畔のフォードはなくなったとはいえ砂漠から掘り出した高級車に狂喜乱舞の放浪民と石炭しか使えなくなってそれでも走らす勢いがいい。アポロ号も蒸気船だし。 名前のある浮浪民は最後まで活躍する面白い仲間だった。 海流の変化で太平洋岸は気温が下がって日本も凍り付いたんだって、あら。

 

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「変身」 フランツ・カフカ 新潮文庫

2019-07-12 | 読書

ある朝、グレーゴル・ザムザが何か気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に代わっているのを発見した。
これが世に知られた書き出しの一節で、もう読み始めから前触れもなしに虫に「変身」してしまう。

 初めて読んだときは、「これはなんだ、なんという話だ」と思った。まぁ中学生としては、このくらいでびっくり、最後まで読んで、養って貰っていた家族もこうなると冷たいもんだ、虫になった息子もこれが現状だとしたらどうしようもないもんね。うんうん。と話を飲み込んでしまった。

それからあちらこちらで目にする、カフカといえば「変身」

 数で言えば中学生の頃に一番多く本を読んだ、読む時間もあってスピードも速かった、気が付くと机の上は薄暗くなっていて視力検査で近視になり眼鏡を作ってもらった。 ところが今考えると理解力はそれなりで、気に入った個所だけそれもワクワクドキドキ、幾分刺激的で成長過程のオトメゴコロ(ニヤ)にグッときた所しか覚えていない。

まして多くの解説や、研究者の頭をうならせ、悩ませてきたこの作品が虫以外のどこが記憶に残っただろう。

 虫、特に昆虫は美しいと思っていたが、読めばザムザは多足類らしい、ムカデのようなものに思える。頭は確かにもたげてぐるぐると見回すことができる。胴体は平たく長く幅はリンゴよりも広い。かなり大型だが寝椅子の下に長々と隠れてしまうことができる。 沢山ある足を動かすのに少し練習してみている。 事もあろうにムカデ型でまっすぐに伸びた「オーム@ナウシカ」または「げじげじ」。 近いのは「ムカデ」かな

 ところが奥泉さんの「虫樹音楽集」にはザムザに憑かれた人々が出てくる。日本人では音楽家で「いもなべ」。全裸で書き割りの窓から外を見ながら「孵化」という曲を吹く。ザムザは芋虫だとしてイモナベ、だとしたら変態を繰り返す昆虫の幼虫時代の姿といえるかもしれない。 ザムザは芋虫に変身したと読んだこともある。

 今回じっくり読んでみて知ったのです!
 短い脚が体の両脇に並んで、粘液を利用して壁や床を這いまわることができるのです。頭は持ち上げて動かせるのであたりを見ることもできます。考えることも状況を理解することもできるのです、でも話すことは、聞き手の努力があれば少しは伝わったようなのですが(変身初期は)語尾の発音からすべてに妙な音が混じりついに叫び声以外の話は放棄するのです。 そして意思の疎通もとれなくなります。

 一家を支えてきた自負も消え家族が次第に貧乏の垢をため始め家が汚れてきます。広い家を間貸しをします。ザムザを居間のとなりの部屋に不要な家具と一緒に閉じ込めて誰にも見せません。

ザムザは居間との境に身を寄せ家族の話を聞くのがささやかな楽しみになります。

それまでザムザに寄りかかっていた両親も働き始めます。世話をしてくれた妹も疲れ果てて、ザムザを厭い始めます。
ザムザは家族に対する優しさが薄れることはなかったようですが、家族から捨てられたような形で、投げつけられたリンゴを背中にめり込ませたままそれが腐り始めてきます。

 こんな作品をカフカはなぜ書いたのでしょう。「城」や「審判」のような社会的な作品もよく分かったとは言えない程度に読んでみましたが、ここにはわずかな家庭の中の情景はありますが、不自由な殻に閉じ込められた自己の心理、絶望感、自己憐憫については書かれていません。ザムザは現状を受け入れ、ただ家族に以前のように溶け込みたいと願い、一時は夢なら醒めるといった儚い望みを持ってみたり、それが叶わないと知りつつ食べ物をえり好みしてみたりたまにはにちょっとした抵抗をするのです。

 家族はもうザムザを見捨て新たな世界に踏み出していきます。

カフカがこの作品をを恐ろしい夢といったこともあるようですが、思いがけず深い孤独な世界に陥ってしまい、まして醜い虫に変身までしたザムザは彼の心理と生活の凝縮した形のようにも思えます。彼は41歳の時咽頭結核で亡くなっています。

 変身まではしないまでも、こういった社会から孤絶した生活は今問題になっている、介護される老人問題や家庭の人たち、人と交われない人々の心の一部を映し出しているようでした。
こんな時代になるとはカフカも思わなかったでしょう。今通じるということは常に変わらない人の心の一面に共感を覚えるところだと思います。

 

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