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「死者の書・身毒丸」 折口信夫 中公新書

2017-12-10 | 読書



中学生の時、初めて新書を買った。叔父にもらった小遣いで「ゼロの発見」と「壬申の乱」を買ったのだが残念なことに今はどちらも手元にない、「壬申の乱」には最初に琵琶湖の図があって、そこに戦いの際に移動した行軍などの道筋が線で書いてあったような記憶がある。何しろ、中河内で育ち大和川付近を掘っていると須恵器の欠片が出てくるなどと学校で話が出るほど古い土地柄だったので、関心があったのかもしれない。古代の歴史など知識がなくても、身近な地名が出てくるだけでも面白かったような記憶がある。
この本は河内の「説教節」が面白そうだと思って「身毒丸」を読みたいと買ってみたら「死者の書」が付いていた、もちろん「死者の書」がメインで、読みかけたのだが、最初から蘇りの話でこれは腰を据えて読むべしと伏せたとたんに腰が据わりすぎて本棚の隅で眠っていた。
東寺に久しぶりに行ってみたり、和歌の浦に行ったついでに寄った「万葉館」が面白かったりして、先祖返りというか古代帰りというか、なかでも歴史が絡んだ曼荼羅って面白いと思い、ついでにこの本を思い出した。読書は妙なつながりで本を選び読み始めるものだ。
読む姿勢になっていたからか、夢か現かという部分がとても面白かったが、かじりかけの知識で読むためか、調べ調べで進まず、初めて本に書き込みをした。

「死者の書」は計り知れない量の古代研究の成果が詰まっているのだろう。中将姫の物語を下敷きにしたにしても、当時の渡来人がもたらした仏教や中国に渡った僧が持ち帰った経典の教えが時代に受け入れられ、信仰を集め、密教文化が花開き、由来の寺社が建造され、仏像が作られて安置されていく。八百万の神々を信仰する大和人に神仏が形のあるものとして見えたこともインパクトがある。山越しの阿弥陀像の話は春分、秋分の中日に二上山の男嶽と女嶽の間に沈む太陽が荘厳で神秘的な阿弥陀像を浮かび上がらせるようす、当時の信仰の一端になった様が、神秘的で奇跡とも感じられる幻想的な物語に組み込まれていく。

冒頭の大津皇子の目覚めは、どういうことに発展していくのかとストーリーの不思議な展開に興味がわいた。「した した した」と岩窟の上から滴り落ちる水音が印象的。徐々に目覚める意識とともに、記憶も蘇ってくる。死者でありながら生きていた記憶の、このところが生々しく描写される、朽ち破れた衣や錆びた太刀、崩れた肉体を意識する部分が幻想的ながらタブーを覗くような不快感もある。「こう こう こう」という魂寄せの声に応じて墓からつぶやきが漏れてくる「をゝう…」。彼は死の間際で見た耳面刀自のおもかげを思い詰めていたことに気がつく。
人間の執心と言ふものは、怖いものとはお思ひなされぬかえ。
と姥が語る。

一方、100年後、横佩と呼ばれる藤原南家の長女、藤原の郎女は、一度見た二上山に沈む夕日。その残照が映える雲の上に現れた、黄金の髪に縁どられ、右肩を露わにし、片手をあげた仏の姿に憧れて当麻の里にたどり着く。
経文千部の写経をすまし、結願成就の後、結界を破って寺に住み着き、父の許しと、固い決心で世の習いになれていく。無垢の世間知らずの郎女が、小さな窓と御簾奥にいることに飽き足らず、外に出て、仕える女たちと蓮糸をとり、衣を織る。このあたり貴族で育ちの良い郎女と庶民のギャップが面白い。
郎女は憧れの俤を思い続け、肩にかける衣を織る。その上に絵を描く。それを見守る人々の前にみるみる曼荼羅の姿に変わる。
郎女はそれをもって姿を消す。

この物語の中に、媼の語る歌や、大津皇子が郎女を訪れる妖しい気配や墳墓の様子。都で力をつけていく仲麻呂、ちょっと自由人めいた大伴家持、当時の塀や庭にまつわる風景などが織り込まれ読む楽しさが味わえた。

雲の上の阿弥陀という自然信仰は山の上だけでなく、海など水の上でも感知され絵図の上にもあらわされているという。
曼荼羅といえば死者を迎える来迎図は平等院になどにも残っている。
當麻寺は牡丹の時の人ごみに驚いて避け、薄雪の積もった時期の冬ボタンを見たり遅れて枯れ始めた紅葉の時を狙って何度も訪れているが、こうして一つの物語を読んでみると、一層身近に感じられてきた。

東寺の空海曼荼羅は素晴らしい。映画もあるそうなので少し「空海」の後を辿ってみるのも面白いかもしれない。


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今年も「花同じならず」

2017-12-05 | 山野草
毎日は同じことの繰り返しにに見えるし、決まった習慣を繰り返すのはさっぱりしていい。
何も変化がないことがいい一日だと言えるかもしれない。




昨日は予報通り午後にはお天気が崩れたが、
今日は快晴で冷え込んだ朝になった。
ウォーキング日和 晴!


家ごと違った花が咲いている。塀よりもずっと背が高くなって、
外にピンクの雪のように花弁が散っていた。



沈丁花の花芽が出ている、厳しい冬を超える準備ができているようだ。




死者の書・身毒丸 (中公文庫)を読み終わろう。あと少しになった。

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。 歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。<Wikipedia>



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