栗には思い入れがある。子供の頃乏しいおやつの中で、珍しくておいしい栗が大好きだった。
果実を植えるのが好きな祖父も栗だけは植えていなかった。山栗の樹がところどころ生えていて、大人たちが暇なときは拾ってきてくれた、小さいシバグリで茹でても皮がむけないくらい小さい実だったが、甘くておいしかった。干してあるものは固く噛めないくらい固かったがどうしてこんなものにするのだろうともらっても嬉しくなかった。
小学校に入学して、祖父母の家から学校に近い所に引っ越したがそこで栗を栽培していること友達になった。
秋になると大きな実がはじけて落ちていて、中で実が健康そうにつやつや光っていた。売り物で「丹波栗」といって、勝手にとっても拾ってもいけないものだった。
その後田舎を離れたが、通りの脇で甘い匂いを振りまく天津甘栗>というものを知った。
小石に交じってかき混ぜられている栗は大粒でおいしそうだった。大人になるまで甘いものは苦手だったが、栗だけは好きだった。なぜかお土産によく栗をもらった、きれいに編んだ籠に笹だか杉の葉だかを敷いて大きな栗の山を持ってきてくれる伯母さんは、いつ帰るのかまだかな、と様子をうかがっていたが、どうも気に入られて好きな栗をお土産にくれることを両親が笑い話にしていた。「気が利かない子だね。お茶ぐらい出しなさい」と言われてそれから気が利かない子なのだと思い込んだ。
気の利かない子で成長して、職場は気を利かさなくてはいけない部署に配属されて苦労をした。気が利かないというのは気が付かないともいうので、気がついた時はもう遅かった。4年たってどうも働きづらいと気がついたのは気が利かないせいだと後年やっと気がついた。
そんなわけで気がつかないから余計な気を回さない、いたって健康的なところもあったらしい、仕事を離れマイペースで生きてきたがあまり敵はいなさそうだ。気づかないだけか。
栗で話が脱線したが、今年もお正月前に習慣で天津甘栗を買った。二袋も?という声は無視。
でも大失敗だった。小粒で固くて振ってもコロコロ音がしない、変に硬くてまずかった。
ほら、袋入りを衝動買いするから、と言われたが、なんの好きこそ執念で時間ををかけている、じっと見ていると子供時代の<大きかったら登って採ってくるのに>という悔しさがしみじみ思い出されて爪の先にも力が入る。
今日で半分ほど減った。
なんでお正月に栗?とふと思った。
あれは縁起を担いて「勝ち栗」が始まりだそうな、戦国の世、干し飯と勝ち栗でも食べながら、私の先祖は重い旗など捧げ持って、藁草履をすり減らして走っていたのかもしれない。
山之内家の下級武士だった先祖の話を聞いたことがある、馬にも乗れず走った頃は苦しかっただろう。それでもこうして生きている子孫を残した。
新年のお墓参りは少し先にしたが、栗饅頭でも持って行こうかな。
栗(くり)の栄養価と効能:旬の果物百科 - FoodsLink.jp
栗っていいものなんだ。今度はよく見て買ってくるのだ。