ゴッホの絵は7点大塚美術館に精巧な陶板画で展示されていた、名作というゴッホの渦巻く絵は、見たい時と見たくない時がある。激しいタッチに現れた生き方そのものも、焦点を当ててそれだけに絞ると、彼だけではないだろうと思う生き方ながら、惹かれながらも恐ろしくもある。
マハさんはそこのところを独特のミステリ(ともいいきれないけれど)にまぶして小説に仕上げている。
職を変えながら画家の本分に行きつくまでの話は短い。アルルに住んで自分の絵を見つけようとした葛藤の中にゴーギャンがいて、短い交わりでゴッホは彼に執着した。彼の画風にと言えるかも。ゴーギャンは二か月しか一緒に住めなかった。
彼はゴッホの生き方とは違っていた。
彼が去ってゴッホは有名な「耳切り」事件を起こす。ただここアルルでは「ひまわり」のタッチができ上って旺盛に描く。
精神の安定のために入院したが、そこでも今に残る有名な絵を描く。
マハさんは物語として一人の女性を登場させる。フランスでゴッホとゴーギャンの論文を仕上げようとしている冴という女性と彼女の親友、冴の勤めるオークションハウスのオーナー、社員の男性と共にゴッホの足跡を辿らせる。
単にゴッホの生きかた、作品の背景だけに止まらない読ませる技術を駆使して書き上げた作品で、ゴッホのついては弟「テオ」のこと、残っている「たくさんの手紙」のこと、死後売れ始めた作品についてもふれつつ話が進む。
持っている古いリボルバーをオークションに出してほしいと女性が訪ねてくる。
このリボルバーでゴッホは自分で自分を撃ったのか、撃ったのはゴーギャンだったのか、映画のようにふざけた子供の仕業か。
錆の塊のようなリボルバーはどんなふうに彼女に伝わったのか、話は実話なのか、銃は本物なのか、オークションに出せるか ここでリボルバーが主役。このシーンは、ゴッホとリボルバーについて知らなかったので面白かった。
ゴッホにしてもゴーギャンにしても今も美術に関心があれば知らない人はいない。
ただこうした作品を読むことでマハさんの一連のアート作品も併せて楽しむことができる。
ただ、美術書というより書きなれた軽めのエンタメ作品だった。