空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「夜叉ケ池 天守物語」 泉鏡花 岩波書店

2018-11-28 | 読書



戯曲という形式で舞台のきらびやかさは想像に難くない。鏡花の世界に痺れる。


他人のことはほとんど分からない。たいてい人柄を読み間違う。まぁこういう人だろうと想像して付き合っているけれど。

その点物語はいい。登場人物に入れ込んでしまっても遠慮しなくていい。それがいくら浮世離れをしていても、世界が違っても。なんとなく作者もどういう人かおいおい見当が付いてくる。どんな生活をしている人だか知らなくても、肝心で勝手な好きか嫌いかという所が判ってくればいい。
読書というのは本を通した距離がある分付きあうのはさして難しくないし、何を要求されるのでもない。

勝手な前置きをして、さて泉鏡花、三冊目になる。話題に上らせるには相手を選ぶが、好きなものは好きで時々読みたくなる。

「夜叉ケ池」「天守物語」はともに妖怪の世界だけれど、妖怪に至っても人間として生きていた過去がある。
時空の隔たりのある妖怪はそれでも人の世界に住み続けている。
人間だったころの苦しみを終えてからも、やはり妖怪の世界も軽々しく住みやすいものではない。

幻想的な言葉でつづってある、芳香を放つような美文だ。妖怪の世界はこの世にない美しいものにあふれている。
「天守物語」では、秋の花の名前が付いた腰元たちが白鷺城の天守、五重の欄干から五色の釣り糸を垂らして花を釣っている。


桔梗 旦那様の御前に、丁ど活けるのがございませんから、皆でとって差し上げようと存じまして、花を……あの、秋草を釣りますのでございますよ。
薄 が、つきましては、念のために伺いますが、お用いになります。……餌の儀でござんすがね。
撫子 はい、それは白露でございますわ。
葛 千草八千草秋草が、それはそれは、今頃は、露を沢山(たんと)欲しがるのでございますよ。刻限も七つ時、まだ夕露の夜露もないのでございますもの。(隣を視る)御覧なさいまし、女郎花さんは、もう、あんなにお釣りなさいました。

人間世界の悲恋がやがて死をまたぐと人が怪異に化け、世界を異にするのだけれど、「夜叉ケ池」に住む白雪姫も、現世では雨乞いの人身御供にされて池に沈められた過去がある。恋人に会いたくても会えない身の上で、村人を洪水から守っている。人間界の百合と晃という恋人たちも掟に縛られている。

「天守物語」も妖怪が恋する男と死ぬ、鏡花の物語は人と妖怪という時空の隔てはあってもやはり情や掟に縛られている、その先には何があるのか、重いけれど生き抜かねばならない、自由でいて作り物のような妖怪の世界を描いて、他方で人間を描く、生きていくということを求めた彼の書きたい一種の命題が見えるように思われる。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

形成層 導管 師管

2018-11-20 | その外のあれこれ
10時の約束で知り合いが来た。久しぶりだ、どうぞどうぞと言ってお茶を出し、ハーブティーも淹れ、話していたら気がつくとお昼がすぐ。
テーブルの端に積み上げたレシピ本を、二人でめくり始めると、もう話が止まらない。最近嵌り込んだので料理本が12冊ある。偏らない今の体調に合わした献立をつくるのが目的で。

ご主人が胆のうの検査を受けたら先生に肝臓も見たいと言われたそうだ。ちょっと心配らしい。

「ちょっとした不調かもよ。たまには疲れるよ胆嚢だって」

私は胆嚢も肝臓も機嫌のいいときしか知らず、考えたことがなかった。心配ですね。

役には立ちそうもなかったけれどタイミングよく読んでた「美しくなるレシピ」について話したくなった。
「口から飲み込んで管を通って出る、だけなのよ要は。そして吸収やすくしたものを配って、いらないものを持って帰って出す、食べるって言うことは結局これだけの事よね」「口に入れ噛んでのみこんだ先が問題なのかも」
その上役に立てるために消化液を出したり体の仕事は忙しいらしいよね。

お持たせの八つ橋を口に入れ呑みくだす。管関係の生々しさを頭から振り払って、上品なシナモン味の京甘味を。

献立には常識的な組み合わせがあるし、それだけを繰り返すという平凡で安心の家庭料理で済ましてきた。が、にわか研究家になったら、調味料も大きなスーパーにしか無い。レシピのページに沿って買い集め、スパイスやパウダーだけでもずらっと並んだ。
手間いらずの有り難いレシピなのになんとまぁ、ただ口に入れるだけなのに。体に必要なものが必要なところに届くよう調理する、面白いなぁ〜。


散々話して帰るとき
「6階建てのマンションに行ったら玄関ホールの横に屋上まで届く大きな高い木があってね、雨上がりで、根っこからあの高い先まで光ってるのは、並木の中の導管が吸い揚げた水の雫なんだね。さっき話しの中で、人も人なりの導管、師管使って生きてるのね〜 と思ったわ。木に耳を当てるとみんな違った音がするそうだし。生きてるのね」
といって、私が積んでいた本の表紙と参考食材の写真を撮って帰って行った。元気でまた会いましょうね。

今日は、夕食用に大きなお椀ですっぴん茶碗蒸しを作ろう。三つ葉が残っていたな。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散歩してきました

2018-11-14 | 山野草
 
山の麓や田んぼの周りを草花を見ながら散歩してきました。
暖かい秋日和が続いていたのですが少し寒くなってきましたが、花もまだ咲き残っていました。




「ノブドウ」実が一つ残っていました。


ことしも満開の「お茶の花」


「タカサブロウ」と「ホトケノザ」が寄り添って、、、。
ホトケノザの花言葉は「調和」「輝く心」「小さな幸せ」だそうです。


これは!「スイカズラ」が今頃咲いていました。






クリックしてください↓↓↓↓

HNことなみ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プレミアム

2018-11-07 | その外のあれこれ

ボヤァっとしたテレビ生活からまた本に戻ったら、目が疲れた。眼精疲労か。
目薬を買ってきた。
久々に買った目薬は小さいのに1500円!(◎_◎;)

プレミアムだって。
名前負けしてないかい?

スッキリした気もするが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「作家の口福」 朝井リヨウほか 朝日文庫

2018-11-05 | 読書


図書館の読書会に参加するようになって、自分ではあまり手を出さないようなジャンルの課題図書を読むようになった、このお勧めの味なエッセイ、面白かった。


当日司書さんが選んで机の上に出してある課題図書関連本の山を眺めるのも嬉しい。私の読書とは違った世界から湧いてくるようにやってくる。司書さんが差し出してくれる本というごちそうがどれもおいしそうで、部屋に積んでいる山のことなど忘れて、いつも三冊くらいはホクホクで借りてくる。
「これ借りていっていいでしょうか」「はいどうぞどうぞ」というとき司書さんは心底嬉しそうな顔をする。私も本屋さんで買うのとは違ってワクワクが倍増ししている。

この本は料理の世界から図書館に来た。旬の作家20名の食物絡みのエッセイで、表紙の浅井リョウほかというのが目についた。中に北村薫さんの名前もあった。

食べるのも作るのも好きで、子供のころから母と台所にいたからか、家事の中でも調理はあまり苦にならない。だからこういった作家の食べることについてのあれこれが面白かった。
ただ食に限っていても作風の違いに含蓄がある、日常の食をはみ出して自由に楽しんで書いていたり、素材にこだわりがあったり、思い出話だったり、面白かった。
そんな食べ物とのかかわりが文章になっていると、やはり人柄も偲ばれるものだ。いいなぁと共感した話は、短いプロフィールで紹介されているこの方の代表作をすぐ読んでみたくなる。

どこがどうだったか忘れないために書いておこう。

* 沖方丁さん、今は肉食万歳だそうだが、子供のころ暮らしたネパールの風習のせいで肉がしばらく食べられなかったそうだ。エッセイでも端正な文章は独特のSF作品や歴史絡みの作品からのイメージ通りだと感じた。土いじりから野菜の生存競争(生きていく知恵)を実感した話には、今年狭い庭でうまく玉ねぎを作れなかった私は大いに共感した。「え!玉ねぎは苗を土につっこんでおくと勝手に丸くなるのに」と菜園ベテランの友がいった。くっ敵もさるものそうはいくまい。

* 川上弘美さん
この方の作品は大好きなのね。だから、お鍋が苦手というのもいっしょいっしょと喜ぶ。
なんだかまわりの人に気を使いながら、おじやまでのコースを耐えなくてはならない。具の形も崩れてくるとあんた何者?しっかりしろと味どころでなくなる。親睦鍋には水を差せない、なんだか微妙な気持ちも邪魔をする。

そういえば、「今夜何食べようか」と聞くと、」必ず「鍋がいいなあ」と答える男の人とつきあったことがある。
すぐさま、別れた。
たぶん、人として自分には何か欠陥があるのだ。
都会の孤独。
人に心を開けない寒々しさ。
ひずみの多い現代人。

わかるのねぇ、そんなに人が苦手でもないし潔癖症でもないけれど食は自由に楽しみたい。
同じ鍋をつつく間柄というのは気が置けなくて痛みを分かち合える家族だけ、と大きく出てみた。

* 北村薫さんの思い出の話。
北村さんは「クオレ」で読んだ焼きリンゴに感激した、でもそれは後年読み返した岩波になかったそうだ。薄荷菓子の話も懐かしい。
そうだ私も中学にもなって焼きリンゴを食べたことがなかった。一方的に友人にされて連れていかれた家でほかほかの焼きリンゴが出た、珍しくておいしかった。味よりもリンゴの変形具合に驚いた。riリンゴは皮があってもなくてもかわいらしい形が好きだった。クリームもシロップもリンゴ味に溶け込んで違った世界から来たもののように異様に見えた。
昔、紅玉は牛の餌にするという東北の農家で余るほど貰って作ってみた、おいしかった。ふじなどでは紅玉のように酸味がないのでおいしくないと思いつつ、このごろあまり店先で見なくなったので作らなくなった。

* 葉室麟さんは、食べ物の話も時代小説のような落ち着いた香りがした。
「つくしの卵とじ」しばらく前まで近くの里山にたくさん生えていた。下草を刈らなくなって、いつもの場所でもう見かけなくなった。早春の一日は摘んできて袴をとって下茹でをしておく、春の行事だった。卵とじや巻寿司の具にもした。
葉室さんの熟成肉の話も面白かった。ニューヨークで海外産の肉の味に驚いて味に目覚めたのだそうだ。そうか話題の熟成肉。

* 平野啓一郎さんの「昼食は、ほとんど毎日カプレーゼ」
読んですぐ私もそうだそうだと、お昼のカプレーゼのために買い物に行った。お昼一人の献立は残り物がないときは何にしようかなと思う。モッツァレラチーズ、バジルはある。トマトもでっかいのを三つ買ってきて。三日は食べようと思った、あのモチモチジュワットくるチーズ味は,チンしないで食べたことがない。やっぱり、一回でお腹いっぱいになった。平野さん5年も食べているそうな。うちのチーズオタクでも感心しきり。

* 平野洋子さん「ハッシュドポテト」の来歴。
1976年、伊丹十三さん訳の「ポテト・ブック」を読んで作り始めたとか。おいしいですハッシュドポテト。
残念ながら最近糖質にこだわり根菜類を気にしている私。いつも新じゃがなどはを茹でて皮をむき冷凍していたのにもうない。ジャガバタやフライドポテトやコロッケを出すと、ドイツの主食だから夕食は米なしでいいよ、と喜ぶのに。ドイツは主食なのかなと、同じせりふで同じように首を傾げる日本的な私。
「何も入れないすっぴん茶碗蒸し」好き好き。

* 穂村弘さん
カップラーメンの歌

海老らしき物体やはり海老らしいカップ麵には四匹と半 岩間啓二

「半」おーなんか実感。
でも 夕食の後すぐにカップ麺食べると許さん、礼儀に反する息子よ。遠慮してせめて一時間くらい後にしろと私は怒るのだ。

* 堀江敏幸さん
「響きのない鐘を撞く」
山から掘ってきた自然薯をすり鉢でこすっておろす。痒い手をこすりながら私の仕事だった。おいしかった。
ゴリゴリがなくなるまで、響きが聞こえなくなるまで。
やっぱりうちでもだし汁で伸ばして食べるけど。
今日はにしんそばにとろろかけもいいな。

* 万城目学さん
「鰻」好きなのだが、だんだん舌が進化していく様子がなんとも、あるあるです。
たまぁに「極上の物など」頂いたりすると「もういつものものが食べにくくなくなった」と家族が言う。それが柔らかくジューシー且つ皮の柔らかいぽってりしたプルーンなどでも。
食通なんかではなくても、万城目さんの言うローヤルミルクティーであっても。

⋆ 湊かなえさんは淡路島だよりを書いている。
「はも」
夏の柔らかいはもを骨ぎりして湯引きで食べる。同級生が魚市場に勤めていて、何かの集まりに獲れたてを差し入れてくれた。これよりおいしい鱧を食べたことがない、それで今も懲りずに「はも、はも」と探しているけれど。

* 森見登美彦さん
料理は苦手だけれどお父さんの手料理がおいしかった思い出。
孤島で生き延びる話と文章の組み合わせの話。
やはり料理苦手ということで食のエッセイは、少し精彩にかけていたが、面白かった。

⋆ 柚木麻子さん
回転ずし巡りだけれど、あまり面白くなかったな。
でも地元のお寿司屋さんって、変わったものまで回っているのね。旅に出たら本屋さんと道の駅とお寿司屋さんにも行こう。




クリックしてください↓↓↓↓

HNことなみ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「代体」 山田宗樹 角川書店

2018-11-04 | 読書



今から10年後、医療技術が進んで、脳から意識だけを取り出すことができるようになった。病んだ、壊れた肉体から一時離れることができるという、身近な誰でも持つような思いが理解できるようなSF小説。



この作者には「百年法」という前作があって、これは長いのでこちらから先に読んだ。作風をちょっと覗いてみるつもりだったが、荒唐無稽とも言い切れない、少し身近に引き寄せて現実に照らしてみるとこのSFの面白さがわかった。

意識を取り出せるということになったらメリットはなんだ。
それから話が始まる。意識という定義しづらいものを扱っているので、一応脳の中にある組織体の働きをひっくるめた「もの」という風に読むしかない。
私は医学的に脳や意識のメカニズムはよくわからないので、意識体という「もの」があると想像すればなんだか後の流れについていきやすかった。
脳のすべてをコピーできるナノロボットが開発され、それを注射して代わりの体に入れる。
受け入れ先は人工的に作った体を用意する。
大雑把なところ、そういうことに付随して、人々が右往左往するストーリーだ。

人間はみんな死ぬ。でもすべての人が死に時だと納得して消えていくのではない。多分死にたくないと思いながら受け入れて死んでいくのだろう。
私は幸い今は切羽詰まって自分の死を目前にしていないので自分が死に時にどう思うのかまだ想像できない。究極の運命というものは判らないながら。
それでも。現実を享受していて、あるいは生きる苦しみの裏にある生きる楽しみの真っただ中にいる人間もいることだろう。
目的達成途中で光が見えている人、それぞれに死に時でないと感じている人は、突然の死から逃れるために代体を恵みだと思うだろう、いかに高価なものであっても利用できるなら利用したい。長く生きてほしい人たちもいるのだから。

そういった人たちの物語が様々に絡み合い、その研究で大きな利益を得るための組織ができる。
不法な利益を見張る政府機関ができる。
代体利用者を募り、代体を売る会社の営業マンがいる。

基本的には、損壊の激しい肉体を修復して、一度写した意識を戻す。30日以内にという制限がある。
その期限に肉体が生きていなければ死を受け入れなくてはならない。
そこで葛藤が起きる。

しかし命や意識というものの扱いは難しく、その上で生き続けようとする人たちの中には意識と肉体の同化の中でほころびが出る。自分とは何だろう、命とは意識とは、意識を埋め込まれ記憶を操作された人たちは、他人の気配を纏いながら生きていく、考えさせられるところもある。

技術の進歩に連れて人間の欲望は膨らんでいくが。一概にそれが醜いといえないのが読みどころで、古来から生きることについて様々な考証がされてきた。哲学といってもいい。

有限の生命の中で生きている身にとって興味深く面白かった。

そして非常に面白い医療科学の進歩が、何か今にも実現しそうな筆で書かれていると、この作者のテーマにする命というものが作り物でなく、その思いがしみてくるシーンもある。

平常心に戻ってみればまずあり得ないだろうという正直な感想とともに、こういった世界に遊んで、命というものを見直してみることもいい機会だった。

最後はごく人間的な締めくくりで、ここまでの登場人物の騒ぎが一瞬で鎮まった思いがした。



クリックしてください↓↓↓↓

HNことなみ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いちにち

2018-11-04 | 日日是好日


無事1日が過ぎてまた一歩進んだ。
この1日を振り返ってもすぐに忘れてしまうでしょう。
何気ない日を過ごし、先に逝った人たちに近づいて行く。
それもいいかも。

どこも痛くもないし
よく動く体を持ち
欲はなく
決していからず

賢治の 雨にも負けず は
決意でもない
日常を過ごしているうちに湧き上がった思いかも知れない。
穏やかな日に訪れるひとことかもしれないな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする