この変わった本との出会いは、1990年の花博まで遡る。忙しい時間をやりくりしてラフレシアを見に行った。あわよくば青いけしも見たいとそれだけで大嫌いな混雑に紛れ込んだ。ラフレシアは時期が遅くしぼみ始めていたが、帰り道に「やしジュース」の店を見つけた。これはチャンスかも。ストローを突っ込んで飲んでみると味は青臭く、薄甘く、健康飲料に似た味でいざというときの水分補給以外に飲みたくなるようなものではなかった。
本屋でこの本を見た時は、「やし酒」か、あのジュースを発酵させたものだろうか、わずかな糖分が飲めるほどに発酵するものだろうか。深く考えもしないで、書き出しの大酒のみの部分だけ読んで本棚に押し込んであった。
今回引っ張り出して読み返すと、これが見事に発酵していた。たまらなくユニークで面白かった。
金持ちの長男で十歳ごろからやし酒を飲むだけの生活だった。この頃はまだタカラ貝が通用する世界で父親は大金持ち。やし酒のみの息子に広大なやし園を与えやし酒作りの名人も雇ってくれた。
これが話の始まりだが、この幸せは父親が突然死に、やし酒作りも死んで消えてしまった。
やし酒以外水も飲めない体で、残っていたやし酒も飲み尽くし、そうなると取り巻きも去り、代わりのやし酒作りも見つからなかった。死者の国からやし酒作りを連れ戻そう。この話はここが発端で、彼は「死者の国」に旅立つ
ジュジュという妖術か魔力を身に纏い、父親のジュジュまで重ね着をして、一歩を踏み出す。
「死者の国」は死者が天国に行く前に仮住まいをするところらしい。まだやし酒作りはいるだろう。
当時まだあちこちの道の奥にBushと呼ばれる深い森林があった。そこには未知の生物や魔物が隠れ棲んでいた。死者たちはきっかりと区分された国境線の中で暮らしていたが、その中でやし酒作りを探すのはほとんど運任せだった。
恐怖にさいなまれながら不思議な旅が続く。
チュツオーラの想像力はマジシャンが空中から鳩を取り出すように、「死者の国」を作り出す。
一つ一つの物語は、「死者の国」に住んでいるモノとの遭遇で、恐怖と命がけの戦が続く。
まず「死神」に頼まれ娘を取り返して嫁にする。彼女は市場で見かけた完全な紳士の後をつけて、彼が借り物の体のパーツをを次々に返し代金を払って頭蓋骨だけになるのを見る。骸骨紳士がいる「底なしの森」で娘は「頭蓋骨一族」にとらわれていた。これを救い出す方法が面白い。
連れ出した娘の親指から子供が生まれ、これまた輪をかけたやし酒のみで怪しい生き物だった。「ズルジル」という名前がある。幸い出会った「ドラム」「ソング」「ダンス」という善良な生物の中に赤ん坊を置いて出発する。
死者の国々を通過する有様は、チュツオーラの脳内でさまざまに変化し、読んでいるとまるで「ドラム」「ソング」「ダンス」を見せてくれるように揺さぶられ踊らされる。
運よく危険な魔物から逃れ、親切な一族に助けられ、探し出したやし酒作りは、死者は生者のところには戻れないという。
やし酒をたらふく飲ませてくれたが、別れ際に「卵」をくれた。その望むものが何でも出る魔法の卵をもって故郷に戻り、旱魃・飢饉で飢え死にする人々を救い、こっそり出しておいた金貨で大金持ちになる。
飢饉は「天の神」と「地の神」の争いで始まったものだった。貢物をもって行くと「天の神」は怒りを沈め。雨を降らす。
これはアフリカの風土から生まれた人たちの話で、チュツオーラが味付けして作り上げた神話に似た物語りではないだろうか。
我が国にも古事記から伝わる、神話、民話、伝承、文字のない時代の口伝の御伽噺などがある。異国の長い歴史の中で生まれ魂の奥深くに根付いたもの、根源的な死の恐怖や、想像力が作り出した妖怪変化や、アニミズム・力の及ばない大きな自然に対する畏れ、魂の救済も司どり心の支えになっている祈りの対象に持っている深い信仰心。このぶっとんだ「死者の国」の話は読んでいると遠いアフリカが少し身近に感じられる。
チュツオーラを読む、人間の原風景ともいえる、これらの話を読むとき、いつの間にかやし酒のみの旅が親しく響いてくる。
それにしても「打ち出の小槌」か「玉手箱」のようなものはどこにでもあるもので。人類共通の「望み」かも。
チュツオーラという作家は、アフリカでも文化都市に生まれ、そこで途中まで教育を受け飛び級するほど優秀だったそうだ。ただやはり風土のせいか教育費に事欠き、望むような道に進めなかったらしい。
このあたり、独立戦争でやっと勝ち取った自由や長い悲惨な歴史、今も続く部族の争いなどが浮かんできた。豊かな資源がかえって不幸を呼び寄せたことも考える。
やし酒はあのヤシジュースから作るのではなく、やしの幹に出る芽を欠いて、そこから出る甘い樹液を発酵させたものだとか。
クリックしてください↓↓↓↓
HNことなみ