空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「悪いものが来ませんように」 芦沢央 角川文庫

2019-06-27 | 読書

 

 

読んだ後もう一度読み返したくなる。あそこにもそこにも、作者の仕掛けが覗いていたというのに。

ヤラレタ。

 

 

傑作ミステリ、心理サスペンスだそうで買って来た。心理サスペンスというのは重いものが多いなぁと読み始めて気が付いた。殺人事件が起きるが早い段階で犯人は判る。ただそこからが、、、。

 

途中で挿入されるインタビューの証言を別にすれば登場人物は少ない。

 

柏木奈津子

子供を育てているが、夫の貴雄はあまり協力的ではない。学生時代に知り合い妊娠が先で結婚をし、常にそりが合わなかった母には当然反対された。今では夫にも何かと鬱屈した思いがある、あのとき妊娠さえしなければ。

幼い頃はピアノが弾けて話題になったことがある、今は美容師の資格はあるが、ボランティアの仲間とカットイベントに参加している程度。若い女ばかりの仲間には馴染めないでいる。

常に紗英が気になっている。彼女を見守り庇護し今まで来た。

 

庵原紗英

夫の大志は不倫中らしい。周りには子供は要らないと言っているが紗英は妊娠を強く望んで夫からは疎まれている。

妹の鞠絵が働く産婦人科で助産婦の手伝いをしている、資格のある鞠絵の下働きは心身ともに疲れる。奈津子が常に護ってくれる。夜勤明けには食事を作り、車も出してくれる。

結婚しても奈津子の家の近くに住んでいる。

 

坂井鞠絵

紗英の妹、助産婦で下働きの紗英の仕事ぶりが気に入らずつい言葉が荒くなる。子供を預けて働いている。

なっちゃん(奈津子)に対してはあまり親しみを感じていない。紗英との諍いでも奈津子が常に紗英の肩を持ってきた。

 

 

奈津子は紗英の夫大志を殺し、山中に埋めた。

動機は、庭からいつものように部屋を覗いて、紗英が麦茶を作り冷蔵庫に入れるのを見た。蕎麦のゆで汁に麦茶のパックを入れたらしい。大志は蕎麦アレルギーだった。紗英が出かけ、大志のいる家に入りお茶を出す。

大志はもがいてソファーに倒れて死んだ。

紗英を拒んで、不倫までしている大志は奈津子も憎い、紗英に罪を犯させるわけにはいかない。

 

大志がいなくなり二人で失踪届を出した。だが雨の後死体が見つかり、会話の中から紗英は知ってしまった。奈津子が大志を殺したのを。

紗英は大志を憎んではいなかったのに。

 

結婚、妊娠、職場の人間関係の重さと母親になることの重さが、特に珍しくもない図式で進んでいく。最悪のシーンに結びつかなければ良くあることで、そんな中で誰しも何かの理由をつけて自分を解放するために距離を置いたり、憎みあったりして暮らしている。

 

しかし作者は、殺人まで犯した奈津子について、子供時代から今までを語り、三人の関係、特に濃すぎる紗英との関係をこれでもかと書いている。紗英を守るため。奈津子は大志を殺した。

 

物語のキモはそこではなかった。

 

殺人犯奈津子は捕まり世間を騒がせる。だが、作者の仕掛けた大きな罠は口を開けて待っていた。

一筋縄ではいかないびっくりサスペンス。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「方丈の孤月」 梓澤要 新潮社

2019-06-24 | 日日是好日
 
 
 
梓澤さんの創造の泉は歴史の隙間を快い物語で満たしてくれる。「方丈記」が鴨長明の血肉になって動いている。読んでよかった。
 
関心があってもなくても、学校で習った「方丈記」を読んで鴨長明さんの経歴についてもおぼろげには知っている。有名な書き出しも。 「ゆく川の流れは絶えずして」、時代を映しながら自己と語り考える。読む人の流れも絶えずしてこの随筆は現代にいたる。
いや面白かった。 一応鴨長明という人の伝記の形なので、面白かったと言っては申し訳ないけれど。 鴨長明を通して語り掛ける伝記になっている。 名高い古典が、現代に生まれ変わったような不思議な親近感がわく。
方丈記に記されたように、京は飢饉災害地震大火、大型のつむじ風と矢継ぎ早に襲われ、鴨長明は直に苦しむ人たちの地獄を見た。 方丈記にはそれがつぶさに記されている。
じかに眼で見てこそ伝えられると書いている。 行動的でどこにでも駆け付けしっかりと見たうえで随筆に書き残した。
災害は、現代でも人災や天災の前の無力さを体験したので、余計に心に響いてくる。 当時も政治に抵抗して、テロも起きた。長屋王の変、橘奈良麻呂の変、ついに保元・平治の乱。
この中で鴨長明が、自分の心中に渦巻く大小の嵐に翻弄される様子が、梓澤さんの想像力でリアルに膨らんでいる。
下鴨神社の禰宜の家柄に生まれ父親に可愛がられ将来も約束されたものと思って育った。だが父は17歳で跡を継いで懸命に勤めた無理がたたったのか早逝し、母親もなくなっていた。
長明は子供の頃から社務を嫌って逃げ出しては糺の森に隠れていた。性質も内向的であったため、父亡き後周囲の評判も悪く跡を継ぐことができなかった、母方の祖母の家の跡継ぎになって神社から出されてしまう。 これが思い通りにならない人生の挫折の始まりで、婿入りした先でもなじめず、糺の森で一目見て心を惹かれた初恋の女に出会い、有頂天で通いつめて子供を授かったが、これも生まれてくることなく母子共になくなってしまった。
家にはいては居場所もなく、琵琶と歌の道で何とか名を上げようとした。 次第に認められ始めたが、位の低さから扱いは下級貴族の位置のままだった。それも禰宜の生まれだという誇りを傷つけられた。
後鳥羽院は熱狂的な歌人で、和歌集を編むために世間の歌好きに歌を詠ませて中から編集者を選んだ。それに入り、喜々としてまさに不眠不休で務めて帝に認められた。 帝もその熱意に応えようとしたのか、裏社の禰宜を紹介された。 就職先が見つかったそれも帝の勧めで、と周りはお祝いムードだったが「裏社」という扱いに喜ぶどころか、見下されたと感じ、失意のどん底に落ち、打ち込んだ「新古今集」の寄人という栄誉からも前後の見境なく逃げ出した。
どんなにか周りを見返したくて、寝る間も惜しんで歌を作ったことだろう、人一倍歌集編纂に勤め、やっと認められたというのに、姿をくらましたのだ。 自分はどこから見てもこの程度かと、もう嫌になってしまったのだ。
鴨長明という人は、常にやりたくないことからは逃げ続け、最後には出家した。 思うと、格式が高く人々から敬われ世話される育ちの良さ目線は、生涯変わらなかったのではないか。
逃げられるというのは、後ろで面倒を見てくれる、気に入らないながら実家があればこそ、と思うが、これは庶民の気持ちで、鴨長明は持ち合わせてなく必要でもなかったのだろう。 子供の頃、仕事を怠けて亡くなった父を失望させた。いつも静かな森で川のせせらぎや鳥の声を楽しんでいた。それで跡継ぎが務まると思ったのだろうか。思うにまかせないとして周りを恨んだ。 腹違いの兄は働き者だったから、その後も由緒正しい格式の高い下鴨神社は一族の物であり続けた。これは私見。
嫡男だからといって、和歌管弦にうつつを抜かし、打ち込んでいては社務は苦しかった。期待通りにこなすのは無理だっただろう。 こういった自分が招いたかのような挫折感が、大原から日野の庵に自らを追い込んで流れていったかようにも思える。 確かにこの世は人を待たない。望みは努力なしではわずかなものであっても叶わない、万一叶っても続かないのが常で、鴨長明はそれを無常観という形で受け入れるようになったのだろうか。 次第に世間というものを知っていった。知識も教養もあり理解は早かった。ただ自分との折り合いをつけるのは時間がかかった。
だが梓澤さんはそうは書いてない。あくまでも鴨長明の心に沿って、方丈の狭い庵の暮らしを見続けていく。筆は優しい。
鴨長明は琵琶の名手だった。琵琶を自らの手で作り愛用した。秘曲とされていた三曲を伝授されるまでになった。だが二曲は覚え三曲目にかかった時に師が遠く筑前に去り亡くなった。 ほとんで覚えていて認定されるだけだったが、それの伝授は叶わなかった。嘆きは深かった。 だが「新古今和歌集」に十首入選した。嬉しいことに敬愛する西行作の歌が九十四首入っていた、西行没後十五年たっていた。
詫び住まいで欝々と過ごしていた時、ふと思い立って秘曲を聞かせる宴を開くことを思いついた。管弦の名手を集め月を見ながら一夜限りの宴を開いた、これは人前で演奏すべきでないという掟に背いていた。 秘曲の最後3曲目は「啄木之音」だった。やっと陽の目を見せてやれた、と夢心地で心が満たされた。これで一つ、執心の元の歌は捨てられる、と思った。
禁を破ったのだがそれは生涯に残る思い出で、それを胸に日夜琵琶を奏した。
禁を犯した報いに琵琶を召し上げられた。しかし反面、帝に琵琶の腕が理解されたのだ。琵琶は代償なのだ、従わせることになれた暴君なのだ。

鎌倉に行ったのは、若い将軍実朝に歌を教えることになったからだった。しかし問答に勢いがあり天分もある将軍と渡り合う気力がなくなっていた。 その上鴨長明という歌詠みは「体裁と見栄ではないか」と返されてしまった。負けた。
ただ書く事だけが残った。 実朝は言った「あなたはまだ自分を出し切っていない」 これでさっぱりした。そして書こうと思った。 鴨長明はそれから「方丈記」をまとめ始めた。
歴史的には空白の多い生い立ちだけれど、作る書く苦しみ魅せられた喜びの中に梓澤さんという作者が二重写しのように浮かび上がる。豊かな想像力がつくりだしたこの一冊は心に長く残るようだ。 平安時代から鎌倉時代にかけて、生き抜いた人の思想が現代にも通じる読み応えのある作品になっている。
まだ未読の作品が残っているのが嬉しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道端の花を見ながら

2019-06-14 | 日日是好日

 

ジムにも行かない日で、ちょっと散歩してきた。

いつものように花を見ながらブラブラ。運動しているからと歩いていなかったので、今年はノバラもスイカヅラも写さなかった。 

そうだ、5月の市大植物園にも行かずヤブデマリも見なかった。4月、5月の好きな花がない。心残りの初夏が過ぎもう6月、梅雨になった。

田植えが終わっていた

 

これ、シマトネリコかなぁ

秋に赤い実がなっていたように思ったけど。

 

花しょうぶも一綸。

 

ニンジンの花も。

 

ハルジオンも終わり。この花が好きなベニシジミはどこへ行ったのだろう。

 

やっぱりこの花、いつものお宅の紫陽花を見なくては。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼりじを一枝

2019-06-03 | 日日是好日

 

ぼりじがあまりたくさん咲いたので一枝をテーブルに

ワイルドストローベリーとコラボで

どれだけ好きなのと言われてしまったけど。

 

小さいのにイチゴの香りが服についてきた(^▽^)/

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「殺す風」 マーガレット・ミラー 創元推理文庫

2019-06-03 | 読書

 

 

 
 
 

 

ミラーさんを読むのは三作目。サスペンス・ミステリというジャンルだが、心理描写と品がよくて気の利いたさりげないギャグが彩を添える。

練り込まれたストーリーが冴えて、思いがけず残酷で悲しい結末は一読再読に値する。一気読み。どちらかというと軽いノリから始まるが「まるで天使のような」に近い作風になっている。

始まりは専業主婦の思いが淡々と流れていく。この部分が長い。ここはじっと我慢。 ミラーの残酷な作風は少し鳴りを潜め、今回はやや文芸作品に近い表現で紹介される登場人物の動きを楽しむ。

なかでもよくある子持ちの専業主婦の典型的な心理というより、それぞれの日常生活の中で、表面は静かに満たされているようでいて、心の中では浮かんで消えるようにみえた澱が、少しずつたまっていくというのに大いに共感する。やはり女流作家の面目躍如。 それが異常な出来事に出会ったとき、思いがけずあふれ出す、身勝手な、時に切ない思い、微に入り細をうがつに近いまさに女性作家ならではの名作。

 

 ロン・ギャラウェイは底が浅い男だった。資産にものを言わせそれに依存していながら、取り繕ってどんな楽しみも逃さない風を装っていた。彼なりに仲間たちの中で頑張っていた、妻のエスタ―に見透かされていたとは知らず。 そんな彼が四月の中頃の土曜日の夜、消えた。仲間と待ち合わせて彼のロッジに釣りに行くと言って出たまま。 出がけにエスターは何かと話を振って彼を苛立たせた。先妻のドロシーを引き合いにだした、既に二人の子供にも恵まれ敵意も消えかけた今になっても。

 ロンは薬品のセールスマンのハリーを拾っていくことになっていた。ハリーは仕事上薬に詳しく回りの人たちに重宝がられていた。 ロンの仲間たち4人は皆教養と収入に恵まれ、時々集まって日ごろの垢を落とすことを目的に、伸び伸びとタガを外して釣りやゴルフやアルコールに溶かして紛らせているのだった。ただ大学教授のチュリーだけは4人の子持ちで経済的にも汲々だったが、学があり教養があるという地位にいることで、仲間の財力を小ばかにした態度で金を借りていたが、お互いそれもアルコールに溶かしていた。

その日ロンは来なかった。

一緒に来るはずのハリーは又も遅れてきた。セルマのせいだ。彼は遅く結婚したが妻のセルマに夢中で常に振り回されていた。仲間はセルマはどこかおかしいと思ってはいたが口には出さなかった。

それなりにロンの遅刻を心配していた。

 ロンは一度ハリーの家に寄って妻のセルマと話していた。その時セルマはロンの子供を妊娠していることを打ち明ける。

夫のハリーは病院で子供を持てないと診断されていたが、外では夫婦ともに子供は望んでないと言い切っていた。

 

 ロンは崖から転落して亡くなっていた。少し前にバルビツールを飲んでいたが死にきれずシートベルトを締めたままで車ごと湖に沈んでいた。警察は薬はためらい傷のようなものだと解釈して事故死だと認めた。 死ぬ前に妻のエスター宛にセルマの子供の父親は自分であると書いた詫状を送っていた。

エスターはなかなかできた人である。彼女も不倫の末先妻と離婚したロンと一緒になったのであり、ロンの先妻のドロシーは病んで死を目前にしている。贖罪の意味もあったのか財産を分けることにはこだわらなかった。

セルマは子供が持てたことを喜々として受け入れ、ハリーと別れることを決心した。ロンの莫大な遺産は子供が相続することになった。

その後泥酔状態のハリーが市電にぶつかり頭を強打して入院するという騒ぎがあったが、幸い命にかかわることもなく無事退院。

ハリーはセルマと別れてアメリカの支社に向かって旅立っていた。時々手紙がきて恋人を見つけたので結婚する、と幸せそうだった。その後転職してボリビアの油田で働くことになったと書いてあり徐々に遠ざかっていった。

セルマは男の子を産んだ。その後消息は途絶えたが、カリフォルニアからかわいい男の子の写真が送られてきていた。

 チュリーはアメリカの大学に赴任することになった。これを機に二人を探して会ってみたいと考えた。 チュリーは地図を片手に、旧友に会うためならと一大決心で虎の子の家計費を使うことにする。

さぁここからが面白い。

セルマはチャーリーという男と、ハリーはアンという魅力的な女と結婚していた。

 ミラーさんの手の中で踊らされてしまったけれど、あっさりと敗北を認めた。 ミステリでもなんでも作者にはごまかされない覚悟で読むのだが、こう淡々とした日常の謎、特にどこかおかしいようなそうでないような人の心理描写は巧みで歯が立たない。変わった人は罪を犯すにも意外な方法でそれもありがちな生活の些細な出来事の中に姿を隠す。 また、現実でも他人の家庭は謎だ、友情も一皮むけば何かとかしましい。そんなことを書いているミラーさんは読者を暮らしの謎に巧妙に導いていく。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「喜娘」 梓澤要 新人物往来社

2019-06-02 | 読書

 

 

短編集なのですが、歴史文学賞受賞作の「喜娘」だけ読んでみました。「きじょう」と読みます。 


 目次


*喜娘 *

惜春夜宴 *

夏の果て *

すたれ皇子 *

喜兵衛のいたずら *

あとがき



歴史小説家としては三年目だそうです。 遣唐使として長安に渡った人々が主役です。 奈良時代の政治や官位争いは簡単に済ませています、この時代の主になる遣唐使についても政治的な部分は浅く、登場人物の絡みだけで話が進んでいました。
それでも長安に渡っても帰れなかった人たち、苦難を乗り越えてまで帰ることは諦め長安に生涯を埋めた人々の運命を織り込んで、興味深い物語にしています。
ただ、歴史より物語に重きを置いていますので、少し軽く、恋愛要素も盛り込んで甘く仕上がっていました。これは歴史の中に生きた人々を取り上げたその後の梓澤さんの小説の印象とは違った感じを受けました。 軽く面白く読めましたが出版済みの「阿修羅」や「運慶」はどう書いてあるのか楽しみになっています。長編なので期待通り登場人物が動いているのか楽しみです。
「喜娘」は歴史書の中で出会ったそうで、あとがきには

史書を読んでいると、たった一度ぽつんとあらわれる名前に出くわすことがあります。喜娘の名がそうでした。【続日本紀】宝亀九年十一月十三日の項にたった一行 「判官大友宿禰継人並びに前の入唐大使藤原朝臣河清の女喜娘ら四十一人その艪に乗りて肥後国天草郡に着く」 この一行だけが大友継人と喜娘の不思議な縁をしのばせるものなのです。喜娘がその後どうしたか、記録はなにもありません。もしそのまま日本に止まったとしたら、継人の非業の死を彼女はどんな思いで訊いたでしょうか。

第十四次遣唐使一行は帰り支度をしていた。長安の送別の宴も終わった。若い判官大伴継人は、ともに帰国する老齢の羽栗翼の人探しをただ見守ることしかできなかった。 翼と翔は阿倍仲麻呂とともに入唐した吉麻呂が唐でめとった女に産ませた兄弟だった。 帰郷を願い出た仲麻呂を玄宗皇帝は手放すことを拒んで仲麻呂は官吏としてそのまま勤め続けた。だが仲麻呂は、吉麻呂親子は船に乗せた。 12歳の翔と14歳の翼の、帰りついた故郷の暮らしは惨めだった。兄弟はまず言葉を覚ることから始め、成長しても下級官吏から上れなかった。 その上、父は橘奈良麻呂の乱で処刑され、罪人の子という日陰で育たなくてはならなかった。 生来闊達な翔は、志願するものも滅多にない遣唐使を望んで、再び船に乗った。海を渡れたのか長安にいるのかその後行方が分からなくなった。
老いた翼はもう長安を見るのは最後かも知れない、出発まで残された時間を、翔を探して歩きに歩いた。 翔は見つからなかったが、にぎやかな街を継人と歩いていて、若い娘が男に囲まれて暴れているのに出会った。 この元気な娘が「喜娘」だった。
「喜娘」は十次遣唐使で入唐した藤原清河の忘れ形見だった。静河は仲麻呂とともに帰国の舟に乗ったが、難破して安南に流れ着き、二人とも玄宗皇帝に仕え唐に骨をうずめた。 二度目の入唐のあと清河の子として「喜娘」が生まれ父は短い老い先を覚悟して、故郷の話をし言葉を教えた。 父亡きあと「喜娘」は大和が見たかった。皇帝の許しを得て継人の舟に乗った。 遅れに遅れ嵐にもまれながら十一月の末に長崎に着いた。太宰府から平城京へ、そして元の清河の屋敷に落ち着いた。 平城京では貴人の若者たちが策を弄して「喜娘」を娶りたいとあらそっていた。 しかし「喜娘」は長い航海で、自分を守り導いてくれた継人を慕っていた。彼も都に妻も子もいたが「喜娘」が恋しく忘れられなった。 二人は一夜出会い抱きしめあって別れた。
難波津に着いた唐船が趙送使を迎えに来た。「喜娘」も従者の安如も一緒に帰るという。
継人と翼が見送った。 「帰ったら羽翔おじさんに話してあげたいことがたくさん……」といった。
六年後、長岡京で桓武天皇の寵臣藤原種継が暗殺され、大伴継人は処刑された。

橘奈良麻呂の名前もチラと出てくるが興福寺の国宝、阿修羅像のモデルになったともいわれているので「阿修羅」も読んでみようと楽しみにしています。 子供のころから親しんできた奈良。わずか七十余年栄えた都には今もその面影が残っています。
2018年4月平城京公園がオープンしました。工事は続いていますが、さっそく朱雀門広場に復元された遣唐使船を見に行ってきました。 この小さな船に百人を超す人が乗って海を渡ったのかと、感慨深かったです。 居室は狭く小さな船体は、嵐の浪間でまさに木の葉のように揺れたことでしょう。

梓澤さんの小説は、こってりした葛湯の味がします。歴史小説の出発が「喜娘」ですから、真偽も定かでないできごとを、甘く滋養があるかのように膨らませて書いてくれています。これは少し甘々感がありますが、それでも遠く過ぎた時代は喉を過ぎればサラサラと流れていきます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする