空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「夜と霧」 ヴィクトール・E・フランクル 池田香代子訳 みすず書房

2016-06-30 | 読書




図書館の書架の間を歩いていて、何冊か、いつももう一度読んでみたいと思いながら、読んだこととしか覚えてない本がみつけた。
一冊の予約本を引き取っただけで、コレなら後三冊は読めるかな、と思って借りてきた。

心ある人は、この本のことはとっくに知っているという。ヒトラーと言う男がどうして、ユダヤ人を憎んで強制労働につかせたか。ガス室というものを作ったか、知っている人は知りすぎるほど詳しく知っている。

この本は、自ら被収容者として、訳もなく拘束され、劣悪な環境に投げ込まれ、いつも死と生の二股道が目前にあって、人はどちらに道を歩くか分別される。異動、移動の命令が出るたびにどちらの道を歩くのか不安に震えている。
横にもなれない狭い土間で立ったまま眠り、朝早くから、厳しい規律の中を労働に出て行く。
過酷な収容所での体験談である。
しかしそれは、人とは生きる瀬戸際では、いかに卑怯で汚く自分を守ろうとしたか、またある人はここにあっても他人には慈悲深く、自分は平然として運命を受け入れる強さを示したか。

この本のいたるところに書かれている言葉に中には、極力ひかえてはいるが悲惨な光景の描写もある、靴がなく歩くのがやっとの人に列を乱すなと嵩にかかって暴力を振るう、ひとつの小さなパンで一日ツルハシを振るう。そんな中を生きながらえる希望は、ひとつには家族への愛であり、家族の肉体がどうなっていようと愛する思いは生きる支えになった。なにも感じなくなってただ本能のままに息をしていて死ぬことだけがあり、全てのことにも無関心になってしまう。人間でなくなるには様々な形がある。

医学者である筆者は、まだ生き続ける意志をなくさないことに努力をし、介抱をし、話をした。

だが、それを聴くことが出来たのはやはり強い人たちだろう、中にはお互いに助け合った温かい胸を打つ話もある、だがそれも、たとえば祈りであり、ちょっとした僥倖に守られていた時間であったり、希望は小さくなっていくにせよ自由な心をどこかに隠して見続けていた人たちだった。

開放されたあとに見聞きする収容体験や、動物にも劣る数減らしの死や、そこまでにいたる肉体的な痛みなど、うけた心の葛藤がどれほどのものか。
驕りや、過信や間違った自信が、支配するものとされるものを生み出し、それに従わ無くてはならなかった群衆と、処刑された600万人とも言われる人たち。

こんなに平和が続いている、
人はいつ生き方を間違うのだろう。間違いは庶民に見えるのだろうか。
こうしたレポートや犠牲者の声を様々な形で読みながら、600万人と言う人数が、私一人、という数の積み重ねで、死んだ私も生き残った私も、ともに渦中にあった一人であって、生きているか死んだのかのだけ違いしかない。

もう今自分であって欲しくないと言うような甘い考えは、大量殺戮兵器の前では無力である。
生き方を見つけるか、大部分の力の無いものの力を改めて見直すか。

胸の中になくなった人たちの無念の未来、生き残った人たちの禍根と、戦犯と言う、熱にうかされ自分を見失った人たちの過去。

人は心も体も弱くなってきている。
勝敗までも、生き残りと言う場とは関係なく通過するもののように思われている。

こどものころに読んで、身近ないい言葉として書き出したことがある。だが家族を持ち、私の環境も変わった。
再読して、勇気場ない自分が、人間らしさまで捨てなくてはならない、そんな未来が来ないことを願った。

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「孤独の発明」 ポール・オースター 柴田元幸訳 新潮社

2016-06-28 | 読書



孤独の発明

今まで様々な本を読んできた。中でもこの本にであったことは、記念碑的な出来事だと感じる。



見えない人間の肖像

ポール・オースターの初期の作品だそうだが、彼が作家になろうとした過程で、まずは書くことで過去を生き返らせる方法を取る。

それは過去の記憶を、平行して過ぎていった自分の時間を、亡くなった父親を書くことで現在に手繰り寄せていく。
父親は意固地で頑固で、自分の周りに人を寄せつかない、なにか現実から浮き上がったような人だった、世間からはみ出さないだけの智恵はあり、心のこもらない言葉はすらすらと出てきた。経済的には豊かさを金で買うことが生活の一番の目標だった。不動産業で一時は成功した。世間的には、面倒見がよく先が読め人から親しまれている部分もあった。

三週間後遺品の整理中に、手もつけていないらしい一箱の写真を発見した。初めて父の過去と対面する。
父の生い立ちを見たとき、息子として暮らした生活の記憶や、父親の歴史が見えた。
様々なシーンから父親が閉じこもってきた、自分という囲いの中から生身の人間が見え、そして彼の中に潜んでいた孤独が感じられた。
いい息子ではなかったかもしれない、存在が消えたときになって、生きていたときの父親の世界の残されたもの、写真や記憶の中から、その魂が感じられた。

という様な、書くことで父を心に残しておく。
写真でなく父の生きてきた時間を通して、「父の孤独」が自分の心と響きあう。
この章は読んでいて悲しみに満ちてはいるが、父と息子の距離の取り方もいい、一人の人間の生きた軌跡を息子の目から見た記述が、心にしみる。

記憶の書

作家になろうと言う決意で何冊かの本を書きながら,言葉を使ってより深く、より正確に書く作業を進めている。
部屋に一人でいる作家の孤独といったことを繰り返し書いている。
優れた習作のようにも感じる。テーマは見出しのように記憶の書なのだが、記憶を辿りながら書くという文章でありながら、詩人から出発した作者の、散文詩のような記述とが特徴で、難解と言われた当時の現代詩につながる。時々の感性で選んだ表現で繋いでいく文章は特に個人的に共感できなければ難解に感じられるかもしれない。
サルトルが書いていた「詩人の言う風車は現実に回っている風車ではない」(本を探したが見つからないので曖昧な記述です)と言う言葉が実によく理解できる。

ただ 記憶の書その一から十三、最後の一章と結びは、テーマに呼び起こされた記憶が起点でそれからの展開であったり、ふんだんなメタファを膨らませるために、様々な文章の一節が使われている。これが面白い。

特に理解されなかった預言者のカッサンドラ、鯨の腹の中で未来に気づいたヨナと約束の地。彼がSというイニシャルで語る、過去の旅の出来事。
記憶に刻み付けている様々なイメージが言葉になって作品になる行程(結果としての作品)がみえる、正確に豊かに、深く深く掘り下げられていく。

面白い。ポール探索の書ともいえるが、書くことの孤独を見つめ、こうして「孤独」は発明されたということにも気がつく。

図書館で借りてきたが、購入して時々読み返すことにした。
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「アルファベット・ハウス」 ユッシ・エーズラ・オールスン 鈴木恵訳 ハヤカワポッケットミステリ1900

2016-06-24 | 読書

ユッシ・エーズラ・オールスンのデビュー作。
「特捜部Q」を読み続けて、やはりデビュー作を読むのは大事かな、きっと面白いだろうと予約していた。手にしてビックリ。レンガ本には負けるが参考文献まで入れて572ページ。面白くなければ読了できない厚さだった。

第一部

舞台は1944年、第三帝国を目指して世界を無残な戦争に巻き込んだドイツにも少し翳りが見えはじめている。アメリカ軍の要請でイギリス軍パイロットの二人が複座のマスタングで出撃した。前座にジェイムス、後ろにブライアン。二人は子供時代からの親友だった。
ドイツ上空で撃墜され、二人は傷を負いながら国境線に逃げ込もうとする。
ここからが第一部のメインストーリーになる。
かれらがチャンスとばかりに逃げ込んだのは、ナチ親衛隊の精神的な負傷者を満載した列車だった。二人は服を取り替え患者になりすます。収容されたのは、フライブルグ近くの、軍務に復帰できない軍人を収容した精神病院だった。
疾患の程度によってアルファベットで区別されていた。彼らが成りすましたのは上級軍人だったが、治療は薬物と電撃で、荒療治のために心身ともに病んでしまっていた。
中に戦場を避けて仮病を使う成りすましがいた。だが余りの演技に発覚することもなく、病室での二人も同じように心身障害者に成りすます。
中に特に悪質な三人がいた、彼らはひそかに隠匿した高価な金品を廃線に引き込んだ貨車に隠していた。夜のひそひそ話で、ドイツ語の出来ない二人も感づいてきた。仮病ではないかと疑った三人に拷問に近い暴行を加えられる。前線が近いことを知りブライアンは脱走する。だがジェイムスは過酷な治療と暴行を受けてやんだ精神と肉体は逃げることに耐えられなかった。

ここまでで、精神病院の過酷で粗雑な治療や、見込みのない患者や、疑わしいと思われた患者が無残に処刑されることを述べる。労働可能と見なせば前線に送り返され、ごみのように処分される。作この第一部は心理描写が多く病院の生活、治療法なども事細かに書いている。主人公たちのストーリーを辿るだけなら少し冗長に過ぎるように思えたが、第二部の前段階として読み込んで置いたよかったと感じた。

第二部

28年後、イギリスに帰ったブライアンは医師になり薬剤の研究をして製薬会社を興し家庭を持っていた。彼は手を尽くしてジェイムスを探したが、ヨウとして足跡は見出せなかった。
帰国してブライアンは本名に戻ったが、ジェイムスは入院当時のままになっていた。
戦後病院を移り、治療と環境のためにますます精神を狂わせ、自己を殆ど無くした日々だった。ただベッドから起きて筋肉を動かす日課で、かろうじて心体の機能を維持をしていた。
悪徳軍人の三人は豊富な資金で成功し、残りの参謀的一人は目立たない資金運用でコレも富を増やし、新しい名前を得て平然と市民生活を送っていた。秘密を聞かれたという理由でジェイムスを手放さず、彼は入院時からのゲルハルト・ポイカートをユダヤ系のエーリッヒに改名させられた。ドイツ名前のままだと戦犯だと見なされるかもしれない。

ブライアンはミュンヘンオリンピックの医師団として、ドイツに行く決心をする。改名した三人にたどり着くまで。
入院中にジェイソンに惹かれどこまでも付き添っている当時の看護師のぺトラがいた。夫ブライアンの言動に不審を抱いた妻も訪独。
縺れに縺れた糸が次第にほぐれてくる。
生死をかけた戦いにジェイムスの病んだ心が何かを感じ取る。彼は緩慢な体を使って、動き始める


第二部は人探しの謎解きに似た展開で、罪の重さをいかに暴いていくか、一部より展開が速い。


そして、巡りあった二人は、その幸運を喜んだだろうか。
ジェイムスは、助けに来なかったブライアンを待ち続け、ついに独り逃げた彼に憎むべきではないと思いながら憎悪が深まっていたことに気づく。
ブライアンは、探し続けたことに心残りは無い。幼い頃の思い出の岬にたってドーヴァー海峡を見ながら、もう取り返せない月日と、二人の心のすれ違いを目の当たりにして悲しむ。
ジェイムスはただ憎むのではない、過酷な月日に蝕まれ、心身ともに廃人に化しそうな毎日を耐え抜いた、ブライアンにであっても素直に喜べただろうか。

将来がいい萌しをもたらすかもしれない、人為的に陥らされた境遇であれば人の心はすぐには癒えず、心は様々に形を変える、まず生きることがあってこそ、どこからか亀裂を埋めるときが次第に訪れるのかもしれない。
戦争を書かず友情を書いたと言う作者の言葉が添えられていたが、深い絆で結ばれていると思っていても、人は心ならずも目先の感情に負け、捻じ曲げられ救われることの無い闇に迷うのかと、酷く哀しい思いがした。

最初は「岩窟王」のような復讐譚かと思った、第一部は長すぎるように思い第2部は少し感傷的、だが書かなくてはならない目標に向かったというデビュー作は、最後まで読んで分かる作者の心の反映が理解できた。描写の長さを差し引けばとてもいい作品だと思う。

「特捜部Q]の最新作を読もう。





少し写すのが遅くなったが、今年咲いた癒しのオレガノ(^^)


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6月22(水) またポストまで

2016-06-23 | 山野草

昨日の朝出した手紙がみんな帰ってきた。なんと20円足りなかった。机の上にウサギの切手が残っていて、おかしいなと思ったんだけど。

少し濡れていたので、みんな新しい封筒に入れ替えて、散歩ついでに出してきた。たまに几帳面な気持ちになって手紙を書くと、こういうことになる。メールに慣れると、手紙も味があっていいが、つい面倒で溜め込んでしまう。言い訳も長く書かないといけなくなるし。

時間が違うと、違った生活時間の人とすれ違う。
大手の企業が少し離れた丘の上に移ってきたので、社員の人たちだろうか、新しい住宅が増え、通勤の車も増えている。我が家の奥にも大手の分譲地が拓け、家が建ったがすぐに人が入った。
家の前を通る車は以前の何倍にも増えている。

ほんの少し散歩時間を早めただけなのに、パラレルワールドのような人の動きにビックリした。

さぁ、今度は溜まった読みかけの本を読もう、雨が降っている、洗濯もなし買い物もなし、途中で止めた本を読み切ろうかな。さすがに4冊並べて読んでいると、前はどんな話だったか忘れそうになるし、図書館の期限は来るし、いつもの雨の日とちょっと違った気分。






霧が昇っていき、まだ雨が上がりそうにない。


新築の家の前庭には「シマトネリコ」が植えてある。
並んでいる「ハナミズキ」も「センダン」もまだ若木だ。



王仁博士に因んだわけでもないと思うけど、街路樹にもムクゲが
植えてある。中でもこの二色の花はとても可愛く咲き始めている。







珍しい、紫陽花の垣根があっていろいろな種類の花が
満開だった。


少し行くと沢山スモモやヤアンズの栽培をしている。
春は綺麗な花が咲くが、少し実が色づいてきた。
散歩のついでに買いにいく野に丁度いい距離で、
品種改良されてとても甘く皮が柔らかい。


ヤブカンゾウが咲いていた。ノカンゾウは一重だが八重の
ボリュームがある花が咲く。


グラジオラスの淡い色が綺麗だ。大き目の壷にさして眺めたい。








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6月21日(火) ルートを変えたら

2016-06-21 | 山野草

手紙を出すのでポストがある道を歩いた。近所の奥さんが「今日もお散歩ですか」と言った。やっぱりウォーキング体勢には気迫不足らしい、あちこちの花を見上げたり、草道でしゃがんだりしていたら、お散歩でもお釣りがくるかも。






曇り一時小雨時々晴れ、洗濯物は軒の下に。


今年初めての向日葵さんに「おはようさん」


「アガパンサス」上品な薄紫がいい。花火のような花。


とても美しい、この色が紫陽花色だ。


「メドーセージ」噛み付きそうな顔をしているが色はとても綺麗、咲き始めた。


「ヨウシュヤマゴボウ」里山歩きに見るのはこの花。


なんと美しい色と形。「ゼラニウム」には見えない。育てやすいので
家の周りやハンギングはゼラニウムに決まり!!


「半夏生」夏は涼やかにすごそう。


「ノウゼンカヅラ」が咲くと夏が来る。


「ユッカ」アメリカの小説にしばしば現れ、どんな花かと長く憧れていた。
砂漠で育って強そうな針がツンツンなのに、花は丸く優しい。。


「墨田の花火」名前に納得。












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6月20日(月) 白い葉が目立って

2016-06-20 | 山野草

我が家に来て三年目になった、今年延びて白い葉が爽やかで側を通るたびに撫でているが
名前が分からない。「ハンカチの木」でしょうと言ったら「違う」と言われた。
「そしたら何?」「違うというのだけは分かる」そうだ。それって、まぁよくあることなので許す。
「コンロンカ」でした、一件落着(^^)





雨かと思ったら少し日差しが見えたのでカメラを取りに帰った。どこの庭にも紫陽花がきれいだ。


今年初めてのマメ朝顔、でもコレは朝顔との雑種かな。マメといえないくらいわずかに大きい。


額紫陽花は素朴で美しい。もう少し小さい山紫陽花が好きだが今年は出会えなくて残念。


朝早かったのでツユクサが元気に咲いていた。ボウシグサとも言うそうだが納得。


時々色の薄いのや白い花も見かけるようになった。


カンゾウのつぼみを見つけた。小さいのでノカンゾウかな、咲くのが楽しみ。


我が家の野趣(?)に溢れた庭(といっている)今年もオレガノがほんのり顔を赤らめて
うじゃうじゃのびている。植えっぱなしでも機嫌よく咲くのでとても気に入っている。

アーティーチョークだろう。畑の人に聞いてみたかったが誰もいなかった。次に張り込もう。


モナルダ、もうこの花が咲く季節になった。カガリビバナとも言う。この花を見ると
大山の山開きを思い出す。








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「鍵のかかった部屋」 ポール・オースター 柴田元幸訳 白水社

2016-06-18 | 読書


「突然の音楽」に続いて読んだが、これは初期の三部作の中の一冊で、発行順にいけば「ガラスの街」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」となるようだ。

順不同でも十分読み応えがあった。彼の作品は自分にあっているようで、抵抗無く世界の中に入っていける。
簡単に言えば今時の言葉で、自分探しの話になるだろうが、彼の思索は心の深い部分に下りていく。物語で変化するシーンを語る言葉の部分が特に興味深い。

作品ごとに舞台は変わっても、自分の中の自己というテーマが繰り返されて、そこには生きていく中にあるひとつのあり方を見つめ続けている。


その自己という言葉で一方の自分というもののどちらかを他者にした、今ある時間。
人生という長い時のなかの今という時間の中にあるのは、自己と他者を自覚したものが持つ深い孤独感と、それに気づいた戸惑いと、自分の中で自己というものの神秘な働きが、より孤独感を深めていくことについて、主人公とともに、時には混沌の中で疲れ、時には楽天的な時間の中で現在を放棄し、様々に生きる形を変えて語られている。

この時期のポール・オースターの、他社と共有できる部分を持つ自己と、他者の介入を許さない孤立した自己意識の間で揺れ動く「僕」と「親友だった彼」のよく似た感性と全く違った行動力に、それぞれの生き方を見つめていく、そんな作風に共感を覚える。


ぼくと彼ファンショーは隣同士で前庭の芝生に垣根が無く、親たちも親しいと言う環境でオムツの頃から一緒に離れずに育ってきた。だがそういったことが成長した今、遠い過去になり、お互いにニューヨークに住んでいたようだが連絡もしなくて疎遠になっていた。

突然、彼の妻から、ファンショーが失踪したと知らせが来る。
7年前だった。
訪ねていくと魅力的な妻は赤ん坊を抱いて、ファンショーがふっと消えた話をする。待ったがもう帰ってこないことを覚悟したとき、親友だったと言っていた僕を想い出して連絡をしてきた。

僕にとって、会わなくなったときは彼が死んだも同じだったが、今、生死が定かでない形で僕の前に再登場したのだ。
子供の頃から書いていた詩や評論や三作の小説を残して。
そして一応遺稿と呼ぶこれらの処理を任された。その後すぐ、突然来た彼からの便りで、「書くという病から回復した、原稿の処理や金は任せる、探すな見つけると殺す」という覚悟が知らされた。彼は失踪という形で出て行って、もう帰る意志はないことが分かった。

原稿を整理して見ると確かに才能があり、ツテで編集出版する。好評で本が売れ、生活が豊かになった。
カツカツの記者生活にも余裕が出来、彼の妻とは愛情が湧いて結婚した。自分の子供も生まれた。

しかし、彼の原稿を読みそれに没頭して過ごすうちに、彼と自分の境があいまいになることがあった。彼の世界は常に自分の背後にあって、同じ物書き(僕は記者だったが)であり、彼の才能は彼の失踪後に花開いたが彼はその恩恵を一切知らず、関係を絶ってしまった。
僕は、いつしか彼と自分のの境界が薄く透明になっていくことに気づいた。

---
考えるという言葉はそもそも、考えていることを自分が意識している場合にのみ用いられる。僕はどうだろう。たしかにファンショーは僕の頭から一時も離れなかった。何ヶ月もの間、昼も夜も、彼は僕の中にいた。でもそのことは僕にはわからなかった。とすれば自分が考えていることを意識していなかったわけだから、これは「考えていた」とは言えないのではあるまいか?むしろ僕は憑かれていた、と言うべきかもしれない。悪霊のごときなにものかに僕は取りつかれ憑かれていたのだ。だが表面的にはそんな徴候は何一つなかった
---

僕は自分と言うものを考えてみる。そして死んだと決まっていいないファンショーの手がかりを探して歩く。
ファンショーを探すことは彼から自分を解放するだろう。


作品は、多分にミステリだ。私は様々にファンショーの行き先(生き先)を推理しながら読んだ。僕の作り出した分身ではないだろうか。ファンショーはもう自分を見失った神経病患者ではないだろうか。

僕はついに家族を捨てファンショーに取り込まれてしまうのではないだろうか。

しかし作者はそんなやすやすと手の内を見せてくれなかった。

最後まで面白く好奇心も十分満足した作品だった。

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「最後の命」 中村文則 講談社文庫

2016-06-16 | 読書

 

中村文則の作品に共通する、心の暗い部分に埋まりそうなテーマに共感しながら、どこか反社会的な生き方をする登場人物たちにやりきれなさも感じる。
だが作品はストーリーの流れに乱れが無く、減速する箇所もなく、文字を追うことについては抵抗が無かった。

少年から青年にかけての性衝動に付きまとわれた生活は、全て小学生時代に偶然見た、知的障碍者の女がホームレスたちに犯されていたことに始まる。
その風景が、ホームレスたちとの共犯じみた原風景になって脳裏の底に沈んでいて、常に顔を出す。

友達だった二人の少年が同じ事件をわずか違った視覚から見、その違いが 二人が別の人生に分かれてしまったあとの生き方になる。

しかし二人の成長とともに原風景は広がり、それに捉えられてしまった後では、頭にこびりついたような性というものに人格を覆い尽くされ、支配されていく。

人の暗部を少年の性を語ることで、暗い闇を背負った二人の男が如何に生き、それを受け入れ抗い、どこにたどり着いたか。

人の原罪に迫る悩みを、生活全体に塗り広げ、作者は解決することを登場人物に任せた、そんな救いようのない作品だった。

分かれた後、闇に流され立ち直ろうともがいていることをお互いに知らなかった二人が、偶然出会い、過去を見つめ返す、しかしやはり、自分を救うのは自分でしかなく、深みに流されていった一人。
助けの要る女を伴侶にして、生き続けようとする一人の、漆黒の中に薄闇が見えてくるような生き方にわずかな救いが見える。

若い中村文則の描き出す暗い人生シリーズの中で、心に残る一冊だった。

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「偶然の音楽」 ポール・オースター 柴田元幸訳 新潮社

2016-06-15 | 読書



主人公ナッシュは、大学を中退して転々と職を変え、ひょんなことで消防士の試験に受かりそれからは地道に務めていた。二歳の時、父は家を出て、現在は母親と妻と娘の三人家族あった。しかし母が脳卒中で倒れホームに預けてからは入院費用のために生活は逼迫し、妻は子供を置いて出て行ってしまった。
突然訪ねてきた弁護士から父親の遺産20万ドルを受け継ぐことを知らされる。父の死よりも大金が転がり込んだことは晴天の霹靂、彼に無常の喜びをもたらした。
入院費の滞りを払い娘は仕事柄ナッシュにはなついていなかったので、堅実で子煩悩な夫を持つ姉の元に預けた。

ナッシュは、残りの金で赤いサーブ900を買う。

彼は車に乗って目的も無く走りたかった。職場にある有給の残り三ヶ月分を消化すればこの気持ちも収まるかと思ったが、一旦帰ってみるとまだ虫は治まらず、とうとう引っ越すことして退職する。
そして銀行に残った6万ドルで、彼は今まで縛られていた様々なしがらみから開放されフリーウェイに乗る。
窓外を流れていく異郷に景色の中では、自分の体から自分が離れていくような気になれた。

好きな音楽とともにアメリカ大陸を横断し名所見物をし父親がいたというカリフォルニアにも行ってみた。そしてついに残りの金を数え、こういう生活も永遠には続かないことに気がつく、切り詰めてはみたがそんな習慣はとっくに無くなり、出発してから1年と2日、残りは1万4千ドルになっていた。絶望の一歩手前、ニューヨークに向かった。

途中で満足に歩けない若者を拾った。
「そのようにしてジャック・ポッツィはナッシュの人生に入ってきた」
少年のように小さく細身で、殴られた傷のせいで満足に歩けない、服は引きちぎられたようにぼろぼろの姿で、彼は助手席に倒れこんできた。
ジャックはカードを使ったギャンブラーだった、自分は腕がよくいつか無敵になりワールドカップにも出られると自信たっぷりだった。
生死の境をさまよう子供を助けたようで目が離せず、ナッシュは残りの金で何くれと世話を焼く。彼は自由と引き換えに、忍び寄ってきたささやかな孤独感に気づいていた。

ジャックのカードの腕を試してみると、ただのホラではない相当の実力があった。彼は当たった高額の宝籤から投資をはじめ今では富豪になり深い森にすむ二人からカードの招待を受けていた。資金は最低一万ドルはいるという。ナッシュは残りをジャックに賭けてみることにした。どうせ素人の成り上がり者で、いいカモになるだろう、ともはや二人の将来の夢はどこまでも膨らんでいった。

そして行き詰る様な攻防の末、ジャックはナッシュの起死回生の追加金をすってしまい、1万ドルの借金まで出来る。
生活資金まですっかり無くしたところに抜け目の無い二人から時給10ドルで、城を解体した石で塀を作ることを提案される。金が無くては出て行くことも出来ない一個の石を積んである山から一つずつ運んで長い塀に積んでいく。

しかしこの仕事に慣れてくるとナッシュは徐々に心の底に平安を覚えるようになる。
一方ジャックは、相手の二人をいかさまだとののしり、憤怒の言葉を吐き散らし、ツキが逃げたのはナッシュのせいだとまで言った。
だが彼も金がなくては行き所も無い、金網で囲われた広い敷地の中の囚人のような待遇に慣れかけてきた。しかし彼一流の処世術でそのときはそういう風に自分をだましてしか生きることができなかったのだ。

見張りのマークスは一日中脇で突っ立ったまま監視する、雨のぬかるんだ日も雪の日も、ただ突っ立って時々あれこれと指図する、二人は無視することを覚えた。
そしてとうとう借金を返した日、ジャックはお祭り騒ぎをする。ささやかな生活費は出来た。金網の下を掘り小柄なジャックなら外に逃げられるのではないか。
しかしその穴を抜けた先には幸せな生活は無かった
ナッシュのサーブは富豪の二人からマークスがもらっていた。一人残ったナッシュは少しずつマークスや息子や孫にも馴染んでいく。ついにその素ごとからも放たれる日が来たとき、かって自分物のであった赤いサーブを運転をして町に出かける。

あらすじでも長いが、実に現代のストーリーテラーといわれるように面白い。
ナッシュという人物。しがらみから逃げて走り回った月日が終わった頃は、帰着する場所を失って、思いもしなかった孤独感を感じるようになる。自由を得たと思ったところが、やはりそれは帰属するものがどこかにあってこその自由であり、糸が切れてしまっては、自立していく強く新しい精神を育てなくてはならない。彼はその手段をジャックという青年の中に見つける。少しの愛着と近親感は生きていけるだけの心のよりどころではあった。
人をひきつける話術と巧みな生き方を見につけたジャックは彼もナッシュに馴染んではいたがまだ若く、ナッシュの誤算は、ジャックは天才でありナッシュは凡人であったことだろう。

息詰るゲームの折、ナッシュはジャックの邪魔にならない位置で見守っていたつもりが、トイレに立ち、ついでに屋敷の中を歩いて住人の持ち物を盗んだ、それはジャックの命がけの気迫をそぎ、負けという運命に落とし込んでしまった出来事だったのだ。ジャックは酔った勢いでそのことに怒り狂っても、ナッシュは一向に理解できなかった。

ナッシュは環境の中から次第に生きる安寧の芽を見つけていく。だがジャックはそうは行かなかった。
遺産が手にいる時期がもっと早かったがナッシュの生き方はもっと違ったものになっていただろうし、ジャックも関わることもなくそれぞれの人生を生きただろう。


いや、なんと言ってもポール・オースターという作家の掌のうちで感じ思うこと。
それが多いくて溢れるほど、実に面白く意味深い作品だった。
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「雷の季節の終わりに」 恒川光太郎 角川書店

2016-06-11 | 読書


常川さんの「夜市」の不思議で幻想的な世界を読み、私の読書はこういった現実から少し遊離した世界に入れることが目的だったのかと強く感じた。成人し気持ちが落ち着いてからも女流作家の作品をあまり手にとらなかったしエッセイなどは遠巻きに題名を眺める程度だった。常川さんの虚像に近い世界だけでなく、常に本の世界はフィクションだと決め付けて、それが非日常の中に暮らす人々の姿に自分を繋げる手段だったかもしれない。


「雷の季節の終わりに」はその「夜市」に続いて書かれたものだったが迂闊にも知らずにその後の作品を読んでいた。
この話はどことなく世界観や雰囲気が「夜市」に似ていて別の作品の「風の古道」のようにも感じられる。
そんな雰囲気が受け継がれていて、馴染みやすかった。


古代ともいえる遠い時代から「穏」という街は存在していた。時空を異にしているので現実の世界からは見えず往来も無い。商人や一部時の隙間(高い塀で囲われているが)からたどり着いた人々の子孫が長い歴史の中で、育っていることもある。
そこには冬の終わりから春が来るまでの間に雷季というものがあり、雷雲に閉ざされ、大きな音が鳴り響くその季節を、人々は護符を貼って扉を閉ざし息を潜めてやり過ごす。
その年の雷季に、潜んでいた姉弟のうち姉が雷にさらわれて消えた。そのとき弟の賢也の隣りに抵抗なく滑り込んだ異物があった、「風のわいわい」と呼ばれる異界のものだが、彼はその気配を受け入れた。
忌み嫌われるこの憑きものは祓うことが出来なかった。
街(下界と呼ぶ)から来たと言う二人は老夫婦に育てられていた。「穏」は穏やかな暮らしやすい自然に恵まれた土地だった。
賢也が小学生になったとき、一緒に遊び、兄のようになついていた人を殺してしまう。男は殺人鬼と呼ばれるような裏の顔を持ち少女たちを殺していた。
賢也は禁断の塀の門をくぐり、高天原を通り、町を目指して逃亡する。そして苦難の末、現代の生活に逃げ込む。

賢也は過去を忘れているが、「穏」に来た経緯が別のストーリーで語られる。これも面白い。

最後は二つの物語がまさにきっちりとつながり、二つの世界に血が通ったような生き生きとした作品になっている。

「穏」の生活風景は鮮やかで穏やかで、そこに毎年短い奇怪な季節がおとずれる。
住んでいる人々は長い慣習を守って暮らしている。

賢也の逃げ込んだ外の世界は、現代の街の姿である。
追っ手は時空を行き来し、怪物の姿を垣間見せる。
「風わいわい」は時に人を導き、世間話をし、天空にある「風わいわい」の世界を話して聞かせる。

このなんともいえない不思議な世界、SFとも言えずホラーでもない、それでいて風景の繊細で美しい描写や人々の欲望や希望や生命の巡りなどが目の前に開けてくるような世界に引き込まれた。
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「ほっこりミステリー」 伊坂幸太郎 中山七里 柚木裕子 吉川英梨  宝島社

2016-06-10 | 読書




最近ホッコリづいているので、題名が気に入って買ってきた。
4人の作家の短編集だが、柚木裕子さんは名前だけ、吉川英梨は初見だった。
ホッこりという題名だけあって、ミステリだけれど解決が、あ~それはそれは、というか、へ~そうだったんだというか、日常のちょっとした話の結びは面白かった。

「BEE」 伊坂幸太郎
恐妻家の殺し屋「兜」は、夫婦の殺し屋ススメバチのメスはE2(東北新幹線はやて)事件で死んだと聴いていた。が、オスの方が生き残っていて、自分を狙っているそうだ。一方家庭ではいい夫の顔で暮らしている、出来のいい息子もいる。
妻がガレージの前に蜂の巣があると言う。それはアシナガバチかスズメバチか、どちらにせよ何とかするように妻に言われている。
殺しの紹介者は医者で、カルテには依頼内容が、腫瘍というのは標的で、依頼主は患者などと符牒が決まっている。このやり取りと、家にいる怖い奥さんと、巣を作ったススメバチとの一戦も読み逃せないと言うか、伊坂さんの殺し屋とハチがらみのユーモア炸裂!

「二百二十日の嵐」 中山七里
今で言う限界集落で、廃棄物処理場建設計画が持ち上がった。雇用促進だと言うが、城崎夏美は自然破壊が許せない、そのうえ便利な近道に使っていた崖下の道が、かっての嵐で崩れ多くの犠牲者がでて供養塔が立っている。
それを撤去しないと施設は作れない。
丘の上で揉めているところに、採石をして研究している同僚の高田先生がいた。彼は空気の悪い都会からここに来たと言う。ここの石には「モリブデン」が含まれているといった。
建設が始まって高い塀をめぐらして故意に目隠しがされてしまった。なぜか予定地に立っていた大きな慰霊碑が忽然と消えた。雨が降り続く日、危ない下家が崩れかけた、子供が一人巻き込まれたらしい。夏美はここで両親をなくしていた、急いで駆けつけると頭上の巨石が動いている。危機一髪、崖の上で石を止めたような高田先生の影が見えたが。彼は今日、産休明けの教師と交代して転任すると言う。
「モリブデン」を活用すれば、といって去っていった。夏美は子供の時に出逢った、あの童話のあの子のような気がした。

「心を掬う」 柚木裕子
郵便が届いてないらしい。どうもその数が半端でない。
「酒処ふくろう」でもその話が出た。客の佐方は考え込んで郵便物紛失について内部で調べて欲しいと言う。
そして意外な事実が出てくる、どうも現金がはいっていた郵便がなくなるらしい。しかし確証がない。
佐方は郵便の差出人の気持ちを汲んで意外な手段を選ぶ。ちょっと感動した。面白い。
この、心を掬った男、佐方直人さんは検事をやめた弁護士で柚木さんの他のシリーズで活躍しているらしい。一冊買って読んでみる。

「18番テーブルの幽霊」 吉川英梨
イタリアンレストランの18番テーブルはいつも予約済みになっている。
レストランにやって来た健太は、中学の友人から、この18番テーブルの幽霊話を解決して欲しいと頼まれている。
話を聴くために連絡したのは継母の原麻希。彼女は警視庁の鑑識課員で、父とできちゃった結婚してからはハラマキと呼ばれている。
謎解きより先に目前にある英語学院の児童の爆弾騒ぎに巻き込まれる。そこにはハラマキの娘がいた。
爆弾騒ぎはやがて解決、人質を取った爆弾男もパテシェの機転で捕まった。
蓋を開けてみるとなかなか深い人情話がひかえていて、謎あり、ちょっとアクションありよく纏まった面白い話だった。

初めての吉川さんは「アゲハ」「スワン」「マリア」「エリカ」「ルビー」という女性秘匿調査官・原麻希シリーズがあるらしい。面白かったのでメモしておこう。
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2016.6.6 山田池公園の花菖蒲をみてきました

2016-06-08 | 山野草
2016.6.6 
友人と山田池公園の花菖蒲をみてきました。
紫陽花も咲き始めて丁度見ごろでした。

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ラベンダーの切り戻し

2016-06-08 | 山野草




テレビの電源を入れると、偶然ラベンダーの選定をしていた。
うちののびすぎたラベンダーもああやって切れば、形もよくなって来年も咲くのか。
切り穂を挿し木にすれば増えるらしい、シメシメ。

早速 木質化した幹をノコギリで切り、花は終わりになっていたので丸く選定した。
まだ花の綺麗なところは花瓶に活けた。

挿し穂もあいていた植木鉢にびっしり挿した。何本か芽を出すだろう。なんか楽しみなので毎朝覗いてみている。







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「羊と鋼の森」 宮下奈都 文芸春秋

2016-06-07 | 読書

いい作品だった。
本屋大賞に少し偏見を持っていたが、読者賞も合わせて受賞しているとのこと。これから迷ったときは本屋大賞にしようかな。

高校時代に聞いた音に魅せられてピアノの調律師になった男の子、成長してからの話もあるから青年の話。

うちでも娘が嫁に行くまでピアノを習っていたので調律してもらうことがあった。息子のバイオリンは途中で止めてしまったが、生徒のコンサートの前は、ずらっと並べられたヴァイオリンを何人かの先生で調律していた。この時、親まで緊張するがいいろんな音が交じり合った雰囲気はとても好きだった。

コンサートホールの演奏会で指揮者を待つ間に団員の方が持っている楽器を鳴らしてみている、それぞれの音が混じってこれから始まるのがなぁと期待でわくわくする。

音の世界でも受ける人によって見たり感じたりするところは違うだろうが、この主人公の外村君は初めて体育館で大きなグランドピアノが蓋(彼は翼に見えた)を広げ、調律師がポンとならした音が、育った森の音に聞こえた。深い夜の音、梢を渡る風の音、木のざわめき葉づれ、踏んでいく積もった枯葉の音。彼は調教が終わるまで二時間我を忘れて聞き入ってしまった。

貧しい山のふもとの家で育ち裏の深い山の音を聞いて育った、そんな記憶が音になって聞こえた。彼は決心して調律の専門学校を出て楽器店に就職する。

名人というような技で調律をする板鳥の補助を始める。同僚には個性的な面々がいて、それぞれ自分の術を持っている。理解できなかった先輩の技術が分かり始める。

ピアニストの音が清涼に美しく聞こえるよう。ピアノが持っている音がよりよく響くよう調教したいと思う。
それぞれ作られた時代もおかれた条件も違う。
羊の毛をフェルト状にしたハンマーや鋼の弦の張り具合。どうしたら奏者も聴衆も望む音が出るのか。
どうすればタッチにあうようペダルや鍵盤が整えられるのか。

演奏する側の話は時々目にするが、調律の技術者が彼らの望む音に対する情熱は、常に裏方のもので、調律の前とあとをピアニスト以外は比べることは出来ない。音を作り演奏すると言う行為や、音の響きを聞き分けて感じる奥深い世界がとても多彩で優しい言葉を使って綴られている。

古い古いピアノをよみがえらすところ。大きなコンサートホールの名演奏家が弾くピアノ演奏の前に調律し、本番はジット耳を澄ませる調律師という仕事が少し理解できた。


調律師は呼ばれてなくては行くことが出来ないが、たまたま関わった双子とのエピソードが面白い。
でも、いわしてもらえば、この当たりから次第に感傷的な記述が増えてはいないだろうか。いい話で感動的だが、著者が感傷的過ぎるとすこし重く感じてしまう。

でも、でもはじめて読んだ宮下さんという作家が好きになった、これまでにかかれた評判のいい作品を読んでみたい。嬉しい人を見つけた。

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「光の旅人 K-PAX」 ジーン・ブルーワー 角川文庫

2016-06-02 | 読書


随分前になるがこれを原作にした映画を見た。
「かっこうの巣の上で」という感動的な映画があったことを、この「光の旅人」という映画をみて想い出した、舞台が精神病院だったからかもしれないし、一人の患者がみんなを癒していくというストーリーが似ていたからかもしれない。
主演のケビン・スペイシーとジェフ・ブリッジスもよかった。

本屋さんで見かけて早速読んでみた。映画はもう殆ど、細かいところまで忘れていたが、本を読んで、改めて自分の日常や精神状態を振り帰り、すがすがしい読後感を持った。


マッハッタンで一人の男が収容されて、パウエル医師のいる精神病院に回されてきた。
彼は琴座にあるK-PAXとい惑星から来たという。さまざまな身体的な検査にはまったく異常がなかったが、ただ可視光線感知に異常な能力があり正常な人間を越えた視力が認められた。眩しいのか常にサングラスをかけている。
彼とのセッションで、パウエル医師は様々なことを知ることになる。
自分をプルートと名乗る男はK-PAXの生活を細かく話すことが出来、K-PAXから見た宇宙銀河系の地図を描いて見せた。それは友人の宇宙学者も驚くほど正確なものだった。

パウエルは彼が宇宙から来たということははなから信じられない、病名をつければサヴァン症候群だろうか、ついには多重人格ではないだろうかと疑う。人柄を知って親しみを感じるようにもなるが、彼が語る星の生活を聞くと、自分のこれまでや父親の影響で精神科の医師になったいきさつなども振り返るようになる。

プルートの周りには患者が集まりだす。恐怖感にとらわれていた患者が、今まで避けていたことに興味を示したり、硬い表情が和らいでいく患者もいる。彼は何か癒しの力があるのだろうか。

8月17日には星に帰るというプルートの周りを、連れて行って欲しいという患者が取り巻くようになった。

パウエル医師は、彼が帰るというその期日までのセッションで正体を解明できるだろうか。

8月17日、プルートは人類に関する報告書を書き上げて消えた。
医師はプルートの過去と不思議な現在の出来事に立ち会うことになる。

「ときには、真実は辛いものだからね。ときおり、わたしたちには、もっとよい真実を信じる必要があるんです」
「真実よりさらにいい真実があるってどういうことさ?」
「もっとよい形態の真実があるかもしれないってことですね」
「たったひとつの真実しかない。真実はぜったい的なものだ、それから逃れることはできない、どんなに遠くまで走ってもね」と彼は言ったが、それはどちらかといえば、私には彼の願望のように聞こえた。
「他の局面もありますよ」
私は異論を述べた。「私たちの信仰は、不完全で矛盾した経験にもとづいています。ですから、そうした問題を解決する手助けを必要としているんですよたぶん、あなたは私たちの力になれるかもしれませんね」



作者は科学の研究、特に細胞分裂の研究に携わった人だそうで、その知識が生んだこの作品は、ストーリーの意外さに違和感がなく、プロートの異星人だという目から見た人間というものにも興味が引かれる。
暖かい読後感に包まれてすぐに読み終わった。
映画もよく作られていたことを感じた。
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