土曜日で、またカレンダー通り勤め人が休んでいる。
休日は起床時間が少しずれるだけで、家事雑用は同じか。
人数分普段より少し増えるが(昼食は残り物というわけにいかない、一品くらいは気休めに作る)
健康的だともいえるけれど。
まぁ家に人声がするというのも悪くない。別に不満はない。
家庭は様々な形で家族が作っていく。外でもうちでも生活の基本は昔から変わらないけれど。
嫌でも生活の上ではしなくてはいけないことがある、それも習慣と思えば、向こう三軒両隣との付き合いも上手くなる。しばらく忘れていたが。
「朝起きて顔を洗って朝ご飯を食べて学校に行って帰って宿題をして友達と遊んで寝ました」
おいおいと言われても作文に公式のように書ける日常の繰り返しがいい。
それが無事に繰り返されることも、健康的ではないかな。
だからと基本形だけにしてしまうのもまた違うが。年と共に基本の想いが内に膨らんでいくのが成長でしょうか。
コロナウイルスのおかげで私の日常が変わった。外出して自然を眺めるのだけが気分転換ではなくなった。窓から見える空でも長時間飽きず眺めても十分楽しい発見。
断捨離もコツコツやっていく。外にいる時間と引き換えに長年溜まったゴミ処理ができる。
日常が濃くなった気がする。なんとなく優先順位があった趣味も、平均にカバーできたし。
時間の使い方に外と内の区切りができた。
スケジュール通りも楽しい、一日の終わりにわずかに達成感がある。
生活がゆっくり進んでいく感じも楽しい。
他人との付き合いも嫌いではないが、こうした時間を得られたことがとても豊かだった気がする。それでも外に出ればひとがいてつながりはある。
さあ少し自由に出かけられるようになった。閉塞感にも空気が入ってくる。
どこらあたりに外時間を入れるか。
無理しない程度の自己管理について考えるのも楽しい。
ここまで楽天的だとウイルスと闘う人々の前ではブレーキテストをしなくては。
自己管理は時々見直し、点検をしないと人道を外すな。
といっても自然の空気の中に自由に出られるということは嬉しい。
大切なのは自由だ ヽ(^。^)ノ
秋の夕暮れ