Potential of aromatherapy

aromatherapy and golf and movie

伊藤野枝と平塚らいてう

2016年05月19日 | 雑記
友達と夜な夜なラインでこの2人についてお話し。
そもそもは
伊藤野枝伝の本から派生したのでした。

 『村に火をつけろ 白痴になれ』という本の話をしていたのでした。

それから日陰茶屋事件とか甘粕事件の内容はどうだったのか、話が盛り上がりました。

平塚らいてうは、「若いツバメ」という言葉を世に送り出した女性です。
5月24日が命日です。

らいてうは
【日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、戦前と戦後にわたる女性解放運動家。
戦後は主に反戦・平和運動に参加した。
平塚は、特に、大正から昭和にかけ、婦人参政権等、女性の権利獲得に奔走した
活動家の一人として知られる。
結局、その実現は、第二次世界大戦後、連合国軍の日本における占領政策実施機関GHQ主導による
「日本の戦後改革」を待たざるを得なかった。
しかし、1911年(明治44年)9月、平塚25歳の時、雑誌「青鞜」発刊を祝い、
自らが寄せた文章の表題『元始、女性は太陽であった』は、女性の権利獲得運動を象徴する
言葉の一つとして、永く人々の記憶に残ることとなった】
と記されていました。

やっぱりゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読むものです。はずせません。

伊藤野枝は、自由恋愛主義者で、波乱万丈すぎる人生でした。
アナキストだったので、38歳で扼殺されてしまいましたが、それまでは恋愛も
三角関係ならぬ四角関係にもなり、恋人を刺されたり・・・・
そこが葉山にある日陰茶屋。今は日影茶屋です。
殺されたけれども、その前には肋骨が折れるほどの暴行も受けていたことが
50年以上たってから、明らかになっていました。

野絵の恋人の大杉栄は「ファーブル昆虫記」を訳すほどのフランス語が堪能でした。
100年前にダーウィンの「種の起源」も翻訳しているのです。

こういう人たちって、普通の人じゃないんですねと思ったのでした。
現代に生きていたら、何を話して、何を書いているのでしょう。







最新の画像もっと見る

post a comment