気付けば2月になってしまいましたね。
サッカーを早く書かないと・・・って、思いつつも・・・寒い間にこの話を完結させないとなって思いながら書いています
次の寒い話が控えていますからね(笑)
それでは参りたいと思います
2016 弾丸ツアー+1 in summer セカンドステージ ~その18~
についてお話をさせて頂きたいと思います。
7月30日と31日に1泊2日で一人旅をした話をさせて頂きたいと思います!
今日は少しだけペースが上げられるかも(笑)
・・・って、そんな余裕があるのならば、先にサッカーを始めんかい!って感じなのですけどね
帯に短し、たすきに長しってやつですかね
昨日の続きで、旅の2日目になる7月31日の午前10時50分です長野県上田市の上田城にやって来ております!!
上田城の中は神社になっていましたね。
それプラス、櫓があるので行ってみたいと思います
西櫓!
江戸時代に仙石家が建てたようですね。
まぁ・・・上田城は真田家時代のものは関ヶ原直後に壊されてしまっていますからね
それでは、櫓の中に入ってみたいと思います
中はそれほど広くはないですね
兵は100人も入れないんじゃないかな・・・
しかし、備えはなかなかのものですね
鉄砲狭間がありますしね
ここに銃を突き出して相手を狙っていきます
武者窓たるものもありますね
これも戦の為の備えですね
窓を棒で突き上げて素早く開けることが出来るように工夫されています
今のようにレールと滑車が着いているわけじゃないでしょうしね・・・この素早さは必要でしょうね
さらには、矢狭間なんて言うものもあります
鉄砲は銃を伸ばしたらいいだけだけど・・・矢をこの狭い所から放つのは難しそうな気がするのは私だけか
・・・って感じで小さな櫓だけど、それでも重要な防衛基地になっている西櫓を出て、南櫓に移ります
最初の正面にあったやつですね
こちらの櫓も有料ですが、中に入ることが出来ますね
入口は南櫓からですね。
ですが、南櫓は帰りに見ることにして・・・北櫓に移ってみます
櫓の外には楯が備えられていましたね
真田幸隆や若い頃の真田昌幸が仕えた武田信玄時代は、そこまで普及はしていなかったと思いますが・・・
真田昌幸が真田家を継いだころ以降は鉄砲が戦いの主役になっていた感じですかね・・・
徳川家康も大阪の陣で土壁や楯をもって、相手の銃撃に備えながら城攻めを行う仕寄せを兵たちに教えていましたね
まぁ・・・これは真田丸のネタですが(笑)
そんな楯のある場所を通っていくと、門の上の櫓・・・東虎口櫓門へと通り抜けます
これが門の上になる東虎口櫓ですね
中はちょっとした資料館になっています
第一次上田合戦の絵図ですね
相手を城内に誘い込んで城内で袋叩きにして、逃げて行く徳川兵を信幸の兵と神川の水攻めでボッコボコにした戦でしたよね
あれは気分がよかった(笑)
さらには、こんなものが・・・
火縄銃ですね!!
やっぱりカッコいいなぁ・・・
武田のファンとしては火縄銃は長篠のイメージもあるから、必ずしもいいものとは思えないけど・・・
実物を見ると、持ってみたくなるよなぁ・・・
・・・って、持ってみてもいいの?
じゃ、遠慮なく(笑)
イメージは第一次上田合戦!!
真田昌幸が火縄銃を持った兵たちに、命じられているイメージをもって・・・
放てっ!!
・・・って妄想しながら、門の外へ向けて銃を向けてみたところで今日はこれまでにしたいと思います。
明日も続きを書こうかな・・・
チャンスがあればサッカーを優先的に書いて行きたいけど、実現する可能性は低いだろうな・・・
それでは今日はこの辺で失礼させて頂きます
本日もご覧いただきまして、誠にありがとうございました
サッカーを早く書かないと・・・って、思いつつも・・・寒い間にこの話を完結させないとなって思いながら書いています
次の寒い話が控えていますからね(笑)
それでは参りたいと思います
2016 弾丸ツアー+1 in summer セカンドステージ ~その18~
についてお話をさせて頂きたいと思います。
7月30日と31日に1泊2日で一人旅をした話をさせて頂きたいと思います!
今日は少しだけペースが上げられるかも(笑)
・・・って、そんな余裕があるのならば、先にサッカーを始めんかい!って感じなのですけどね
帯に短し、たすきに長しってやつですかね
昨日の続きで、旅の2日目になる7月31日の午前10時50分です長野県上田市の上田城にやって来ております!!
上田城の中は神社になっていましたね。
それプラス、櫓があるので行ってみたいと思います
西櫓!
江戸時代に仙石家が建てたようですね。
まぁ・・・上田城は真田家時代のものは関ヶ原直後に壊されてしまっていますからね
それでは、櫓の中に入ってみたいと思います
中はそれほど広くはないですね
兵は100人も入れないんじゃないかな・・・
しかし、備えはなかなかのものですね
鉄砲狭間がありますしね
ここに銃を突き出して相手を狙っていきます
武者窓たるものもありますね
これも戦の為の備えですね
窓を棒で突き上げて素早く開けることが出来るように工夫されています
今のようにレールと滑車が着いているわけじゃないでしょうしね・・・この素早さは必要でしょうね
さらには、矢狭間なんて言うものもあります
鉄砲は銃を伸ばしたらいいだけだけど・・・矢をこの狭い所から放つのは難しそうな気がするのは私だけか
・・・って感じで小さな櫓だけど、それでも重要な防衛基地になっている西櫓を出て、南櫓に移ります
最初の正面にあったやつですね
こちらの櫓も有料ですが、中に入ることが出来ますね
入口は南櫓からですね。
ですが、南櫓は帰りに見ることにして・・・北櫓に移ってみます
櫓の外には楯が備えられていましたね
真田幸隆や若い頃の真田昌幸が仕えた武田信玄時代は、そこまで普及はしていなかったと思いますが・・・
真田昌幸が真田家を継いだころ以降は鉄砲が戦いの主役になっていた感じですかね・・・
徳川家康も大阪の陣で土壁や楯をもって、相手の銃撃に備えながら城攻めを行う仕寄せを兵たちに教えていましたね
まぁ・・・これは真田丸のネタですが(笑)
そんな楯のある場所を通っていくと、門の上の櫓・・・東虎口櫓門へと通り抜けます
これが門の上になる東虎口櫓ですね
中はちょっとした資料館になっています
第一次上田合戦の絵図ですね
相手を城内に誘い込んで城内で袋叩きにして、逃げて行く徳川兵を信幸の兵と神川の水攻めでボッコボコにした戦でしたよね
あれは気分がよかった(笑)
さらには、こんなものが・・・
火縄銃ですね!!
やっぱりカッコいいなぁ・・・
武田のファンとしては火縄銃は長篠のイメージもあるから、必ずしもいいものとは思えないけど・・・
実物を見ると、持ってみたくなるよなぁ・・・
・・・って、持ってみてもいいの?
じゃ、遠慮なく(笑)
イメージは第一次上田合戦!!
真田昌幸が火縄銃を持った兵たちに、命じられているイメージをもって・・・
放てっ!!
・・・って妄想しながら、門の外へ向けて銃を向けてみたところで今日はこれまでにしたいと思います。
明日も続きを書こうかな・・・
チャンスがあればサッカーを優先的に書いて行きたいけど、実現する可能性は低いだろうな・・・
それでは今日はこの辺で失礼させて頂きます
本日もご覧いただきまして、誠にありがとうございました
それに、木の使い方がすごく綺麗だなあとみるたび思います。
今回の記事で全体の構造がよくわかった気がします。
火縄銃、わたしも触りたいです^^
天守閣云々より、防衛に必要なものが工夫されているって言うか・・・これで徳川に2回勝ったのですからね
木の使い方はアンジーさんに言われて、なるほどなって思いました(笑)
しっかりとした堀と櫓で簡単には攻め落とせない構造になっていますね
火縄銃・・・思ったよりは重くなかったかな