★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ケンプのブラームス:ピアノ小品集

2024-04-11 09:36:01 | 器楽曲(ピアノ)


ブラームス:2つのラプソディー第1番/第2番op.79        
      カプリチオop.76の1~2
      インテルメツォop.76の4
      幻想曲第1曲~第7曲op.116

ピアノ:ウィルヘルム・ケンプ

LP:日本グラモフォン SMG‐1256

 ブラームスのピアノ曲というと、3つのピアノソナタ、2つのピアノ協奏曲、さらのパガニーニ変奏曲のような力の入った初期から中期にかけての大曲を思い浮かべる。これらはいずれも重厚でロマン性に富んだ雄大な曲想が特徴で、作曲家としての若き日のブラームスの意欲が、巨大なエネルギーを伴って溢れ返るようでもある。そんな力強いピアノ作品の作風は、中期後半から晩年に掛けて、がらりと一変する。何か枯淡の境地に至って、遥か昔を偲ぶかのような雰囲気を漂わす一連の小品のピアノ独奏曲を書き始める。そんなブラームス中期後半から後期に掛けてのピアノ独奏曲を集めたのがこのLPレコードなのである。つまり、これらの曲に、明るく軽快なロマンの香りを求めようとしても、それは無いものねだりというものだ。もうそこにいるのは、かつてのエネルギーの丈を思いっきり鍵盤に爆発させた若々しいブラームスではない。老人が自分の人生を振り返り、遠く彼方を思い浮かべる孤独感と諦観を抱いた晩年のブラームスの姿だ。しかし、そんな作品なんて面白くなさそう、と考えるのは早計なのだ。成る程、間奏曲(このLPレコードには収録されていない)は、瞑想的で沈潜的な曲が多いかもしれないが、このLPレコードに収録されているラプソディー、カプリチオ、インテルメツォ、幻想曲は、いずれも間奏曲ほど内向的でなく、スケルツォ的で活発な曲が多く、聴きやすい。2つのラプソディー第1番/第2番op.79は、1879年の夏に避暑地のペルチャッハで書かれた。ラプソディー(狂詩曲)というよりバラードに近い曲想を持つ。作品76は、4曲ずつのカプリチオとインテルメツォとからなる。第1曲は、1871年に書かれ、残りの曲は1878年夏にペルチャッハで書かれた。幻想曲第1曲~第7曲op.116は、3曲のカプリチオと4曲のインテルメツォからなるが、何故、幻想曲という名がつかられたは分からない。このLPレコードで演奏しているのはドイツの名ピアニストのウィルヘルム・ケンプ(1895年―1991年)。ケンプの演奏は、あくまでも音楽に真正面から向き合い、誠実に演奏を行う。心の奥底からの共感を基に演奏する。当時、ケンプを日本のリスナーは敬愛し、またケンプも日本に好意を持ち、しばしば来日していた。そんなケンプが心の奥底からブラームスの世界に浸り、名演を聴かせてくれるのがこのLPレコードなのだ。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇トスカニーニ指揮NBC交響楽団のメンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」/ 交響曲第5番「宗教改革」           

2024-04-08 09:44:38 | 交響曲


メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」            
         交響曲第5番「宗教改革」

指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ

管弦楽:NBC交響楽団

録音:1954年2月28日(第4番)、1953年12月13日(第5番)、米国、カーネギーホール

発売:1978年

LP:RVC(RCA) RVC-1539

 アルトゥーロ・トスカニーニ(1867年―1957年)は、当時一世を風靡したイタリア出身の大指揮者。パルマ王立音楽学校をチェロと作曲で首席で卒業し、最初はオーケストラのチェロ奏者として活躍する。以後、指揮者としてイタリア各地で活動を開始。ミラノ・スカラ座音楽監督(1921年―1929年)を経て、メトロポリタン歌劇場の首席指揮者(1908年―1915年)を務めた。1927年にはニューヨーク・フィルの常任指揮者に就任。さらに1937年にはNBC交響楽団の首席指揮者に就任する。このNBC交響楽団は、トスカニーニの演奏をラジオ放送するために特別に編成されたオーケストラで、生みの親はRCAのサーノフ会長であった。同楽団は、1954年まで活動したが、その後は「シンフォニー・オブ・ジ・エアー」と名称を変え、自主運営により1936年まで演奏活動を続けた。このLPレコードは、トスカニーニの最晩年に録音されたものである。メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」は、メンデルスゾーンがイタリア旅行中に書き始めた曲で、1831年から1833年にかけて作曲された。イタリアの明るく美しい風景を連想させるような軽快なリズム感と情熱的なメロディーと叙情的なメロディーとが巧みに交差しており、メンデルスゾーンの交響曲の中でも最も人気が高い曲となっている。ここでのトスカニーニは、誠に歯切れが良く、一部の隙もない、力強い指揮ぶりを存分に聴かせる。まるでリスナー自身が、聴きながらイタリア旅行を楽しんでいるかのような感覚に陥るほどの名演だ。数ある「イタリア交響曲」の録音の中でも、現在においても、その存在意義は少しも色失せていない。一方、メンデルスゾーン:交響曲第5番「宗教改革」は、1830年に作曲された曲で、実際には交響曲第1番の次に作曲されたメンデルスゾーン21歳の時の初期の作品。自らも熱心なルター派の信者だったメンデルスゾーンが、マルティン・ルターの宗教改革300年祭のために書いた曲(宗教改革300年祭は実際には開催されなかったという)。第1楽章に、ドイツの賛美歌「ドレスデン・アーメン」、終楽章には、ルターのコラール「神はわがやぐら」が用いられていることで知られる。ここでのトスカニーニは、「イタリア交響曲」で見せたメリハリある指揮ぶりに加え、さらに遠近感を付けたようなスケールの大きい指揮で、聴くものを圧倒する。今でもこの交響曲のベスト録音と言ってもいいほどの力演となっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇バルトーク弦楽四重奏団のバルトーク:弦楽四重奏曲第5番/第6番

2024-04-04 10:30:54 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)


バルトーク:弦楽四重奏曲第5番/第6番

弦楽四重奏:バルトーク弦楽四重奏団

LP:ビクター音楽産業(ΣRATO) ERA‐2056(STU‐70398)

 バルトーク(1881年―1945年)は、全部で6曲の弦楽四重奏曲を作曲している。最初の第1番が1909年の作で27歳の時、そして最後の第6番が1939年の作で58歳の時と、生涯を通して作曲されたことが分る。そして、その内容は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に匹敵する高みに達した曲として、現在高く評価されている。これは、思索的な深さ、発想の独自性、技術的な完成度の高さのどれをとっても、近代の弦楽四重奏曲の白眉であることを指しているわけである。第1番は、ドイツ・ロマン派的な傾向と民俗音楽が融合しており、美しい旋律に満ちているが、ある意味では、ドイツ・ロマン派の影響からまだ抜け出していない作品と言える。第2番は、シェーンベルクの無調音楽の影響も見ることができ、バルトークの作風の転換を示す過渡的な作品。第3番は、単一楽章からなり、対位法による打楽器的な演奏が要求され、感情を作品中に反映させる表現主義に基づいた作品。第4番は、その構成の緻密さ、有機的な統一性においてベートーヴェンの弦楽四重奏曲にもなぞらえる作品で、荒々しいリズムと不協和な和声とを、より先鋭化する特殊奏法が駆使され、演奏技巧上、弦楽四重奏曲中屈指の難曲とされている。そして今回のLPレコードに収納された晩年の第5番、第6番へと続く。第5番は、全部で5つの楽章からなり、それまでの難解な表現主義的な傾向を捨て去り、再びロマン派的な作風への回帰が見られる作品。簡潔な分かりやすさ、調性感の明確さが際立つ。第6番は、母の死により、全体がメスト(悲しげに)と指定された曲で、悲しげな感情を通し、バルトークの人間性が結実した精神性に富んだ曲。知的なものと情緒的なものが新しい平衡感覚をつくり上げている。このLPレコードでのバルトーク弦楽四重奏団による第5番/第6番の演奏は、緻密であると同時に、精神的に深く掘り下げられた内容を持ち、さらに躍動感溢れた内容となっており、ともすれば難解なバルトークの弦楽四重奏曲の世界を、リスナーに分りやすく演奏しており、非常に好感が持てる。バルトーク弦楽四重奏団は、ハンガリーの首都ブタペストのリスト・フェレンツ音楽院の卒業生をメンバーにより、1957年結成された。「バルトーク」という名称が付けられたのは、バルトーク:弦楽四重奏曲の演奏における素晴らしい功績が認められ、バルトーク未亡人およびハンガリー政府から贈られたもの。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン:序曲選集

2024-04-01 09:37:18 | 管弦楽曲


ベートーヴェン:序曲選集            

             「コリオラン」            
             「フィデリオ」            
             「レオノーレ」第1番/第2番/第3番

指揮:フランツ・コンヴィチュニー

管弦楽団:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

発売:1974年

LP:日本フォノグラム(フォンタナ・レコード)

 「コリオラン」序曲は、当時ウィーンの詩人で法律家でもあったハインリヒ・コリンが、1902年11月に上演した5幕からなる戯曲「悲劇コリオラン」を基にベートーヴェンが作曲した作品。「フィデリオ」序曲は、ベートーヴェンが遺した唯一のオペラの序曲。1805年11月20日に「レオノーレ」という題名でこのオペラは初演された。しかし、この1週間前にフランス軍がウィーンを占領したため、3日間の上演で中止されてしまった。翌1806年に改作され、3月と4月に上演されたが、今度は報奨金の件でベートーヴェンは劇場側と喧嘩をしてしまい、怒ったベートーヴェンは、続演を断ってしまった。それから8年が経った1814年5月に、このオペラは徹底的に改訂され、題名も「フィデリオ」に改められて、上演され、ようやく大好評得たという。「レオノーレ」序曲第1番は、1807年のプラハにおける上演のために書かれ、そのまま破棄されたという説があり、実際のオペラの上演には使われてはいない。「レオノーレ」序曲第2番は、オペラ「レオノーレ」が1805年に初演された時に書かれたもの。「レオノーレ」序曲第3番は、1806年の改作の上演の時に作曲されたもので、序曲の名作として今日でもしばしば演奏される。フランツ・コンヴィチュニー(1901年―1962年)は、オーストリア出身で、旧東ドイツで活躍した名指揮者。ライプツィヒ音楽院で学ぶ。フルトヴェングラー時代のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でヴィオラ奏者として活動した。その後、指揮者に転向。1927年にシュトゥットガルト歌劇場の練習指揮者として指揮者活動をスタートさせ、3年後に首席指揮者に就任。1953年から1955年までシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を務め、1955年以降はベルリン国立歌劇場の首席指揮者も務めた。1952年、東ドイツ国家賞を受賞。1949年から亡くなる1962年まで、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(楽長)を務めた。このLPレコードでのコンヴィチュニーは、いつになく現代的な感覚をもって指揮をしており、今聴いても古めかしさはあまり感じない。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の重厚で燻し銀のような音色を巧みにリードして、ベートーヴェンの序曲の真髄を余すところなく聴かせてくれる。特に、レオノーレ第3番の演奏は完成度が高く、今でもこの曲の録音の最高の一つに挙げられよう。(LPC)         

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