モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番/第23番
ピアノ:クララ・ハスキル
指揮:ベルンハルト・パウムガルトナー(第20番)
パウル・ザッヒャー(第23番)
管弦楽:ウィーン交響楽団
録音:1954年10月11日(第20番)/1954年10月8~10日(第23番)
LP:日本フォノグラム(フォンタナ・レコード) FG-211
モーツァルトは、生涯で27曲のピアノ協奏曲を作曲した。ただし、第7番は3台のピアノ、第10番は2台のピアノのための協奏曲である。このLPレコードには、この中から第20番と第23番の2曲が、往年の名ピアニストのクララ・ハスキル(1895年―1960年)によって収録されている。第20番が作曲されたのは1785年、モーツァルト29歳の年である。第19番までのピアノ協奏曲は、モーツァルトの独自性は、あまり濃く反映されていないが、この第20番以降は、モーツァルトの個性が存分に盛り込まれた傑作群のピアノ協奏曲が書かれることになる。第20番はこれらの最初の曲といえる。この間の秘密は、作曲した年に起こったことに関連がありそうである。この年、モーツァルトは自宅にハイドンを招き、完成した弦楽四重奏曲集「ハイドン・セット」の演奏会を催した。つまり、これによってハイドンから高度な弦楽四重奏曲の技法の吸収を完全に終え、モーツァルト独自の世界を切り開く素地が完成したのである。この年、ピアノ協奏曲第20番と共に完成した曲には、ピアノ四重奏曲第1番や歌曲「すみれ」などがある。ピアノ協奏曲第23番は、第20番が完成した翌年、1786年、モーツァルト30歳の時の作品だ。この年には、歌劇「フィガロの結婚」が完成し、初演も行われている。ピアノ協奏曲第23番は、第20番に比べ、明るく伸び伸びとした曲想を持っており、どちらかというと、私的な演奏会を想定して作曲したようである。そこには、以前のモーツァルトの作品を一回り大きく飛翔させたようなスケール感が感じられる。このLPレコードでピアノ演奏しているのはルーマニア出身の名ピアニストのクララ・ハスキル。15歳で最優秀賞を得てパリ音楽院を卒業し、ヨーロッパ各地で演奏活動を行う。第二次世界大戦後になって、聴衆から熱狂的に支持され世界的名声を得る。録音を数多く残したため、今でも愛好者は少なくない。現在、その遺功を偲んで世界的音楽コンクール「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」がスイスで開かれている。クララ・ハスキルのピアノタッチから紡ぎだされる音は輝きに満ち、純粋で天国的な美しさに覆われている。このLPレコードでの第20番の演奏内容は、ハスキルのほの暗い憂いの表現が、この曲の持つ曲想に、程良くマッチしたものに仕上がっている。第2楽章の憂いを含んだ表現が印象的。一方、第23番の演奏内容は、ハスキルの持つ純粋さが如何なく発揮されており、特に第3楽章の華やかさは秀逸。(LPC)