★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇カラヤン指揮ウィーン・フィルのドヴォルザーク:交響曲第8番「イギリス」

2024-10-10 09:40:12 | 交響曲


ドヴォルザーク:交響曲第8番「イギリス」

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

発売:1977年

LP:キングレコード GT 9131

 ドヴォルザークは、有名な交響曲第9番「新世界から」を書く4年前に、着手から僅か3カ月で完成させたのが、今回のLPレコードの交響曲第8番「イギリス」である。ドヴォルザークの研究家として名高い評論家のショウレック氏は、その著書「ドヴォルザークの生涯と作品」の中で「この曲は、男性的表現を持ち、直接にボヘミアの自然とチェコの民族から発生したものであるかのように素直に表現されている。彼の生命力と芸術的な円熟のみならず、彼の人格的および国民的特性の円熟を確証する最も典型的な作品である」と高く評価している。全9曲あるドヴォルザークの交響曲の中でも最もスラブ色濃い作品であり、特に第3楽章の哀愁を秘めたメロディーを一度でも聴けば、誰もがこの曲に愛着を持つようになること請け合いだ。全体は、古典的な交響曲の様式を踏襲しながらも、各楽章とも自由な形式によって書かれていることが、人気の秘密なのかもしれない。そして、全体に自然との触れ合いが感じられ、それが詩的な処理がされているため、素直に曲に入っていけるが嬉しい。ところでこの交響曲には「イギリス」という副題が付けられているので、何か英国と関わりの基に作曲されたたかのように感じられるが、実は、この曲の総譜が1892年にロンドンの出版社ノヴェロ社から出版されたから、というのが正解らしい。もしそうだとしたら、これからでも遅くないから、「ボヘミア」とでも副題を変更したらどうであろう。これならこの曲の持つイメージにぴたりと合う副題になると思うのだが・・・。このLPレコードで演奏しているのがヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年―1989年)指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団である。ここでのカラヤンの指揮ぶりは、その特徴である一糸乱れぬ端正な構成能力を遺憾なく見せつける。この曲は、古典的な性格に加えて、豊かな自然を思わせる豊饒さを備えた曲であるが、これらがカラヤンの本来持つ特性にうまく溶けあい、数あるこの曲の録音の中でも、名録音の一つに数えられるほどの仕上がりを見せている。そして、何と言ってもウィーン・フィルの伸びやかでピュアな響きがなんとも心地良い。これに加え、LPレコードが本来持つ音質の柔らかさが加味され、あたかも目の前に豊かな自然が浮かび上がって来るような錯覚にすら捉われてしまう。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ロリン・マゼール指揮クリーブランド管弦楽団のベルリオーズ:交響曲「イタリアのハロルド」

2024-10-03 09:38:52 | 交響曲


ベルリオーズ:交響曲「イタリアのハロルド」

指揮:ロリン・マゼール

管弦楽:クリーブランド管弦楽団

ヴィオラ:ロバート・ヴァーノン

録音:1977年10月2日

発売:1978年

LP:キングレコード SLA1168

 ベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」には、如何にもベルリオーズらしい作曲の経緯がある。ベルリオーズの有名な「幻想交響曲」は、1830年12月に初演されたが、当時大きな話題を集め、その話を聞きつけて「幻想交響曲」を聴き、いたく感激した一人に、超人的技巧で名を馳せていた大ヴァイオリニストのパガニーニがいた。当時パガニーニは、ストラディバリウスのヴィオラの銘器を入手したが、これといったヴィオラ用の協奏曲がなかったため、ベルリオーズに新しいヴィオラ協奏曲の作曲を依頼したのであった。ところが出来上がった第1楽章の楽譜を見て、当初期待していたようなヴィオラが華やかに活躍する協奏曲とはなっておらず、このためパガニーニは作曲の依頼から降りてしまう。そうなると、後はベルリオーズの意図のみで作曲が進められることになる。テーマとしては、バイロンのメランコリックな夢想者の物語を内容とした長篇詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」が取り上げられ、さらにベルリオーズがイタリアに留学中の想い出の地、アブルッチを回想して「イタリアのハロルド」と命名された。曲は1834年に完成し、初演で大成功を収めたという。各楽章には標題が付けられている。第1楽章「山におけるハロルド、憂鬱、幸福と歓喜の場面」、第2楽章「夕べの祈祷をうたう巡礼の行進」、第3楽章「アブルッチの山人が、その愛人に寄せるセレナーデ」、第4楽章「山賊の饗宴、前景の追想」。ハロルド役はヴィオラの演奏。固定楽想を奏し、嘆いたり、取り乱したりするが、やがてハロルド自らが求めて山賊の洞窟に踏み入れ、そして、凶暴な山賊によって、昇天するという、如何にもベルリオーズ好みの怪奇的ストーリーとなっている。そんな内容の交響曲「イタリアのハロルド」を、ロリン・マゼール指揮クリーブランド管弦楽団は、各楽章に付けられた標題を、リスナーが思い浮かべられるかのように、実に丁寧に、しかも明快に劇的に演奏する。ロバート・ヴァーノンのヴィオラは、ベルリオーズの構想どおりオーケストラと一体化して、決して協奏曲的な表現は取らない。このLPレコードは、ロリン・マゼール(1930年―2014年)がクリーヴランド管弦楽団の音楽監督時代の録音。当時、ロリン・マゼールはまだ47歳であり、如何にも颯爽とした雰囲気の指揮ぶりに加え、既に巨匠の片鱗を覗かせており興味深い。この後の1982年にはウィーン国立歌劇場の総監督に就任し、ロリン・マゼールは世界の頂点に立つことになる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のプロコフィエフ:交響曲第5番

2024-09-05 09:36:50 | 交響曲

プロコフィエフ:交響曲第5番

指揮:ジョージ・セル

管弦楽:クリーヴランド管弦楽団

録音:1959年10月24日、31日

LP:CBS/SONY 13AC 797

 セルゲイ・プロコフィエフ(1891年―1953年)は、現在のウクライナ生まれのロシア人作曲家。サンクトペテルブルク音楽院で学ぶ。ロシアが革命の嵐に包まれる中、1918年、プロコフィエフはアメリカへの移住を決意。シベリア・日本を経由してアメリカへ5回渡り、さらにパリに居を移す。20年近い海外生活の後、1936年に社会主義のソヴィエトへ帰国。このように何回も海外移住をを繰り返し、最期には祖国に帰還できたということは、当時のソ連政府がプロコフィエフの行動を黙認するしかなかった、ということであろう。つまり、それほどプロコフィエフの世界的な名声が高かったことの証だ。1948年、プロコフィエフは、ジダーノフ批判の対象となるかとおもえば、1950年度のスターリン賞第2席を得るなど、当時のソ連政府のプロコフィエフへの評価は大きく揺らいでいたようだ。偶然ではあるがプロコフィエフの死は、スターリンの死と同年同月同日であった。「スターリンの死が国家的大事件であったのに比べ、プロコフィエフの死は誰も知らなかった」と、同じロシア出身で、亡命の経験を持つウラディーミル・アシュケナージは、プロコフィエフの晩年の淋しい死について語っていた。そんなプロコフィエフが作曲した交響曲の中で、第1番「古典交響曲」と並び人気の高い交響曲第5番を収めたのがこのLPレコードだ。1941年にヒトラーの率いるドイツ軍が独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に攻め入る現実を見て、かつてない祖国愛に目覚めて作曲したのが、この交響曲第5番と言われている。初演は1945年、モスクワのモスクワ音楽院大ホールにて、プロコフィエフ自身の指揮それにモスクワ国立交響楽団の演奏で行われ、ソヴィエト全域にラジオ放送で中継されたという。このLPレコードは、ハンガリー出身の名指揮者ジョージ・セル(1897年―1970年)がクリーヴランド管弦楽団を指揮した録音。ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団のコンビは、1946年から1970年の24年間にも及んだが、この録音は1959年なので、その中間期の録音に当る。実際聴いてみると、重厚で威厳のある第1楽章、軽快でスケルツォ風の第2楽章、美しい旋律が次々と現れる叙情的な第3楽章、そして勇猛で力強い雰囲気に満ちた第4楽章からなる全4楽章を、実に流麗に、しかも内容がぎっしりと詰まった演奏を展開しており、聴くものの心を掴んで決して離さない魅力に富んだものとなっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団のビゼー:交響曲第1番/組曲「美しきパースの娘」 /小組曲「子供の遊び」    

2024-08-29 10:19:59 | 交響曲


ビゼー:交響曲第1番     
    組曲「美しきパースの娘」     
    小組曲「子供の遊び」

指揮:ジャン・マルティノン

管弦楽:フランス国立放送管弦楽団

録音:1971年2月、パリ

LP:ポリドール(グラモフォンレコード) MGW5154(2544 100)

 交響曲と言うと直ぐに、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの古典派やマーラーやブルックナーなどのロマン派のドイツ・オーストリア系の曲が思い浮かぶ。それでは、フランス系の交響曲を挙げてみなさいと言われると・・・ベルリオーズの「幻想交響曲」ぐらいしか思い浮かばない人も少なくない。今回のLPレコードは、そんなドイツ・オーストリア系偏重の交響曲の中で、フランス系の交響曲として、ベルリオーズの「幻想交響曲」と並んで気を吐いている、ビゼーの交響曲第1番である。ビゼーと言えば、オペラ「カルメン」が有名だが、この初期の作品の交響曲第1番は、何とも親しみやすい交響曲に仕上がっており、昔から多くのリスナーに愛聴されてきた曲である。この曲は、1855年、ビゼーがまだパリ音楽院に在学中の17歳の時の作品である。当時、ビゼーは、ドイツ音楽の様式を勉強していた時であり、このため、この曲には、ハイドンやモーツァルトの影響が色濃く反映されている。とはいえ、ビゼーはフランスのパリ生まれであり、南フランスの明るく、ラテン的気質が存分に盛り込まれており、ドイツ・オーストリア系とフランス系の2つの様式が融合され、その結果独特の魅力を発揮する交響曲が生まれた。この曲のスコアは長い間パリ音楽院の図書館に埋もれていたが、20世紀に入りようやく発見され、1935年にワインガルトナーによって初演されたといういわく付きの曲でもある。ところでビゼーは、交響曲を何曲作曲したかというと、この第1番のほかに、第2番を作曲したが破棄し、第3番は作曲されたかどうかも分らないという。つまり、第1番といっても、ビゼーの交響曲はこの曲しか遺されてはいない。このLPレコードで指揮しているジャン・マルティノン(1910年―1976年)は、フランスの名指揮者。フランスものの作品の指揮には定評があり、ドビュッシーの管弦楽曲全集、サン=サーンスの交響曲全集、ベルリオーズの「幻想交響曲」、ラヴェル管弦楽曲全集などの優れた録音を今に遺している。このLPレコードでも、実に軽妙洒脱に3曲のビゼーの作品を指揮しており、聴いていて楽しめる。特に、交響曲第1番の指揮では、軽快なテンポと的確な構成力で、全体がきりりと引き締まった曲づくりに成功しており、この曲のベスト録音として、現在においてもその存在価値は少しも失われていない。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルのブルックナー:交響曲第5番

2024-08-22 09:54:19 | 交響曲


ブルックナー:交響曲第5番

指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

発売:1977年

LP:キングレコード GT 9091

 これは、ブルックナーという、ドイツ音楽の中でも最もドイツ音楽臭い大作曲家の傑作、交響曲第5番を、これもワーグナーやブルックナーの演奏にかけては右に出る者はいないと言われた巨匠ハンス・クナッパーツブッシュが、ウィーン・フィルを指揮したLPレコードである。ブルックナーが作曲した9つの交響曲の中でも、この第5番は、全体がみごとな構成美に形づくられており、まるで壮大な建築物を仰ぎ見るような重々しい迫力は、聴くものを圧倒せずにおかない。そして何よりも、ブルックナーのカトリック教徒としての深い信仰心が滲み出ており、リスナーは知らず知らずのうちにブルックナーの精神的な内面を覗き見ることになる。この傑作交響曲をブルックナー自身は、“対位法的作品”あるいは“幻想的作品”と位置づけていたようであるが、一般的には“中世的作品”という位置づけがされる場合も多い。これは、強固な対位法に基づいている作品であり、バロックの教会を思い起こさせ、宗教心を思い起こさせるからであろう。しかし、現在聴いてみると、中世的という古めかしさ以上に、壮大であると同時に限りない精神的な高みに達した傑作交響曲という側面を強く感じる。ハンス・クナッパーツブッシュ(1888年―1965年)は、ケルン音楽大学で学び、バイロイト音楽祭で助手として登場。34歳の時の1922年には、ブルーノ・ワルターの後任としてミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の音楽監督に就任する。1936年からはウィーン国立歌劇場で活躍。第二次世界大戦後の1951年にはバイロイト音楽祭に復帰。その後、世界各国で活躍する。その指揮ぶりは、悠揚迫らざる、ゆっくりとしたテンポであり、特にワーグナーやブルックナーの指揮では、その力を遺憾なく発揮することで定評があった。このLPレコードでもその特徴は、遺憾なく発揮されている。ウィーン・フィルの厚みのある、そして奥行きの深い弦の響きを背景に、巨大な教会を仰ぎ見るようなゆっくりとしたテンポで、壮大な演奏を聴かせる。時には、途中でこのまま演奏が終わってしまうのではないかというほどの、ゆっくりとしたテンポも聴かせる。決して奇を衒うことはなく、淡々と演奏する。必ずしもこの曲の標準的演奏とは言い難いが、全体を通した精神的な深さでは、到底他の指揮者の追随を許さない高い演奏内容となっている。聴き終えて、しみじみとした満足感に包まれる、そんな演奏内容である。(LPC)

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