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★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇バックハウスのモーツァルト:ピアノ協奏曲第27番(ライヴ録音)/ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(ライヴ録音)

2024-10-31 10:27:20 | 協奏曲(ピアノ)

モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番(ライヴ録音)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(ライヴ録音)

ピアノ:ウィルヘルム・バックハウス

<モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番>

指揮:カール・ベーム
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

<ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番>

指揮:ハンス・ロスバウト
管弦楽:ケルン放送交響楽団

録音:1960年8月2日、ザルツブルグ音楽祭(モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番)    
   1950年10月16日、ケルン(ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番)

発売:1982年

LP:キングレコード K22‐168

 ウィルヘルム・バックハウス(1884年―1969年)は、ドイツ出身のピアノの巨匠。1905年、パリで開かれたルビンシュタイン音楽コンクールのピアノ部門で優勝。スイスに帰化した後、1954年には米国のカーネギー・ホールでコンサートを開催。その後訪日も果たしている。 若い頃は、“鍵盤の獅子王”と言われたほどのテクニシャンであった。今回のLPレコードの録音は、それまで未発表であったコンサートのライブ録音が収録された貴重な遺産である。バックハウスが遺したライブ録音としては、「バックハウス:最後の演奏会」のほかに、1954年3月30日にニューヨークのカーネギー・ホールで行ったベートーヴェンのピアノソナタを中心としたリサイタルが重要な録音として挙げられる。これらはいずれもリサイタルのライヴ録音であるが、今回のLPレコードに収録されたものはコンチェルトのライヴ録音というところがポイントとなる。バックハウスは、第27番以外のモーツァルトのピアノ協奏曲をあまり弾かなかったようであり、特に晩年は第27番だけに絞られていたという。一方、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番は、カール・ベーム指揮、およびハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900年―1973年)指揮でそれまでに2回録音している。今回のレコードの指揮は、モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番がカール・ベーム(1894年―1981年)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番がハンス・ロスバウト(1895年―1962年)である。ハンス・ロスバウトは、特にハイドンからベートーヴェンに至るまでウィーン古典派の作品に定評があった。このベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番について、ライナーノートにおいて浅里公三氏は「1950年の録音としては比較的音質が良く、また拍手も入っていないので、コンサートではなく生放送用の録音と思われる」と書いている。このLPレコードでのモーツァルト:ピアノ協奏曲第27番の演奏内容は、全体が襟を正した端正な表現に終始しており、モーツァルトの音楽が持つ純粋な美しさを満喫することができる。録音の最後で1960年8月2日当日のザルツブルグ音楽祭の聴衆の拍手が聞けるのが何となく嬉しい。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番は、如何にもバックハウスの十八番らしく、スケールの大きい、柔軟性を持った表現力が印象に残る。ベートーヴェンに真正面から取り組み、その本質を見事に引き出す技には感服せざるを得ない。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇クララ・ハスキルのモーツァルト:ピアノ協奏曲第13番/ピアノソナタ第2番/「キラキラ星」の主題による変奏曲

2024-09-23 09:59:11 | 協奏曲(ピアノ)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第13番
       ピアノソナタ第2番
       「キラキラ星」の主題による変奏曲

ピアノ:クララ・ハスキル

指揮:ルドルフ・パウムガルトナー

管弦楽:ルツェルン祝祭弦楽合奏団

録音:1960年5月5日~6日、ルツェルン、ルカ教会、ゲマインデザール

LP:ポリドール(ドイツグラモフォン) MGW5263

 クララ・ハスキル(1895年―1960年)は、ルーマニア出身の名ピアニスト。15歳でパリ音楽院を最優秀賞を得て卒業し、ヨーロッパ各地で演奏活動を展開するが、1913年に脊柱側湾の徴候を発症し、以後、死に至るまで病苦に苦しめられることになる。このために当初は正統な評価を受けることは少なかった。しかし、第二次世界大戦後の1950年を境に一躍脚光を浴び始め、カラヤンなど著名な指揮者や演奏家に支持されると同時に、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国での演奏活動において、熱狂的な聴衆に支持され、その名声は世界的に広まるようになる。得意としたレパートリーは、古典派と初期ロマン派で、とりわけモーツァルトの演奏には定評があった。室内楽奏者としても活躍し、アルテュール・グリュミオーの共演者として高い評価を受けることになる。しかし、演奏会へ向かうブリュッセルの駅で転落した際に負った怪我がもとで死に至る。現在、その偉業を偲び「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」が開催されていることはご存じの通り。そんなクララ・ハスキルが、このLPレコードにおいて、お得意のモーツァルトの初期の作品を演奏している。ピアノ協奏曲第13番は、第11番、第12番とともに、1783年にウィーンで作曲された曲。3曲のうち第13番だけ、管弦楽にトランペットとティンパニーを加え、華やかさを備えている。ピアノソナタ第2番 ヘ長調 K.280は、ハイドンの影響が強い、最初期のピアノソナタの1つであるが、モーツァルトならではの個性がいち早く現れている作品。「キラキラ星」の主題による変奏曲は、1778年に作曲したピアノ曲で、当時フランスで流行していた恋の歌「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」 を基にした変奏曲。このLPレコードでのクララ・ハスキルの演奏は、これらモーツァルトの初期の作品を、誠に愛らしく、純粋に弾いている。クララ・ハスキル自身が、若き日のモーツァルトに同化したかのような演奏内容となっている。そこにあるのは、ただ一途に、音楽だけに奉仕するような、限りなく純粋な愉悦の世界が深く広がっている。これは、クララ・ハスキルが不世出のピアニストであったことが実感できるLPレコードであり、そして何よりモーツァルト弾きとしての真骨頂を存分に発揮していることを、聴いて取ることができるのである。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇ゲザ・アンダ&フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団のバルトーク:ピアノ協奏曲第2番/第3番

2024-05-23 09:37:04 | 協奏曲(ピアノ)


バルトーク:ピアノ協奏曲第2番/第3番

ピアノ:ゲザ・アンダ

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ベルリン放送交響楽団

録音:1959年9月10日、15日、16日(第2番)/1959年9月7日~9日(第3番)、ベルリン、イエス・キリスト教会

LP:ポリドール SE 7102(ドイツ・グラモフォン MG 2221)

  バルトークは、生涯で3曲のピアノ協奏曲を作曲したが、このLPレコードにはそのうち第2番と第3番とが収められている。第2番は、1930年から1931年にかけて作曲された曲。ロマン派のピアノ協奏曲に慣れた耳には、最初に聴くと違和感に捉われるが、何回か聴いていくとピアノを打楽器のように扱う面白さや飛び跳ねるような軽快なリズム感に共感を覚えるようになってくる。ロマン派のピアノ協奏曲では朗々としたメロディーが奏でられ、それがアピール点に繋がっている曲がほとんどであるが、このバルトークのピアノ協奏曲第2番は、断片的なメロディーが、手を変え品を変え、現れては消え、また現れるといった具合で、一時も気を休める暇はない。この曲は、ピアノ演奏の最高度の技法を必要とするそうであるが、リスナーだってうかうかとしていられない。バルトークの才気あふれる楽想に付いて行こうとするなら、とてもぼんやりとは聴いてはいられないのだ。しかし、全3楽章を聴き通してみると、これほど音楽の可能性にチャレンジして、そして成果を挙げたピアノ協奏曲は滅多にないことを実感できる。第3番のピアノ協奏曲は、1945年の春から書き始められた。バルトークの死は1945年9月26日であるから、作曲当時、既に重い白血病におかされ、最後の17小節は遂に書くことが出来なかった。この第3番は、第2番とは趣がらりと変わり、ロマン派のピアノ協奏曲を思わせる朗々とした美しいメロディーに彩られている。一般的には第3番の方が聴きやすい曲であると言える。このためバルトークが古典へ回避したと非難する向きがないわけではないが、曲自体はそんな俗論をはねのけるような精神性の高みに立った内容を持つ。白鳥の歌とも言える深い孤独感や音楽に対する純粋性などから、バルトーク最高の傑作とする見方すらある。ピアノのゲザ・アンダ(1921年―1976年)は、卓越した技巧で、この2曲の真髄を見事に弾き分けており、見事というほかない。フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団も、その持てる力を存分に出し切った白熱の演奏内容で応える。バルトークの曲は、その多くはとっつき易いとはとても言えないが、音楽的な充実度では、他に比肩するものがないほどの高みに達している。そのことは、このLPレコードを聴けば、誰でもが納得することができる。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇ルドルフ・ゼルキンのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番/第2番

2024-04-22 09:51:09 | 協奏曲(ピアノ)

 

 

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番/第2番

ピアノ:ルドルフ・ゼルキン

指揮:ユージン・オーマンディ

管弦楽:フィラデルフィア管弦楽団

録音:1965年1月14日

LP:CBS/SONY 18AC 747

 ベートーヴェンは、全部で5曲のピアノ協奏曲を遺しているが、この中で第3番、第4番、第5番が有名であり、演奏会でもしばしば取り上げられている。それらに対し、このLPレコードに収録されている第1番と第2番は、人気の点でもイマイチであり、演奏会でもそう取り上げられることも無い。どちらかというと日陰の存在の曲とでも言ったらいいのであろうか。ところが、改めてこの2曲をじっくりと聴いてみると、何故人気が無いのかわからいほど、内容が充実しており、何よりも若き日のベートーヴェンの心意気がストレートにリスナーに伝わってきて、聴いていてその良さがじわじわと感じられるのが何よりもいい。このことは、宇野功芳氏も「新版 クラシックCDの名盤」(文春新書)の中で、「たしかにベートーヴェンの個性は第3番で花開いているが、魅力の点では第1番、第2番の方が上だと思う」と書いていることでも分ろう。作曲されたのは第2番が最初で、その後に第1番がつくられたと言われているが、曲の雰囲気は2曲とも似ており、いずれもモーツァルトのピアノ協奏曲を彷彿とさせるようなところがベースとなり、その中に後年のベートーヴェンを思わせるような、強固な意志の強さが各所で顔を覗かせる。つまり、モーツァルトのピアノ協奏曲が典雅な趣と憂愁の美学に貫かれているのに対し、このベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番と第2番は、その上にさらに男性的な強固な意思の力強さが全体を覆う。このLPレコードで演奏しているルドルフ・ゼルキン(1903年―1991年)は、そんな2曲のピアノ協奏曲を演奏するのに、これ以上のピアニストはあり得ないとでも言ってもいいような充実した演奏を披露している。あくまで背筋をぴんと伸ばしたような演奏であり、新即物的表現に徹し、決して情緒に溺れずに、ベートーヴェンの持つ力強さを余すところ無く表現し切っている。ユージン・オーマンディ(1899年―1985年)指揮フィラデルフィア管弦楽団も、メリハリの利いた伴奏でこれに応える。この2曲を聴き終えて、久しぶりに若き日のベートーヴェンの世界を、思う存分満喫することができた。ルドルフ・ゼルキンは、ボヘミアのエーゲル(ヘプ)出身。1915年、12歳でウィーン交響楽団とメンデルスゾーンのピアノ協奏曲を共演してデビュー。1939年、アメリカに移住、カーティス音楽院で教鞭をとる。1951年、マールボロ音楽学校と同音楽祭を創設した。(LPC)


◇クラシックLP◇シフラのリスト:ピアノ協奏曲第1番/第2番

2024-02-26 09:37:22 | 協奏曲(ピアノ)

 

リスト:ピアノ協奏曲第1番/第2番

ピアノ:ジョルジ・シフラ

指揮:アンドレ・ヴァンデルノート

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団

LP:東芝EMI(SERAPHIM) EAC‐30040

 リストは、ピアノ協奏曲を2曲遺しているが、このLPレコードにはこれら2曲が、“リストの再来”と当時言われた伝説のピアニストのジョルジ・シフラ(1921年―1994年)によって録音されている。第1番と第2番とは、共に技巧的なピアノ協奏曲ではあるが、現在では圧倒的に第1番の人気が高く、第2番が演奏される機会は少ない。第1番は、当時ピアニストとしての名声が高かったリストが1830年頃から作曲を開始し、ワイマールに定住し、作曲に専念するようになった1849年に完成した。初演は、1852年、ワイマールの宮廷演奏会において、ベルリオーズの指揮、リスト自身のピアノで行われたというから、当時さぞや話題を集めたであろうことが想像される。最終的に現在の曲となったのは1857年という。この曲は4つの楽章からなるが、全体は途切れることなく演奏される。第2番は、1839年に作曲されたが、その後何回かの改訂が行われ、一応の完成をみたのが1849年。初演は1857年にワイマールにおいて、リストの指揮、弟子のハンス・フォン・ブロンサントのピアノで行われた。しかし、その後も改訂が行われ、現在の形になったのは1863年という。全体は6つの部分からなるが、第1番と同様、全体は途切れることなく演奏される。今回、改めて第2番を聴いたが、なかなか技巧的な曲であり、完成度も高く、もっと演奏されてしかるべき協奏曲だと私は思うのだが・・・。このLPレコードでピアノ独奏をしているのが、超絶技巧で一際名高い、ハンガリー出身のピアニストのジョルジュ・シフラである。シフラは、ブダペストにてロマの家系に生まれる。要するにシフラには、もともとジプシーの血が流れていたのである。このLPレコードでも、シフラの持ち味が最大限に発揮されており、第1番の演奏では、ゆくりとした独特のテンポで、まるでオペラ歌手がアリアを歌うが如く、ピアノを弾いているのが聴き取れる。シフラの演奏には、高い技巧の奥に、常に何かほの暗い情念みたいものが、纏わりついているかのような印象を受ける。このことがジプシー精神そのものであろうことに、このLPレコードでリストの2曲の協奏曲を聴き終わったリスナーは、自然と納得させられるに違いない。指揮をしているのは、ベルギー、ブリュッセル出身のアンドレ・ヴァンデルノート(1927年―1991年)。1960年にモネ劇場の音楽監督になり、1974年からベルギー国立管弦楽団の音楽監督を務めた。(LPC)