goo blog サービス終了のお知らせ 

★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇フェレンツ・フリッチャイのモーツァルト:交響曲第40番/第41番「ジュピター」

2021-01-04 09:37:45 | 交響曲(モーツァルト)

 

モーツァルト:交響曲第40番
       交響曲第41番「ジュピター」

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ウィーン交響楽団

発売:1974年

LP:ポリドール MH 5002

 このLPレコードは、モーツァルトの交響曲第40番と交響曲第41番「ジュピター」を、名指揮者フェレンツ・フリッチャイ(1914年―1963年)がウィーン交響楽団を指揮した録音。モーツァルトの晩年は、常に資金繰りに苦しめられていた。だから、晩年は金になる作曲や演奏活動に多くの時間が割かれたわけであるが、そんな切羽詰まった時に、交響曲の二大傑作である交響曲第40番および交響曲第41番「ジュピター」が生まれたのだから驚きだ。まあ交響曲第40番は悲壮感漂う曲想なので理解がいくが、交響曲第41番は「ジュピター」という愛称が付くほど、堂々として威厳に満ちた曲想であることは、奇跡的なことも言える。この2曲を指揮しているのがベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者、ベルリン・ドイツ・オペラ音楽監督、バイエルン国立歌劇場音楽総監督などを歴任したハンガリー出身の指揮者フェレンツ・フリッチャイである。ブダペスト音楽院で学び、1947年、オットー・クレンペラーの代役としてザルツブルク音楽祭で一躍脚光を浴びた。ドイツでの活躍に加え、1953年、ボストン交響楽団を指揮してアメリカでもデビューを果した。しかし、白血病のため48歳の若さで他界しまう。その才能を惜しんで、バリトンのフィッシャー=ディースカウは「フリッチャイ協会」を設立したほど。指揮者として成熟の直前のその死は、多くの人々に惜しまれた。幸い、フリッチャイが指揮した録音は比較的多く、現在でもそのCDを入手することができる。フリッチャイの指揮の特徴は、オーケストラを自分の情熱的な指揮に完全に一体化し、集中度が限りなく高い演奏を聴かせてくれること。今回のウィーン交響楽団を指揮した録音は、そんなフリッチャイのいつもの姿勢とは少々異なり、より理性の勝った指揮ぶりを聴かせる。特に交響曲第40番の指揮のこのことが顕著に表れる。しかし、聴き終えると、理性の勝った今回の指揮の方が余計にモーツァルトの“疾走する悲しみ”をリスナーは実感できるともいえる。このことをフリッチャイは計算しての指揮したのだろうか。それともウィーン交響楽団の持つ特質を考えた末の結論だったのか。これに対し交響曲第41番「ジュピター」の指揮は、いつものフリッチャイが少々戻り、集中力の高い、情熱的でスケールの大きい演奏を披露する。特に第1楽章に、このことが顕著だ。いずれにしてもフリッチャイは、指揮者として大成の直前に亡くなってしまったということを、このLPレコード聴くことにより、実感させられる。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇クレンペラーのモーツァルト:交響曲第38番「プラハ」/歌劇「フィガロの結婚」序曲/交響曲第39番

2020-08-06 09:42:12 | 交響曲(モーツァルト)

モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」
       歌劇「フィガロの結婚」序曲
       交響曲第39番

指揮:オットー・クレンペラー

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
    ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(歌劇「フィガロの結婚」序曲)

録音:1962年3月6日~8日、26~28日、キングスウエイ・ホール
                 (交響曲第38番「プラハ」/交響曲第39番)
   1964年10月29日~28日、11月9日、14日、アビー・ロード・スタジオ
                 (歌劇「フィガロの結婚」序曲)

LP:東芝EMI EAC‐40048

 このLPレコードは、20世紀を代表する指揮者の一人である巨匠オットー・クレンペラー(1885年―1973年)が、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、モーツァルトの交響曲を演奏したものだ。ドイツ出身の指揮者らしく、クレンペラーが得意としていたのは、ドイツ古典派・ロマン派の作品である。クレンペラーは、フランクフルトのホッホ音楽院で学び、22歳でマーラーの推挙を受け、プラハのドイツ歌劇場の指揮者に就任。さらにクロル歌劇場の音楽監督に就任するが、その後、ナチス政権を嫌い、アメリカへ亡命することとなる。アメリカでは、ロサンジェルス・フィルやピッツバーグ交響楽団を指揮し、両楽団の再建に大いに貢献する。しかし、1939年に脳腫瘍を患い、これによりアメリカにおける活動の場は絶たれてしまう。第二次世界大戦後になると、クレンペラーは、ドイツの市民権を回復。そして、1959年このLPレコードで指揮しているフィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者に就任し、以後、同楽団とのコンビで一連の録音を行い、戦前の知名度の復活にものの見事に成功するのである。しかしながら、英国EMIのレコード録音専門のオーケストラであったフィルハーモニア管弦楽団は、その後、フィルハーモニア管弦楽団の創立者であるウォルター・レッグが同楽団を売却したことで、存続できなくなり、楽団員が自主経営し、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と名称が変わる。その後、またもとの名称に戻るのであるが、この時、クレンペラーは会長に就任して、両者の関係はそのまま継続されることとなった。クレンペラーの指揮ぶりは、一般的に「表面的な美しさよりも、遅く、厳格なテンポにより楽曲の形式感・構築性を強調するスタイル」とよく言われるが、このLPレコードのクレンペラーの指揮は、正にこの言葉どおり、ゆっくりとしたテンポで、武骨なほど力強く、曲の全体の構成をことさら強調するような演奏内容である。現在では、このような演奏をする指揮者は少なくなってしまった。つまり、クレンペラーの指揮は、ある意味では大時代がかった、現代感覚とは逆行するような演奏内容とも言える。しかし、そうであるからこそ、今、クレンペラーの指揮の独自性に耳を傾けることは重要なことではあるまいか。そこには、現代の指揮者が見落としている、音楽の本質が隠されているように思われてならない。このLPレコードに収められたクレンペラーのモーツァルトの演奏を聴きながら、ふと、そんなことが頭をよぎった。(LPC)