★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ルイ・マルティーニ指揮パイヤール管弦楽団のシャルパンティエ:真夜中のミサ曲

2021-11-01 09:58:54 | 宗教曲

  

シャルパンティエ:真夜中のミサ曲(降誕祭前夜のミサ曲)

指揮:ルイ・マルティーニ

管弦楽:パイヤール管弦楽団

ソプラノ:マルタ・アンジェリシ/エディト・セリ
カウンター・テナー:アンドレ・ムーラン
テノール:ジャン=ジャック・ルジュール
バス:ジョルジュ・アプドン

合唱:フランス・ジュネス・ミュージカル合唱団

オルガン:アンヌ=マリー・ベッケンシュタイナー

LP:RVC ERX-2226

発売:1976年

 マルカントワーヌ・シャルパンティエ(1636年―1704年)は、パリの画家の家に生まれる。最初は画家を志したようだが、後に音楽家への道を歩み、ローマで音楽を学ぶ。フランスに帰国後、イタリア様式の熱心な推進者となり、フランスにイタリア様式の世俗カンタータや宗教的オラトリオなどの形式を紹介した。このことがシャルパンティエの作曲家としての地位に少なからぬ影響を及ぼす結果となる。フランスのバロック音楽時代には、フランス音楽派とイタリア音楽派が、いたるところで角を突き合わせたいた。当時、フランス音楽派のボスといえばリュリ(1632年―1687年)であった。一方、イタリア音楽派の代表格は、シャルパンティエその人である。フランス音楽派とイタリア音楽派の勢力争いは、当然、フランスにおいては、フランス音楽派、すなわちリュリに軍配が上らざるを得ない。この結果、シャルパンティエは、ヴェルサイユの要職にはありつけず、オルレアン公フィリップスの音楽教師やイエズス会系の教会や付属学校の楽長といった地位に甘んじなければならなかった。それでも、最後は、1698年に、王宮のサント・シャペルの楽長という名誉ある地位に就くことができたようだ。宗教音楽の作曲者としてシャルパンティエは、500曲以上の曲を作曲したとされる。12曲作曲したミサ曲の一曲がこのLPレコードの「真夜中のミサ」で、手稿には「クリスマスのための4声部とフルート、ヴァイオリンのための真夜中のミサ」と記されている。一般にミサ曲というと厳格な感じの曲を思い浮かべるが、この「真夜中のミサ曲」だけは、厳格さとはまったく異なり、深夜ミサの楽しさが伝わってくる。それもそのはずで、このミサ曲には、11曲の民衆的なクリスマス・キャロル(ノエル)がメドレーのように引用されているからだ。このため、このミサ曲を聴くと、単に宗教音楽の枠を越えて、クリスマス・イブからクリスマスにかけての輝かしくも厳かな夜の空気がリスナーのもとへひしひしと伝わってくる。このことが、この曲の人気の根源になっているように思われる。例え宗教人でなくとも、その純粋な信仰心の温かみが音楽を通して伝わってくるのである。フランスの聴衆は、クリスマス・イヴにこの曲を聴くと、聴き覚えのあるノエルを通して、キリスト降誕の場面を思い浮かべるという。このLPレコードでは、パイヤール管弦楽団と独唱陣、合唱陣は、そんな曲を愛情を込めて、楽しく、しかも優美に演奏しており、好ましいことこの上ない。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ルイ・フレモー指揮モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団のフォーレ:レクイエム/ラシーヌの雅歌

2021-10-11 09:55:28 | 宗教曲


フォーレ:レクイエム/ラシーヌの雅歌

指揮:ルイ・フレモー

管弦楽:モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団

合唱:フィリップ・カイヤール合唱団

オルガン:シャノワーヌ・H・カロル

バリトン:ベルナール・クルイセン

ボーイ・ソプラノ:ドゥニス・ティリェス

発売:1975年

LP:ビクター音楽産業(RCA) ERA‐1045

 フォーレのレクイエムを聴くたびに心が洗われる思いがする。宗教に疎い俗人の私が聴いても、聴くたびにその深い宗教的雰囲気に圧倒される。圧倒されると言ってもフォーレのレクイエムの場合は、静かで、あらゆる俗世間の束縛から解放され、ただ、ひたすら質素で純粋な祈りの精神に圧倒されるのだ。こんなにも美しい宗教音楽があるなんて信じられないくらいである。誰が聴いても、例えクラシック音楽をあまり聴かない人が聴いても、聴きやすいメロディーに背後にある、精神性の高さに自然と引き寄せられることは間違いない。フォーレは自分の父の死に際しこの曲を書いたようであるが、自分自身の葬儀においても演奏されたそうである。フレモーの指揮はそんな曲の真髄を存分に聴かせてくれる。フォーレは、ある人に宛てた手紙に「私のレクイエムは、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません」と書いている。これを読めば分かる通り、このレクイエムは、伝統的な慣習に則ってつくられた曲ではなく、”永遠の安らぎに対する信頼感”を根底に書かれた曲だ。フォーレのレクイエムは、当時のカトリックの死者のためのミサに欠かせない「怒りの日」などが欠けており、そのままでは、ミサに用いることはできない。このため、初演の時は、「斬新すぎる」「死の恐ろしさが表現されていない」などといった批判が出たという。しかし、現在ではフォーレの狙いが理解され、演奏会用レクイエムの傑作として高い評価を得ている。このLPレコードで指揮しているルイ・フレモー(1921年―2017年)は、フランスの出身。レーニエ3世の依頼でモンテカルロ歌劇場管弦楽団(現モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団)の首席指揮者を務めた。モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団は、モナコのモンテカルロに本拠を置き、1856年に設立された。1980年からはモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団という名称に統一された。その後、バーミンガム市交響楽団の音楽監督、シドニー交響楽団の首席指揮者を務めた。このLPでのフレモーの指揮ぶりは、フォーレの意図した”永遠の安らぎに対する信頼感”をベースに置き、”苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感”をオーケストラの音から引き出すことにものの見事に成功している。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団のベートーヴェン:荘厳ミサ曲

2021-04-22 09:43:53 | 宗教曲

ベートーヴェン:荘厳ミサ曲(歌詞:ラテン語)

          キリエ
          グローリア
          クレド  
          サンクトゥス(ベネディクトス)
          アニュス・デイ

指揮:オットー・クレンペラー

管弦楽:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

独唱:エリザベート・ゼーダーシュトレーム(ソプラノ)
   マルガ・ヘフゲン(アルト)
   ワルデマール・クメント(テノール)
   マルッティ・タルヴェラ(バス)

合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ

合唱:ニュー・フィルハーモニア合唱団

LP:東芝EMI EAC-77255~6

 ベートーヴェンの荘厳ミサ曲は、宗教音楽の範疇から飛び出し、普遍的な精神世界における祈りであり、人類全体に向け心の連帯感を訴える、声楽つきの讃歌とも言える作品である。ベートーヴェンの曲の中では、荘厳ミサ曲に並び立つ、同系列の曲というと第九交響曲しか挙げることができない。このよう背景を持つ荘厳ミサ曲だけに、これまで幾多の名指揮者が録音を残しているが、その最右翼に挙げられるのが今回のLPレコードのクレンペラー盤である。クレンペラーは、全宇宙的なスケールの大きさで、この曲を最後まで雄大に描き切る。底知れぬ深みのある表現が際立っており、聴くもの全ての心の奥底まで感動を呼び覚まさせずにはおかない。表面的に美しさに甘んじることなく、もっと奥深いところでの人類同士の共感を目覚めさせられるような演奏内容である。今、地球上の多くの場所で人類同士の戦いが絶えないが、ベートーヴェンは、このことをあたかも予知していたかのようだ。ベートーヴェンは、荘厳ミサ曲において平和の大切さを訴え続けている。そして、クレンペラーの指揮は、このベートーヴェンの思いを全ての人々に届けるかのように、生きとし生ける者の連帯を訴え、人類讃歌としての理念を高らかに響かせる。そして、聴くものすべてが、その圧倒的に壮大な演奏内容に感動させられるのである。オットー・クレンペラー(1885年―1973年)は、ドイツのブレスラウ(現ポーランドのヴロツラフ)に生まれた指揮者。1907年プラハのドイツ劇場で指揮者としての活動を開始。1921年ベルリン・フィルにデビュー。しかし、クレンペラーはユダヤ系ドイツ人であったため、ナチス・ドイツ政権樹立に伴い、米国へと亡命する。亡命後、ロサンジェルス・フィルの指揮者となり、同楽団の水準を大きく向上させた。しかし、1939年に脳腫瘍に倒れ、後遺症のため指揮者活動は不可能となり、米国を去ることを余儀なくされる。これで、誰もがクレンペラーは終わったと考えたが、クレンペラーは強靭な意志力で復活を果たす。再び米国へ戻り、1954年からは、フィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者としてレコーディングを開始し、EMIから数多くのレコードをリリースする。このベートーヴェンの荘厳ミサ曲もその中の1枚なのだ。到底不可能な状況を克服して指揮者にカンバックしたということは、一時は精神的にも極限状態に置かれ、その逆境を克服したものでしか理解しえない心境が、この録音を通してひしひしと伝わってくる。この録音では、クレンペラーの指揮に加え、独唱と合唱の充実さも特筆できよう。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ブルーノ・ワルター晩年の名盤 ブラームス:ドイツ・レクイエム

2020-07-09 09:39:07 | 宗教曲

ブラームス:ドイツ・レクイエム
  

  第1曲 悲しんでいる人々は幸いである(マタイによる福音書、詩篇) 
  第2曲 人は皆草のごとく
     (ペテロの第1の手紙、ヤコブの手紙、ペテロの第1の手紙、イザヤ書) 
  第3曲 主よ、我が終わりと、我が日の数の(詩篇、ソロモンの智恵) 
  第4曲 万軍の主よ、あなたの住まいは(詩篇) 
  第5曲 このように、あなた方にも今は
     (ヨハネによる福音書、ベン・シラの智恵、イザヤ書) 
  第6曲 この地上に永遠の都はない
     (ヘブルスへの手紙、コリント人への手紙、ヨハネの黙示録)
  第7曲 今から後、主にあって死ぬ死人は幸いである(ヨハネの黙示録)   


指揮:ブルーノ・ワルター

管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック

ソプラノ:イルムガルト・ゼーフリート
バス・バリトン:ジョージ・ロンドン

合唱団:ウェストミンスター合唱団

録音:1954年12月20、28、29日

LP:CBS・ソニーレコード SONC 10445
  
 これは、巨匠ブルーノ・ワルター(1876年―1962年)が、ニューヨーク・フィルを指揮し、イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)、ジョージ・ロンドン(バス・バリトン)、それにウェストミンスター合唱団と、当時の最高級クラスの演奏家が集まり、ブラームスの傑作ドイツ・レクイエムを録音した記念碑的LPレコードである。ブルーノ・ワルター78歳の時の録音だ。このLPレコードのライナーノートの冒頭には、「このレコードは、このたびの<ブルーノ・ワルター大全集>の企画にあたり、世界に先駆けてCBS・ソニーレコードから発売するものです。ジャケットの裏表紙の写真は、スイス・ルガノ近郊サン・アボンディオ墓地にあるブルーノ・ワルターの墓碑。ここにワルターは夫人や愛嬢たちと永遠の眠りについている。(撮影 大賀典雄)」と記されている。これを読んだだけでこのLPレコードが、通常のLPレコードとは一線を画した特別なものであることを窺わせる。ブラームスのドイツ・レクイエムは、オーケストラと合唱、およびソプラノ・バリトンの独唱によった演奏会用の宗教曲。全7曲で構成され、1868年に完成し、翌年1869年初演された。通常、レクイエムは、死者の安息を神に願う典礼の音楽のことであり、教会で演奏され、ラテン語の祈祷文で歌われる。しかし、ブラームス自身がプロテスタントであることから、レクイエムを作曲するに当たり、マルティン・ルターがドイツ語に訳した、1537年初版の新約と旧約の聖書および聖書外典から、ブラームス自身が選んだテキストを歌詞に使っている。これがドイツ・レクイエムと言われる所以である(ブラームスが付けた正式な名称は「聖書の言葉を用いたドイツ語のレクイエム」)。キリストの復活にかかわる部分は省かれており、レクイエムといっても、通常のレクイエムとは異なる。つまり死者というより現生人のための演奏会用のレクイエムなのである。このLPレコードの演奏内容は、ブルーノ・ワルターがその音楽人生の最後に到達した心境を深く反映したものとなっており、聴き進むうちに精神的な高みをひしひしと感じとることができる。ワルター独特の温かみのある表現力が魅力的であるし、これに加えニューヨーク・フィルの深みのある響きは、ワルターの思いを的確に表現し切っており、見事な演奏というほかない。独唱、合唱陣も全身全霊で歌っている。ブルーノ・ワルターは、ドイツ・レクイエムの限りなく豊かな、人間味に溢れた名演奏を、このLPレコードで我々に遺してくれた。感謝というほかない。惜しむらくは音がぼけ気味なことだ。(LPC)

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