ベルリオーズ:レクイエム
永遠の安息を与えたまえ、主よ憐みたまえ
怒りの日
妙なるラッパの響き
哀れなるわれ
みいつの大王
われをたずねんと
涙ながらの日よ
奉献誦―主、イエス・キリスト
讃美のいけにえ
聖なるかな
神の子羊
指揮:シャルル・ミュンシュ
管弦楽:ボストン交響楽団
テノール:レオポルド・シモノー
合唱指揮:ローナ・クック・デ・ヴァロン
合唱:ニューイングランド音楽学校合唱団
発売:1973年
LP:RVC(RCA) RGC-1097~1098
ベルリオーズは、「最後に1曲だけ手元に残すとすればどの曲?」と質問を受けたとき、即座に「レクイエム」と答えたそうである。それだけベルリオーズにとって思い入れが深い曲なわけである。時の政府が作曲家に4000フランの賞金を出し、ミサまたはオラトリオを作曲させるという施策を打ち出し、白羽の矢が立ったのがベルリオーズであった。1837年3月に正式な依頼があり、完成したのが同年6月なので、ベルリオーズは4か月という短時間でこの大曲を完成させたことになる。ベルリオーズが最初に考えた編成は、次のような大規模のものだったようだ。合唱310人、テノール1人、ヴァイオリン50人、ヴィオラ20人、チェロ20人、コントラバス18人・・・で、事情が許せば合唱団は2~3倍に増やし、それに見合ってオーケストラも増やすという途方もない計画だったようだ。このため、このレクイエムは「システィンの壁画を描いたミケランジェロに匹敵する」とさえ評された。この曲は、レクイエム(死者のためのミサ曲)であるので宗教曲であるのには間違いないのであるが、例えば、バッハのロ短調ミサのような宗教曲そのものというより、何かフォーレのレクイエムのような、ロマンの香りがそこはかとなく漂い、聴きやすい宗教曲仕上がっている。このLPレコードで指揮をしているシャルル・ミュンシュ(1891年―1968年)は、当時ドイツ領であったアルザス・ストラスブールの出身で、のちフランスに帰化した名指揮者。1926年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の奏者となり、1932年まで楽長のフルトヴェングラーやワルターの下でコンサートマスターを務める。1929年パリで指揮者としてデビュー。1937年~1946年パリ音楽院管弦楽団の指揮者、1949年~1962年ボストン交響楽団の常任指揮者を務める。1967年パリ管弦楽団が設立された際には初代の音楽監督に就任したが、翌年同団とともに演奏旅行中、アメリカのリッチモンドで急逝した。テノールのレオポルド・シモノー(1918年―2006年)は、カナダ出身。ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン劇場、ローマ国立歌劇場などで世界的に活躍し、特に同時代を代表するモーツァルト歌手として名声を博した。このLPレコードでのシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団の演奏は、この大曲の持つスケール感を存分に表現すると同時に、美しい表情も盛り込み、聴くものを魅了する。特にボストン交響楽団の管楽器群の迫力には圧倒される。この曲を代表する名盤。(LPC)
シャルパンティエ:真夜中のミサ曲(降誕祭前夜のミサ曲)
指揮:ルイ・マルティーニ
管弦楽:パイヤール管弦楽団
ソプラノ:マルタ・アンジェリシ/エディト・セリ
カウンター・テナー:アンドレ・ムーラン
テノール:ジャン=ジャック・ルジュール
バス:ジョルジュ・アプドン
合唱:フランス・ジュネス・ミュージカル合唱団
オルガン:アンヌ=マリー・ベッケンシュタイナー
LP:RVC ERX-2226
発売:1976年
マルカントワーヌ・シャルパンティエ(1636年―1704年)は、パリの画家の家に生まれる。最初は画家を志したようだが、後に音楽家への道を歩み、ローマで音楽を学ぶ。フランスに帰国後、イタリア様式の熱心な推進者となり、フランスにイタリア様式の世俗カンタータや宗教的オラトリオなどの形式を紹介した。このことがシャルパンティエの作曲家としての地位に少なからぬ影響を及ぼす結果となる。フランスのバロック音楽時代には、フランス音楽派とイタリア音楽派が、いたるところで角を突き合わせたいた。当時、フランス音楽派のボスといえばリュリ(1632年―1687年)であった。一方、イタリア音楽派の代表格は、シャルパンティエその人である。フランス音楽派とイタリア音楽派の勢力争いは、当然、フランスにおいては、フランス音楽派、すなわちリュリに軍配が上らざるを得ない。この結果、シャルパンティエは、ヴェルサイユの要職にはありつけず、オルレアン公フィリップスの音楽教師やイエズス会系の教会や付属学校の楽長といった地位に甘んじなければならなかった。それでも、最後は、1698年に、王宮のサント・シャペルの楽長という名誉ある地位に就くことができたようだ。宗教音楽の作曲者としてシャルパンティエは、500曲以上の曲を作曲したとされる。12曲作曲したミサ曲の一曲がこのLPレコードの「真夜中のミサ」で、手稿には「クリスマスのための4声部とフルート、ヴァイオリンのための真夜中のミサ」と記されている。一般にミサ曲というと厳格な感じの曲を思い浮かべるが、この「真夜中のミサ曲」だけは、厳格さとはまったく異なり、深夜ミサの楽しさが伝わってくる。それもそのはずで、このミサ曲には、11曲の民衆的なクリスマス・キャロル(ノエル)がメドレーのように引用されているからだ。このため、このミサ曲を聴くと、単に宗教音楽の枠を越えて、クリスマス・イブからクリスマスにかけての輝かしくも厳かな夜の空気がリスナーのもとへひしひしと伝わってくる。このことが、この曲の人気の根源になっているように思われる。例え宗教人でなくとも、その純粋な信仰心の温かみが音楽を通して伝わってくるのである。フランスの聴衆は、クリスマス・イヴにこの曲を聴くと、聴き覚えのあるノエルを通して、キリスト降誕の場面を思い浮かべるという。このLPレコードでは、パイヤール管弦楽団と独唱陣、合唱陣は、そんな曲を愛情を込めて、楽しく、しかも優美に演奏しており、好ましいことこの上ない。(LPC)
フォーレ:レクイエム/ラシーヌの雅歌
指揮:ルイ・フレモー
管弦楽:モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団
合唱:フィリップ・カイヤール合唱団
オルガン:シャノワーヌ・H・カロル
バリトン:ベルナール・クルイセン
ボーイ・ソプラノ:ドゥニス・ティリェス
発売:1975年
LP:ビクター音楽産業(RCA) ERA‐1045
フォーレのレクイエムを聴くたびに心が洗われる思いがする。宗教に疎い俗人の私が聴いても、聴くたびにその深い宗教的雰囲気に圧倒される。圧倒されると言ってもフォーレのレクイエムの場合は、静かで、あらゆる俗世間の束縛から解放され、ただ、ひたすら質素で純粋な祈りの精神に圧倒されるのだ。こんなにも美しい宗教音楽があるなんて信じられないくらいである。誰が聴いても、例えクラシック音楽をあまり聴かない人が聴いても、聴きやすいメロディーに背後にある、精神性の高さに自然と引き寄せられることは間違いない。フォーレは自分の父の死に際しこの曲を書いたようであるが、自分自身の葬儀においても演奏されたそうである。フレモーの指揮はそんな曲の真髄を存分に聴かせてくれる。フォーレは、ある人に宛てた手紙に「私のレクイエムは、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません」と書いている。これを読めば分かる通り、このレクイエムは、伝統的な慣習に則ってつくられた曲ではなく、”永遠の安らぎに対する信頼感”を根底に書かれた曲だ。フォーレのレクイエムは、当時のカトリックの死者のためのミサに欠かせない「怒りの日」などが欠けており、そのままでは、ミサに用いることはできない。このため、初演の時は、「斬新すぎる」「死の恐ろしさが表現されていない」などといった批判が出たという。しかし、現在ではフォーレの狙いが理解され、演奏会用レクイエムの傑作として高い評価を得ている。このLPレコードで指揮しているルイ・フレモー(1921年―2017年)は、フランスの出身。レーニエ3世の依頼でモンテカルロ歌劇場管弦楽団(現モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団)の首席指揮者を務めた。モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団は、モナコのモンテカルロに本拠を置き、1856年に設立された。1980年からはモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団という名称に統一された。その後、バーミンガム市交響楽団の音楽監督、シドニー交響楽団の首席指揮者を務めた。このLPでのフレモーの指揮ぶりは、フォーレの意図した”永遠の安らぎに対する信頼感”をベースに置き、”苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感”をオーケストラの音から引き出すことにものの見事に成功している。(LPC)
ベートーヴェン:荘厳ミサ曲(歌詞:ラテン語)
キリエ
グローリア
クレド
サンクトゥス(ベネディクトス)
アニュス・デイ
指揮:オットー・クレンペラー
管弦楽:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
独唱:エリザベート・ゼーダーシュトレーム(ソプラノ)
マルガ・ヘフゲン(アルト)
ワルデマール・クメント(テノール)
マルッティ・タルヴェラ(バス)
合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
合唱:ニュー・フィルハーモニア合唱団
LP:東芝EMI EAC-77255~6
ベートーヴェンの荘厳ミサ曲は、宗教音楽の範疇から飛び出し、普遍的な精神世界における祈りであり、人類全体に向け心の連帯感を訴える、声楽つきの讃歌とも言える作品である。ベートーヴェンの曲の中では、荘厳ミサ曲に並び立つ、同系列の曲というと第九交響曲しか挙げることができない。このよう背景を持つ荘厳ミサ曲だけに、これまで幾多の名指揮者が録音を残しているが、その最右翼に挙げられるのが今回のLPレコードのクレンペラー盤である。クレンペラーは、全宇宙的なスケールの大きさで、この曲を最後まで雄大に描き切る。底知れぬ深みのある表現が際立っており、聴くもの全ての心の奥底まで感動を呼び覚まさせずにはおかない。表面的に美しさに甘んじることなく、もっと奥深いところでの人類同士の共感を目覚めさせられるような演奏内容である。今、地球上の多くの場所で人類同士の戦いが絶えないが、ベートーヴェンは、このことをあたかも予知していたかのようだ。ベートーヴェンは、荘厳ミサ曲において平和の大切さを訴え続けている。そして、クレンペラーの指揮は、このベートーヴェンの思いを全ての人々に届けるかのように、生きとし生ける者の連帯を訴え、人類讃歌としての理念を高らかに響かせる。そして、聴くものすべてが、その圧倒的に壮大な演奏内容に感動させられるのである。オットー・クレンペラー(1885年―1973年)は、ドイツのブレスラウ(現ポーランドのヴロツラフ)に生まれた指揮者。1907年プラハのドイツ劇場で指揮者としての活動を開始。1921年ベルリン・フィルにデビュー。しかし、クレンペラーはユダヤ系ドイツ人であったため、ナチス・ドイツ政権樹立に伴い、米国へと亡命する。亡命後、ロサンジェルス・フィルの指揮者となり、同楽団の水準を大きく向上させた。しかし、1939年に脳腫瘍に倒れ、後遺症のため指揮者活動は不可能となり、米国を去ることを余儀なくされる。これで、誰もがクレンペラーは終わったと考えたが、クレンペラーは強靭な意志力で復活を果たす。再び米国へ戻り、1954年からは、フィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者としてレコーディングを開始し、EMIから数多くのレコードをリリースする。このベートーヴェンの荘厳ミサ曲もその中の1枚なのだ。到底不可能な状況を克服して指揮者にカンバックしたということは、一時は精神的にも極限状態に置かれ、その逆境を克服したものでしか理解しえない心境が、この録音を通してひしひしと伝わってくる。この録音では、クレンペラーの指揮に加え、独唱と合唱の充実さも特筆できよう。(LPC)