お兄さん

2016-01-25 18:11:19 | あれこれ
過去の亡霊探しはもうやめようと思っている私だけれど…。
もう一人会ってみたい、消息が知りたい、懐かしい人がいる。

高校のクラブの1年先輩の男性である。
彼とは、恋愛関係にあったわけでなく…、
でも正直に言うと、出逢った一番最初にちょっとだけそんな想いもあった。
お互いにちょっとだけ自分の心を誤解したみたいな。
その誤解はすぐに解け、彼は言った。
「みなみは俺の妹だ!困ったときは何でも相談にのる」
(なんか、少女漫画とか少女向けの小説によくありそうな成り行きだね?)

でも、なんだか不思議な気もするんだけど、彼とはその後ずっと兄妹のような関係だった。
(確かに私は、子供のころから「お兄さん」が欲しかったんだよなー)

お兄さんとは帰り道が途中まで一緒だった。
朝、電車を降りる。その駅は、路線の終着駅だったので、満員電車のお客さんが一気に大量に降りてすごく混雑していた。
そこから、少し離れたバスターミナルまで行って、バスに乗り換えるのだが、
お兄さんはバスターミナルまでの近道を教えてくれた。
ちょっと走ってその近道を行くと、いつもより1本早いバスに乗れる。
電車に1本乗り遅れて、遅刻ギリギリのときにはとてもありがたかった。

前を歩いているお兄さんを見つけて、追いつこうとすると、
「みなみが歩くと、ペタペタ音がするのですぐわかる」と言われた。

最初にIGUちゃんにふられた高校3年のとき、
めちゃくちゃ哀しかった私に、お兄さんは、
「『なっちゃんはつむじ風』を見ると元気が出るよ」と言ってくれた。
私は榊原郁恵には興味がなかったけれど、
お兄さんに言われて見てみたら、本当にちょっとだけ元気が出た。

私がなんとなく寂しいとき、駅でばったり会ったお兄さんは、
コーヒー牛乳をおごってくれた。
駅で電車を待っているとき、よくお兄さんいないかなと探したりした。
あちらもそうだったのかもしれない。

獣医さんになりたいと言っていたお兄さんは浪人していて、
確か2年目も受からなかったんじゃなかったかな?
2年目は単身赴任していらしたお父様のいる北海道で浪人生活をしていたような記憶。
だから、私はお兄さんに会えなくなった。
何度か手紙をもらっていたと思うが、
それもだんだん途絶えて、連絡も取れなくなった。
彼の受験がうまくいかなかったことで、私も遠慮してあれこれ聞けなかったような気がする。

大学の何年生のときだったか、
後輩からクラブのOB会に誘われて行ったことがある。
同期の子もいなくて、ちょっと顔を出すだけのつもりで出かけて行ったのだが、
なかなか楽しく過ごしていた。
そのときに、後輩に「誰か他に呼べる人はいないか?」みたいに聞かれて、
お兄さんの実家に電話してみた。
夏休みの時期だったので、実家に帰っているかもしれないと思ったのだ。
あいにく不在だったけれど、
苗字を名乗っただけの私に、お母様が、「みなみさんですか?」って聞いてくれて、
嬉しかったのを覚えている。

それ以来、お兄さんの消息は全くわからない。
高校の同期会の名簿でも行方不明になっているようだ。
どうしているんだろう?
獣医さんになれたのかな?
元気にしてるのかな?
倖せに暮らしてるのかな?
私のこと、覚えてくれているのかな?

私のバイブル

2016-01-25 17:34:19 | あれこれ
昔、Tくんが言った。
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が一番好きな本だと。
私はすぐに読んでみた。
何がいいのかさっぱりわからなかった。

次男が高校生のころ、『ライ麦畑』を読んでいた。
私は、今ならわかるかな?と思ってもう一度読んでみた。
やっぱりさっぱりわからない。
次男に聞いてみる。
「この本おもしろかった?」
「うーん…。わかる気はするよ。思春期の男の子のこういう気持ち」
そうか、これは思春期の男の子のバイブルとも言える本なんじゃないか?と思った。
(実際、そう言われているんだっけ?)

私にも「バイブル」と思える本がある。
遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』と、
三浦綾子の『道ありき』。

別にこの2冊をずっとバイブルと思ってきたわけではない。
何年か前に、ふと「愛」について考えたとき、この2冊が読みたいと思ったのだ。
それ以来、私にとってバイブル的な存在となったのである。

『わたしが・棄てた・女』は、19歳のときIGUちゃんからもらった。
待ち合わせ場所に現れた彼は、本を読んでいた。
一緒に載った地下鉄の中でもそのまま本を読んでいた。
そしてしばらくして、「終わったー!あげる!!」と言ってくれたのが、この本だった。
彼からプレゼントされた本のタイトルが、『わたしが・棄てた・女』
少々複雑な思いであったのは否めない。
私がこの本を読んでどれくらい感動したのか、よく覚えてないけど、
友達に「いい本だよ」と言って貸したくらいだから、それなりに感動したのだろう。
私から借りてこの本を読んだ友達は、すごく感動したらしかった。
「森田ミツさんは何ていい人なの~!?」と言って泣いていた。

そして、その彼女が「これもいい本だよ」と言って貸してくれたのが『道ありき』。
こちらにはいたく感動したのを覚えている。
実話にはやはりそれなりの力があると思う。

それ以降、私は遠藤氏と三浦氏の本をたくさん読んだ。
結婚したころまで読んでいた。
これらの本は、中島みゆきさんの唄と共に、私を支えてくれていたと思う。
でも、当時暗かった私の心には、彼らの本は暗さの追い打ちをかけられているようでたまらなくなった。
そして私は、彼らの本から逃げ出してSFに走ったという過去がある。

だから、それ以降に書かれた作品は知らなかった。
何年か前に、どんなきっかけがあったのか、遠藤さんの『深い河』を読んだ。
懐かしかったな。
変わってないなと思った。

心に残る本があるって素晴らしいことだと思う。
最近はあまり小説を読まないのだけれど、また素敵な本に出会えるといいなと思う。
(実は小説を読みだすと、先が気になって他のことに手がつけられなくなるので)

中島みゆきの歩き方がかっこいい

2016-01-24 09:35:19 | あれこれ
私は姿勢が悪い。
子供のころ、よく猫背を注意されたが、どこ吹く風だった。
歳をとって、肩凝り・腰痛・背中痛に悩まされるようになってから、
ちゃんと人の言うことを聞いて、姿勢を良くしていればよかったと思った。
(肩凝りは、若いころからひどかったけど)

今から16年くらい前のコーラスの演奏会。
私は、ソロというほどではないが、ちょっと役をいただいた曲があって、
その場面では、最後に3人で登場するという演出。
それをビデオで観たとき、ショックを受けた。
猫背の私の歩き方のなんとみっともないこと!!
意識して背筋を伸ばそうと思ったのは、これが最初である。

それまで私の肩凝りなど心配して、ヨガをやってる友達などが、
アドバイスをくれたりしていたが、ちょっと試してみる程度でそれほど一生懸命になっていなかったのに。

その後、何年くらい前だったか、BSで、よしだたくろうさんのライブを夫が観ていた。
私はその場にいたわけではなく、2階と1階を行ったり来たりして忙しくしていたのだが、
たまたま1階のテレビのある部屋にいたときに、流れていた音楽に「あれ?」と思った。
「これって確か…、みゆきさんの…」と思っていると、
「やっぱりねえ!!」中島みゆきがゲストで登場した!!
なんとそのかっこいいこと!私はテレビに見入ってしまった。
颯爽と登場して、歌って、何もしゃべらずお辞儀だけして、
ちょっと手を振って、また颯爽と舞台袖に去って行く。
そのお辞儀も、歩き方もめちゃくちゃかっこいいのだ。

その映像は、その後You-Tubuにアップされていて何度も観た。
それ以来、歩くときはそのみゆきさんの歩き方を意識するようになった。
私の背中痛は、昔に比べればずいぶん良くなったと思う。
みゆきさんさまままである。

一度みゆきさんのコンサートに行ったことがある。
みゆきさんは本当にかっこいい!!
あの歳でピンヒールをはいて、背筋がピンとして…。
唄は昔から好きだったけど、いろんな意味で私には憧れの人。

その後読んだ本に、歩くときは「腸腰筋」を意識するといいと書いてあったものがあって、
これがまたいい感じである。

姿勢を意識して、少し大股で歩くと気持ちいい。
クヨクヨしたりして、心が少し元気でないときは、さっさと歩けない。
友達と歩いていると、おしゃべりは楽しいけど歩くペースが遅くてちょっと気持ちよくない。

ここ何日か寒くて、歩いて出かけるのはちょっと勇気がいるけれど、
歩けるところは歩いて行くように心がける。



他人の心

2016-01-23 17:17:00 | あれこれ
「自分がしてほしいと思うことを他人にしてあげなさい」
よく聞く言葉だが…。
確かに単純なことならそのとおりだと思う。
でも、話が複雑になってくるとどうなんだろう?
自分がしてほしいと思うことを、他人もしてほしいと思っているかというと、
必ずしもそうではないと思う。
私がしてほしいと思うことを、他人にしてあげて、明らかに不快感を示されたこともある。
そりゃそうだ。
自分だって、同じことをしてもらっても、
時と場合によって、嬉しく思うこともあれば不愉快に思うこともある。
相手の気分に合わせてタイミング良く…、なんてことは不可能だ。
好意が必ずしも好意として受け取られるとは限らないのである。
好意が裏目に出るという経験は何度もしている。

「ありがとうと言われていやな人はいない」
これもクエスチョンンマークだ。
今の私は、「ありがとう」という言葉の持つバワーを信じているが。
かつて、夫の連発する「ありがとう」という言葉が嫌で仕方なかった。
「ありがとう」さえ言えば、どんな状況で何を頼んでもいいと思っているのか?
そう感じていた。

私はひねくれ者だろうか?

他人の心はわからないものである。
「安易に」他人を理解しようなんて思ってはいけない。
好意の押し売りはいけない。

失敗を繰り返して他人との繋がりを築いていく。
大事なのは、その人のことを本当に大切だと思う心だと思う。
当たり前のようだけど難しい。
人はやっぱり自分のことがかわいい。
相手のことを思っているつもりでも、本当は自分のためだったりする。
でも、そんなの当たり前。
ちょっとだけ反省して、ちゃんとそんな認識を持って、
くじけないで前を向いて歩いて行けたらいいな。

家族というテーマ

2016-01-22 13:24:01 | 生い立ち・家族
かつて「魂」という言葉をキーワードに、図書館で本を借りまくった。
今度は「家族」がキーワードだな。
私にとって避けて通れない人生のテーマはやっぱり「家族」だろう。
誰にとっても「家族」は人生のテーマの一つなのだろうと思うけど。

私にはどうも「家族」というものがよくわからない。
「家族」が大切じゃないと思っているわけではない。
でも、世間で言われているほどには大切に思っていないような気がする。

「自分を愛することができない人は、他の人を愛することなんてできない」
というのと同じように、
「家族を大切にできない人は、他のものを大切にすることなんてできない」
と言われているような気がする。
(実際そうかもしれない)

私は幼いころ、幼稚園くらいかな?
どうして自分は母や祖父母と暮らしているんだろうと思った。
子供は子供同士で暮らした方がいいのに、みたいに思ったことを覚えている。
どうしてだろう?
それくらいの子供は、親と一緒にいることに安心感を覚えるものじゃないのだろうか?

「家族」って何だろう?
ある人に、心の中の問題を相談したら、
「そういうことは、家族の中で話題にするべきことであり、他人に話すことじゃない」
とお叱りを受けたことがあった。
そうだろうか?
私は、家族に心の中のことを話したりしない。
何でも話せる友達だと思ったから相談したのに、哀しかったな。

結婚して新しい家族ができた。
夫は基本的にいい人で、私のことを大切にしてくれていると思う。
でも、思ったことがある。
夫が私のことを大切にしてくれるのは、私が彼の「妻」だからだと。
「私」が大切なのではなくて、「彼の妻」が大切なんじゃないかと。
「私」のことを信頼しているのじゃなくて、
「彼の妻」だから信頼できると思っているのじゃないか。

うまく表現できないのだけれど…。
夫は、「あれやって、これやって」みたいに気軽に私や子供たちに何かやらせようとする。
別に彼がものぐさなわけじゃなく、動くときはちゃんと人の分まで動く。
私は思いついたことはさっさと自分でやった方がいいと思っている。
他の人に頼むのは面倒くさい。
(もちろん、困っているときに手伝うことは苦にならない)
でも、時々思う。
夫のように気軽に頼り合う方が、本当の家族の姿なんじゃないかと。
夫は家族を家族だと思っているけれど、
私は家族も個人の集まりと思っている、そんな感じ。

「家族」というとあまりにテーマが大きすぎて、まとまらないけれど、
思いついたことを書いてみた。