曲学阿世:真実を追求し、虚実の世間に迎合するようなことはしたくない。

真実を曲解し不正な情報によって世間の人々にこびへつらい、世間にとり入れられるような、ことはしたくない。

国家に役立つ人材育成を家庭に強要する安倍政権

2016年12月25日 16時31分57秒 | 政治経済、社会・哲学、ビジネス、

                 

 

               「植草一秀の『知られざる真実』」

                             2016/12/25

 国家に役立つ人材育成を家庭に強要する安倍政権

           第1624号

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横浜市で福島から転向した子どもの学校でのいじめが表面化して波紋が広がっ
た。

メディアは懸命に

「福島の問題」

として拡散するが、本質は違う。

「いじめの問題」

である。

メディアが

「福島の問題」

として情報を拡散するのは、福島に関する発言に対する

委縮効果

を狙っての側面もある。

この問題についてジャーナリストの高橋清隆氏が

メルマガ「高橋清隆のニュース研究」

http://foomii.com/00103



「福島いじめ報道の目的」

と題する論考を発表している。



高橋氏は

「発言という人間の基本的な自由を奪い、オーウェル的相互監視社会に持ち込
もうという大きな計画の一環として流されている」

と指摘するとともに、

子どもへの教育に関して、

「権力好みの言動を生涯、実践するように仕向けるためには、思春期までに調
教を完了するのが効果的である。

オルダス・ハクスリーは1932年発表の小説『すばらしい新世界』で、「孵
化(ふか)センター」で生まれた子供たちが共同体の保育園で調教される様子
を描いている。

権力の意向に沿えばご褒美が、反する行動には電気ショックが与えられ、条件
付けされる。

ハクスリーは漸進的社会主義運動のフェビアン協会との関わりから小説の題材
を得た。」

とも指摘している。

私は11月17日付メルマガ記事

「自発的不登校奨励と学校外教育の拡充」



「いまの教育は、

「教育」

ではなく

「調教」

であると述べた人がいた。

「個人のための教育」

ではなく

「国家のための教育」

であるから、そこで、いじめがあろうと、人権侵害があろうと、学校も行政府
も関心を持たないのだ。」

と指摘した。



自民党の中川雅治参議院議員が、自民党国会議員の義家弘介氏、橋本聖子氏と
の鼎談で

『いじめ問題は解決できるのか』

というテーマに関して、次のように述べていたことが改めて話題になってい
る。

『私の中学時代は男子校でしたが、クラスの悪ガキを中心に皆いつもふざけて
いて、ちょっと小さくて可愛い同級生を全部脱がして、着ていた服を教室の窓
から投げるようなことをよくやっていました。

脱がされた子は素っ裸で走って服を取りに行くんです。

当時、テレビでベンケーシーという外科医のドラマがはやっていました。ベン
ケーシーごっこと称して、同級生を脱がして、皆でお腹やおちんちんに赤いマ
ジックで落書きしたりしました。

やられた方は怒っていましたが、回りはこれをいじめだと思っていませんでし
たね。

今なら完全ないじめになり、ノイローゼになったりするケースもあるのかなあ
と思います。

いじめられている方も弱くなっているという側面はありませんか。』

驚くべき暴言である。

これが現職の自民党議員であり、自民党議員同士の、教育問題、いじめ問題で
の鼎談での発言なのである。

メディア報道も「いじめ」を問題にしているのではなく、「福島に関する発
言」だけを問題にしているのだ。

安倍政権は教育を「国民の調教」の場にしようとしていると思われるし、「い
じめ」問題の本質をまったく考えようとしない。

本当の意味での教育がおろそかにされる国に明るい未来は広がらない。



2012年4月10日に、安倍晋三氏を会長とする

「親学推進議員連盟」

が創設された日、安倍晋三氏はメルマガにこう記した。

「教育は本来『家庭教育』『学校教育』『社会教育』の三本柱で行われなけれ
ばなりません。

しかし戦後『家庭教育』が消され、家族の価値すら、危うくなっています」

安倍氏は伝統的家族観の復活のため、国家が家庭教育に入り込んでいく「家庭
教育支援法」制定を目指している。

この「家庭教育支援法」が2017年の通常国会に上程される見通しだ。



『月刊FACTA』誌が直近号で「家庭教育支援法」についての論考を掲載し
ているが、同誌は2006年に教育基本法が改正された時点から、日本会議が
家庭教育に照準を当てていたことを指摘する。

教育基本法には、「家庭教育」について、国や自治体が責任を担うという努力
目標が新設されており、これにより国家や自治体が家庭教育に介入する口実を
得ていたとも指摘する。

「家庭教育支援法」

には、

「国家及び社会の形成者として必要な資質が備わるようにする」ことの必要が
掲げられている。

FACTA誌は、これが、1942年に戦時体制作りのために文部省が出した

「戦時家庭教育指導要綱」

と重なると指摘する。

家庭教育の重要性を唱え、

家庭の教育力の低下を指摘し、

国家が家庭教育を支えなければならないとするロジックが完全に共通している
と指摘する。



安倍自民党が公表している憲法改定案では、第24条を次のように改定するこ
ととしている。

現行憲法

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有
することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関
するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚
して、制定されなければならない。

自民党改定案

(家族、婚姻等に関する基本原則)

第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族
は、互いに助け合わなければならない。

2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを
基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその
他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制
定されなければならない。



これと関連するのが第13条の改定である。

現行憲法

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に
対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政
の上で、最大の尊重を必要とする。

自民党改定案

(人としての尊重等)

第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対す
る国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国
政の上で、最大限に尊重されなければならない。


現行憲法が

「すべて国民は個人として尊重される」

としているのに対し、自民党改定案は、

「全て国民は、人として尊重される」

となり、

現行憲法が

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について

「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要と
する」

としているのに対し、

自民党改定案は、

「公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重
されなければならない」

としている。



第24条には、

「家族」を規定する新たな条項が書き加えられ、婚姻の条件が

「両性の合意のみ」に基いて成立するしているのを、

「両性の合意」に基いて成立と、「両性の合意」の重要性を低下させてる。

安倍政権の狙いは、「家族」を基礎的集団として定め、この「家族」に国家を
支える責任を課すものである。

個人の尊厳を制限し、個人の基本的人権は

「公益及び公の秩序」

に反しない範囲でしか認めない。

まさに

「国家のための国民」

を明確に規定して、

「国民のための国家」

という考え方を全面的に廃棄するものである。



この視点に立つなら、

「いじめ」そのものは問題でないということになる。

「福島」の問題をクローズアップすることだけが問題であり、「いじめ」その
ものを問題としていないのだ。

そして、家庭は

「国に役立つ人材を育てよ」

と命じられることになる。

学校が担うのは、

「国に役立つ人材への調教」

であり、

家庭に対しても

「国に役立つ人材の育成」

が強要される。

国家が家庭に踏み込み、基本的人権を全面的に蹂躙する方針がくっきりと浮か
び上がる。

このような国家による管理、「国家のための国民」を強制する国の国民に、明
るい未来が広がるわけがない。

国民が早く目を醒まして、この国家主義政権を退場させなければ、悲惨な未来
に巻き込まれることは間違いない。


※コメント:一言安倍政治の一番の狙いどこは、祖父岸信介の国粋主義国家の実現の
野望にある。そのための憲法改正でありまさに現在の国民主権国家から、国家主権化
の実現である。その目的を果たすために国民にはあたかも戦後アメリカに押し付けられた憲法であり、ここで日本独自で制定しなければならないという、理由付けをしているが、むしろ現行憲法よりも国民に取っては大きく失うほうが多いのである。
現状の国民のための憲法から、国家のための憲法へと制定されてしまうことを、国民は十分と認識しておく必要がある。植草氏は教育の分野について指摘しているが、あらゆる分野にわたり、国家の制限が強くなるのである。
 



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