曲学阿世:真実を追求し、虚実の世間に迎合するようなことはしたくない。

真実を曲解し不正な情報によって世間の人々にこびへつらい、世間にとり入れられるような、ことはしたくない。

戦勝国による投下によって多くの市民が被爆者になった日でもある。

2015年08月10日 10時27分17秒 | 政治経済、社会・哲学、ビジネス、

長崎は9日70年目の「原爆の日」を迎えた、戦勝国による投下によって多くの市民が被爆者になった日でもある。

 戦後70年毎年変わらず8月は6日広島9日長崎と原爆投下の日を迎
える。そのたびごとに平和の有り難さが身に染みるのだが。
 最近に至っての政治はそれを忘れろと言わんばかりに、再び日本も
戦争に参加できるようにすることが、平和のために必要であるという理屈
付でそうあるべきを、法律で位置付けようとしているのであるが、
 古今東西において、戦争において平和な戦争などはあり得ない、
戦争における究極的な、目的は政治的なものである。その敵を壊滅するか、政治権力を剝奪するか、講和条件を提示し和議を結ぶまで闘う。
 激烈な戦争においても、人道上「国際人道法」上において敵の軍事施設
以外への攻撃は禁じられているが、戦争においてもエスカレートすればそうもゆかないの現実のようである。それが70年前に、広島、長崎に投下
された原爆であろう。現在は厳しく国際的に禁じられているが、最近は
国が見えないテロとの戦いもあり、安心していられないのである。
 今までは日本はテロの攻撃はなかったが、戦争に参加するようになれ
ば当然のごとくテロの標的が多くなるであろう。
 下記は植草一秀氏のブログから引用掲載した70年前の長崎で被爆し
た谷口さんの生々しい実録である。二度と繰り返したくないことではある
が戦争においてはそうも行かない場合もありがちでもある。
 
 
※以下は、植草一秀氏ブログ掲載分の引用
式典に参列した人々の心を貫いたのは、被曝者代表として「平和への誓い」を
語った谷口稜曄(すみてる)氏の言葉だった。

「70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬に
して7万余の人々が殺されました。

真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。

肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがっ
た顔。眼(め)が飛び出している人。

水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でし
た。

地獄でした。

地獄はその後も続きました。

火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさま
よった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐
きながら、死んでいきました。」



「70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。

爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。

突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩
きつけられました。

しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げ
たように、皮膚が垂れ下がっていました。

背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっ
とり付いてきました。

不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。

それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。

3年7カ月の病院生活、その内の1年9カ月は背中一面大火傷のため、うつ伏
せのままで死の淵をさまよいました。

そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。

今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動
いているのが見えます。

肺活量は人の半分近くだと言われています。」



「かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の
援護のないまま、12年間放置されました。

アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励
まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができ
たのです。

あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることが
できました。」


 
 
 壮絶な被曝の真実を語った谷口稜曄氏。

谷口稜曄氏は安倍晋三氏に対してこう述べた。

「戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」
が制定されました。

しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中
の時代に逆戻りしようとしています。

今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を
願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうと
するもので、許すことはできません。」

さらに、こう宣言した。

「核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の
圧倒的な声になっています。

私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵
器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一
人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さん
の前で心から誓います。」