「バッド・ジー二アス 危険な天才たち」(「ฉลาดเกมส์โกง」、2017年、タイ)
監督 ナタウット・プーンピリヤ
脚本 ナタウット・プーンピリヤ
タニーダ・ハンタウィーワッターナ
ワスドーン・ビヤロンナ
撮影 バクラオ・ジランクーンクム
音楽 フアランポン・リディム ウィチャヤー・ワタナサップ
出演 チュティモン・ジョンジャルーンスックジン
チャーノン・サンティナトーンクン
イッサヤー・ホースワン
ティーラドン・スパパンピンヨー
オールA以外の成績を取った事のないリンがバンコクの名門高校へ転入した。
初めて出来た友人グレースは成績が悪く、リンに助けを求めてくる、簡単な気持ちでカンニングの手助けをした事から、金持ちの子女からも助力を求められる・・・。
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=VgzjsmeIpY0
タイ バンコクを舞台にした青春群像+「黄金の七人」or「オーシャンズ・シリーズ」といった感じ。
かなりのビター風味、「七人の侍」に例えれば、侍の気質を持った百姓が力の有る狡賢い侍に同化していくのだけど、最後の最後に自分勝手な救世主感を持ち出して、何それ?と困惑してしまう話。(笑)
映画の宣伝文句としても、あの二人は決して天才じゃない、単に高校生レベルの問題がお茶の子才々な只の大秀才。天才というのは既存の見方、方式、公式に疑問を持ち、その並外れた頭脳で新しい真理、方法を見付けようと飽きずに努力する人達で、二人がしたのは時差、バーコードという既存のシステムを利用、応用しただけ。
しかも、ヒロイン自身が言うように、この手法は単にバカロレア(大学受験資格~本作では、より高位のものだけど受験資格という意味は変わらない)の取得でしかなく本試験には通用しない。(笑)
有り体に言えば、せいぜい二人はファンド・マネージャーで、その上客が金持ちの子女だったという構図。
脚本、監督が意図して作ったのなら、相当な女性観の持ち主で(親近感を否定しません)、この物語の諸悪の根源はバンクが言うように全てリンにあり、バンクは顛末を含め、徹底的に哀れな巻き添え者に過ぎない。
リンは誠実で実直な父に心から感化されていた訳だけど、その父が自分(リン)の有利な進学の為、敢えて不浄な行為(賄賂)をした事にショックを受ける。
そこで自分の心に得た結論がラスコリニコフと似たものになってしまった。
自分の才能を金持ちのバカ息子・娘とギブ&テイクをして何が悪いと。
それが自分達の小さな世界だけで収まるウチは失敗しても傷は自業自得だったけど、外国の一流大学受験資格試験という一回り二回り大きくなると、リン一人の手に負えなくなり目を付けたのが境遇も才能も似た者同士なバンク。
結果、全てを失ったバンク。ならば、その手のブローカーとなり苦労を重ねた親を助けようとした途端、今度は白い天使となり「全て新しく最初からやり直す、失敗した自分だからこそ危ない橋が見える」と勝手にバンクの救世主になろうと改心するリン。(黒澤映画だと、この後の彼女が昔の自分と対決する)
僕も長年、多くの作品を観て来たけど、これ程、自分の思考を中心に世界を回してる女に出会ったのはマレ。(笑)
そういう意味でも、金持ちの子供たちの狡賢い腐った根性にも辟易したけど、映画としてどうかと問われると「結構、面白い作品」と思ってしまう。
音、スローモーション、もう飽きた並立行進等、演出的に古臭い感じが否めないけど、物語の芯は意外とシッカリしてる、それが、この作品の魅力。僕はそう感じました。
※僕の大好きな「ひとりぼっちの青春」で使われたフラッシュ・フォワード(フラッシュ・バックの反対)という技法が出て来ました、「ひとりぼっちの~」と同じで被告人の供述というスタイル、只、多人数だった為、肝心の供述が他の供述に埋もれてしまった。(涙)
※リンの友達グレース以外、皆、中国系の顔立ち。タイを舞台にした映画は「バンコク・ナイツ」しか観てなくて解らないけど、華僑系の名門高校が舞台なのかな。
※エンディングのラストソングは「博士の異常な愛情~」程ではないけど、中々のブラックジョーク。
H30.10.6
新宿武蔵野館
監督 ナタウット・プーンピリヤ
脚本 ナタウット・プーンピリヤ
タニーダ・ハンタウィーワッターナ
ワスドーン・ビヤロンナ
撮影 バクラオ・ジランクーンクム
音楽 フアランポン・リディム ウィチャヤー・ワタナサップ
出演 チュティモン・ジョンジャルーンスックジン
チャーノン・サンティナトーンクン
イッサヤー・ホースワン
ティーラドン・スパパンピンヨー
オールA以外の成績を取った事のないリンがバンコクの名門高校へ転入した。
初めて出来た友人グレースは成績が悪く、リンに助けを求めてくる、簡単な気持ちでカンニングの手助けをした事から、金持ちの子女からも助力を求められる・・・。
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=VgzjsmeIpY0
タイ バンコクを舞台にした青春群像+「黄金の七人」or「オーシャンズ・シリーズ」といった感じ。
かなりのビター風味、「七人の侍」に例えれば、侍の気質を持った百姓が力の有る狡賢い侍に同化していくのだけど、最後の最後に自分勝手な救世主感を持ち出して、何それ?と困惑してしまう話。(笑)
映画の宣伝文句としても、あの二人は決して天才じゃない、単に高校生レベルの問題がお茶の子才々な只の大秀才。天才というのは既存の見方、方式、公式に疑問を持ち、その並外れた頭脳で新しい真理、方法を見付けようと飽きずに努力する人達で、二人がしたのは時差、バーコードという既存のシステムを利用、応用しただけ。
しかも、ヒロイン自身が言うように、この手法は単にバカロレア(大学受験資格~本作では、より高位のものだけど受験資格という意味は変わらない)の取得でしかなく本試験には通用しない。(笑)
有り体に言えば、せいぜい二人はファンド・マネージャーで、その上客が金持ちの子女だったという構図。
脚本、監督が意図して作ったのなら、相当な女性観の持ち主で(親近感を否定しません)、この物語の諸悪の根源はバンクが言うように全てリンにあり、バンクは顛末を含め、徹底的に哀れな巻き添え者に過ぎない。
リンは誠実で実直な父に心から感化されていた訳だけど、その父が自分(リン)の有利な進学の為、敢えて不浄な行為(賄賂)をした事にショックを受ける。
そこで自分の心に得た結論がラスコリニコフと似たものになってしまった。
自分の才能を金持ちのバカ息子・娘とギブ&テイクをして何が悪いと。
それが自分達の小さな世界だけで収まるウチは失敗しても傷は自業自得だったけど、外国の一流大学受験資格試験という一回り二回り大きくなると、リン一人の手に負えなくなり目を付けたのが境遇も才能も似た者同士なバンク。
結果、全てを失ったバンク。ならば、その手のブローカーとなり苦労を重ねた親を助けようとした途端、今度は白い天使となり「全て新しく最初からやり直す、失敗した自分だからこそ危ない橋が見える」と勝手にバンクの救世主になろうと改心するリン。(黒澤映画だと、この後の彼女が昔の自分と対決する)
僕も長年、多くの作品を観て来たけど、これ程、自分の思考を中心に世界を回してる女に出会ったのはマレ。(笑)
そういう意味でも、金持ちの子供たちの狡賢い腐った根性にも辟易したけど、映画としてどうかと問われると「結構、面白い作品」と思ってしまう。
音、スローモーション、もう飽きた並立行進等、演出的に古臭い感じが否めないけど、物語の芯は意外とシッカリしてる、それが、この作品の魅力。僕はそう感じました。
※僕の大好きな「ひとりぼっちの青春」で使われたフラッシュ・フォワード(フラッシュ・バックの反対)という技法が出て来ました、「ひとりぼっちの~」と同じで被告人の供述というスタイル、只、多人数だった為、肝心の供述が他の供述に埋もれてしまった。(涙)
※リンの友達グレース以外、皆、中国系の顔立ち。タイを舞台にした映画は「バンコク・ナイツ」しか観てなくて解らないけど、華僑系の名門高校が舞台なのかな。
※エンディングのラストソングは「博士の異常な愛情~」程ではないけど、中々のブラックジョーク。
H30.10.6
新宿武蔵野館
後半のバンクやグレースたちへの手のひら返しはすごかったですよね。少女の自惚れなどもしっかり演じていて、確かに見ごたえはありましたね~。試験官から逃げ出すシーンはハラハラしました。
コメントありがとうございます!
リンとグレースの友情〉いい話に行くのかと思ったら・・・。(笑)
自惚れ〉それもあったけど、余りの自己中ぶりに引きました。(汗)
逃げ出す〉地下鉄の所は確かに。