セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「おおかみこどもの雨と雪」

2013-02-25 00:03:09 | 映画日記/映画雑記
 「おおかみこどもの雨と雪」(2012年・日本)
   監督 細田守
   脚本 細田守 奥寺佐渡子
   原作 細田守
   キャラクター・デザイン 貞本義行
   音楽 高木正勝
   主題歌 アン・サリー
   声  宮崎あおい
       黒木華 大野百花
       西井幸人 加部亜門
       菅原文太 大沢たかお
   
 ファンタジー企画の作品という事で観てみたら、ホントにファンタジーでした。
 ファンタジーと完全に割り切れば、中々の感動作だと思います。
 ただ、もう少し現実との整合性を付けられれば、もっと素晴らしい作品になっ
た気が・・・。
 「ルパン三世 カリオストロの城」(大好き~笑)は架空の世界で展開される
ファンタジーで、完全にその世界で自己完結してるからいいんだけど、この作
品はリアル世界を舞台にファンタジーを展開させていて、その割りには現実世
界とファンタジー世界の整合性が充分には取れていない、そこに、ちょっとマイ
ナス部分がある気がします。
 一つだけ例を挙げれば、子供が一人居なくなれば大事で、村の人には「親戚
に預けた」と言えても、几帳面な役所は見逃してくれません。
 「山へ行って行方不明」しか手はないけど、大騒動になるし落ち着くまでは芝
居をし続けなければならない、それが出来る「お母さん」にも見えない。
 「お金」の問題とか他にも沢山有るけど、大人なら、どうしても「考えて」しまう
のが普通だと思います。
 その辺で、大人の目にも耐えうる「ファンタジー」に、あと一歩な作品になって
しまった気がします。
 (ただ、凡百にそれをやれば、折角のファンタジー風味が薄くなってしまいま
すが)

 随分、野暮ったい事を書きましたが、繰り広げられるファンタジー世界にドッ
プリ浸れば、相応の感動は得られます。
 北アルプスの麓、その山奥で暮らす母子3人の様子、村の人達との触れ合
いを描いてるシーンの数々は良かったし、「狼は何故、いつも悪者なの?いつ
も人間達に苛められて最後は殺されちゃう」と母親に呟く雨は切なかった。
 演出面では雪が草平クンに正体を明かすシーンのカーテンの使い方が綺麗、
又、廊下と教室を使った2年の時間進行は非常に上手いと思いました。
 (「ノッティングヒルの恋人」で、市場を歩いていく内に1年が経過していく名シ
ーンがヒントなのかな)

 個人的には、「好きな作品」と言える映画でした。
 紹介して頂いたnorさんに感謝します。

※最初の辺り、人々の歩き方が気味悪かった、あるシーンではあからさまに機
 械が作ってるような動き方をしていました、ジプリに追いつきたいのなら、その
 辺も丁寧に。
コメント (12)
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「駅馬車」

2013-02-19 00:06:38 | 外国映画
 「え!この映画観てないの!?」
 映画ブログを書いていながら、そういう作品が実に一杯ありまして・・・。(汗)
 そんな状況をちょっとだけ反省、今年はそんな作品を少しでも潰していく年
にしました。
 「とても言えない、観てない」シリーズ、今年6本目がコレでした。(大汗)

 「駅馬車」(「Stagecoach」1939年・米)
   監督 ジョン・フォード
   脚本 ダドリー・ニコルズ
   撮影 バート・グレノン  レイ・ビンガー
   音楽 ボリス・モロース
   出演 クレア・トレヴァー
       ジョン・ウェイン
       トーマス・ミッチェル
       ジョン・キャラダイン ルイーズ・プラット

 この作品、1950年代までなら傑作、現代の目で観ても当たり前の事ですが
名作でした。
 人間達が実に良く描けてる。
 確かにアクションシーンであるインディアン襲撃時のスピード感は、今観ても
感嘆すべきモノがありますが、「駅馬車」という映画の本質から見れば、後のリ
ンゴ・キッドとプルマー三兄弟の決闘と同じく味付けに過ぎないんじゃないでしょ
うか。
 この映画の面白さの本質は乗客である、お尋ね者、酔いどれ医者、博打打ち、
娼婦、身重の大尉夫人、行商人、銀行家とプラス御者、保安官それぞれの個性
であり、その人達が駅馬車や駅亭という凝縮された空間で展開し絡み合っていく
人間模様(ドラマ)にあると思います。
 それが出来たのは9人の人間達を、簡潔でありながらも丁寧に描いているから。
 この辺は「七人の侍」の面白さと共通するものがあると思います。
 酒に目のないアル中の医者が鼻持ちならない銀行家に「一緒に飲もう」と言わ
れた時、手に持っていたグラスの酒を暖炉に投げ捨てる所、身を挺して他人の
赤ん坊をインディアンの攻撃から守っている娼婦、殺された渡し守の夫人に羽織
っていたマントを掛ける博打打ち、さり気ないワンカットでその人の本質を描いて
います。
 本当に上手いと思いました。
 
 また、物語を語るテンポがいいんでよ。
 「或る夜の出来事」の時に感じた心地よいリズム感と共通するものが有りました。
 サイレントを多く撮ってきた監督というのは、トーキー初期でもサイレントのリズム
感を大事にしていたんでしょうね。
 そんな気がしました。

 役者陣は一人を除いて皆素晴らしい演技でしたが、特に酔いどれ医者のT・ミッ
チェル、娼婦のC・トレヴァー、南部貴族の成れの果て(博打打ち)J・キャラダイン
が光ってました。
 好みを言えばプライド高い大尉夫人のL・プラットが好き。(笑~相当な天然悪女
かも)
 主役のJ・ウェインは、記念すべきJ・フォード作品の主演第一作で流石の存在感
を示していますが、演技的にはまだまだで見事な大根振りを披露しています。
 でも、大スターの原石を見ている思いは痛切に感じました。
 小心物の御者も庶民の行商人も愛すべき人達、堂々の憎まれ役だった銀行家、
そして粋な保安官、皆、言う事なしです。

 そんな「傑作」と言うべき作品を「名作」としてしまうのは、やっぱり今が21世紀で
あるから。
 これを言うのは「野暮」だと頭では解っているのですが、1970年代を生きてきた
自分には、どうしても単純なインディアン=悪人というのは条件反射のように心の何
処かで反応してしまうんですね。
 子供の頃にワンコイン・ゲームで遊んだ射的ゲーム、射的の的のように撃たれる
インディアン。
 あのシーンの数々は、子供の頃のように、やっぱり単純には楽しめない。
 これは監督の責任ではないのですが、時代が判決を下したという事だと思います。

 「とても言えない、観てない」シリーズで6本観てきた感想は、「後世に名を残す作
品には、みんな、それだけの理由があった」。(あくまで、今の所~笑)
 この作品は、その6本の中でも一番面白かったです。
 今迄、僕の西部劇№1は「リオ・ブラボー」でしたが、本作がとって変わりました。


※200年前、アメリカもフランスも、日本と同じくロクなもの食べてなかったんだね。
※大尉夫人がとても臨月には見えません。(笑)
※キッドとプルマーの決闘シーン、光と影の使い方が秀逸。
※銀行家の奥さん、「肉買うから5$頂戴」って、凄い浪費家。(今なら、多分5万
 円くらい?)
※これも「野暮の極み」なんだけど、フォードさん「お金」に無頓着。(笑)
コメント (6)
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「羅生門」

2013-02-10 01:40:02 | 邦画
 と言う訳で「羅生門」。(笑)

 「羅生門」(1950年・日本)
   監督 黒澤明
   脚本 橋本忍 
       黒澤明
   撮影 宮川一夫
   美術 松山崇
   音楽 早坂文雄
   出演 三船敏郎
       京マチ子
       森雅之
       志村喬 上田吉二郎 千秋実
       加藤大介 本間文子 

 或る夏の暑い日、京都洛外で一人の旅の武士が殺され、妻が盗賊に犯された。
 盗賊、妻、武士、それぞれが殺したのは自分だと言い張る。
 しかし、その一部始終を見ていた目撃者が居て・・・。

 「羅生門に住んでいた鬼は、人間の恐ろしさに逃げ出したらしいぜ」
 
 映画「羅生門」とは、芥川龍之介の「藪の中」の話を羅生門(史実では羅城門)の
下で語らせながら、小説「羅生門」のエッセンスを2,3滴振り掛け、それに黒澤ヒュ
ーマニズムを付け足した作品です。
 前回も書きましたが、そこに描かれてるのは「真実の多面性」、「真実の相対性」
であり、結局、人が「真実」と思ってるものは個人の「主観」にすぎないのではないか、
という事なんだと思います。
 芥川の原作は救いのない人間不信のまま終わっています。
 しかし、黒澤監督は「人は嘘をつく救いようのない生き物」だ、しかし、そんな人間
の世の中でも人の善性を「信じたい」、「信じて生きていきていきたい!」、「人は生
まれ変われるんだ」、それも人間なんだ!と訴えています。

 この映画はいろいろな逸話に彩られた作品で、一番多いイメージは「難解」だと思
います。
 大映の永田社長が「なんや高尚な映画やけど、さっぱり解らん!」とこき下ろし、
撮影中、助監督達が「意味が解らない」と監督の元に談判の来たとか(チーフ助監
督だった加藤泰は結局、説明に納得出来ず降りた)。
 映画館から出て来た客も「さっぱり解らない」と不評だったけど、映画館によって
は、ちゃんと理解していて、「何で?」と思ったら解説者だか弁士が付いていたとか
とか。(笑)
 でも、黒澤監督は「これは別に小難しいシャシンじゃないです、先入観を持たずに
見て欲しい」と言っています。
 僕?僕の印象は「何で?」、「この映画の何処が難解なの?」です。
 この映画は、人間のエゴイズムを描いた作品だと思います、その「エゴイズム」の
視点から見れば全然難しい映画でもナンでもない。
 ただ、「エゴイズム」と言うものに「面白味」を感じるか、感じられないかで随分印象
が変わってくるとは思います。

 この映画に関して、僕は随分理屈っぽい事を書いてきました、「真実の多面性」ウ
ンヌン。
 でも、この映画が西洋に影響を与えたのはそればかりじゃないのです、むしろ、そ
ういう理屈面は後からくっ付いて来るものなんです。
 それよりも何よりも、映像の力強さと美しさ、流麗なカメラワークと抜群のリズム感、
野性そのままの三船敏郎、魔性を秘めた京マチ子、動の二人に重しとなって物語に
安定感を与えてる静の森雅之、三人の演技合戦。
 人が映画に引き込まれるのは「理屈」じゃありません、世界中の人達をこの映画に
引き込んだのは、上記したものが渾然一体となって観る者に迫ってきたからなんだ
と思います。
 それは、製作から60年以上経った今でも、それ程、変わりなく現代の人間に迫っ
てきます。

 もし興味が湧いて、観てみようと思う方がいらっしゃったら、角川書店が公開当時
にほぼ近い状態に完全復元したデジタル・リマスター版でご覧になるのをお薦めしま
す。
 また、ブルーレイ装置をお持ちならば、ブルーレイ版が一番素晴らしいとの事。
 僕は何度も観てるから台詞は全部解るけど、初めての方は「日本語字幕」付きで
見るのが無難だと思います。

※杣売りが下人から赤子を奪い、その下人から図星を指された時、僧侶は何故あそ
 こまで恐怖に顔を引き攣らせたのでしょう?
 真犯人は別に居たのかも。(笑)
※妻 真砂の供述の際に流れる早坂文雄の悪名高い?ボレロ。
 僕は「七人の侍」の時に書いたように、早坂さんで一番好きな曲なんですが、個人
 的に「そそのかしのボレロ」と名付けています。
 超えてはいけない一線に身を置かされた時、あの音楽に触れたら「一線を越えて」
 しまいそうなんですよ。(笑)
※「殆んど近郊のロケで、オープンセットが「検非違使庁の壁」と「壊れかけた羅生門」
 だけ、安い制作費で作った作品」と誤解してる人が多いようですが、あの門を作る
 のに莫大な金が掛かっています。
 黒澤さん、完成後、大映の重役だった川口松太郎氏に愚痴られたそうです。
 「黒さんには一杯喰わされた、確かにセットは門一つに違いなかったけど、あんな
 大きなのを建てる位ならセット百位建てた方がよかったよ」
 黒澤さんによると、最初からあんな大きなのを建てる気は無かったそうなんですが、
 京都に呼ばれて長い事待たされてる内にイメージがどんどん膨らんでああなった
 そうです。
 (羅城門は都大路の正門にあたる門だから小さい訳がない、と気付いてしまった
 ~笑)
※興行は不入りと伝説になっていますが、興行成績は大映の4位だったかで悪くな
 かったんですよ、ただ、今で言う一種のポルノ映画(レイプもの)の感覚が当時の
 人達には有ったみたいです。
コメント (4)
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「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」

2013-02-03 01:12:50 | 映画感想
 最初にお断りしますが、僕、動物絡みの作品は苦手なんです。(笑)

 1950年に黒澤明監督が作った「羅生門」。この作品、タイトルこそ「羅生門」
ですが、中身は同じ芥川龍之介の「藪の中」でした。
 この作品が西洋人に与えた衝撃というのは、簡略化すれば「真実の多面性」
であり、人の口から話されるものに「真実は存在しない」だったと思います。
 何故か?一神教であるキリスト教徒、ユダヤ教徒にとって、神は絶対不可侵
な唯一のものであり、その神の元にある世界では「真実は一つ」と信じられてき
たからです。
 「羅生門」登場以来、西洋で「真実の多面性」、「真実に対する懐疑」をテーマ
にする作品は「ラショウモン・スタイル」と呼ばれるようになりました。
 この映画は、そんな「ラショウモン・スタイル」の映画です。
  
 船が沈み、少年一人だけが長い漂流の末に生き残った。
 この映画で示される事実は「この二点」だけです。
 その事実を元に語られる「ファンタジックな物語」と「生々しい物語」
 人は「ファンタジー」を信じるのか、それとも、「生々しい話」を信じるのか。
 それは、「信じる」のではなくて「信じたい」なのではないか?
 映画では、日本の保険会社も、この話を聞く作家もファンタジーを選んでいま
す。
 この作品、ラショウモン・スタイルを守って「答」は提示していません、「答」は観
客に委ねられたままです。
 
 更に言えば、それを通して「神は存在するのか?」も有ると思います。
 (この辺は多神教である日本人と、律儀な一神教の考え方の差異が感じられ
ます)
 主人公パイは、生まれ育った母国のヒンズー教に感化されながら、キリストを
信じ、更にアラーの神を信じて「アラー アックバル」を唱える少年(中学2年くら
い?)。
 父親は言います「沢山のものを信じるという事は、実は、何も信じていない
と同じだ」
 (これは、日本人にとって結構「解りやすい」例えだと思います)
 彼が只一人生き残ったのは「神を信じて、神に救いを求めた」からなのか?
 彼は、どの神に祈ったのか?
 では、トラは何で生き残ったのか?虎は神にすがりはしない。
 それとも、トラ自身に神が宿ったのか?
 虎が神だったのか?
 それもこれも、はたまた偶然も「神」ならば、一体それは、どの神なのか?
 人々が唯一と思ってる神とは本当の所、誰なのか。

 この映画では、そんな過酷な運命の果てに得た「生命」で、現在を「どう生きて
いるのか」も描いています。
 誰もした事のない体験をしたパイ。
 でも、彼は「英雄」でもなければ「著名人」や「サバイバル評論家」でもない、ご
く普通の生活を送る一般人。
 神を信じる事に躊躇しない、どこにでも居る人間。
 タイトルの「ライフ・オブ・パイ」通りに、それが彼の人生であり生き方。
 数々の疑問を提示しながらも、この映画の言いたいコトは「生命」の目的は普
通の生活を送ることにある、そんな所に有るんじゃないかと思いました。


 僕個人の感想としては、取り立てて出来の良い作品とも、面白い作品でも有り
ませんでした。
 (動物絡みは相性悪いんだってば・・(笑))


※前回の「レ・ミゼラブル」では、隣に座った10歳くらいの子供に150分に渡る
 「ポップコーン攻撃」を受けました。
 速射砲のように食べるため口で呼吸が出来ず、仕舞には豚のように鼻をフガ
 フガ鳴らす始末。
 今回は15才位の女子でしたが、やっぱり130分ポプコーン食べまくり・・・。(涙)
 しかも音立てて食べてる。
 なによりかにより、どちらも口とポップコーンを行き来する腕がチラチラするか
 ら、気になる気が散るドタマ来る!
 自分の部屋じゃないんだよね、売店も、せめてSサイズだけにしてくれよ!!!
 (欧米では普通のスタイルらしいけど、そんなの知るか!)
 
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