セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「魚が出てきた日」 祝 DVD発売決定!

2011-02-20 18:03:57 | 映画感想
 まあ、祝って大騒ぎするほどじゃないんですけど。
 個人的には、ずっと待ってたので大騒ぎレベルなんです。

 「魚が出てきた日」(「The Day The Fish Come Out」1967年・米)
 監督マイケル・カコヤニス 出演トム・コートネイ、サム・ワナメイカー、キャン
ディス・バーゲン 音楽ミキス・テオドラキス

 核を題材にしたブラック・ジョークな作品と言えば、S・キューブリックの「博士
の異常な愛情」が有名です。
 第3次世界大戦が今にも始まるという時、ペンタゴンの地下で興奮の余り車
椅子から立ち上がり、
 「総統!私は歩けます」と叫ぶ、マッドなストレンジラブ博士(邦題はこの名前
を直訳したもの、これについては幾つかの説がある)。
 爆撃機B52からテンガロンハットを被って核爆弾に跨り、モスクワめがけて
「イヤッホー!!」と落下していくキングコング少佐。
 甘いバラード曲「また会いましょう」に乗せて炸裂しまくる核爆弾と立ち昇るキ
ノコ雲の数々。
 世上違わぬ傑作だと思います。
 でも、僕、こっちの作品も好きだなあ。
 それはキューブリックに較べれば落ちるとは思うけど乾いた笑い満載の「博
士~」と違い、ずっこけ笑い満載の本作、好き嫌いで言えば個人的には、こっ
ちの方が好き。

 核物質を積んだ飛行機がトラブルを起こし、その3つの危険物を海上へ投
下する、ところが誤って1つはエーゲ海の小島に落ちたらしい。
 こりゃマズイってんで、慌てて捜索隊を島に派遣、目的なんか言える訳がな
いんでアメリカの不動産業者と偽る、パイロットはパイロットで素性を隠すため
パンツ一丁で積荷と電話(事態を連絡するため)を探し回る。
 島民は観光地になるのかも、って浮かれ出し、遺跡を発掘に考古学者御一
行もやってくる。
 問題の核物質は能天気な羊飼いが拾い、「お宝」と勘違いしてる。
 コメディの項目に「正体を偽ったために起こるドタバタ」(例 B・ワイルダーの
「お熱いのがお好き」)というのが有りますが、この作品は、まさにそれ。
 普通、こういうカタストロフィ的な作品って、ジワリジワリと終局に向けてサス
ペンスを盛り上げていくものなんですけど、その辺はちょっと無頓着といえなく
もない、だから、「博士の~」に較べて評価が低いのかもしれません。
 でも誤解が誤解を生んで、周りが勝手にあらぬ方向へ動き出し、心ならずも
それに合わせながら焦りまくる数々のシチュエーションは可笑しくて秀逸だった
と思います。(何せ最後に見たのは30年以上前ですから)
 音楽は、ご贔屓のミキス・テオドラキス。
 今から30年以上前って、まだそれほどエキゾチックなメロディは多くなかった
んじゃないでしょうか。
 この人のメロディはエスニック調が特徴で、コスタ・ガブラス監督とのコンビが
多かったのですが、その中の「戒厳令」のテーマ曲は大好きな曲で、僕の映画
音楽ベスト3に入ります。
 この映画でも、ラストシーンに掛かる享楽的でヤケッパチで、ちょっとアンニュ
イが混ざった感じの曲が大好きです、ちょっと聞いただけで、あっ、テオドラキ
スだって解る個性がある(昔は偶にラジオから流れてたんだけど、もう20年以
上聞いてない)。

 4月発売だそうです、本日予約しました。(笑)
 早くこの映画と再会したいし、あのテオドラキスのメロディにも触れてみたく思
っています。


※ 僕が強くDVD化されるのを望んでた作品は、「フォロー・ミー」、「魚が出て
 きた日」、「ウィークエンド・ラブ」の三作品。
  去年暮れに「フォロー・ミー」が実現、そして今年の春に「魚が出てきた日」が
 実現、いいことが続いて本当に嬉しい。
  さて、こうなると「ウィークエンド・ラブ」も期待してしまいます、雨の日に始まり
 雨の日に終わる物語、ほろ苦い味のする大人のラブコメです、結構いろんな
 賞を獲ってる作品なので、未だDVD化されてないのが不思議なんですけどね。
コメント (2)
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「シェルブールの雨傘」(ネタばれ) 極私的名ラストシーン第2位

2011-02-13 12:55:48 | 外国映画
 いままで観てきた映画の中で、特に印象に残ってる名ラストシーンについ
て書いてみます。
 内容が内容ですのでネタばれになります、ご容赦下さい。
 1位と2位は本当は甲乙つけがたいと思っているのですが、作品的に1位
の方が出来が良かったので、こういう順にしました。

 「シェルブールの雨傘」(1964年・仏)監督ジャック・ドミィ 出演カトリーヌ・
ドヌーブ、ニーノ・カステルヌオーボ
 冒頭、雨の中、真上から撮影される石畳、ミッシェル・ルグランの甘いメロ
ディが流れ出し、画面の中を色とりどりの雨傘が通り過ぎていく、そんなタイ
トル・バックで始まる仏製ミュージカル映画(踊らないのでオペレッタという人
もいます)。
 有名なのは、このタイトル・バックと第1部クライマックスのシェルブール駅
での別れのシーンだと思います。
 でも個人的には、この映画、ラストが最高なんです。
 そこを書く前に、また、ダラダラと思いつくまま。(笑)

 映画のあらすじは、
 港町シェルブールの傘屋の娘・ジュヌビーエーブ(ドヌーブ)と自動車修理
工・ギィは激しい恋に落ちるのだが、そこへ召集令状が(当時フランスはア
ルジェ戦争中)、出征前の最後の夜、二人は始めて愛を確かめあう。
 ギィが不在となる中、ジュヌビエーブに悪阻の症状が。
 そんな時、母が懇意にしている宝石商からジュヌビエーブはプロポーズを
受けることに。
 ギィからの便りは途絶え、音信不通の日々が続いていく。
 遂にジュヌビエーブは、悩みながらも全てを承知の上で自分を愛してくれる
宝石商のプロポーズを受け入れる決心をする。
 1年後ギィが負傷兵として帰還、すでにジュヌビエーブの姿はシェルブール
になく傘屋も店を閉じていた。
 荒れるギィ、追い討ちを掛けるように育ての母の死、しかし帰還後、ずっと
自分を優しく見守ってくれていたマドレーヌに気付き、二人は結婚する。
 そして、あの駅での別れから6年後、雪の降りしきるクリスマス・イブの夜・・・。

 最近知った(忘れてた?)んですが、ジュヌビエーブって16歳の設定なん
ですね、ギィは20歳、「10代の瞬間湯沸し器」という面から見れば、死なな
かった「ロミオとジュリエット」の、その後みたいな話。
 ロミオがベローナの街に居られなくなり、逃げた先の町で「行方不明」とい
う噂を聞いたジュリエット、悲しみのあまり腑抜けのようになってパリス伯爵
と結婚しちゃう・・・、ありゃりゃ、とんでもない話に。(笑)
 ま、それはさておき、この映画は非常にユニークな造りになっています。
 それは、最初の台詞から最後の台詞に至るまで全部歌。
 歌というより台詞を全部メロディーに乗せて喋ってるんです、だから絶えず
音楽が鳴っている。
 M・ルグランの才気を感じさせる所ですが、初見の時は2部に入った中ほ
どで飽きました、そこからはちょっと忍耐が必要だった。
 ♪どこ行くの~♪
 ♪トイレよ~♪
 ♪紙が無いから持ってって~♪
 こういう台詞は勿論有りません、冗談です、でも、初めから終わりまでずっ
とこの調子ですからね、物語がダレたと感じてしまうと結構キツイです。
 ♪Oui ~♪なんて、語尾伸ばしたら酔っ払い。(笑)
 それでも有名なシェルブール駅の別れのシーンは、最初の時から印象に
残ってます。
 列車に乗るギィ、ホームに立つジュヌビエーブ、台詞は二つだけ。(笑)
 ギィ「♪Mon amour♪」(好きだ)
 ジュ「♪Je t'aime ♪」(愛してるわ)
 ギィ「♪Mon amour♪」(好きだ)
 ジュ「♪Je t'aime 、Je t'aime ♪」(愛してる、愛してる)
 ずっと、こればっかし、さすがフランス。

 でも、このジュヌビエーブって女、酷え女ですよ。(笑)
 涙、涙のこの別れのシーン(スクリーンで)。
 ギィを乗せた列車が動きだすと「旅情」や「終着駅」みたいにジュヌビエー
ブさん、後を追わないんですよ、その場に立ったまま。
 更に酷いのは、ギィの列車がまだホームを離れないのに、この女、クルッ
と背を向けてサッサと改札口に向かって歩き出しちゃう、おいおい、さっきの
愁嘆場は何だったのかと。
 この性格の悪さは見事に第2部で花開いて、音信不通が長く続いたって
だけでコロっとお金持ちの男の元へ行っちゃう、「戦死通知」が来た訳でも
ないのに。
 そりゃ、子供をどうやって育てるのかって問題もあるけど、
 「私、貴方がいないと生きていけないわ」って切々と訴えたのは何だったん
でしょうかね。(笑)

 さてと、ようやく問題のラストシーンです、すいません。(笑)
 シェルブールの町で小さなガソリン・スタンドをやってるギィ、マドレーヌとの
間に出来た男の子も居る。
 イブの夜、営業所の中でツリーの飾りつけも終わり、子供とマドレーヌがプ
レゼントを買いに降りしきる雪の中を出て行く、それを見送るギィ、家族3人、
とても幸せそうな雰囲気。
 そこへ入れ違うように1台の車が入ってくる、助手席の女の子が悪戯にク
ラクションを鳴らし続ける。
 「止めなさい、フランソワーズ」
 窓を開け、見上げるジュヌビエーブ、その表情が瞬間、固まる。
 同じく固まって立っているギィ。
 パリから用事があって、あれ以来初めて来た故郷、パリへ帰る為に立ち
寄ったスタンドでの偶然の再会。
 二人は殆ど無言のまま営業所の中へ入る。
 ここの何がいいって、ジュヌビエーブが再び営業所を出る3分位の間、あま
りうるさく喋べり合わないのがいいんです、会話は当たり障りのない話が続
いた後。

 ギィが車に乗ってる女の子を見てる。
 「フランソワーズっていうの、会ってみる?」
 首を振るギィ。
 「そう・・・」
 ジュヌビエーブ、ギィが妻と子供と一緒に飾り付けたというツリーを見る、
 「そろそろ行ったほうがいい、家に着くのが遅くなる」
 無言のままドアを開けるとジュヌビエーブが振り返る、
 「あなた、幸せ?」
 「幸せだよ」
 そのまま車へ向かうジュヌビエーブ。(彼女も、それなりの幸せの中にいる)
 開けっ放しになってるドアの所に立ち、出て行く車を見送るギィ、降りしき
る雪、そこへ子供とマドレーヌがプレゼントを抱えて帰って来る。
 子供とじゃれ合うギィ、幸せモードへ戻った家族3人、やがて3人の姿が
営業所の中へ消えていく。
 ジュヌビエーブがドアを出てからFINマークまで、寄りを余り使わず、引き
の画面で淡々と描写していくのが凄くいいんです、そこへ、これでもかこれ
でもかと被さるM・ルグランのテーマ曲の有名な旋律、ちょっと田舎芝居み
たいに臭いんですけど、やっぱり効果があります、このシーンには絶対欠
かせない旋律です。

 恋と愛の違い。
 熱情の時代を過ぎ、分別のつくようになった男と女が再会して、お互いの
現在を何も言わずに理解してあっさり別れる。
 「あっさり別れる」といっても、溢れかえるようないろんな思いを、お互い
の胸ん中に無理やり畳み込んで「あっさり別れる」んです。
 初めて見た時以来、ずっと心に残ってるラスト・シーンです。
 http://www.youtube.com/watch?v=JiNfJHZCD8Q



※フランソワーズという名前は、別れる前、「子供が出来て男の子だったら
 フランソワ、女の子だったらフランソワーズにしよう」と二人が決めていた
 名前です。
 ちなみに、ギィの子供の名前はフランソワ。
※ドヌーブも前半部より、このシーンの、少し落ち着いた感じの方が断然
 好きです。
 でもドヌーブだったら個人的には、ハリウッドで撮った「ハッスル」が一番
 好き、それまでの硬質なイメージじゃなくて陽性で、ちょっと妖艶さも有っ
 て良かったです。
コメント (6)
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「ラストサムライ」

2011-02-11 17:00:46 | 外国映画
 今回はブログの趣旨に反して比較的新しい作品について書きます。
 
 機会があって(浮世の義理で)本作を見ました。
 「ちょっとはマシなんだろうが、どうせ西洋人が描くサムライものだろう」
と侮っていました。
 素直に「ごめんなさい」と言わせて頂きます。
 感想は一言、「素晴らしかった」
 更に加えれば、「何で日本人がこれを作れないんだ」ですね。
 昔と違って、日本だってそれなりの金は集められるようになってます、
「角川」みたいに集めた金をドブにすてるのは馬鹿でも出来るけれど、集
めた莫大な金を有効に使うには才能が要ります、その才能が日本には
無いという事なのでしょうか、淋しい限りです。
 確かに日本人から見れば「あれ?」っと思う所は幾つかあります、が、
話の本筋から見れば瑣末な事でしかないと思います。
 よく、これだけ日本の歴史をヒントにしながら上手にカルチャライズして
話を創ったものだと驚嘆します。
 まあ、ヒネクレタ見方をすれば、インディアンを悪者にした単純な西部
劇が作れなくなったアメリカが(※)、「良心の呵責」を余り感じないです
む東洋にその場を求めた、という見方も出来なくはないのかもしれませ
んが(「レッド・クリフ」にしても)、映画は映画です、作品の出来が良けれ
ば、そんな事を考える必要は微塵もないと思います。
 もし、日本人がアメリカの歴史をカルチャライズして、違和感なく新しい
架空の話をこれほど上手く作れるでしょうか。
 日本人は歴史的立場から来てるのか、他所の国を観察するのに非常
に長けている(あくまで上位に位置してる国)と思いますが、それでもやっ
ぱり100%のアメリカ人もフランス人もイギリス人も描くことは出来ないと
思います、それと同じく西洋人に100%の日本人を描くことを期待するの
は無理なのです。
 そういう目で見ても、去年公開された「必死剣 鳥刺し」の百姓衆と本作
の百姓衆を較べれば、どちらにリアリティが有るか、「日本の監督は何を
やってんだ」と言いたくなります、大したもんです。

 「ラストサムライ」の主題は「滅びの美学」だと思います。
 この美学は各国共通ですが、我が国ではとりわけ、その意識が強い。
 日本人のDNAに色濃く刻まれてる「もののあはれ」や「無常」にも通じ
る感覚。
 この日本人の持つ感覚を、ここまで上手く異国の人間に描かれるとは
思いもしませんでした。
 西洋の「ノーブレス・オブリージュ」と「武士の心得」(どちらも、かなりの
建前ですが)がある程度共通してた、という見方も出来るかもしれません
が、ちゃんと日本の味付けで表現しながら観る者を納得させるだけのチ
カラが有ると思います。

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 「黒澤映画」に対するオマージュとしての「ラストサムライ」

 黒澤監督の「影武者」という映画は余り好きではないのですが、この映
画、結構向こうの映画に影響を与えてたんですね。
 「影武者」の前半部にある「夕陽を背にした行軍」とか「戦陣の埃が逆
光で浮かび上がる」とか。
 「夕陽を背にした連隊」や「騎馬隊の突撃」は「サハラに舞う羽根」(20
02年米・英合作映画)に、そっくりな部分があったし、本作「ラストサムラ
イ」でも「逆光に浮かぶ埃」や「騎馬隊の突撃」は「影武者」や「乱」を参考
にしてると感じました。
 また刀槍が近代兵器の前には遺物でしかないというのは「七人の侍」
への、ある種のオマージュだと思います、と、いうより、この作品自体が
「七人の侍」に対するオマージュだと強く感じます(※2)。
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 渡辺謙(トップ・クレジットだから彼が主役なんだ)、トム・クルーズ、真田
広之他、役者達もいい演技をしています、こういう映画に出演出来るのは、
たとえ、どんなに大変でも役者冥利につきるんじゃないでしょうか。
 20年、30年経って振り返った時、この映画に出演した役者達は今より
もずっと高い名声に包まれていると思います、「七人の侍」に出演した人達
が、後々、永遠に日本映画史に刻まれる事になったように。



※  インディアンを単純な悪者として描く西部劇は大戦後、割と早く終焉
   を迎えてると思います、「西部劇」の神様J・フォードでさえ中期以降そ
   ういう作品は殆ど無いと言います。
   敵を南軍にしたりガンファイター同士の争いにして生き延びた「西部
   劇」も、ベトナム戦争のソンミ村大虐殺を想起させる「ソルジャー・ブル
   ー」(‘70)と機関銃で無法者を皆殺しにする「ワイルド・バンチ」(‘69)
   で終わりを告げました。
   西部劇を、或いはアメリカを代表する大スター J・ウェインは「我々が
   創ってきた西部劇とはイリュージョンなのだ、「ワイルド・バンチ」には、
   それが無い。あるのは「殺し」だけだ」と嘆いたそうです。
※2 ただ「ワイルド・バンチ」には早撃ちの腕一本で生きていく世界が機関
   銃によって消え去ってしまった、というレクイエム的側面があります、こ
   れは黒澤に影響を受けたペキンパーらしい黒澤に対するオマージュな
   のかもしれません。
   だとしたら、J・フォードを神様のように慕った黒澤が、そのフォードの
   愛した「西部劇」に引導を渡すきっかけを作ったとも言えます、皮肉な
   ものです。
   「七人の侍」は、鉄砲の前には刀が無力であり古き侍達の終焉を暗示
   しています、「ワイルド・バンチ」も本作「ラストサムライ」も、一つの時代
   へのレクイエムという点で共通してると思います。
コメント (4)
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