Salsa する?

Salsaの力を信じてます。
ココロの核にしみ込んで、カラダの芯が躍動します。

将軍はつらいよvs江戸っ子の呑んだをれ 奇跡の赤酒 灰の凄いリサイクル

2016-08-25 19:17:26 | 


日本史上で戦争のない時代が、265年間続いたのは江戸時代だけ。

物資も人も江戸に集中。
江戸の庶民は後世に残る爛熟した文化を生み出し、
幕府は地方大名をガッチリ抑え、天下泰平という言葉を生んだ。

江戸っ子は喧嘩っ早く、、キッカケを見つけては喧嘩する。
身体の傷や痣を見せては喧嘩自慢をするほど平和だった。


◆江戸っ子の呑んだをれ◆

実は
江戸は酒の消費量が世界でもダントツ一位。。
一人平均が、一日5合くらいの日本酒を呑んだという。
1800年初めで、にごり酒一合4文(50円程度)。
5合は300円弱という有り得ない安さ。
そのうえ
当時は今のような防腐剤はなく、悪酔いもなかった。
悪酔いしないどころか、身体に良かったほど。
その根拠は、防腐剤として使われた灰にあった。

朝、仕事前に軽くひっかけ、昼はおやつに一杯、仕事終わりの風呂上りに一杯、
そして寝酒に一杯・・・
威勢がよく啖呵を切るのも、年中ほろ酔い気分だったから。。かもしれない。
と杉浦日向子さんは書いている。


◆灰の凄いリサイクル 奇跡の赤酒。。◆

江戸はリサイクルという方法を編み出した。
その中でも竈や火鉢を買う<灰買い>という商売があった。
この灰がトンデモナク利用価値があった。

作物を育てるため畑の土に撒き、良い土に改良したり。
絹・綿・麻などの糸に光沢を出すために、灰汁で煮たり。
漢方薬・洗剤などにも使われたり。

当時は全て混じりっけなしの天然素材だったため、
燃やした灰は綺麗で不純物なし!

灰の最大の功績は<酒つくり>
酒の種麹を作る時上に灰を撒くことで、有害な雑菌の生育を抑えた。
アルカリ性の灰は酒の酸化を抑え、臭みを消して味をまろやかにした。
リサイクルの灰のお蔭で、酒は大ブレイク。

火事の多かった江戸で、全てが一晩で灰になったが、
灰を有効にリサイクルし<江戸の呑んだをれ>の文化を生み出した。


つい最近のこと
我が家で使ってる熊本の「東肥 赤酒」
なんと!
赤酒は今も灰を使った方法で作られていた。
アルコール度11・5~12・5%の灰持酒。
甘みがあり、みりんと同じように使っていたが、、
九州では大人も子供もお正月はお屠蘇で、普段は水割りやロックでも飲まれている。

盃に入れると綺麗な飴色。
この飴色こそ、アミノ酸の熟成した色。
お酒なのに生きたアミノ酸サプリメントと云えるかもしれない。

お味はあっさりしたカンロ飴。
ワタシは寝酒に盃一杯呑んでます(*'ω'*)




◆将軍はつらいよ!◆

江戸っ子たちは、
美味しいものを食べ、酒を呑み、日に何度も湯やに行き、
芝居や寄席・講談に読書と日々極楽トンボのよう。。

それに反し
江戸城の将軍様たちは、窮屈な生活を強いられていた。
朝6時に起床、食事・勉学・武芸・事務処理などハードワーク。
そのうえ子孫繁栄のため、たまに大奥へ…

三度の食事は毒を盛られないように吟味し過ぎてパサパサ。
しかも庶民と違い、食べるものの制限があり栄養のない食事。
将軍の食事は10人前も作られ、シャッフルしながら運ばれる。
そのうちの一つを将軍が食べる、、という大仕掛け。
残しても大事になるし、常に周りに警護の人が居て気の休まる時間がない。

将軍の日課は大変だなぁ…と食事の内容を見てると、、、
将軍専用のお酒の記述に目が釘付けになった。

赤くて臭気のある古酒、、、
江戸の水は酒造りにはあまり適しておらず、
将軍用のお酒は地方から取り寄せていたという。


赤い色は灰持酒の赤酒の特徴でもある。
なぜか歴代の将軍たちは身体が弱かったためか、赤酒を呑まされていた!
と思いたくなる記述だった。


**日本酒の効用**

最近の研究報告で
一日二杯を適量とした日本酒の効用として

発がん抑止効果

動脈硬化の抑制

虚血性心疾患の抑制

心筋梗塞の血液凝固の防止

老化・痴呆の予防

骨粗鬆症のリスク低減

胃液の分泌を高める


日本酒もほどほどであれば、健康年齢を引き延ばすラシイよ


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浮世絵のナゾナゾ。。江戸っ子のいなせなアンチエイジング🎵

2016-08-11 16:35:54 | 


◆浮世絵のナゾナゾ。。。◆

今年、東京の渋谷Bunkamuraで、
ボストン美術館所蔵の歌川国芳・国貞の浮世絵の一部が公開された。
江戸の文化の中でも浮世絵は世界中で評価が高く、
当時の浮世絵の多くはヨーロッパに流れ、そこからアメリカへと渡った。

教科書に載ってる浮世絵の男女の表情や雰囲気は、超年齢不詳。。
実物をこの目で見てみると、
江戸時代の人って、ずい分とエロい顔をしていた。

外は大雨なのに、展示会場は物凄い人。
作品の前には<これ以上近づくな!>の黒い線がくっきりビーーーと引かれ、
みんなマイケルジャクソンのように身体を傾ける。
ギリギリまで顔を近づけて凝視する態勢にwww

浮世絵は割に小さく、繊細で手の込んだ浮世絵を見るにはその方法しかない。

私は左大臣(ダンナさま)と共に、江戸時代の宝に魅入った。
左大臣は日本史には殆ど興味もなく、ただついてきただけ。
だが、その緻密な描写と色彩感覚に驚き、彼もマイケル状態に。
作品を観終わると足はクタクタで、なんと!二時間も経っていた。

自分の思っていた江戸の人々とはイメージが違い、
浮世絵の男女の肌は、みな色白。
しかも歯も真っ白。
それでいて妙に大人っぽく、枯れた風情。。。。
その時は絵師によって誇張されているのだろう、、と思う程度だった。

そして驚いたのは歌川国芳のセンスが時代を超えた天才だったこと。
今のアニメの原点ともいえる絵を描いていた。
凄いカルチャーショックを受けたワタシの脳みそには、
沢山のナゾナゾが詰まったまま・・・

この謎を解いてくれたのが杉浦日向子さんの「お江戸でござる」だった。



◆ありのままの いなせなアンチエイジング◆


浮世絵に描かれてる男女は、どうやら20代で未婚のようだった。

江戸の女性は未婚と既婚はすぐ分かった。

眉があるか、剃り落としてるか。
髪形が島田か、丸髷か。
歯が白いか、お歯黒か。

男衆は間違えることなく、募集中の方にアタック出来た。

浮世絵に描かれる女たちは明らかに当時の美人。
十代か二十代、お洒落もハイセンスで裕福だと思われる。

Bunkamuraで見た見た絵で不思議な浮世絵があった。
この絵に描かれてる唇の色は上と下では色が違う。
上は赤で、下は緑がかった玉虫色。
これが最高の口紅の付け方で、
当時の人気花魁や位の高い奥女中しかつけること出来なかった。

女たちは毎日湯やで、肌と踵をぬか袋でピカピカに磨き上げる。
江戸の女たちにとって
白く艶やかな肌に薄化粧とピカピカの踵が、最高のお洒落だった。
真冬でもかかとの美しさを見せるため素足が多かった。




男たちはそれ以上にお洒落だった。
筋肉隆々は好まれず、色の白い優男がもてはやされた。
力仕事が多かったため、町に行けばみんな腹筋が割れ筋肉質の体。
今ならモテそうだが、博徒ですら真っ白な体を自慢したらしい。

そしてなんといっても<お金がなくても清潔第一>
湯やは日に何度も行き、髪は結って二日目状態を常にキープ。
熊さん八さんに見える髭剃り跡の青いのは、NG!
ムダ毛は抜くことで、美しい白い肌に。
眉を描き足し、キリッとした印象。

月かさと言われる頭頂部は綺麗に剃り、青い色である事が若さの象徴。
中年と言われる男たちも、この月かさに<青タイ>という色を塗った。

歯磨きは歯が擦り切れるほど磨いた。
江戸で爆発的なヒットは歯磨き粉で、
砂や塩にクローブやハッカを混ぜたもので今と変わらない。
舌磨きまであり、エチケットに気を遣うのは当たり前だった。


浮世絵に描かれた男女は、若く美男美女。
絵師はありのままを描いていたのが分かる。

江戸っ子の一番凄いところは、変な若作りをしないこと。
年季の入った古いものほど価値を置き、大事にした。

それは人にも通じることで、老いることに抵抗がなかった。
その年代年代に沿うお洒落と風格をつけ、
一歳でも目上であれば経験値が違うとしてリスペクトした。


年寄りが追いやられることはなく、町で助け合うような気風を大事にした。
今の便利な世の中に一番足りない部分が、江戸の町には根付いていた。
あまりにも耳を覆いたくなるような事件や出来事が多い今という時代。
杉浦日向子さんの
渇いた現代社会に、江戸の町を移植し増殖させたい願いを込めた本と
250年という天下泰平は、人として生き抜くのに深い意味を指し示すと思った。


次はとても優秀な江戸を書きます!


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江戸っ子の粋! 宵越しのカネを持たない理由

2016-07-28 12:15:02 | 



◆宵越しの金を持たない理由。。◆

江戸っ子の生態を知れば知るほど、唸ってしまう。
今の平成が最先端だと思ったら、大間違いだった。
よく江戸っ子を<粋>とか<いなせ>だのと云うが、
その根底には貧乏と住宅事情がある。

江戸の人口の半分は武士、あとは農工商。
金持ちの商人が町のまとめ役をやり、町のために私財を出す。
その下には多くの長屋を持つ大家たちがいて、
店子の職を世話したり、長屋の冠婚葬祭を取りまとめる。
水道料金は大家が負担し、掃きだめのごみ処理も大家がする。
店子は四畳半一間400文(6000円)さえ払えばノープロブレム。

そのせいか、江戸の男衆はガツガツ働かなかった。
江戸は仕事がなくても、
ちょっとした良いことをするとチップを貰える。
道行く人を笑わせたり、玄関先の履物を揃えてあげたりなどで、
一文二文のチップをくれる。
そんな僅かなお金でも物価が安いため
一日四時間程度働けば、その日を凌げるお金が入った。

杉浦日向子さんの「江戸アルキ帖」では
『江戸っ子の貧乏は
社会構造の未熟さからくるのではなく、彼ら自身の選択によるもの
ニコニコと趣味で貧乏をしている。。のが不思議だ』

その背景には江戸の大火がある。
江戸はなぜか五年に一度の割合で火の洗礼を受ける。
蔵を持つ大商人を除けば、大半の人々は一瞬で財産を失う。

江戸の町の風情は、ズラーーーと並ぶ茶色い家々と茶色い土。
茶色の寺院と茶色の橋。
朱色で塗られていても、すべての建物は木で造られている。
ひとたび火種が起きれば、阻むものはなく、、
町全体が燃え尽すまで火は収まらない構造になっていた。
火は棟伝いでドンドン大きくなるため、消火方法は家を壊す<破壊消火>
水を使うのは、火消しの人を守るためにかけるだけだった。

そして
大火に見舞われるのは、江戸っ子なら先刻承知の助!
地主や大家はお上に納税する他に
「町入用」という積立金をし、町や長屋の修繕費に充てていた。
そして長屋が燃えてしまった場合に備え、すぐに建てれる蓄えもしておく。

燃えたとしても廃材やストックしておいた木材を使い、
すぐにトテカントテカンと建て直してしまう。
多くの大商人や大家たちは人望があり、
店子たちからもリスペクトされる懐の深さを持っていた。

そんな町の気質と仕組みからか、、
江戸の住人となった時から
最小限度の家財とその日を暮らせるお金が入れば、大して困らなかった。

江戸の火事の譚を読んでて思い出したのが、
時代劇で観る
闇夜に「火の用心!」カチカチ🎵
あれは、あまりにも多い火事の警告と見回りの意味があった。

歩き煙草や夜間に火を使う営業は禁止。
風の強い日は銭湯も営業禁止になったほど。

江戸っ子がよく口にした
「一寸先は闇」や「江戸っ子は宵越のカネを持たない」は、
大火で命からがら逃げ延び、
一夜にしてすべてを失うことが一生で何度も起こる。

だからこそ
困った時はお互いさまで、助け合う。
親の帰りが遅い子供は、よその家で食べさせたり。
行儀の悪いよその子を、叱ったり。
お裾分けというのも、江戸っ子から生まれたもの。

町全体がそういう気質だったため、今のような孤独死などはなかった。
鍵もない長屋でプライバシーは守りながら、お互い助け合う。
そこには恩に着せるなどという発想はない。

江戸中期から熟成していった江戸の気風や江戸しぐさは<粋>であった。
二世紀半に及ぶ江戸時代の優れた文化は、
庶民から発信したものだった。

杉浦さん曰く
「ヨーロッパは戦争することで、大きな道が出来て多彩な文化が入ってきた。
それは貴族などの上流の人達から齎された文化。
江戸だけは長い平和と庶民の気質から生まれた稀な文化です」


**火消しはめちゃくちゃモテた!**

纏(まとい)持ちが特にモテた。
火の手の最前線に纏を持って立つ役目。
「め組」だと分かるように立つ若者は、超イケメンだった。
その組のイメージボーイなので
  
  若い
  
  背が高い

  美男子

この条件を満たすため、組は競ってスカウトしたという。

余談だが、、
あの「八百屋お七」は恋人に会いたさのあまり、
火つけをし江戸を火の海にした。
江戸始まって以来の大事件だったとなっている。

今回は書いていて予想外に長くなった。
次回は、ちょいと面白いへぇーーー譚を書きます。


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寺子屋の本分 江戸っ子は世界一の識字率!本好きと貸本屋  

2016-07-11 19:40:51 | 


◆寺子屋の本分 世界一の識字率!◆

江戸の住人は、とにかく本を読んだ。
なぜなら識字率がダントツの世界一という理由がある。
実は江戸だけは、子供も大人もほとんどの人が字が読めた。
その貢献者は、
寺子屋と言われる<指南所>で江戸の至る所にあり、
江戸の子供たちはこぞって通った。


江戸時代は義務教育がないため、<指南所>は私塾。。
先生は知識のある僧や女性・浪人など。
読み書き・算盤・方角・地名・手紙の書き方・
商売用語・礼儀作法・正式な食べ方など…
丁稚奉公に上がっても困らないよう実用的な事を教えてくれる。

午前中から二時までは、子供たちタイム。
二時以降は、読み書きが出来ない大人たちの勉強タイム。
もちろん授業料はあるが、その日暮らしの江戸っ子は<出世払い>が多かった。
子供たちも大人も奉公に上がった仕事で、
先生の家を直したり、野菜や魚を持って来たりと授業料は現物支給。
指南所で教える先生たちは、情熱を持って子供に教えるし、
子供たちも一生懸命勉強した。

勉強することが、生きる術に繋がる江戸の子供たち。
十歳そこそこで、親から独立は当たり前のこと。。

親は押入れもない長屋で、最小限の家財道具で生活。
パラサイトだの引き籠りなどの余裕は、親にもなかった。
動物の世界と同じで、
子供たちは早くから一人で生きていく覚悟を持たざる得ない現実があった。

江戸の町の凄い所は、町の富裕層が町のために財産を使った。
その使い道の一つに
捨て子や迷子のように、親が分からない子供たちは町ぐるみで育てた。
その費用は富裕層が出すことで、儲けたお金を町と人に回した。
江戸は地方から出てきた者の寄せ集めで<超個人主義>
人を羨んだりはせず<人は人 自分は自分>という考えが根付いていたが、
困った時は助け合うのは当然のこととしてやっていた。
そういう粋な町と町が競い合い、栄えたのが江戸という町だった。
私利私欲に走る者はケチな野郎と云われ、町には居られなくなる。
なんとも痛快で、江戸という町に住みたくなるほどだ

今は、
物が豊富でネットを使う便利な世の中。
子供を育てる余力がない…
子供を見てくれる保育園がない…とか
江戸と同じ超個人主義でもこんなにも大きく違う。
残念ながら、生きにくい世の中になってしまった。


江戸が太平の世の象徴で、
人の役に立つことをしてれば、食いっぱぐれも、のたれ死にもしない。
『江戸にさえ行けば、何とかなる!』と、
貧しい地方からドンドン人が入り、<人返しの令>が出るほどに。
40万から130万人の世界一華やかで、お洒落で、粋な町に熟成していった。


◆本好きと貸本屋◆



江戸っ子は<ひらがな>に限ればほぼ100%読めた。
漢字にはふり仮名がふってあり、
大抵の流行り本は読むことが出来た。

江戸評論家/杉浦日向子さんが面白いことを言っていた。
ほとんどの本は草書の<にょろにょろ文字>で書かれており、
江戸っ子は楷書が全く読めない…
現代人とは真逆www

しかも黙読が出来ず、音読だと云う。。
瓦版なんぞ出ようものなら、一斉に音読し町中で輪唱になる。

本屋がなく版元しかないため、貸本屋が大繁盛。
三日に一度、貸本屋が玄関先に来て、
あらすじを興味がそそられるよう話して聞かせる。
もちろん長編・短編・絵草子・エロ本と品ぞろえも豊富。

そのほかの娯楽として
天保の頃には211軒もの寄席や講談、ちょっとお高い歌舞伎など、、
杉浦さんの本には寄席と銭湯が同じくらいあった。。と衝撃の事実が。
彼女の独り言として、
東京も江戸のようになればいいのに、、と思うと書いてある。

そして
江戸の文化や気質を知れば知るほど、その言葉の意味が沁みてくる。
人として豊かに生きることとはなんぞや。。と今の時代を思ってしまう。

次は、もっともっと深い話を書きます…デワデワ


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垢ぬけた江戸っ子♪ 世界一の水道と湯やとフリーパス

2016-06-30 10:44:07 | 


◆世界一の江戸の水道◆

江戸時代を題材にした映画を観ると、地方の農民や侍がスゴク垢で汚れてる。
着物も汚れ、歯も黄ばんでいる。
映画もリアルにメイキングされてるためか、匂ってきそうな風情。
幕府に吸い取られ続ける地方は、生きるので精一杯…
これが江戸時代における地方の様相なんだろうと推測出来るほど。

だが「お江戸」は180度違った。
十七世紀の江戸は水道が張り巡らされていた。
しかも自然流下式で、
長屋ですら共同の水道桝には一定の水位が保たれていた。
「水番屋」というお役人が、
水を汚す者や異物を投げ込まれていないか監視していた。
江戸の水道設備は世界に類のないもの。

パリですら水道が出来たのは19世紀になってからだという。
その潤沢な水道は<湯や>という江戸独特の文化を生んだ。
と、、ここまでは
大昔、受験科目に日本史を選択していたから知ってた。。。。


が、
そこから先の江戸っ子の実態までは教科書には載ってなかった。
驚くような<湯や>の進歩的な活用と面白い実態があるとも思ってなかった。

ウン十年前、NHK「お江戸でござる」で湯やに纏わる話を聴くまでは…
そして江戸風俗評論家/杉浦日向子さんの見てきたような?
嘘みたいで愉快な話にツボってしまった。


♨湯やとフリーパス♨


江戸っ子は湯やが大好き!
アスファルトとコンクリートの生活の現代では考えられないほどの土埃。
着物も身体もすぐにザラザラと真っ白になった。
そのせいか、一日二回もしくは三回と入りに来る。
いわゆる<カラスの行水>というやつ。

町民だけではなく、武家屋敷の武士も湯やに来る。
立派なお屋敷でもお風呂を持つのは大変なお金がかかる。
湯やは大繁盛しあちこちにあったが、問題も多かった。
それは痴漢行為、、、、

バカは世界中にいるが、このバカは気の毒で同情してしまう。
なぜなら男女混浴だからだ。。
男女別風呂にするには、経費がかさみ過ぎるため混浴にせざる得なかった。

ただでさえ江戸は女不足で男やもめばかり、、
なのに湯やへ行けば、若い娘も武家の娘もいるわけで。
年配女性が頑張ってガードしてても、湯船は一緒。。。。
今のように電気がないため暗がりとはいえ、
潜水をし触りにくるという、、一か八かの痴漢行為が絶えなかった。

それでも法で裁かれることもなく、
おかみさん連中に水をぶっかけられ、啖呵を切られる程度で済んだ。
なんとも江戸らしい話だと思わされた。

湯やは士農工商関係なく、長閑なコミニケーションの場でもあり、
そこから<連>と言われる趣味のクラブ活動のような繋がりもあった。

それでも混浴禁止令は度々出るものの、暫くするとまた復活。
明治になるまでデンジャラスな混浴は続いた。

杉浦日向子さん曰く
『江戸の人は こざっぱりとした清潔な風情でした。
毎日湯やに行くので パサパサしてたんですね~
そこから
江戸っ子は垢ぬけてる🎵って言葉が出来たんです』

そして江戸っ子は身なりを綺麗にするのがモットー!
男たちはフンドシ着用のため、お尻の毛を剃るのが当たり前。
<湯や>ではお手入れ道具を借り、お手入れをしていた。
現代女性のTバックの逆バージョンです(苦笑)

石鹸がまだない江戸では、
ほとんどの人が米ぬかを入れた袋で身体を擦っていた。
ただし洗髪は禁止だが、
湯やは今の時代よりも利用頻度が多かったため、
フリーパス148文(2200円)があったほど。


それでも湯やのない地域はあるため、
どうしてたかというと<屋形風呂>があった。

これは杉浦日向子さんが体験されたと本に書かれているが、、
**杉浦日向子「江戸アルキ帖」をお読みクダサイ
 びっくり!する不思議な本デスヨ

↓ほら貝を吹いて屋形風呂が来たことを知らせる。

湯やが8文で120円(大人料金)屋形風呂は4文で60円



これが江戸の文化にツボったキカッケになったお話しデス。
次は深いお話しを書きます( *´艸`)


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