Salsa する?

Salsaの力を信じてます。
ココロの核にしみ込んで、カラダの芯が躍動します。

粋なお江戸のお話し かかあ天下。。

2016-06-18 15:05:29 | 


◆江戸フリーク。。◆

江戸時代は奇妙な時代だった。
世界一の人口お江戸の豊かさと地方の貧しさは雲泥の差があった。
地方の財政が苦しくなるのに反し、江戸は文化も公共設備もどんどん発達。
潤沢に生まれる文化は、華やかで粋なものが多かった。

三代将軍家光による大名の参勤交代が定着すると、
江戸の人口の半分が武士、、
そこに農民 商人 職人が加わると、、お分かりだろうか?

江戸の町は男だらけ。。男女の比率は7対3…
必然的に独り者の男が多かった。

それゆえ江戸の町は外食産業が発達。
夜泣きそばや天ぷら、寿司の屋台大流行り。
そのうえ
家の前まで持ってきてくれるデリバリー方式。

平成のデリバリー天国の元祖は、実はお江戸だった。
江戸の文化を紐解くと、100均 貸本 フリーパスなど。。
知れば知るほど、江戸に住んでみたくなる。

ワタシが江戸に魅かれたキッカケは20年くらい前。
木曜の夜8時NHK「コメディーお江戸でござる」を見てからだった。

伊東四朗や野川由美子、桜金造などがお江戸の人に扮し、
庶民の生活を面白くお芝居で演じていた。
そのお芝居が終わると、
江戸風俗評論家と称する絣の着物を着たおかめ顔の女性が出てくる。
「江戸の庶民の夕餉は、一汁一菜だったんですかね~」という問いに、
女性は
『いいえ 小さな小間物の並ぶ通りの店主たちは
煮豆屋からでき合いのお惣菜を買ってきたりします。
商いをしてても
そういうお店があるので、案外便利だったんです!』
と見てきたようにきっぱり言い切る不思議な女性。。。

この人は江戸庶民の生活風景の漫画を描く<杉浦日向子さん>
すっかり見てきたような話しのリアルさに、
毎週「コメディお江戸でござる」を夢中で見ていた。
9年間続いた人気番組だったが、
杉浦さんが下咽頭がんでこの世を去ると同じくして終了。
杉浦日向子、46歳だった。。。。

それが今年のゴールデンウィーク。
寄席の出し物に講談が一つ。
面白すぎた講談を聴いた時、杉浦日向子さんの話が思い浮かんだ。

今まで沢山の点々だった話をココに書き記そうかと思い立った。
今の世の中にも通じる良いなぁ~と思うお話です。



◆かかあ天下。。◆


と、、書いたばかりなのに、突飛なお話しから始めよう。

江戸は男ばかり。。
当然ながら男やもめが多い。
嫁をもらうことは大変ラッキーなこと。

長屋に嫁が来るとお祭り騒ぎになったと云うほど。

幕府はこの事態を憂い、
<女性はなるべく二度以上結婚すること>というお達しを出す。

女性は男性から三下り半をもぎ取ると、さっさと再婚した。

2回 3回、、はたまた7回の再婚も珍しくない。

そして男たちの方はというと、、
あまり年齢に拘らず、かなり年上の女性でもOK!

そして夫婦になると、多くは共働き。
子供が生まれると男は子育ても家事も分担。

家事育児は手の空いた方がするという決まりがあった。
平成の育メンとほぼ同じ。。。。
それに加えて、江戸の女たちは大層働き者だった。
そのせいだろうか、、
男の収入が少なくても、明るくて面白い男は結婚出来たという。




だが例外は必ずあるもの、、
花形職業の大工と火消しはかなりモテモテ。。


江戸時代の平均寿命は30~40歳。
葛飾北斎のように90歳という長寿は珍しいが、
流行り風邪や盲腸でも命を失う時代。
特に子供の早死にが多かった…

そのうえ火事の多かった江戸では
「宵越しの金を持たない」に例えられるが、
その日その日を楽しく生きるのが、生まれてきた意味と考えていた。
ここだけは現代と大きく違い、なるほど。。と思わされた。


今の日本の適齢期の男女は<結婚しない症候群>にどっぷり・・・・・
脳科学者の理論では
<脳が命を守るため結婚しない方を選ばせてる>らしい。

お江戸の結婚生活は、長閑で短いが、
「今を生きる」というならお江戸の方かもしれない。。


次回は江戸の町の驚くような秘密デスよ・・・ムフフ

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前編/映画「殿、利息でござる!」vs映画「蠢動」 「超高速 参勤交代」 「武士の献立」

2016-06-04 10:40:22 | 映画



5月、江戸物の映画『殿、利息でござる!』が公開された。
江戸時代は250年間、
徳川幕府の支配の元、戦争もなく過ごした平和な時代。
だが
沈黙の平和が続くには、仕掛けがあった。

それは諸大名たちの江戸への参勤交代と幕府への上納金。。
全国の大名は長期に渡り、この金策に苦しめられた。
年貢米を取り立てても、木をボコボコ切りまくっても、、
藩の財政は厳しく裏帳簿を作って凌ごうとする藩もあった。

だが幕府は内偵を派遣したり、隠密を使って調べ上げる。
ちょろまかしが発覚すれば、藩主は切腹、藩はお取り潰し。
仕えていた武士たちは、浪人となり江戸を彷徨うことに・・

だが江戸中期、4代家綱~8代吉宗の時代。
突飛もない発想で、町を救った実話があった。
仙台藩吉岡宿の奇想天外な発想に基づいた映画『殿、利息でござる!』


◆映画『殿、利息でござる!』 外様大名の苦悩…◆

仙台藩吉岡宿の村民が、町への労役の負担を軽くするため、
仙台藩に千両を貸し付ける案を思いついた。
千両とは、今の三億円。。。。

<貸し付けの利息で労役へかかるお金に充てる>
そうしない限り、吉岡宿は廃れ潰れてしまうからだ。。
一か八かで始めたが、
商家や金貸しの質屋の無償の努力が実り。
8年後千両を貯め、仙台藩に貸し付けることに成功。

吉岡宿は町を失わず、存続することに成功したお話し。
豪華キャストなうえに、仙台藩主がスケーター羽生結弦選手で話題に。

江戸中期はそう悪い時代ではなかったはずだが、
仙台藩伊達家は外様大名…

参勤交代の高額な費用と上納金は
民を悲惨な状況へと追い込んでいく。
あの仙台藩ですら金策に奔走し火の車だった。

三代家光がつくった参勤交代は、
じわじわと全国の民を窮地に追い込んでいった。


◆映画『蠢動(しゅんどう)』


貧乏弱小藩があまりの上納金の大変さに裏帳簿を作った、、
幕府より遣わされた剣の指南役により、裏帳簿の存在が露呈。
未来のある若き武士を指南役の殺人犯として、濡れ衣を負わせる。
一人の若き武士を葬ることで、藩の取り潰しをなんとか免れた。

藩は武士道の誇りも理念も捻じ曲げ、
すべてを切り捨てなければ生き残る方法はない。
徳川幕府の締め付けと
切り詰めても切り詰めても幕府に吸い上げされる金の構造。

そして
この映画の殺陣が
バタバタ、のしのし、、あまりにリアル…

純粋に武士道に生きようとした青年を次々と刺客が襲う。
その刺客は同じ藩の若者たち。
最後は武士道の剣ではなく、生き抜くための剣で逃げ延びる青年。
藩の理不尽な仕打ちと武士への絶望。。。。

幕府の闇の力がどんなに怖かったかが分かるのが『蠢動』だと思う。


◆超高速 参勤交代◆

8代吉宗の時代のお話し、コメディー仕立て映画『超高速 参勤交代』
長閑な田舎の弱小藩が、隠し金山を持ってる、、と疑われた。
藩の取り潰しと藩主殺害を目論む江戸老中に、参勤交代を命ぜられる。

貧乏藩ゆえ、大名行列が出来ないほどの貧弱さ、、
小判も持たず、古銭で大名行列というありさま・・・
まるで落語のような苦肉の策で、ボロボロになりながらも果たす。
金山の濡れ衣も晴れ、藩は存続。

理不尽な濡れ衣を着せられ、藩のお取り潰しは多かった。
藩を失い、
職を求めた武士が江戸に単身赴任をする。
が、
士官に登用されることもなく、江戸で浪人生活。
読み書きの出来る浪人が講釈師になり、
街角で軍記本を庶民に読み聞かせ講談が大流行。
江戸の庶民は講釈師を尊敬の意味を込め「先生」と呼んでいた。

地方では食べていけないのに、
江戸ではパフォーマンスが良ければその日暮らしが出来た。
沢山の浪人が江戸に集中し、江戸だけは世界一の都市になった。



◆異色の映画『武士の献立』◆

隠密や物騒な刺客が暗躍した江戸時代。
実は、外様大名なのに優雅な藩があった。
石川県の加賀藩前田家。

遡れば
前田利家は豊臣秀吉の無二の親友でもあった。
徳川家にとっては前田家の外様の扱いは当然。
だが加賀藩だけは、意外と絢爛。

江戸時代は剣を使うこともなく、なんとなく平和。
大名家の健康を司る者として<包丁侍>がいた。
場内の大台所で朝から晩まで包丁を使い料理を作る。
包丁侍は代々世襲制でもあり、
ちょんまげを結い、裃姿にタスキ掛けの武士。
加賀藩の包丁侍は後に優れた料理本を出すほどの腕だったと云われる。

江戸への参勤交代の際には加賀の雪をムロに包み、将軍に献上。
加賀より大きな荷車で運び、江戸城に着く頃には僅かな雪に。
将軍家に大層喜ばれる献上品だったと文献にはある。
夏に氷献上とは、、
大名の苦労はいかほどだったか分かる話し。


その様が浮世絵師・歌川国芳の絵に描かれている。

↓後ろに江戸城
奥女中が加賀の雪にスモモをつけて運んでいる様。
なぜか青く描いてるのがスモモ。



今回は江戸時代に纏わる映画のお話し。
地方の大名の苦しい事情と正反対だったのが江戸。
江戸の庶民の生活や考え方は進歩的で平等。

24時間営業の外食産業や現代の便利産業は江戸が先駆者だった。
次回の後編は驚くほど面白い江戸のお話しデス♪



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講談へ行こう♪ 嘘のようなホントの歴史の語りべ講談師

2016-05-21 09:29:09 | 



二月、ちょっとした「大人の女同士の酒盛り」があった。
何年振りかで会う友人と近況を語りながら、
休みになると、全国の気になる神社仏閣巡りをしてることを知った。

ふ~~ンと聞くだけのワタシは全く縁のない世界。
その話の途中、
友人が思い出し興奮し始めた。

東北の有名な神社に参拝した時だった。
年一回しかしない戦国武将たちのお位牌の日陰干し。。
しかも巨大なのがズラ~リ。

友人曰く
「あんなの他でも見たことない!大きくてびっくりしたの」

呆然と立ち尽くす友人に寺人が
『お位牌は一日しか出てきません。。
とても運がよろしいデスネ』

そして興味のなかったこの話を
二か月後、あれか…と思い出すことになった。

きっかけは講談だった。。。。



◆江戸時代の講談 徳川綱吉の実母/桂昌院
嘘のようなホントの話。。◆

 
今年のゴールデンウィークは二回も寄席に行ってみた。
新宿「末広亭」のように丸一日居られるわけではなく、
二時間半ほどで演目は終了。
前座の若い衆から、漫談マジック、大道芸、
その中に珍しく女講談師が一人。

講談と落語の違いも分からず、とりあえず聴いてみた。
聴き始めると、史実に基づいた話で江戸時代の大奥の話。
しかも実在した人物であり、
書き綴られた文献を掘り起こし、それを見てきたかのように話す。

落語が会話で成り立つものだとしたら、講談は読み聴かせ。
釈台という小机に張り扇と扇子が小道具。
張り扇のパン!は句読点、パン!パン!は今から盛り上がるよ!の合図。


桂昌院の出自は商家。
名を「お玉」と云い、愛嬌のある面差し。
父の病死をきっかけに下級武士の養女に、奉公に公家出身の尼僧の元へ。
その尼僧が高位に就いたため、三代将軍家光への挨拶に江戸城へ。
そこで尼僧に一目惚れした家光は、尼僧をそのまま側室に。
お伴のお玉もそのまま江戸城を出れず、大奥勤めになる。

が、お玉は前代未聞のブス。。。。だった
大奥で笑いものになり、湯殿係になる。

湯気の立ち込める湯殿なら目につかないという理由。
だがお玉は超強運の持ち主。
お玉の愛嬌のある顔と話しぶりを家光が気に入り、ついに側室に。
後の五代将軍綱吉の母となった。
江戸時代のシンデレラストーリーと語り継がれた所以がここにある。

ここから『玉の輿』という言葉が生まれ、
『美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる』の例えにもなった。

綱吉の強運も凄く、二人の嫡子が亡くなったため五代将軍に就くことに。
徳川家の跡継ぎは体が弱く短命でもあったが、
綱吉は小人症だったといわれ、伸長は124センチ。
徳川家康からの代々の位牌で、ひと際小さい124センチの位牌が綱吉のもの。

犬公方と言われたが、実は名君で公共事業に取り組み
武士の無謀な面目のための「切り捨て御免」を禁じた。

講談は史実の上に、個々の講談師の脚色が加わるため軽妙なノリ。
女講談師の桂昌院の話は読み切りだった。
本があって読んでる訳ではないが、
『この続きは、また後日~~~』と云ったところで、
次、高座に呼ばれなければ話の続きもクソもない、、、

なので、今は最後まで話を完結させるとノタマッタ。。
戦国時代から江戸時代の裏話が好物なワタシにとって、
講談の世界は家政婦は見た。。だった。



◆西表ヤマネコより少ない講談師…◆


江戸時代は長く続いたが、
度重なる飢饉や質素倹約・藩のお取り潰しなど、
町には読み書きの出来る浪人があふれ出した
講談師はそんな者たちが、
町角に立ち歴史本を読んで聴かせたのが始まりだった。

当時は文字の読めない者も多く、
軍記本を声高に楽しく読んで聴かせる講談師。
三面記事的な部分も大層人気があった。


明治維新以降の教育の普及と共に、講談師の役割は趣味嗜好の文化に移行。
ドンドン人数は減り、今や60数名、、
イリオモテヤマネコは90数匹、、
落語家は600人ほど。。

こんなに面白いのに崖っぷちの講談界。
学校へ講談出張や、レストラン、寄席など、
至る所で古典・現代物などをやっているが、
実は絶滅危惧種に認定されてもおかしくないのが現状らしい。

神田神保町の落語カフェでは講談の日があります。
興味のある方はどうぞお聴きくださいね♪


**ミニ知識**

戦国時代の男子の平均身長は157センチ
徳川家康 159センチ
徳川家光 157センチ

織田信長は170センチくらい
豊臣秀吉は 140センチだって。。


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主婦なんです!桃井かおり監督 映画「火 Hee」vs芥川賞作家/中村文則「火」

2016-05-04 10:02:00 | 


ここ数年、
有名俳優たちの訃報を耳にするとドキッとする。
自分の年代も「黄泉の国」への待合所に近づいてきた気がするからだ。

数年前の大原麗子さんの時は、宿命というより因果応報のように感じた。
白亜の豪邸に一人。。
整形手術の失敗なども重なり、、孤独死。

男優は離婚をしても、家族に恵まれる人が多い。
それに反して
女優は家庭に恵まれない人が多い。
因果な商売…と思うが、それは違う。

圧倒的に性格や気質が仇になってる。
女優として名を馳せるには才能よりも強運がないといけない。
とてつもない強運と美貌と必死についてくる才能、、
「女優」と孤独と実態のない生活は三位一体のはずだった。

それを打ち破った女優が現れた。
あの「桃井かおり」だった。。。。


◆あの人は今… 女優 桃井かおり◆


久しぶりの日本でのテレビ出演

『スイマセーーーン しあわせデ~~ス♪
 末路を見せなきゃいけなかったノニネーーー』
第一声はこんな自虐のカマシ・・・

あれ!?変わんない桃井さん。。。。と思ったら、
翳りと棘のようなものがない。
代わりに
充実してる人が持つ独特のエネルギーとプリプリした顔つきが。

監督二作目となる「火 Hee」の夏公開に向け来日。
個性的は変わりないが、
生き抜くことに覚悟を持った顔になっていた。。


◆主婦と幸せと自由人 at アメリカ◆

昨年、夫になった男性は、
9歳の時にロンドンへバレエ留学した時の同級生。
お互い64歳の結婚。
ここに辿り着いた道のりは、女優「桃井かおり」ではなく、、
アメリカ一般市民としてのスタートだった。

50代に入り、女優としては巧くなった。
が、つまらなくなった、、自分に気付いた。
どう足掻いても19歳からカマシ続けた「桃井かおり」を拭えない。

カマシ捲くったツケは大きく、業界でキラワレ者になってしまった。
なるほど…と思ったのは
同じようにカマシ続けた松田優作は、
死んでしまえば、伝説になる。。

生き残った者は、生き抜かなきゃいけない。
何か作品を作っても、「桃井かおり」という名前は出せない…
そんな混沌とした状況が続いた。


54歳「SAYURI」のハリウッドデビューをきっかけに、
拠点をロサンゼルスに置いた。
50代と云えども、まだ勇気と元気があった。
一般人としてアメリカ社会で暮らし、溶け込んでいくうちに、
実態のある生活の心地良さに気づく。

人種・性別・年令は言わなければ全く分らないのがアメリカ。
5~6年暮らすと、ポツポツ仕事が入ってきた。
そうこうするうちに、去年は5本の映画に出演。
イギリス映画やメキシコ映画に、監督として撮った映画など。

同時に、64歳で結婚。
女優としてベルリンのレッドカーペットで
『運を使いきってる!ピークに来てる♪』と叫んだ。

とうとう映画監督として、世界の舞台に躍り出てきた。
2016年2月12日
第60回ベルリン国際映画祭で、
初監督の2006年長編映画「無花果の顔」がNETPAC賞を受賞。

監督二作目「火 Hee」も同時にフォーラム部門に招待された。

インタビューで
『自分の可能性を信じてきた。明日死んでも、後悔は無い!!
 
 ベルリンに来る度に応援してくれる人が増えてきてる

 70歳までに、また来たいデス♪』



◆映画「火 Hee」vs芥川賞作家/中村文則「火」


日本で静かだと思ってたら、こんなエライ展開になっていた。
ワタシはテレビを見るまで全く知らなかった。

日本のテレビで映画「火 Hee」のことを
『ちょっと名作、、

普通の監督には撮れない。。

売春婦なのに プライドを持ってて、、

自分は

あの成れの果てから 巧くすり抜けたなぁ~と

物凄く実感できたお話なんだけどね』



「火 Hee」は中村文則「銃」の中の短編小説を映画化。

ロサンゼルスの桃井邸で10日間で撮影。
衣装も小道具も犬も全部桃井さんちのもの。
監督・脚本・主演が桃井かおり。
上映時間は49分。。

これを聞いただけで原作を読もうと思った。
テレビのインタビューを見終わり、本屋へ。

あっという間に読み終わり、脳みそが朦朧となる「火」。。

本の解説は作者自身が書いていて、
「内容がなかなかエキセントリックで、
こういう小説を書いてる自分をどうかと思うけど、、
(中略)
大多数が喜びそうに計算されたものが多い中、
文学においてこういうものも必要なんじゃないか…」

これを映画にした桃井かおり監督に、
もっと驚いて、、その日は寝込んでしまった。


夏に公開のこの映画。
観切れるエネルギーと体力がいるなぁ…思った。

桃井かおり、やっぱりカマシてんじゃん
恐るべし。。。。。


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更年期の北風と太陽。。はらたいら 「サルサ天国」

2016-04-20 14:48:50 | サルサ



◆更年期世代のアラカルト。。◆

去年から同級生や知人の闘病生活を耳にするようになり、
自分たちは、、もうそういう年代なんだと思わざる得なかった…
親の介護と自分たちに降りかかる病気のダブルヘッダー。


我が家も夫婦共々低空飛行ではあるが、大病には至らず、、
その代わり、ワタシの母をサポートする日々。。
母親のアルツハイマーは、今年に入り小康状態に。
今年は、サルサ仲間の友人たちに会いたい!!
そう思えるようになっていた。


職種も年齢も違う友人たちは、一般的には更年期世代。
だが誰一人、闘病もなく、フットワークも軽妙。
どんなに遠い場所を指定しても、ひょいひょいやってくる。
そして男女とも、更年期障害に悩まされずにココまできた。

フランスのマダム達のようにホルモン充填法もエステもしてない。
浮気をしてるわけでもない。
心がとても健全で身体も若い。。
更年期障害って、なんだろう?と思った。

だって
昔、見たり、聞いたりした更年期障害は壮絶だったからだ。。



◆更年期障害の北風。。◆

多分10年くらい前迄は、更年期は女性特有の症状と見られていた。
それがある有名人のカミングアウトと本で、
男性の更年期障害がクローズアップされた。
漫画家のはら たいら氏だった。

10年前
よう言えば、はら たいら氏をしばらく見ないなぁ、、と思った時。
突然の訃報が、、、63歳だった。。
こんなに長く大変な闘病生活のキッカケは、更年期だった。

大橋巨泉さんの「クイズダービー」で15年間レギュラーで活躍。
その知識と教養の深さと完全無欠さは、揺るぎない自信に溢れていた。
だが「クイズダービー」終了の49歳の時、更年期障害に襲われる。
眩暈や集中力の低下で闘病生活に入る。

その後
男の更年期の本を出版し復帰するも、今度はうつ病が襲う。
奥さまの乳がんの発症と闘病も重なり、長期入院生活。
お酒を断つことなく、持病の肝硬変を悪化させ、末期がんに、、
49歳から14年間の長い闘病生活は閉じられた。

はら たいら氏の更年期障害は荒れ狂う北風。
だが、はら氏のケースは特殊ではない。
俳優/故竹脇無我さん 女優/生田悦子さんらも
更年期により役者を断念せざる得ない状況に。


まさに更年期は男女共に、避けられない関所のようなもの。
ワタシは
もうすぐ来るであろう更年期に不安を抱いていた。
乗り越えられる自信もパワーも、
自分の中に持ち合わせていなかったからだ、、


◆更年期の太陽♪◆


8年前のワタシは
大きな怪我から自信喪失、、ヘンテコな鬱に入りかけていた。

筋トレや有酸素運で、なんとか持ち直すも、
心はいつまでも湿度100%・・・

そんな時に出会ったのがラテンダンスのサルサだった。

最初に出くわした友人は絵を描く人で、
二十代を中米を歩き回る元バックパッカー。
彼女は高校生の時から、サルサを知っていた。

日本を代表するイラストレーター河村要助氏が主宰の
「サルサ天国」で踊っていたという。
当時の日本で踊る人は数えるほどしかおらず、
キューバ人の男の子やオタク系の日本人男子など。
その十数年後、ようやくサルサが日本に広まり始めた。

友人は日本で最初にサルサを踊った女子高生。
当時、恵比寿にあったキューバ料理「ボテギータ」にも出入し、
中南米を歩き回りたいと思うキッカケになった。

だが当時、中米の名も知られてない国は歩けても、
ブラジルの治安の悪さや
キューバはたとえ行けたとしても、食糧が配給制のため、
何日間も食べれない可能性が高い、、

特に、若い女の一人旅は危険過ぎる!と
中米の人達に忠告され南米は断念。

ならばと
中米の行く先々で面白い品物を買い、
それを他の国で売ったり交換したり。
その国のサルサを踊ったり。
藁しべ長者のようにしながら歩き回ったツワモノだった。


そんなツワモノの友人も母親を看とり、
父親の介護に毎日施設に行く。

ツワモノの不思議チャンだった友人と
何時間も夢中で話した奇妙なサルサレッスンやバックパッカーの日々。

突然、友人が
介護オンリーで駆け抜けた三年間に、光が射したと言った。

無我夢中で過ぎた三年間で忘れていた
有り余るエネルギーと楽しさと解放感を思い出した。


生気を取り戻した彼女の口から
「今度、昔のビデオを観に来て♪
サルサ天国のがあるのよぉ~
コレを見たくてベーターの器械を取ってあったの。。
これはサルサ界のお宝よ!」

踊るサルサは楽しい。。
それよりも
サルサへのパッションや蓄積した思い出が光になることがある。
またサルサに助けられた不思議な話しだった。

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