Salsa する?

Salsaの力を信じてます。
ココロの核にしみ込んで、カラダの芯が躍動します。

後編/上機嫌な生き方。。 本「ふたりからひとり」

2017-04-22 11:44:06 | 


全国の小さな映画館にて上映中のドキュメンタリー映画「人生フルーツ」。

どこの映画館も連日満員。

映画の最後は、
修一さんのプランを基に造られた療養施設を映し出す。

やがては雑木林になるであろう低い苗木の中にあるレーモンド・ハウス。
それは津端夫妻の住むあの家と同じもの。

療養する患者のケアには、土いじりと手作業場。
樹木と土と風の中にある施設。
年月が経つほど、どんどん良さが出てくる配置と建物の景観。

九州の佐賀に療養施設が完成したのは、
津端夫妻が<ふたりからひとり>になって8か月後。。
完成した施設には、英子さん一人。
ここで映画は終わった。

美しく正しい感じ…
これで終わりじゃないだろう?
映像では表せなかった修一さんの頑固さが気になった。
なぜなら
信念を死ぬまで持ち続けるには、揺るがない背景があるはずだから。。


もう一度映画を観ようと思った。

どこかにその片鱗があるはず、、

◇上機嫌な生き方。。◇


修一さんの命の遺伝子テロメアは、前触れもなく突然閉じた。
早朝の庭掃除で貧血を起こし、ベットで休んだままの出来事だった。

病院でチューブに繋がれることもなく、あっという間の散り方。
戦争という過酷な時代を生き延び、
趣味のヨットで何度も生死の境目を味わった。
その時に強く感じた死生観が、修一さんの心に刻まれていた。

英子さんの
「この先どうなるのか。。心配になる時ない?
私はあるわ。
そう思ったことない?」

修一さんの
『僕はないよ…』
と、きっぱり言い切った。

ノウカンなのかな…と思ったが、違った。

生死の境目で、いつも帰ってこれたのは
<あなたは死んではいけません>と仕向けられてる。。

そう感じ取った修一さんは、本の中でこう語っている。
『弱虫だけど、自信をもって生きられるようになった』

なるべく長く生きて、
次世代に託せるものを残そうとした。
それが
高蔵寺ニュータウンの一角の木々と豊かな土と生活スタイル。

誰にも知られず、コツコツとゆっくり40年。。
その不思議な妖精の生活は、少しづつ知れ渡るように。
ドキュメンタリーで放映され、とうとう映画に、、

修一さんの頑固なコツコツは種になった。
その種は映画を観た人たちに、撒かれた。


ワタシの中の
「正しく生きる事は、楽じゃないし得をしない…」の部分は、
正直に言えば、未だ揺らいでいる、、
が、種はもらった。
これをどう活かすか、ワタシの手の中にある。

そしてこの映画には、人それぞれの見方や感想はある。

家人の左大臣は
『何がイイのか、さっぱり分からん‼
恵まれた環境と続けられる資金があるじゃないか』
これも
実は間違ってない、、と思っているワタシもいる。



◇著書「ふたりからひとり」もう一つの上機嫌な生き方。。◇



英子さんがひとりになって二年近く。

テレビを見ることが多くなった。

今まで、修一さんに観ること良しとされなかった番組を観るように。
その中で<居酒屋に行ってみたい🎵>と思うようになった。

漬物も修一さんがそんなに好きじゃなかったため、食す機会がなかった。
今、全国の漬物が毎月届くようにした。

そして禁じていた外食も、
毎月娘さんたちが来ると、外の美味しいご飯を食べに行く。

ほとんど旅行をしなかった英子さんは、京都に行く計画も立てている。


そして今年の初め、<居酒屋に行く>が決行された。
女優樹木希林さんと!?
東海テレビで放映され、その後の企画で、
希林さんが英子さんの家を訪問する🎵も決行された。

残念ながら、動画はどこにもアップされてないため見れず、、

英子さんのひとり生活は、今までの作業に+アルファにチェンジ。

「人に頼らず、一人でした方がいい。
そうしてると、ナニカが見えてくるよ。。」

この修一さんの言葉が、時折、ワタシの頭の中をグルグル回る。

ワタシは、へなちょこの弱虫で、ある時まで誤魔化しながら生きてきた。
この言葉に、
心に空いた穴を少しづつ埋めてきた作業が浮かんだ。

このナニカは、
心が満ち足りること。。ではないかと確信している。

今回の帯表紙は<居酒屋女子会>のシーンデス🎵

←ランキングに参加してます。応援クリックは励みになってます🎵よろしくお願いします(*´ω`*)

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

前編/森の妖精のようなスローライフ。。ドキュメンタリー映画「人生フルーツ」

2017-04-11 17:01:08 | 映画


主人公は老夫婦二人。
津端修一さん90歳、英子(ひでこ)さん87歳。
東海TVが2014年~2016年2月まで撮影。
修一さん英子さんの淡々とした何気ない日々の生活の記録。

この映画の経緯や詳細は知らなかったが、予告編を見た時、、
なぜか見逃したらいけない…気がした。

なぜ、こんな高齢で、、ほぼ自給自足の生活をしてるのか?
不思議でしょうがなかった。

そして、やっと観れた。
謎は、私の予感を軽く超えていた。
心に深く響く言葉と
ナニカの違和感
気持ち良さの裏側に張り付く?はナンダロウ。。。。


書きたい、、と思ったが
予想以上に困った…


◇マッカーサー上陸から 公団のエースの挫折◇

戦争中、修一さんは自らの命の選択として、
海軍の技術系見習いで飛行機の設計に携わる。
理由は、特攻で命を落とすことがないからだった。

入ってみると、そこは特権階級で、全てが特別待遇。
食料のない時でも、肉や卵が食べれた。

が、修一さんにはその特権が耐えられなかった。
当時、台湾から連れてこられた少年たちが一万人。
そこの責任者として少年らと寝食を共にすることを志願。

終戦まで厚木の高座海軍工廠にいた。
そして降り立ったマッカーサーを出迎えたのが、修一さんたちだった。

焼け野原になった日本には、先ず住宅を建てることが必要だった。
その思いから、
修一さんはアントニン・レーモンドの設計事務所に三年間。
そこで人に優しい住宅の根幹を学ぶ。

その後
日本住宅公団に入社、18の団地を手掛け公団のエースに。
伊勢湾台風により5千人の命が奪われる大災害が起きた。
水害に無力な低地から高台へ8万人が住む!
という新しい発想の構想が掲げられた。
そのマスタープランを作ったのが、修一さんだった。

名古屋郊外の<高蔵寺ニュータウン計画>

緑の木々に囲まれ、風の通り道のある理想郷…
だが構想は、高度成長期の波に阻まれる。
理想郷のはずが、
風も緑も地形も無視された箱が規則正しく並んでるだけ。

公団のエース修一さんの挫折は大きかった。


◇妖精二人が育てたキッチンガーデン。。◇

だが、修一さんの思いはここで止まらなかった。
一人一人が出来る事。
高蔵寺ニュータウンを雑木林の茂る町にする。
住人たちによる「どんぐり山作戦」など。

修一さん英子さんはニュータウンに300坪の土地を買い、
公団の退職金でアントニン・レーモンドの家を再現。

宮大工の手によって作られた家に住み始めた。

40年後
こんもりと緑の生い茂った緑の中に、夫婦二人。
毎日キッチンガーデンと呼ばれる広い庭に出て、
70種類の野菜と50種類の果物の世話をする。

二人とも起床時間はバラバラ。
行動も別々。
顔を合わせるのは、
朝食・10時のティータイム・ランチ・三時のティータイム・晩ご飯。

英子さんが頼み事があるときは、ボードに書いて置いておく。
それを修一さんがやっておいて、ボードに「出来ましたよ」と置いておく。
夫婦の面白い距離感が、妖精さんたちの会話のよう。
話す言葉の音も静かで綺麗。
とにかく不思議だった。

二人の間には、
泣いたり、わめいたり、怒鳴ったり、地団駄踏んだり、、
夫婦の修羅場が一度もなかった。。

いつもニコニコと、楽しい話ししかしない。。という。

↓キッチンガーデンのレイアウト


そして、
潔く、美しく、正しい生活。
次世代に残すのはお金ではなく、豊かな心と土地。

そのために健康で長生きしようね🎵と二人は誓った。

映画が進むにつれて、素敵だな。。と思う憧れと、、
強烈な枠を感じた。

それが何か分からず、三日後。
家人を伴って、もう一度観に行った。

  つづくの


人気ブログランキング←ランキングに参加してます。応援クリックは励みになります(●´ω`●)
ありがとうございます🎵


コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

江戸の桜~ 江戸っ子vs江戸幕府 底なし沼の大奥の恐るべし実力。。

2017-03-28 14:23:51 | 

帯表紙 葛飾北斎画「御殿山の不二」 
    海原に浮かぶような富士を眺めてのお花見とは、品川絶景なり!
    浮かれてお道化る表情や仕草に富士の背景とは、北斎ならではの描き方。

毎年三月、どうも浮足立つ。
やっとプチ氷河期が緩み、春の風が吹くと、
ひたすら待って、どの桜の下で桃色の気持ち良さに浸るか考える。

一年に一回なぜか日本中の枯れ木が、
突如うわぁぁぁぁぁぁぁと桃色の花びらを纏う。
このあり得ない状況に、誰もが酔ってみたくなる。

この酔狂な絵面を作り上げた首謀者は、かの八代将軍吉宗。
傾きかけた幕府の財政を<享保の改革>で安定させた名君ともいわれる。

政策の一つに、
暴れ川だった隅田川の治水対策として桜を植樹。
その桜の花を見たさに押し掛けた人々で、堤の地面を固めさせて強固にしていった。

こうした試みは大当たり。
飛鳥山(王子)・御殿山(品川)小金井に大々的に植樹。
娯楽として、江戸の人々に花見と夜桜見物を奨励した。

*プチ映画情報*
映画「超高速参勤交代リターンズ」でも、名君と云われた懐の深い言動が描かれている。

◇飛鳥山 千本桜◇

鷹狩場を整備し千本ほどの桜を植え、茶屋などで三味線のレンタルもあった。

広重画 「飛鳥山の花見」
飛鳥山の桜を見ながら富士山も見れ、ここも絶景かな!
今とさして変わらぬ光景だが、江戸っ子は感動することに時間を使った。


◇小金井桜◇

江戸から25キロ。
泊りがけの花見になった。
玉川上水の両岸に数千本の桜。

広重画 小金井桜
ここでも富士が見える。
江戸のどこからでも富士山が見えたのが良く分かる。


◇新吉原◇

幕府公認の遊郭。
9メートルの塀に囲まれた中には、
遊女7000人を含め、1万4500人以上も暮らしていた。

桜の時期だけ人工的に植えられた。
花見が終わると、根こそぎ撤去。

渓斎英泉画
武士を捨て、絵師になった変わり種。
色香のある美人画や遊郭の春画を描く浮世絵師。
北斎宅に居候しながら絵を描く。

放蕩三昧だったが、
最後は根津で女郎屋を営む変わり者。

*映画「百日紅」では北斎・北斎の娘お栄と同居。


◇大奥の花見◇

千代田区 江戸城内でのお花見
オンナだらけのお花見。
酔っぱらってるお女中もいますねぇ~


豪華絢爛の着物姿のオンナ達。
最盛期には
将軍一人のために、女1000人がいた。
大奥の維持費は幕府の収入の4分の1で、年間200億円。

そして吉宗以降、
賄賂政治が蔓延り、大奥の中枢幹部や将軍の母の政治力は凄まじいものに。
<寛政の改革>老中 松平定信は大奥の経費削減をするも、
大奥の猛反撃に遭い失脚。

以後、大奥には将軍への口利きの賄賂が集中。
大奥の幹部のへそくりは一億以上はざらだったとも、、

地方大名は参勤交代の費用で苦しみ財政難に。。

大名から搾取する江戸幕府は大奥に苦しめられた。

だが
江戸っ子たちは違った。
お金は貯めないが、生きてることを愉しむことに使った。

食べること
遊ぶこと
愛でること
愉しむこと

これが江戸っ子が育てた<江戸の粋>だった。

◇寛永寺の桜 徳川家のお墓◇

大奥の寛永寺でのお花見か…墓参りか?
大名行列のように豪華絢爛どす。
女は強い。。。。。


人気ブログランキング←ランキングに参加してます!応援クリックは励みになります(*ノωノ)
よろしくお願いします🎵


コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

びっくらぽん!?江戸の不思議な時間の知り方と門限 

2017-03-16 11:59:23 | 

生まれてからズッーーーと、私達は分単位で動いている。
時間に正確に、
そして遅れず、、
学校や職場・待ち合わせに向かう。


だが長き江戸時代は、柱時計も腕時計もない。
あるのは太陽と月。。
そうなの
日の出・日の入り、
そして時を告げる寺の鐘と江戸城の太鼓の音のみ。

江戸っ子も武士も時間で動き、生活をしていた。
不思議だなぁ…と思うものの、適当に生活してたのかと思いきや、
そうではなかった。

仕事で人と待ち合わせもするし、デートだってする。
江戸城の武士だって、定時に行き定時に帰る。

江戸は確かに時間で動いていたが、分刻みではない。
三十分の区切りが一番短く、
江戸っ子は春夏秋冬で昼の時間と夜の時間を長くしたり、短くしたりしていた。

季節で橙色が大きくなったり、青色が大きくなったり。


電気がない時代の生活と仕事は、お天道さまが出ている時だけ。
職人も行商人もおかみさんも、天候と人の動きで時間を察知する。

コレがなかなか面白く、驚くほど可笑しい事実。
どうぞ🎵

◇江戸っ子は 早寝早起きの天気予報士🎵◇

お天道さまが出ると、白米をたらふく食べ仕事に行く。
大工のような職人たちや天秤棒を担ぐ行商も、雨が降ったらハイそれまで!
晴れた日は、早く起き日の沈むまで仕事。

シジミや魚・豆腐や納豆・野菜・水売りなど、回る時間は毎日同じ。
売り声を聞き『あぁ 昼ちょっと前かぁ~』と大体の時間を知る。

売りに来ない時は、雨が降りそうな時。
家にいるおかみさんたちは、売りに来ない=雨が降ってくると知ってるため、
早めに支度を切り上げる。

生ものを扱う天秤棒の行商人は売れ残ると赤字になるため、
空模様や風向きを
目で肌で確認しながら仕入れる。
彼らの五感が、まさに江戸の天気予報士だった。

飴や風鈴・手相・籠売りなども来る。
毎日が移動デパート。


お惣菜を売る煮売り屋
50キロはあり、かなりの重労働。
蔵前の江戸東京博物館で実物と同じもの担げますよ~🎵


そして夕刻を知るのは、
城の太鼓の音と共に、江戸城事務方の武士たちの歩く音。
袴の衣擦れの音が、そこかしこから聞こえる。
夕刻六時近くは衣擦れの音がどんどん速くなる。
帰りを焦る武士たちは走らない、、焦ってるように見られるのがイヤだから。
ただ必死に競歩で屋敷に向かうのみ。
なぜ?
なんと!武家の門限は夕刻六時。

それまでになんとか屋敷に着かないと、屋敷の門が閉じてしまう。
町民江戸っ子とは、全く違う生き方なのだ。
その日その日を楽しく生きるのを粋とする江戸っ子から見れば、
杓子定規に生きてる武士たちは気の毒だったに違いない。
浮世絵にも、
紋付き袴の武士が悪路で転ぶ失態が多々ある。
それを指をさし、クスクス笑う江戸っ子の姿が多く描かれている。

江戸の半分の人口の武士たち。
彼らだけが、太平の楽しい時代を時間に縛られていたらしい。

ココから余談、、
武士も人の子。
遊びたい武士たちは、非番の昼間に遊んだ。

湯やも午前中に行ってのんびり。
遊郭に至っては、武士タイムが設けられ、
お昼~夕方まで、お代は夜より割増しで高く設定。

遊女たちも夕刻六時の門限を心得ていたという。


◇江戸っ子の門限は、夜十時◇

江戸の夜は、漆黒の闇。
大半の江戸っ子は、長屋暮らし。
一年に二回の割合で513回起きた火事。
江戸城含め、市中を焼き尽くす大火は十回。

火事を出さないためには、通行禁止にするのが一番。
そこで町の入口には木戸が設けられ、木戸番が置かれた。

だが江戸も人口増加で徐々に物騒に。
武士が荒くれた浪人になり、盗賊も増え治安悪化の一途。
もはや奉行所では力不足…

そこで
江戸の夜を取り締まる<火付盗賊改方>が出来た。
あの長谷川平蔵だ。

若い頃は、悪名高き不良だった平蔵だが、
幕府からの信頼も厚く、
特別な武力行使と権限で、江戸の町から犯罪は減った。
が、冤罪も多く江戸市民からは敬遠されたともある。



**つぶやき**

二カ月に一度、沖縄へある物を注文する。

注文すると「分かりました!」と一言。
そこで電話は切れる。
着く日時も、希望日時もない。
それでも恙なく商品は届き、それが十年以上続いている。
最初は凄くビックリした…そして徐々に愉しみになった。

海に囲まれ、天災に見舞われる。
状況なんていつも変わるのが当たり前。
そんな沖縄の土壌と心持ちがあるのだろう。。と分かってきた。

そして
いつも時間に振り回され、キリキリしてる自分に気づいた。
日本で唯一ストレスなく時間を使っているのは、
粋でイナセな江戸っ子と沖縄の人たちだけかもしれない。


人気ブログランキング←ランキングに参加してます。応援クリックは励みになります(●´ω`●)
ありがとうございます<(_ _)>







コメント
この記事をはてなブックマークに追加

後編/日本史上最強!江戸の地女の色と恋と間男。。

2017-03-01 13:46:18 | 

葛飾北斎 隅田川両岸の一枚(国立国会図書館)


いよいよ真打ち江戸の地女。
江戸の初期の男女比は7:3。
中期になってようやく5:5になるが、庶民の男衆の未婚は相変わらず多い。
夫婦になれれば、実はラッキー。
その要因は、地女が握っていた。

おなごの一極集中や(金持ちに囲われる)
未婚の母。
男や親に頼らずとも、子育ては長屋の住民と大家や寺子屋が看てくれる環境。
そして十歳前後で奉公に出るため、十代はすでに社会人。
おなごと云えども働かなければ生きていけない、、
地娘は手に職を付け安定した収入を持っていた。
キチンとした収入のない男が多かった江戸では、
そんな地女は
強くてカッコよかったらしい。

そのうえ
男に媚びずとも、引く手あまたで選び放題。
若く可愛い娘が
自分のことを「あたい」や「わたし」と言わず、「オレ」「おりゃ~」と男言葉。
色恋に関しては<おませ>という可愛いものではなく、まさに<ハンター>、、

浮世絵にはその片鱗がよーーーく描かれているの。
ちょこっと覗いてみる?

◇ハンターの変遷 地娘~地女~危ない嫁◇

奉公人と桜の枝を折るお嬢?それとも姉妹?
14~15歳くらいだが、着物だろうとお構いなし。

この年頃には、すでにハンターに。。
恋の駆け引きは地娘が積極的に掛けてくる。

憂う親心の一句

  「息子の不得手地女と孔子なり」

地女・地娘は手強く、とても息子の手には負えない。

江戸時代、武家や商家などで
孔子の儒教が盛んに読まれ尊ばれた。

江戸の地女が、どれだけ<はねっかえり>だったのか知りたくなる句。

*映画「殿、利息でござる!」にも
毎朝、商人の子供たちが
孔子の言葉を復唱させられるシーンがある。
一つ一つ なるほど!と思う孔子の言葉の連続です。



ツッパリ地娘二人の浮世絵。
キセルでプカプカと、気怠い感じ。
でもこの二人は未婚者デス!
まだ十代かな…

なぜなら髪の結い方が<島田>だから。
人妻は丸髷に、眉は剃り落とし、お歯黒。
既婚者かどうかは、一目で分かる。

もっとツッパッたいい女は、
髪も結い上げず、
長く垂らした髪を一方に寄せ、櫛を挿すだけ。
物凄く色っぽい。

*実写版映画「北斎漫画」での樋口可南子がやってる出で立ち。



めでたく結婚と相成った地娘は、地女となり再婚を繰り返す。
亭主が嫌なら三行半を突き付け、もぎ取ったら次の人へ。

我慢せずとも、自ら稼げる地女は強い。
なにせ幕府が地女たちに再婚を奨励してるのだからスゴイ!

今のように長生きではない時代。
風邪やコレラ・盲腸、火事など、人生なんてあっという間。
地女の再婚は5回なんて、あっ…そう~程度。
強者の地女は、27回結婚があり27人の子供をもうけた記録が残っている。

そして地娘から、パワーアップして人妻に。
ここからが地女の凄さが。。。。


間男、、不倫へ。。
ここでも強いのは地女だった。


◇亭主はつらいよ! 間男の影◇

こんな驚く句がある

  「音高しお騒ぎあるな はい五両」

間男は武士。
イチャイチャの最中に亭主が帰ってきた。
押入れのない部屋には隠れる場所もなし。
懐に包んでおいた五両を、黙って亭主に差し出す。

これでなんとか穏便に…という間男である武士の句。


江戸の間男の首代は五両に定着。
一両10万円だった頃は、今の50万円。
値段の変動はあったが、
離縁したくない亭主は気が付かぬ振りをしてやり過ごした。

江戸という町の特殊な事情は、
女房を寝取られないように出かけない仕事をするか、、
見て見ぬ振りが定番だったという。

この手の句や春画が多く、不倫がなし崩しに出来た背景は地女にある。


湯やの浮世絵

セクハラで訴えることもなく、冷たい水をぶっかけられてお終い。 

柘榴口を屈んで入る湯船の中は、湯気もうもうで良く見えなかった。
とんでもないお触りや、この浮世絵のようなことは日常茶飯事。
不謹慎極まりない!と何度も混浴禁止令が出るが、復活の繰り返し。

こんな面白い浮世絵を見ていると、
昔「不倫は文化だ」とノタマッタあの方の顔が浮かんできた。

言葉足らずに言い切ったため、バッシングの嵐だった。
だが、江戸の長き天下泰平は浮世絵たちが指し示す色恋が支配していた気がする。
女が強い時代は、平和が長く続く。
だが男が強い時代は、なぜか戦争が続く。

こんな視点は私だけかもしれないが、浮世絵から見た江戸はやっぱりいいなぁ~


人気ブログランキングへ←ランキングに参加してます。
応援クリックは励みになります(*'ω'*)よろしくお願いします!ありがとう🎵


コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加