Salsa する?

Salsaの力を信じてます。
ココロの核にしみ込んで、カラダの芯が躍動します。

江戸っ子の粋! 宵越しのカネを持たない理由

2016-07-28 12:15:02 | 



◆宵越しの金を持たない理由。。◆

江戸っ子の生態を知れば知るほど、唸ってしまう。
今の平成が最先端だと思ったら、大間違いだった。
よく江戸っ子を<粋>とか<いなせ>だのと云うが、
その根底には貧乏と住宅事情がある。

江戸の人口の半分は武士、あとは農工商。
金持ちの商人が町のまとめ役をやり、町のために私財を出す。
その下には多くの長屋を持つ大家がいる。
大家は店子の職を世話したり、長屋の冠婚葬祭を取りまとめる。
水道料金は大家が負担し、掃きだめのごみ処理も大家がする。
店子は四畳半一間400文(6000円)さえ払えばノープロブレム。

そのせいか、江戸の男衆はガツガツ働かなかった。
江戸は仕事がなくても、
ちょっとした良いことをするとチップをくれた。
道行く人を笑わせたり、玄関先の履物を揃えてあげたりなどで、
一文二文のチップをくれる。
そんな僅かなお金でも物価が安いため
一日四時間程度働けば、その日を凌げるお金が入った。

杉浦日向子さんの「江戸アルキ帖」では
『江戸っ子の貧乏は
社会構造の未熟さからくるのではなく、彼ら自身の選択によるもの
ニコニコと趣味で貧乏をしている。。のが不思議だ』

その背景には江戸の大火がある。
江戸はなぜか五年に一度の割合で火の洗礼を受ける。
蔵を持つ大商人を除けば、大半の人々は一瞬で財産を失う。

江戸の町の風情は、ズラーーーと並ぶ茶色い家々と茶色い土。
茶色の寺院と茶色の橋。
朱色で塗られていても、すべての建物は木で造られている。
ひとたび火種が起きれば、阻むものはなく、、
町全体が燃え尽すまで火は収まらない構造になっていた。
火は棟伝いでドンドン大きくなるため、消火方法は家を壊す<破壊消火>
水を使うのは、火消しの人を守るためにかけるだけだった。

そして
大火に見舞われるのは、江戸っ子なら先刻承知の助!
地主や大家はお上に納税する他に
「町入用」という積立金をし、町や長屋の修繕費に充てていた。
そして長屋が燃えてしまった場合に備え、すぐに建てれる蓄えもしておく。

燃えたとしても廃材やストックしておいた木材を使い、
すぐにトテカントテカンと建て直してしまう。

江戸の住人となったからには、
最小限度の家財とその日を暮らせるお金が入れば、大して困らなかった。

時代劇で観る
闇夜に「火の用心!」カチカチ🎵は、警告と見回りの意味があった。
歩き煙草や夜間に火を使う営業は禁止。
風の強い日は銭湯も営業禁止になったほど。

「一寸先は闇」や「江戸っ子は宵越のカネを持たない」は、
大火で命からがら逃げ延びた人々の教訓から来た言葉。
困った時はお互いさまで、助け合う。
親の帰りが遅い子供は、よその家で食べさせたり。
行儀の悪いよその子を、叱ったり。
お裾分けというのも、江戸っ子から生まれたもの。

町全体がそういう気質だったため、今のような孤独死などはなかった。
鍵もない長屋でプライバシーは守りながら、お互い助け合う。
そこには恩に着せるなどという発想はない。

江戸中期から熟成していった江戸の気風や江戸しぐさ。
二世紀半に及ぶ江戸時代の優れた文化は、
庶民の気質から生まれた文化だった。

杉浦さん曰く
「ヨーロッパは戦争することで、大きな道が出来て多彩な文化が入ってきた。
それは貴族などの上流の人達から齎された文化。
江戸だけは長い平和と庶民の気質から生まれた稀な文化です」


**火消しはめちゃくちゃモテた!**

纏(まとい)持ちが特にモテた。
火の手の最前線に纏を持って立つ役目。
「め組」だと分かるように立つ若者は、超イケメンだった。
その組のイメージボーイなので
  
  若い
  
  背が高い

  美男子

この条件を満たすため、組は競ってスカウトしたという。

余談だが、、
あの「八百屋お七」は恋人に会いたさのあまり、
火つけをし江戸を火の海にした。
江戸始まって以来の大事件だった。

今回は書いていて予想外に長くなった。
次回は、ちょいと面白いへぇーーー譚を書きます。


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寺子屋の本分 江戸っ子は世界一の識字率!本好きと貸本屋  

2016-07-11 19:40:51 | 


◆寺子屋の本分 世界一の識字率!◆

江戸の住人は、とにかく本を読んだ。
なぜなら識字率がダントツの世界一という理由がある。
実は江戸だけは、子供も大人もほとんどの人が字が読めた。
その貢献者は、
寺子屋と言われる<指南所>で江戸の至る所にあり、
江戸の子供たちはこぞって通った。


江戸時代は義務教育がないため、<指南所>は私塾。。
先生は知識のある僧や女性・浪人など。
読み書き・算盤・方角・地名・手紙の書き方・
商売用語・礼儀作法・正式な食べ方など…
丁稚奉公に上がっても困らないよう実用的な事を教えてくれる。

午前中から二時までは、子供たちタイム。
二時以降は、読み書きが出来ない大人たちの勉強タイム。
もちろん授業料はあるが、その日暮らしの江戸っ子は<出世払い>が多かった。
子供たちも大人も奉公に上がった仕事で、
先生の家を直したり、野菜や魚を持って来たりと授業料は現物支給。
指南所で教える先生たちは、情熱を持って子供に教えるし、
子供たちも一生懸命勉強した。

勉強することが、生きる術に繋がる江戸の子供たち。
十歳そこそこで、親から独立は当たり前のこと。。

親は押入れもない長屋で、最小限の家財道具で生活。
パラサイトだの引き籠りなどの余裕は、親にもなかった。
動物の世界と同じで、
子供たちは早くから一人で生きていく覚悟を持たざる得ない現実があった。

江戸の町の凄い所は、町の富裕層が町のために財産を使った。
その使い道の一つに
捨て子や迷子のように、親が分からない子供たちは町ぐるみで育てた。
その費用は富裕層が出すことで、儲けたお金を町と人に回した。
江戸は地方から出てきた者の寄せ集めで<超個人主義>
人を羨んだりはせず<人は人 自分は自分>という考えが根付いていたが、
困った時は助け合うのは当然のこととしてやっていた。
そういう粋な町と町が競い合い、栄えたのが江戸という町だった。
私利私欲に走る者はケチな野郎と云われ、町には居られなくなる。
なんとも痛快で、江戸という町に住みたくなるほどだ

今は、
物が豊富でネットを使う便利な世の中。
子供を育てる余力がない…
子供を見てくれる保育園がない…とか
江戸と同じ超個人主義でもこんなにも大きく違う。
残念ながら、生きにくい世の中になってしまった。


江戸が太平の世の象徴で、
人の役に立つことをしてれば、食いっぱぐれも、のたれ死にもしない。
『江戸にさえ行けば、何とかなる!』と、
貧しい地方からドンドン人が入り、<人返しの令>が出るほどに。
40万から130万人の世界一華やかで、お洒落で、粋な町に熟成していった。


◆本好きと貸本屋◆



江戸っ子は<ひらがな>に限ればほぼ100%読めた。
漢字にはふり仮名がふってあり、
大抵の流行り本は読むことが出来た。

江戸評論家/杉浦日向子さんが面白いことを言っていた。
ほとんどの本は草書の<にょろにょろ文字>で書かれており、
江戸っ子は楷書が全く読めない…
現代人とは真逆www

しかも黙読が出来ず、音読だと云う。。
瓦版なんぞ出ようものなら、一斉に音読し町中で輪唱になる。

本屋がなく版元しかないため、貸本屋が大繁盛。
三日に一度、貸本屋が玄関先に来て、
あらすじを興味がそそられるよう話して聞かせる。
もちろん長編・短編・絵草子・エロ本と品ぞろえも豊富。

そのほかの娯楽として
天保の頃には211軒もの寄席や講談、ちょっとお高い歌舞伎など、、
杉浦さんの本には寄席と銭湯が同じくらいあった。。と衝撃の事実が。
彼女の独り言として、
東京も江戸のようになればいいのに、、と思うと書いてある。

そして
江戸の文化や気質を知れば知るほど、その言葉の意味が沁みてくる。
人として豊かに生きることとはなんぞや。。と今の時代を思ってしまう。

次は、もっともっと深い話を書きます…デワデワ


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垢ぬけた江戸っ子♪ 世界一の水道と湯やとフリーパス

2016-06-30 10:44:07 | 


◆世界一の江戸の水道◆

江戸時代を題材にした映画を観ると、地方の農民や侍がスゴク垢で汚れてる。
着物も汚れ、歯も黄ばんでいる。
映画もリアルにメイキングされてるためか、匂ってきそうな風情。
幕府に吸い取られ続ける地方は、生きるので精一杯…
これが江戸時代における地方の様相なんだろうと推測出来るほど。

だが「お江戸」は180度違った。
十七世紀の江戸は水道が張り巡らされていた。
しかも自然流下式で、
長屋ですら共同の水道桝には一定の水位が保たれていた。
「水番屋」というお役人が、
水を汚す者や異物を投げ込まれていないか監視していた。
江戸の水道設備は世界に類のないもの。

パリですら水道が出来たのは19世紀になってからだという。
その潤沢な水道は<湯や>という江戸独特の文化を生んだ。
と、、ここまでは
大昔、受験科目に日本史を選択していたから知ってた。。。。


が、
そこから先の江戸っ子の実態までは教科書には載ってなかった。
驚くような<湯や>の進歩的な活用と面白い実態があるとも思ってなかった。

ウン十年前、NHK「お江戸でござる」で湯やに纏わる話を聴くまでは…
そして江戸風俗評論家/杉浦日向子さんの見てきたような?
嘘みたいで愉快な話にツボってしまった。


♨湯やとフリーパス♨


江戸っ子は湯やが大好き!
アスファルトとコンクリートの生活の現代では考えられないほどの土埃。
着物も身体もすぐにザラザラと真っ白になった。
そのせいか、一日二回もしくは三回と入りに来る。
いわゆる<カラスの行水>というやつ。

町民だけではなく、武家屋敷の武士も湯やに来る。
立派なお屋敷でもお風呂を持つのは大変なお金がかかる。
湯やは大繁盛しあちこちにあったが、問題も多かった。
それは痴漢行為、、、、

バカは世界中にいるが、このバカは気の毒で同情してしまう。
なぜなら男女混浴だからだ。。
男女別風呂にするには、経費がかさみ過ぎるため混浴にせざる得なかった。

ただでさえ江戸は女不足で男やもめばかり、、
なのに湯やへ行けば、若い娘も武家の娘もいるわけで。
年配女性が頑張ってガードしてても、湯船は一緒。。。。
今のように電気がないため暗がりとはいえ、
潜水をし触りにくるという、、一か八かの痴漢行為が絶えなかった。

それでも法で裁かれることもなく、
おかみさん連中に水をぶっかけられ、啖呵を切られる程度で済んだ。
なんとも江戸らしい話だと思わされた。

湯やは士農工商関係なく、長閑なコミニケーションの場でもあり、
そこから<連>と言われる趣味のクラブ活動のような繋がりもあった。

それでも混浴禁止令は度々出るものの、暫くするとまた復活。
明治になるまでデンジャラスな混浴は続いた。

杉浦日向子さん曰く
『江戸の人は こざっぱりとした清潔な風情でした。
毎日湯やに行くので パサパサしてたんですね~
そこから
江戸っ子は垢ぬけてる🎵って言葉が出来たんです』

そして江戸っ子は身なりを綺麗にするのがモットー!
男たちはフンドシ着用のため、お尻の毛を剃るのが当たり前。
<湯や>ではお手入れ道具を借り、お手入れをしていた。
現代女性のTバックの逆バージョンです(苦笑)

石鹸がまだない江戸では、
ほとんどの人が米ぬかを入れた袋で身体を擦っていた。
ただし洗髪は禁止だが、
湯やは今の時代よりも利用頻度が多かったため、
フリーパス148文(2200円)があったほど。


それでも湯やのない地域はあるため、
どうしてたかというと<屋形風呂>があった。

これは杉浦日向子さんが体験されたと本に書かれているが、、
**杉浦日向子「江戸アルキ帖」をお読みクダサイ
 びっくり!する不思議な本デスヨ

↓ほら貝を吹いて屋形風呂が来たことを知らせる。

湯やが8文で120円(大人料金)屋形風呂は4文で60円



これが江戸の文化にツボったキカッケになったお話しデス。
次は深いお話しを書きます( *´艸`)


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粋なお江戸のお話し かかあ天下。。

2016-06-18 15:05:29 | 


◆江戸フリーク。。◆

江戸時代は奇妙な時代だった。
世界一の人口お江戸の豊かさと地方の貧しさは雲泥の差があった。
地方の財政が苦しくなるのに反し、江戸は文化も公共設備もどんどん発達。
潤沢に生まれる文化は、華やかで粋なものが多かった。

三代将軍家光による大名の参勤交代が定着すると、
江戸の人口の半分が武士、、
そこに農民 商人 職人が加わると、、お分かりだろうか?

江戸の町は男だらけ。。男女の比率は7対3…
必然的に独り者の男が多かった。

それゆえ江戸の町は外食産業が発達。
夜泣きそばや天ぷら、寿司の屋台大流行り。
そのうえ
家の前まで持ってきてくれるデリバリー方式。

平成のデリバリー天国の元祖は、実はお江戸だった。
江戸の文化を紐解くと、100均 貸本 フリーパスなど。。
知れば知るほど、江戸に住んでみたくなる。

ワタシが江戸に魅かれたキッカケは20年くらい前。
木曜の夜8時NHK「コメディーお江戸でござる」を見てからだった。

伊東四朗や野川由美子、桜金造などがお江戸の人に扮し、
庶民の生活を面白くお芝居で演じていた。
そのお芝居が終わると、
江戸風俗評論家と称する絣の着物を着たおかめ顔の女性が出てくる。
「江戸の庶民の夕餉は、一汁一菜だったんですかね~」という問いに、
女性は
『いいえ 小さな小間物の並ぶ通りの店主たちは
煮豆屋からでき合いのお惣菜を買ってきたりします。
商いをしてても
そういうお店があるので、案外便利だったんです!』
と見てきたようにきっぱり言い切る不思議な女性。。。

この人は江戸庶民の生活風景の漫画を描く<杉浦日向子さん>
すっかり見てきたような話しのリアルさに、
毎週「コメディお江戸でござる」を夢中で見ていた。
9年間続いた人気番組だったが、
杉浦さんが下咽頭がんでこの世を去ると同じくして終了。
杉浦日向子、46歳だった。。。。

それが今年のゴールデンウィーク。
寄席の出し物に講談が一つ。
面白すぎた講談を聴いた時、杉浦日向子さんの話が思い浮かんだ。

今まで沢山の点々だった話をココに書き記そうかと思い立った。
今の世の中にも通じる良いなぁ~と思うお話です。



◆かかあ天下。。◆


と、、書いたばかりなのに、突飛なお話しから始めよう。

江戸は男ばかり。。
当然ながら男やもめが多い。
嫁をもらうことは大変ラッキーなこと。

長屋に嫁が来るとお祭り騒ぎになったと云うほど。

幕府はこの事態を憂い、
<女性はなるべく二度以上結婚すること>というお達しを出す。

女性は男性から三下り半をもぎ取ると、さっさと再婚した。

2回 3回、、はたまた7回の再婚も珍しくない。

そして男たちの方はというと、、
あまり年齢に拘らず、かなり年上の女性でもOK!

そして夫婦になると、多くは共働き。
子供が生まれると男は子育ても家事も分担。

家事育児は手の空いた方がするという決まりがあった。
平成の育メンとほぼ同じ。。。。
それに加えて、江戸の女たちは大層働き者だった。
そのせいだろうか、、
男の収入が少なくても、明るくて面白い男は結婚出来たという。




だが例外は必ずあるもの、、
花形職業の大工と火消しはかなりモテモテ。。


江戸時代の平均寿命は30~40歳。
葛飾北斎のように90歳という長寿は珍しいが、
流行り風邪や盲腸でも命を失う時代。
特に子供の早死にが多かった…

そのうえ火事の多かった江戸では
「宵越しの金を持たない」に例えられるが、
その日その日を楽しく生きるのが、生まれてきた意味と考えていた。
ここだけは現代と大きく違い、なるほど。。と思わされた。


今の日本の適齢期の男女は<結婚しない症候群>にどっぷり・・・・・
脳科学者の理論では
<脳が命を守るため結婚しない方を選ばせてる>らしい。

お江戸の結婚生活は、長閑で短いが、
「今を生きる」というならお江戸の方かもしれない。。


次回は江戸の町の驚くような秘密デスよ・・・ムフフ

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前編/映画「殿、利息でござる!」vs映画「蠢動」 「超高速 参勤交代」 「武士の献立」

2016-06-04 10:40:22 | 映画



5月、江戸物の映画『殿、利息でござる!』が公開された。
江戸時代は250年間、
徳川幕府の支配の元、戦争もなく過ごした平和な時代。
だが
沈黙の平和が続くには、仕掛けがあった。

それは諸大名たちの江戸への参勤交代と幕府への上納金。。
全国の大名は長期に渡り、この金策に苦しめられた。
年貢米を取り立てても、木をボコボコ切りまくっても、、
藩の財政は厳しく裏帳簿を作って凌ごうとする藩もあった。

だが幕府は内偵を派遣したり、隠密を使って調べ上げる。
ちょろまかしが発覚すれば、藩主は切腹、藩はお取り潰し。
仕えていた武士たちは、浪人となり江戸を彷徨うことに・・

だが江戸中期、4代家綱~8代吉宗の時代。
突飛もない発想で、町を救った実話があった。
仙台藩吉岡宿の奇想天外な発想に基づいた映画『殿、利息でござる!』


◆映画『殿、利息でござる!』 外様大名の苦悩…◆

仙台藩吉岡宿の村民が、町への労役の負担を軽くするため、
仙台藩に千両を貸し付ける案を思いついた。
千両とは、今の三億円。。。。

<貸し付けの利息で労役へかかるお金に充てる>
そうしない限り、吉岡宿は廃れ潰れてしまうからだ。。
一か八かで始めたが、
商家や金貸しの質屋の無償の努力が実り。
8年後千両を貯め、仙台藩に貸し付けることに成功。

吉岡宿は町を失わず、存続することに成功したお話し。
豪華キャストなうえに、仙台藩主がスケーター羽生結弦選手で話題に。

江戸中期はそう悪い時代ではなかったはずだが、
仙台藩伊達家は外様大名…

参勤交代の高額な費用と上納金は
民を悲惨な状況へと追い込んでいく。
あの仙台藩ですら金策に奔走し火の車だった。

三代家光がつくった参勤交代は、
じわじわと全国の民を窮地に追い込んでいった。


◆映画『蠢動(しゅんどう)』


貧乏弱小藩があまりの上納金の大変さに裏帳簿を作った、、
幕府より遣わされた剣の指南役により、裏帳簿の存在が露呈。
未来のある若き武士を指南役の殺人犯として、濡れ衣を負わせる。
一人の若き武士を葬ることで、藩の取り潰しをなんとか免れた。

藩は武士道の誇りも理念も捻じ曲げ、
すべてを切り捨てなければ生き残る方法はない。
徳川幕府の締め付けと
切り詰めても切り詰めても幕府に吸い上げされる金の構造。

そして
この映画の殺陣が
バタバタ、のしのし、、あまりにリアル…

純粋に武士道に生きようとした青年を次々と刺客が襲う。
その刺客は同じ藩の若者たち。
最後は武士道の剣ではなく、生き抜くための剣で逃げ延びる青年。
藩の理不尽な仕打ちと武士への絶望。。。。

幕府の闇の力がどんなに怖かったかが分かるのが『蠢動』だと思う。


◆超高速 参勤交代◆

8代吉宗の時代のお話し、コメディー仕立て映画『超高速 参勤交代』
長閑な田舎の弱小藩が、隠し金山を持ってる、、と疑われた。
藩の取り潰しと藩主殺害を目論む江戸老中に、参勤交代を命ぜられる。

貧乏藩ゆえ、大名行列が出来ないほどの貧弱さ、、
小判も持たず、古銭で大名行列というありさま・・・
まるで落語のような苦肉の策で、ボロボロになりながらも果たす。
金山の濡れ衣も晴れ、藩は存続。

理不尽な濡れ衣を着せられ、藩のお取り潰しは多かった。
藩を失い、
職を求めた武士が江戸に単身赴任をする。
が、
士官に登用されることもなく、江戸で浪人生活。
読み書きの出来る浪人が講釈師になり、
街角で軍記本を庶民に読み聞かせ講談が大流行。
江戸の庶民は講釈師を尊敬の意味を込め「先生」と呼んでいた。

地方では食べていけないのに、
江戸ではパフォーマンスが良ければその日暮らしが出来た。
沢山の浪人が江戸に集中し、江戸だけは世界一の都市になった。



◆異色の映画『武士の献立』◆

隠密や物騒な刺客が暗躍した江戸時代。
実は、外様大名なのに優雅な藩があった。
石川県の加賀藩前田家。

遡れば
前田利家は豊臣秀吉の無二の親友でもあった。
徳川家にとっては前田家の外様の扱いは当然。
だが加賀藩だけは、意外と絢爛。

江戸時代は剣を使うこともなく、なんとなく平和。
大名家の健康を司る者として<包丁侍>がいた。
場内の大台所で朝から晩まで包丁を使い料理を作る。
包丁侍は代々世襲制でもあり、
ちょんまげを結い、裃姿にタスキ掛けの武士。
加賀藩の包丁侍は後に優れた料理本を出すほどの腕だったと云われる。

江戸への参勤交代の際には加賀の雪をムロに包み、将軍に献上。
加賀より大きな荷車で運び、江戸城に着く頃には僅かな雪に。
将軍家に大層喜ばれる献上品だったと文献にはある。
夏に氷献上とは、、
大名の苦労はいかほどだったか分かる話し。


その様が浮世絵師・歌川国芳の絵に描かれている。

↓後ろに江戸城
奥女中が加賀の雪にスモモをつけて運んでいる様。
なぜか青く描いてるのがスモモ。



今回は江戸時代に纏わる映画のお話し。
地方の大名の苦しい事情と正反対だったのが江戸。
江戸の庶民の生活や考え方は進歩的で平等。

24時間営業の外食産業や現代の便利産業は江戸が先駆者だった。
次回の後編は驚くほど面白い江戸のお話しデス♪



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