Salsa する?

Salsaの力を信じてます。
ココロの核にしみ込んで、カラダの芯が躍動します。

たかが豆腐 されど豆腐~ 悪評高き参勤交代の功績とドラマ

2016-09-28 23:15:16 | 


江戸中期になると、江戸の町はとうとう食文化も熟成し始めた。
地方からの出稼ぎの人や武士で人口もパンパン、、
独り者が多いため、自然と外食産業が盛んに。
たとえ夜中でも一歩外に出れば 空腹を満たせる
[夜鳴き蕎麦][天ぷら][江戸前寿司]が辻で営業。

「うちまで持って来てくんねぇ〜」と声掛けすれば
長屋の戸口まで店主が『旦那ーあいよ!』と持って来る。
江戸ライフは超便利で超気楽の極み♪





そんな豊かな食文化で、一番重宝されたのが<豆腐>だった。。

◆たかが豆腐 されど豆腐〜◆

将軍さまも、武家も商人も、職人も全ての人が食べた豆腐。

江戸時代は肉を食らう事を認めていなかったため、
毎日売りに来る豆腐は、大事なたんぱく源だったのは言うまでもない。
冷奴や湯豆腐は簡単で美味しいため欠かせない食べ物になっていた。

江戸庶民もこの頃になると、白米を食べていた。
動物性たんぱく質を摂らない上に、栄養のない白米をたらふく食べた。
その結果、ビタミン欠乏症で脚気を患う。
将軍たちの突然死(心不全)も白米が招いたと言われ、
末梢神経障害で歩けなくなる人も多く、
箱の車椅子を使い移動する光景も珍しいものではなかった。
この現象は[江戸患い]と言われ、
地方へ戻り、玄米を食べると治った。

こういう理由から
将軍達は薬と称し肉を食べるようになる。
鶴は一番のご馳走でよく食べられたが、
後に牛の味噌漬けを食べるようになった。
因みに変わり種は15代徳川慶喜。
豚肉を好み「豚将軍」とまで云われたそうな、、


帯表紙の絵は
手桶を下げて豆腐屋に買いに来る若いおかみさんたち。
手桶の大きさと出来上がってる大きい豆腐にご注目!
一丁の豆腐の大きさが手桶の大きさが同じデス。

今の豆腐の四丁分。
一丁は四十文(600円)
四分の一(150円)から切り売りしてくれる。

江戸で一番流行った料理本は豆腐のレシピ本。
そしてこの豆腐は地方へもアッと言う間に普及。
天変地異の伝達は飛脚が担っていたが、
江戸の文化のほとんどは、
参勤交代のお蔭で伝わった。



◆悪評高き参覲交代の功績とドラマ◆

1年置きの参覲交代は大名にとって命懸け。
石川県の加賀藩は外様大名なのに、裕福で豪華。
お供は2000人
2週間の旅費は4億円!

大名はコツコツ貯めた財産を参覲交代で使い果たす、、
不条理ではあったが、
このお蔭で265年も戦争がなく、豊かな世界に誇る文化を生んだ。

そして大名の子息は人質として江戸詰めになり、江戸で育ち成人する。
その後は大名として故郷に戻り、
実際に見た江戸の豊かな文化と便利さを伝え広めた。

その反面、悲劇のドラマもあった。
江戸後期になると、どの藩も財政難に陥る。
倹約は凄まじく、
越後長岡藩主・牧野忠孝は木綿を着用、豆腐半丁をおかずに5年間…
財政も立て直した矢先に二十歳で死去、、無念の死。。

当時の武家は一汁一菜、おかずは豆腐の日々。
江戸の職人は一汁三菜。
どう見ても江戸っ子の方が遥かに豊かに暮らしていた。

この食生活のアンバランスさの影響は身長に表れた。
肉を食べた奈良時代の人は江戸時代の人より背が高かった。。


何気に食べてる豆腐。
江戸時代に生まれ、こんなにもドラマがあった。

たかが豆腐 されど豆腐。。。。ですなぁ…


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江戸っ子の古着リサイクルを変貌させた越後屋の薄利多売と定価/元祖三越!

2016-09-12 05:50:31 | 


◆江戸っ子の意外過ぎる古着リサイクル~~◆

江戸の居住区は江戸城を中心に、
すました白壁の土塀に厳めしい大門、なのに妙に警備が手薄な武家屋敷。
それ以外は、
ズラーーーと並ぶコオロギ色の鍵のない長屋の風景。。

多くの江戸っ子は押入れのない狭い長屋で暮らすため、部屋には物を置かない。
彼らの大事な物と云えば、布団・蚊帳くらい。。
それらを質屋に預け、シーズン毎に質屋に入れたり出したり。
質屋をトランクルームのように上手く使っていた。

当時の三大都市は
<大阪の食いたをれ><京の着たをれ><江戸の呑んたをれ>と称された。

江戸っ子は清潔で垢ぬけ、お洒落上級者。
身に付ける小物には大層凝った。

男衆なら 腰周りに下げる煙草入れがステイタスを表した。
とても凝っていて陶器・漆・琥珀・珊瑚が素材で、
オーダーメイドの彫刻が施されている。

↓煙草入れを見て、男が如何ほどの者か。。を値踏みした。


女なら簪で、鼈甲や銀・ビードロ・珊瑚で作る。
高価な為、夜逃げや不測の事態の時これを売ったりした。
↓吉原の花魁が挿した簪は家一軒分の価値があったと云われているほど。


粋でオシャレで清潔がモットーの江戸っ子庶民が、なぜか着物は全て古着だった。
だが、これはごく当たり前のことで、
新しい着物を着るのは武家屋敷の者か裕福な商人だけ。。

実は新しい着物を着たくとも着れない背景があった。
↓冬の風景
何枚も着物を重ね着し、結構な重さだった。
それでも女たちは踵の美しさを魅せるため、下駄に素足を好んだという。


◆革命児 越後屋の三井高利 定価と切り売りと薄利多売!!◆

その背景に<高値>というのがある

当時は一反の生地を買い、着物に仕立てる。
しかも着物は訪問販売で、定価はなく商人と顧客の駆け引きで値段を決めた。
お代はツケで、年二回の支払いというシステム。
武家屋敷や富裕層のみが顧客という特殊な商い。
そのため、江戸っ子は古着屋で着物を買うのが一般的だった。

だが、そこに目を向けたのが越後屋/三井高利。
誰でも反物が手に取れるように、店で売り始めた。
しかも見に来たお客にお茶を出し、ゆっくり見てもらう。

新品の反物でも、用途によって<切り売り>をした。
反物は少しでも切ると、一枚の着物を仕立てることが出来ない。
そこを敢えて<切り売り>し、しかも<定価>という仕組みを初めて作った。

これが江戸っ子に大人気となり、越後屋は薄利多売という商売を編み出した。
明治維新と共に着物は廃れるが、その真髄を受け継いだのが「三越」。
そしてもともとは両替商を営んでいたが、明治政府の依頼で銀行を開くことになる。

江戸の秀逸なリサイクル文化で、唯一無くなったのが古着だった。
しかも誠実な商売方法で古い商いを淘汰していった越後屋。
それが後の「三越」。
今は伊勢丹と合併し、かろうじてその名を残している。


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将軍はつらいよvs江戸っ子の呑んだをれ 奇跡の赤酒 灰の凄いリサイクル

2016-08-25 19:17:26 | 


日本史上で戦争のない時代が、265年間続いたのは江戸時代だけ。

物資も人も江戸に集中。
江戸の庶民は後世に残る爛熟した文化を生み出し、
幕府は地方大名をガッチリ抑え、天下泰平という言葉を生んだ。

江戸っ子は喧嘩っ早く、、キッカケを見つけては喧嘩する。
身体の傷や痣を見せては喧嘩自慢をするほど平和だった。


◆江戸っ子の呑んだをれ◆

実は
江戸は酒の消費量が世界でもダントツ一位。。
一人平均が、一日5合くらいの日本酒を呑んだという。
1800年初めで、にごり酒一合4文(50円程度)。
5合は300円弱という有り得ない安さ。
そのうえ
当時は今のような防腐剤はなく、悪酔いもなかった。
悪酔いしないどころか、身体に良かったほど。
その根拠は、防腐剤として使われた灰にあった。

朝、仕事前に軽くひっかけ、昼はおやつに一杯、仕事終わりの風呂上りに一杯、
そして寝酒に一杯・・・
威勢がよく啖呵を切るのも、年中ほろ酔い気分だったから。。かもしれない。
と杉浦日向子さんは書いている。


◆灰の凄いリサイクル 奇跡の赤酒。。◆

江戸はリサイクルという方法を編み出した。
その中でも竈や火鉢を買う<灰買い>という商売があった。
この灰がトンデモナク利用価値があった。

作物を育てるため畑の土に撒き、良い土に改良したり。
絹・綿・麻などの糸に光沢を出すために、灰汁で煮たり。
漢方薬・洗剤などにも使われたり。

当時は全て混じりっけなしの天然素材だったため、
燃やした灰は綺麗で不純物なし!

灰の最大の功績は<酒つくり>
酒の種麹を作る時上に灰を撒くことで、有害な雑菌の生育を抑えた。
アルカリ性の灰は酒の酸化を抑え、臭みを消して味をまろやかにした。
リサイクルの灰のお蔭で、酒は大ブレイク。

火事の多かった江戸で、全てが一晩で灰になったが、
灰を有効にリサイクルし<江戸の呑んだをれ>の文化を生み出した。


つい最近のこと
我が家で使ってる熊本の「東肥 赤酒」
なんと!
赤酒は今も灰を使った方法で作られていた。
アルコール度11・5~12・5%の灰持酒。
甘みがあり、みりんと同じように使っていたが、、
九州では大人も子供もお正月はお屠蘇で、普段は水割りやロックでも飲まれている。

盃に入れると綺麗な飴色。
この飴色こそ、アミノ酸の熟成した色。
お酒なのに生きたアミノ酸サプリメントと云えるかもしれない。

お味はあっさりしたカンロ飴。
ワタシは寝酒に盃一杯呑んでます(*'ω'*)




◆将軍はつらいよ!◆

江戸っ子たちは、
美味しいものを食べ、酒を呑み、日に何度も湯やに行き、
芝居や寄席・講談に読書と日々極楽トンボのよう。。

それに反し
江戸城の将軍様たちは、窮屈な生活を強いられていた。
朝6時に起床、食事・勉学・武芸・事務処理などハードワーク。
そのうえ子孫繁栄のため、たまに大奥へ…

三度の食事は毒を盛られないように吟味し過ぎてパサパサ。
しかも庶民と違い、食べるものの制限があり栄養のない食事。
将軍の食事は10人前も作られ、シャッフルしながら運ばれる。
そのうちの一つを将軍が食べる、、という大仕掛け。
残しても大事になるし、常に周りに警護の人が居て気の休まる時間がない。

将軍の日課は大変だなぁ…と食事の内容を見てると、、、
将軍専用のお酒の記述に目が釘付けになった。

赤くて臭気のある古酒、、、
江戸の水は酒造りにはあまり適しておらず、
将軍用のお酒は地方から取り寄せていたという。


赤い色は灰持酒の赤酒の特徴でもある。
なぜか歴代の将軍たちは身体が弱かったためか、赤酒を呑まされていた!
と思いたくなる記述だった。


**日本酒の効用**

最近の研究報告で
一日二杯を適量とした日本酒の効用として

発がん抑止効果

動脈硬化の抑制

虚血性心疾患の抑制

心筋梗塞の血液凝固の防止

老化・痴呆の予防

骨粗鬆症のリスク低減

胃液の分泌を高める


日本酒もほどほどであれば、健康年齢を引き延ばすラシイよ


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浮世絵のナゾナゾ。。江戸っ子のいなせなアンチエイジング🎵

2016-08-11 16:35:54 | 


◆浮世絵のナゾナゾ。。。◆

今年、東京の渋谷Bunkamuraで、
ボストン美術館所蔵の歌川国芳・国貞の浮世絵の一部が公開された。
江戸の文化の中でも浮世絵は世界中で評価が高く、
当時の浮世絵の多くはヨーロッパに流れ、そこからアメリカへと渡った。

教科書に載ってる浮世絵の男女の表情や雰囲気は、超年齢不詳。。
実物をこの目で見てみると、
江戸時代の人って、ずい分とエロい顔をしていた。

外は大雨なのに、展示会場は物凄い人。
作品の前には<これ以上近づくな!>の黒い線がくっきりビーーーと引かれ、
みんなマイケルジャクソンのように身体を傾ける。
ギリギリまで顔を近づけて凝視する態勢にwww

浮世絵は割に小さく、繊細で手の込んだ浮世絵を見るにはその方法しかない。

私は左大臣(ダンナさま)と共に、江戸時代の宝に魅入った。
左大臣は日本史には殆ど興味もなく、ただついてきただけ。
だが、その緻密な描写と色彩感覚に驚き、彼もマイケル状態に。
作品を観終わると足はクタクタで、なんと!二時間も経っていた。

自分の思っていた江戸の人々とはイメージが違い、
浮世絵の男女の肌は、みな色白。
しかも歯も真っ白。
それでいて妙に大人っぽく、枯れた風情。。。。
その時は絵師によって誇張されているのだろう、、と思う程度だった。

そして驚いたのは歌川国芳のセンスが時代を超えた天才だったこと。
今のアニメの原点ともいえる絵を描いていた。
凄いカルチャーショックを受けたワタシの脳みそには、
沢山のナゾナゾが詰まったまま・・・

この謎を解いてくれたのが杉浦日向子さんの「お江戸でござる」だった。



◆ありのままの いなせなアンチエイジング◆


浮世絵に描かれてる男女は、どうやら20代で未婚のようだった。

江戸の女性は未婚と既婚はすぐ分かった。

眉があるか、剃り落としてるか。
髪形が島田か、丸髷か。
歯が白いか、お歯黒か。

男衆は間違えることなく、募集中の方にアタック出来た。

浮世絵に描かれる女たちは明らかに当時の美人。
十代か二十代、お洒落もハイセンスで裕福だと思われる。

Bunkamuraで見た見た絵で不思議な浮世絵があった。
この絵に描かれてる唇の色は上と下では色が違う。
上は赤で、下は緑がかった玉虫色。
これが最高の口紅の付け方で、
当時の人気花魁や位の高い奥女中しかつけること出来なかった。

女たちは毎日湯やで、肌と踵をぬか袋でピカピカに磨き上げる。
江戸の女たちにとって
白く艶やかな肌に薄化粧とピカピカの踵が、最高のお洒落だった。
真冬でもかかとの美しさを見せるため素足が多かった。




男たちはそれ以上にお洒落だった。
筋肉隆々は好まれず、色の白い優男がもてはやされた。
力仕事が多かったため、町に行けばみんな腹筋が割れ筋肉質の体。
今ならモテそうだが、博徒ですら真っ白な体を自慢したらしい。

そしてなんといっても<お金がなくても清潔第一>
湯やは日に何度も行き、髪は結って二日目状態を常にキープ。
熊さん八さんに見える髭剃り跡の青いのは、NG!
ムダ毛は抜くことで、美しい白い肌に。
眉を描き足し、キリッとした印象。

月かさと言われる頭頂部は綺麗に剃り、青い色である事が若さの象徴。
中年と言われる男たちも、この月かさに<青タイ>という色を塗った。

歯磨きは歯が擦り切れるほど磨いた。
江戸で爆発的なヒットは歯磨き粉で、
砂や塩にクローブやハッカを混ぜたもので今と変わらない。
舌磨きまであり、エチケットに気を遣うのは当たり前だった。


浮世絵に描かれた男女は、若く美男美女。
絵師はありのままを描いていたのが分かる。

江戸っ子の一番凄いところは、変な若作りをしないこと。
年季の入った古いものほど価値を置き、大事にした。

それは人にも通じることで、老いることに抵抗がなかった。
その年代年代に沿うお洒落と風格をつけ、
一歳でも目上であれば経験値が違うとしてリスペクトした。


年寄りが追いやられることはなく、町で助け合うような気風を大事にした。
今の便利な世の中に一番足りない部分が、江戸の町には根付いていた。
あまりにも耳を覆いたくなるような事件や出来事が多い今という時代。
杉浦日向子さんの
渇いた現代社会に、江戸の町を移植し増殖させたい願いを込めた本と
250年という天下泰平は、人として生き抜くのに深い意味を指し示すと思った。


次はとても優秀な江戸を書きます!


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江戸っ子の粋! 宵越しのカネを持たない理由

2016-07-28 12:15:02 | 



◆宵越しの金を持たない理由。。◆

江戸っ子の生態を知れば知るほど、唸ってしまう。
今の平成が最先端だと思ったら、大間違いだった。
よく江戸っ子を<粋>とか<いなせ>だのと云うが、
その根底には貧乏と住宅事情がある。

江戸の人口の半分は武士、あとは農工商。
金持ちの商人が町のまとめ役をやり、町のために私財を出す。
その下には多くの長屋を持つ大家たちがいて、
店子の職を世話したり、長屋の冠婚葬祭を取りまとめる。
水道料金は大家が負担し、掃きだめのごみ処理も大家がする。
店子は四畳半一間400文(6000円)さえ払えばノープロブレム。

そのせいか、江戸の男衆はガツガツ働かなかった。
江戸は仕事がなくても、
ちょっとした良いことをするとチップを貰える。
道行く人を笑わせたり、玄関先の履物を揃えてあげたりなどで、
一文二文のチップをくれる。
そんな僅かなお金でも物価が安いため
一日四時間程度働けば、その日を凌げるお金が入った。

杉浦日向子さんの「江戸アルキ帖」では
『江戸っ子の貧乏は
社会構造の未熟さからくるのではなく、彼ら自身の選択によるもの
ニコニコと趣味で貧乏をしている。。のが不思議だ』

その背景には江戸の大火がある。
江戸はなぜか五年に一度の割合で火の洗礼を受ける。
蔵を持つ大商人を除けば、大半の人々は一瞬で財産を失う。

江戸の町の風情は、ズラーーーと並ぶ茶色い家々と茶色い土。
茶色の寺院と茶色の橋。
朱色で塗られていても、すべての建物は木で造られている。
ひとたび火種が起きれば、阻むものはなく、、
町全体が燃え尽すまで火は収まらない構造になっていた。
火は棟伝いでドンドン大きくなるため、消火方法は家を壊す<破壊消火>
水を使うのは、火消しの人を守るためにかけるだけだった。

そして
大火に見舞われるのは、江戸っ子なら先刻承知の助!
地主や大家はお上に納税する他に
「町入用」という積立金をし、町や長屋の修繕費に充てていた。
そして長屋が燃えてしまった場合に備え、すぐに建てれる蓄えもしておく。

燃えたとしても廃材やストックしておいた木材を使い、
すぐにトテカントテカンと建て直してしまう。
多くの大商人や大家たちは人望があり、
店子たちからもリスペクトされる懐の深さを持っていた。

そんな町の気質と仕組みからか、、
江戸の住人となった時から
最小限度の家財とその日を暮らせるお金が入れば、大して困らなかった。

江戸の火事の譚を読んでて思い出したのが、
時代劇で観る
闇夜に「火の用心!」カチカチ🎵
あれは、あまりにも多い火事の警告と見回りの意味があった。

歩き煙草や夜間に火を使う営業は禁止。
風の強い日は銭湯も営業禁止になったほど。

江戸っ子がよく口にした
「一寸先は闇」や「江戸っ子は宵越のカネを持たない」は、
大火で命からがら逃げ延び、
一夜にしてすべてを失うことが一生で何度も起こる。

だからこそ
困った時はお互いさまで、助け合う。
親の帰りが遅い子供は、よその家で食べさせたり。
行儀の悪いよその子を、叱ったり。
お裾分けというのも、江戸っ子から生まれたもの。

町全体がそういう気質だったため、今のような孤独死などはなかった。
鍵もない長屋でプライバシーは守りながら、お互い助け合う。
そこには恩に着せるなどという発想はない。

江戸中期から熟成していった江戸の気風や江戸しぐさは<粋>であった。
二世紀半に及ぶ江戸時代の優れた文化は、
庶民から発信したものだった。

杉浦さん曰く
「ヨーロッパは戦争することで、大きな道が出来て多彩な文化が入ってきた。
それは貴族などの上流の人達から齎された文化。
江戸だけは長い平和と庶民の気質から生まれた稀な文化です」


**火消しはめちゃくちゃモテた!**

纏(まとい)持ちが特にモテた。
火の手の最前線に纏を持って立つ役目。
「め組」だと分かるように立つ若者は、超イケメンだった。
その組のイメージボーイなので
  
  若い
  
  背が高い

  美男子

この条件を満たすため、組は競ってスカウトしたという。

余談だが、、
あの「八百屋お七」は恋人に会いたさのあまり、
火つけをし江戸を火の海にした。
江戸始まって以来の大事件だったとなっている。

今回は書いていて予想外に長くなった。
次回は、ちょいと面白いへぇーーー譚を書きます。


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