セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「大人は判ってくれない」

2013-09-29 00:50:08 | 外国映画
 「大人は判ってくれない」(1959年・仏)
   監督 フランソワ・トリュフォー
   脚本 フランソワ・トリュフォー
       マルセル・ムーシー
   撮影 アンリ・ドカエ
   音楽 ジャン・コンスタンタン
   出演 ジャン=ピエール・レオ
       アルベール・レミー
       クレール・モーリエ

 セーヌ右岸派の拠点雑誌「カイエ・デュ・シネマ」の先鋭的評論家だったフラン
ソワ・トリュフォーの長編第一作目であり、「ドワネル」シリーズの第一作目。
 作品自体、優れた作品だと思いますが、フランス・ヌーヴェルヴァーグが始ま
った1959年の盛大なる花火の中の一発で、ゴダールの「勝手にしやがれ」(
1959年)と共にヌーヴェル・ヴァーグ時代の「顔」のような歴史的側面を持つ作
品、今日では、その歴史的価値にばかり目が行ってしまってるような気もします。

 我が子に愛情を持てない母親と義父の元で暮らすアントワーヌ・ドワネル。
 そんな環境から、彼は学校でも反抗的であり、それ故、教師から目をつけら
れている。
 さまざまな負の連鎖からドワネルの非行も悪質となり、遂に感化院送りとなっ
てしまう・・・。

 ヌーヴェル・ヴァーグと言うと、カメラを振り回したり、小難しい解かったような
解からんような作品が多く、余り良いイメージがないのですが(笑)、この作品
は、思ってたより全然スタンダードな作りでした。
 トリュフォーの子供時代を元にした自伝的作品だからなのか、兎に角、子供
の大人の世界に対する憤懣とか怖れがストレートに解かり易く描かれてます。
 子供目線なのですが、その子供の気持ちが非常に良く解かる映画。
 ドワネルを演じるJ=P・レオが凄くいい、愛情に飢え、やり場のない怒りを内
に秘め、捻くれた所もあるけど、彼なりに懸命に耐えていて、何とかバランスを
保とうとする健気さ逞しさも持ち合わせている。
 そんな彼の必死な気持ちを、まるで理解しようとしない周囲の大人達。
 当時のレオが持つ雰囲気と自然な演技があるからこそ、ドワネルのヤサグレ
ざろう得ない孤独がこちらに伝わるんだと思います。
 勿論、それを描くトリュフォーの演出もいいのですが。

 ラスト・カットのドワネルの表情から、何を読み取るのか・・・。
 作品に付きまとってる雑多な諸事を、なるべくなら忘れて、一本の映画として
素直に観る事をお薦めします。

※よくトリュフォーは「恋愛専門」と言われますが、僕は、どちらかというと「恋愛」
 より、「恋愛」から少し離れた作品(「アメリカの夜」)、子供を描いた作品(「野
 性の少年」、「思春期」)の方に惹かれる事が多いみたいです。
 (トリュフォーの恋愛劇って、結局、「可哀想なボクちゃん」で終わる事が多い気
 がしてる~個人的感覚ですよ!(笑))
※この邦題を付けた人はエライ!

 
 
コメント (9)
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「乱れる」その2

2013-09-25 22:56:43 | 邦画
 昨日の記事に追加しようと思ったのですが、そこそこ長くなりそうなので新
しく書き足す事にしました。
 「終」の出し方に尽いてなので、未見の方はご遠慮願います。

 「んんんんん・・」
 「!? ひぇ! えっえええええ!!!!!」
 実に凄まじい「終」の出方。
 今日、いろいろな方のレビューを拝見したのですが、「ソファから転げ落ち
た」、「呆然」、「愕然」、実に反応が面白く、全て納得出来る感想でした。

 終わり方が「ギロチン・カット」(勝手に命名)なんですよね。
 テンションと情感が最高に盛り上がった頂点で、全ての感傷をぶった切る
ように突然「終」の文字。
 その瞬間、クライマックスに相応しく高揚した気持ちが「宙ぶらりん」にされ
てしまいます。
 「自分の気持ち」の持って行き場がなくて、茫然自失の状態。
 最初は誰もが、「何でここで終わるの!!」だと思います。
 でも、冷静になるに従って「あそこで「終」も有りだな」になり、やがて「あそ
こしかない!」と確信に変わる。
 そして、「さすが成瀬、只者じゃない」と感じ入ってしまいます。

 あの「茫然自失」も「宙ぶらりん」も、よく考えればラストシーンのヒロイン礼
子の感情と似たものなんですよね、勿論、礼子の何百分の一に過ぎないの
だけど、「似てる」事には間違いない。
 その為には「あの瞬間」しかないんです。
 高峰秀子さんの渾身の演技と成瀬監督の見澄ましたような完璧なタイミン
グ、この二つの奇跡のような相乗効果が、作品を「名作」、「傑作」の域に押
し上げる一つの要因になってると僕は思いました。

 突然、ぶった切るような終わり方が効果的だった作品に黒澤監督の「天国
と地獄」も有ります(「どん底」の方が唐突感が強いけど)。
 でも「天国と地獄」の場合、話のリズムでトン・トン・バシャな感じが有って、
「乱れる」に較べて技巧を感じます。
 「乱れる」にしてもテンションが持続するギリギリほんのチョット手前の所で
終わらせる、という技巧が入ってるのでしょうが、「天国と地獄」より無作為、
無造作な感じがして技巧なんか感じさせません、それでいて終わる「瞬間」が
コンマ1秒も狂っていないんです。
 フィルムの「編集」に関しては「世界の誰にも負けない」と自負していた黒澤
監督をして、「成瀬さんの編集は凄い」と言わしめた実例の一つなのかもしれ
ません。
 それと、もう一つ。
 「天国と地獄」は「終」の文字が浮かんだ後、F・Oを使って哀感、やるせなさ
を強調するのですが、「乱れる」は、そんな情緒的な事は一切しないんです。
 その辺も、僕は完全な「黒澤派」なのですが、「やられた!」と感じました。

 しっかし、ホントにとんでもない所で終わる作品、成瀬さん「鬼」だ。(笑)
コメント (2)
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「乱れる」

2013-09-24 23:54:46 | 邦画
 「人に言えない観てない」シリーズ、果てしなく続行中。(笑)
 9月23日に観た作品は、「乱れる」、「大人は判ってくれない」
 どちらもラストは走って走って、そしてラストカット。
 「大人は~」の先に見えたものは未知の広い世界、しかし本作の礼子に見えた
ものは、それと正反対の世界でした。

 「乱れる」(1964年・日本)
   監督 成瀬巳喜男
   脚本 松山善三
   撮影 安本淳
   照明 石井長四郎
   音楽 斉藤一郎
   出演 高峰秀子(礼子・長男の嫁(36歳))
       加山雄三(浩司・次男(25歳))
       草笛光子(久子・長女)
       白川由美(孝子・次女)
       三益愛子(浩司、久子、孝子の母)

 静岡県清水市、ここで酒屋を営む礼子。
 戦争中に結婚、わずか半年の夫婦生活の後、夫は戦死。終戦直後に義父も亡
くなり、以来、彼女一人で焼け跡のバラックから酒屋を再建し、義妹、義弟達を一
人前になるまでに育てる。
 婚家の為に身を粉にして来た事に何の疑問も感じなかったが、最近、気に掛か
る事が二つ有った。
 一つは、近くに出来たスーパー、そのお陰で商店街に暗い影が差し始め、酒屋
の売り上げも落ちるばかり。
 もう一つは、大学を出たのにブラブラしている義弟、浩司の事、何とか真面目に
仕事をして母親を安心させて欲しいと願うが、礼子の言葉をはぐらかすばかりの
浩司。
 そんな時、浩司は義兄の協力を得て酒屋からスーパーへの転換を計画する、只、
女手一つで店を支えてきた礼子の処遇が問題になってきてしまう。
 女性問題で礼子からなじられた浩司が礼子に、思いもかけない告白をした時か
ら、平穏だった礼子の心は千々に乱れ出す・・・。
 

 どうも圧迫感のあるヨロメキドラマは苦手の部類なのですが、1時間近く経ってか
ら始まる怒涛(?)の展開と意外な結末、そして邦画史上、特筆されるだろう高峰秀
子さんのラストカット。
 もう、この時の高峰秀子さんの表情を見るだけでも絶対、価値のある作品。
 僕の名ラストシーン、ベスト10には確実に入ります。
 誰もが言うように、礼子と浩司が清水を出て山形・庄内へ向かう道中から格段に
映画が良くなるのですが、途中一泊する銀山温泉の朝から始まるラストシーンは何
とも言えないくらいの名シーンでした。
 もう、この時の高峰秀子さんは凄い。
 「浮雲」で彼女の凄さを始めて知ったのですが、この5分位のシーンのインパクト
も相当なものでした。
 (列車道中の時から、秀子さんの演技は素晴らしかったのですが、それさえも、こ
のシーンの為の助走にすぎなかった気さえします)
 朝の温泉街。ふと目に止まった浩司と4人の男。
 驚天動地のまま宿を飛び出し、必死に後を追いかける礼子。
 男達は、まるで雲の上を進むような速さで進んで行く、必死に走る礼子。
 幾ら走っても追いつけない礼子が急に立ち竦み、礼子のアップに切り替わる。
 貞淑な未亡人の殻を破る事が出来なかった礼子が、初めて見せる「女」の表情。
 絶望、後悔、哀しみ、雁字搦めからの哀しい解放、言葉に出来ない無限の思い。
 そして、自分の人生が、今、「終わった」事の自覚と虚無。
 本当にこの時の高峰秀子さんの表情は凄い、「顔芸」だろうが何だろうが、こんな
表情が出来る女優さんに初めて出会った気がします。
 「日本一の映画女優」と言われている事に、心から納得できました。
 作品的には「浮雲」の方が上だと思うけど、このラスト30分は価値ある時間でした。
 (但し、好き嫌いで言えば「乱れる」の方が好き)

 また、相手役の加山雄三が、これまた良い(笑)んです。
 「赤ひげ」の加山雄三も良かったけど、あの役は加山さんのキャラクターを利用し
て最大限の魅力を引き出してるんですよね(一種の下手ウマ)、ここの加山さんも若
干、天性のキャラクターを土台にしてるけど、こちらの方がずっと演技していて浩司
という人間を創り上げています。
 (成瀬、黒澤に鍛えられたのに勿体ない・・・)
 二人は、プライベートでも昔からの顔なじみで、加山雄三が子供の頃から「お姉ち
ゃん、お姉ちゃん」と慕っていたとか。
 うん、これじゃキス・シーンなんて出来ません。(笑~元々、この作品にキスシーン
が有ったらマズイ)
 打算的な長女を演じた草笛光子、チャッカリの次女を演じた白川由美、流される
だけの母親(お母さんがシッカリしてたら、こんな事にならなかったのに)を演じた三
益愛子、それぞれに素晴らしい演技でした。
 浜美枝、「ウルトラQ」の西条康彦も役柄にピッタリ、下手な役者は居ません。

 中盤までに限れば経済問題付きの「東京物語」の雰囲気が有ります。
 草笛さんが杉村春子、白川さんが大坂志郎の役回り、で、秀子さんが原節子だっ
たり笠夫婦だったり。
 「最後の話し合い」が終わると、そそくさと姉妹が実家を出て行くシーンなんて「東
京物語」の葬式後のシーンみたいでした。(笑)

 しっかし、成瀬監督の作品。2本観たけど、何でか知らないけど黒澤さんより、ず
っと疲れる。
 (多分、苦手な分野なのに上手いから、かな)
 「めし」は来年以降にとっておこう。(笑)

※一つだけ成瀬さん、失敗したんじゃないでしょうか。
 酒屋と米屋は昭和時代「専売」で守られてたから、スーパーの影響は他の業種よ
 り全然軽微だったはず。
 ウチの近くの酒屋さんは、殆んど、何軒もビル持ってます。
※名女優達にインタビューした「君美わしく」(川本三郎・著)という本で、「高峰秀子」
 の章に秀子さん自身が列車の中で蜜柑のエピソードを語っていますが、そんなシ
 ーン無かったですよ、秀子さん。(笑)
 蜜柑のやり取りは有ったけど、秀子さんが言うようなシーンはないんです、そうい
 シーンを撮ったのかもですが、フィルムを無駄にしない事で有名な成瀬監督だから、
 その線は薄いんですよね、多分、単なる記憶違いなのでしょう。
 二人の距離の変移は主に座席の距離で表してる、と思います。

コメント (6)
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「共喰い」

2013-09-22 23:03:27 | 映画感想
 「共喰い」(2013年・日本)
   監督 青山真治
   原作 田中慎弥
   脚本 荒井晴彦
   出演 菅田将暉
       木下美咲
       田中裕子
       光石研
       篠原友希子

何が言いたいのか良く解からない作品でした。
多分、「この世は支配と被支配の世界であり、そこを脱する手立ては少ない」辺りなんだと思います。
そして、それを立証する為、「血の遺伝(業)」を持ち出してくる。
(天皇制にまで飛躍する論理は苦笑するしかない~これで評論家ウケはするかも)
その「支配/被支配」の材料として、品性の欠片も持ち合わせてない獣性そのものの人物を創り出す訳ですが、
もう、この人間(主人公の父親)を観てるだけで反吐が出そう。
又、この父親と主人公に相対する為に出てくる四人の女が、「憎しみ」、「妥協」、「反抗」、「お金」を象徴したような存在、極めて図式的で面白くない。
(画的には愛人役の篠原友希子が好みのタイプだったのが唯一の救い)
「大人への旅立ち」>このテーマに於いても、似た雰囲気のある「祭りの準備」に遠く及ばないと思います。
何より、小さな町の限られた登場人物だけで展開されるので閉塞感に満ちていて、それを破る気概もないし深刻な悩みも感じられない。
完全にコップの中の嵐に過ぎないんです、それもネバネバの。(笑)
邦画特有の「4畳半物語」を大仕掛けにしただけの感じがしました。
主役の男の子(菅田将暉)がもう少し上手ければ、話に、もう少し説得力も出たんでしょうが、
演技が硬くて一直線で柔軟性と振幅がまるで無い、これがトドメの一撃。(笑)

政治的でデリケートな問題には本当は余り触れたくないのですが。
この物語、本来なら父親が獣性を発揮し、それが主人公に発覚した瞬間、主人公が父親を刺し殺すなり、絞め殺してしまえば、話はそこで終わりなんですよね。(それだけの事を平然とやったんですから~中身は違うけど「青春の殺人者」(親殺し)のような着地点だって有り得た)
でも違う展開にした。
そこで行われた構図は、「天皇制>家父長制>そこで虐げられる女性からの復讐」
(1950~60年代、進歩的文化人の金科玉条だった思想)
そして物語は「昭和最後の日」をラストシーンに持ってきてる。
そうである以上、触れたくはないけど触れざろうえない。
原作者や監督は「天皇制=暴力性の源泉」、と考えてるみたいですが、果たして、そんな単純なもので済まして良いのでしょうか。
ならば、こちらも単純に言い返しますが、王制にしても神政にしても、彼らが愛して止まない民主政府にしても、その内部に「暴力性」を内臓しているのは、天皇制と何ら変わる事がないし、ただ、それを利用・使用しようとする者と支持する多数の国民が居るだけの話。
人間の作り得ない「幻の体制」に身を置いて現実を糾弾するのは「お気楽」な身分だと、僕は思います。


※タイトルと「親子と女を巡る濃密なドラマ」のコピーから、「相姦モノ」だろうとの推測は持ってました。
 僕は、説得力があれば「相姦モノ」に倫理的拒否反応は無いのですが、下品極まりない獣人の所業など観たいとは
 思っていません。(そんなものAVを探せば幾らでも出てくる)
※狭い世界で話を完結させたいのは理解するけど、主人公の恋人の家族が物語に入ってこないのは、余りに不自然。
※演出は並、音楽の使い方は凡庸、強調点を使い過ぎ(つまりは下手)。

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「アイドルを探せ」

2013-09-08 02:00:56 | 映画感想
 中学2年だったか、神楽坂にある友人Sの家へ泊まりに行きました。
 12畳の自室というものを初めて見ました。(笑)
 翌日、帰り掛けにSが、
 「これ、やるよ」
 と言って呉れたのがポータブル・プレイヤーと5枚くらいのEPレコード。
 その中に、「悲しみの兵士」と「アイドルを探せ」がありました、どちらも歌ってるのはフランスのシルヴィ・ヴァルタンという女の子でした。
 このジャケットの写真が可愛くて可愛くて(笑)、完全に「一目惚れ」、多分、スターさんにハートマークになったのは、この人が最初、高1くらいまで夢中だったんじゃないかな。(笑)
 だから、僕が好きになる基準は彼女が殆んど作った気がします。

 映画「アイドルを探せ」(「Cherchez l'idole」1963年・仏 ミッシェル・ポワロン監督)は、フランス版の歌謡映画豪華版。
 S・ヴァルタン主演と書かれる事が多いのですが、それは完全な「嘘」。
 彼女は、多数のゲスト出演者の一人にすぎません、只、映画のテーマ曲は彼女が歌う「La Plus Belle Pour Aller Danser」(「舞踏会で一番綺麗なのはアタシ」~という夢を見てる乙女心を歌ったもの)で、これが映画の宣伝の為か日本では映画の題名が付いてしまい、ややこしい事になっちゃった。(笑)
 (「アイドル」という言葉は、この映画が広めた(日本用の意味だけど)~と思う)

 話は多分シャーロック・ホームズの「六つのナポレオン」をヒントにしたんじゃないでしょうか。
 女優ミレーヌ・ドモンジョの家から盗んだ5千万フランのダイヤを、逃げる途中、楽器屋のギターへ隠したのだけど、翌日、探しに行ったら売却されていて、しかも同じギターが5台あり、いずれも人気歌手の元へ行ってしまってた・・・。
 という話。(笑)
・S・ヴァルタンはゲストの一人に過ぎなく、大物のC・アズナブールも出ていて台詞もアズナブールの方が全然多いのだけど、彼女のシーンが一番アップが多いし、綺麗に撮ってる(場所も名門オランピア劇場だし)。
・アップが多いから、すきっ歯が思い切り目立つ。(笑)
 でも、その「すきっ歯」さえも、顔立ちとキュートな表情で魅力的に見えてしまう。
・彼女21歳で、この映画でも共演?してる、これまた男側のトップ・アイドル、J・アリディと結婚しちゃうんですよね。
 日本で言えば百恵&友和みたいな感じですが、友和では数段落ちます。百恵が21歳で矢沢栄吉と結婚したようなもん。
 さすがフランス、ビジネスよりアムール優先。(笑)

 映画はフレンチ・ポップスに馴染みが有れば、飽きずにみていられます(コメディ・タッチだし)。
 でも、出演者に興味がないと辛いかもしれません。

 Youtube「アイドルを探せ」
 すきっ歯の女王にご興味があれば、どぞ!
 http://www.youtube.com/watch?v=wRnD0_HufDw

※彼女、結婚後、2度交通事故を起こし、特に2回目の貰い事故では顔の損傷が酷く当時の最先端の技術で形成手術しました。
 だから、以前より表情がキツクなってしまったし、ちょっと人工的な感じがする事があります。
 でも、事故後も長い間、ジャケットの写真は事故前の写真が使われていたんですよ、見事に騙されて(笑)しまいました。
※各歌手が歌うシーンは、全てレコードに合わせた「口パク」。
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「ボギー!俺も男だ」

2013-09-02 01:09:46 | 映画感想
 原題「Play it Again, Sam」から解かるように、「カサブランカ」のパロディみたいな
作品。
 (イルザがリックの酒場でピアノ弾きのサムに再会した時、サムに「As time go
se by」をせがむ時の台詞「Play it Sam」をもじった)
 W・アレンとD・キートンの映画初共演作。 

 「ボギー!俺も男だ」(「Play it Again, Sam」1972年・米)
   監督 ハーバート・ロス
   脚本 ウッディ・アレン
   出演 ウッディ・アレン
       ダイアン・キートン
       トニー・ロバーツ

 ボギーに心酔してる映画評論家のアラン(W・アレン)は、突然、妻に逃げられ
てしまう。
 友人のディック(T・ロバーツ)&リンダ(D・キートン)夫婦は、そんな彼を励まし
新しい女を紹介していく。
 ボギーの幻に「女の扱い方」を伝授されながら奮闘するアラン、しかし、そんな
古典的手法が現代に通じる訳もなく・・・。

 1974年5月に名画座で観て以来の再見。
 う~ん。もうちょっと面白かった気がしてたんだけど。
 W・アレンの脚本が演出より勝ったと言うか、H・ロスのスマートさが消えてる気
がします。
 こんなスチャラカ系のギャグが多い作品とは思ってなかった。
 アレンの笑いってアクが強くてクドイ感じがして(この頃は特に)、スマートでセン
スの良い笑いが好きな僕のタイプじゃないんです。
 例外的に、この作品だけは好きだったんだけど、今見ると、ちょっと泥臭い。

 「カサブランカ」だから着地点は決まってて、そこへどうやって持っていくかが勝
負なんだけど、何か無理がある気がします。
 大体「カサブランカ」と言う作品は、リックとイルザ、特にイルザの心境の変化に
解かり難い所があるんです。
 それを、二人の雰囲気とバーグマンの美貌で誤魔化してる、と言えない事もな
い。
 僕はファンだから、イルザやリックの心境のゆらめきを推測していく楽しさがあっ
て、あれで充分と思ってますけど、説明不足と感じる人の言い分も理解できます。
 で、それを現代のW・アレンとD・キートンがやると、あの雰囲気のオブラートが
ないから、人物の書き込み不足が露呈して、凄く唐突な感じを受けてしまうんです。
 これは「パロディ」なんだと割り切って見ないと、何か底の浅いドラマにしか見え
ない。
 ドラマ自体に納得のいく深みがあって、尚且つ、それが立派にパロディとして成
立している、それが理想なんだけど、残念ながら、この作品、其処までは行けなか
った。
 僕は、そう感じました。

※40年前、この作品で初めてW・アレンとD・キートンを知りました。
※「カサブランカ」を観る前に、この作品を観てしまったんだけど、その時の方が面
 白かったのは何でだろう。(笑)
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