セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「吸血鬼ゴケミドロ」

2013-08-25 18:38:36 | 映画日記/映画雑記
 今年の「肝試し」企画は、これにしました。
 以前から、気になってた作品。
 1963年に作られた「マタンゴ」と双璧をなすと言われるトラウマ映画。
 

 「吸血鬼ゴケミドロ」(1968年・日本)
   監督 佐藤肇
   脚本 高久進
       小林久三
   出演 吉田輝夫
       佐藤友美
       高英夫
       金子信夫

 空飛ぶ円盤のせいで墜落した旅客機。
 不時着し生き残った者達は謎の宇宙生命体ゴケミドロに次々と襲われていく、
そんな中で生存者達のエゴがぶつかり合い・・・。

 かなり期待してたんです。(笑)
 けれど、昨日の疲れから、途中、眠くなりました。
 あの「額がパックリ割れて」がトラウマになるのかな、よく解かりません。
 う~ん、書く事が何もない・・・、困った。(笑)

・ヒロインの佐藤友美が色っぽくて、しょうがないから彼女ばかり見てました。
 でも、「マタンゴ」の水野久美には負けてる。
・額がパックリ割れてる所、卑猥で品が無い。
 よく「マタンゴ」とセットで上映すれば、という意見がありますけど、その二本立
 ては限りなく卑猥な気がします。
 (そういう連想をしてしまう自分が一番下劣~笑)
・ドン・シーゲル監督の「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(1956年~未見)の
 リメイク版「SF/ボディ・スナッチャー」(1978年・米・監督 フィリップ・カウフ
 マン)と似た所が有るのですが、あっちの方がずっと怖かったです。
 また、「人間のエゴイズム」なら「マタンゴ」の方が断然描けてると思いました。

 この作品のファンの方々、スイマセン。
コメント (4)
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「アンネの日記」(1959年)雑感

2013-08-12 21:56:45 | 外国映画
訂正 記事末尾に書いたWOUWOWの日時が間違えていました。
   (誤)8月24日(木)→(正)8月29日(木)
   申し訳ありません。
   Ocean3様、ご指摘ありがとうございました。

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 僕が洋画を見始めたのは、淀長さんの「日曜洋画劇場」から。
 PCで調べると1969年3月23日の「恋愛専科」が最初だったと記憶して
います。
 (話も面白かったけど(当時)、ヒロインのS・プレシュレットが綺麗だった)
 4月20日の「草原の輝き」、27日の「死刑台のエレベーター」、11月23
日の「魚雷艇109」(若きJ・F・ケネディの英雄談)も、この年に観たんだと
思います。
 で、初めて心から感動したのが11月30日にオンエアされた「アンネの日
記」でした。
 この頃は、家族全員でTVを観てたのですが、終盤、一番緊張が高まるシ
ーンでは、家族全員、息を詰めて観ていた記憶が鮮明に残っています。
 初めてだった事が理由の殆んどなのですが、今だ、この時の緊張感を越
える事は、その後の40年でも経験していません。
 この映画が、僕を「映画の世界」へ導く事になった大元だと、今でも思って
います。
 ちょっとセンチメンタル・ジャーニーなのですが、その映画を、44年後、初
めて原語版、カットなしで観てみました。

 「アンネの日記」(1959年・米)
   監督 ジョージ・スティーブンス
   原作 アンネ・フランク
   脚本 フランセス・グッドリッチ
       アルバート・ハケット
   撮影 ウィリアム・C・メラー
   音楽 アルフレッド・ニューマン
   出演 ミリー・パーキンス
       ジョセフ・シルドクラウト
       リチャード・ベイマー
       シェリー・ウィンタース

 この映画について、原作とかけ離れ綺麗事に終始している。
 或いは、アンネの悲劇をハリウッド流の甘い物語、青春物語にしてしまっ
たという批判があります。
 確かに元になったのは、昔、流通していた父オットー・フランクによる検閲
済みの「アンネの日記」で、‘80年頃から出回った検閲無しの生々しい「ア
ンネの日記」の世界とは違うかもしれません。
 また、映画の登場人物に現在の映画のようなリアリティを求めるのは無理
だった事を差し引いても、飢餓、髪の毛のカール、ポマード等、不自然な所
が多々有るのも事実だと思います。
 でも、僕は思います。
 「アンネの悲劇」の世界へ導くには、これで充分じゃないかと。
 もっと詳しく知りたければ、「アンネの日記」を読めばいい事だし、更に進め
て、当時の時代背景を知っていけば、「アンネの悲劇」も「戦争の無情」、「戦
争が起きれば人はどう変わるのか」も身近に感じる事が出来るし、それでも
「戦争を止める事が出来ない人間という生きもの」についても考える事が出来
ると思います、その「切っ掛け」を人に与える事は、この映画でも充分に役割
を果たしていると僕は思うし、映画を観た後の事は個人々々に委ねればいい
んじゃないでしょうか。

 映画は解放されたオットー・フランクが隠れ家へ戻って来た所から始まり、
日記を手に回想という形で進みます。
 ヒロインのアンネには新人のM・パーキンス、最初の企画ではA・ヘプバー
ンだったようですが彼女自身の体験から断られ、回ってきた役。だからなの
か、オードリーに似た雰囲気があります。
 実在のアンネより、かなりの美人ですが、彼女のもつ汚れのない清純さが、
この悲劇を、より強く心に訴えるものにした、と僕は思っています。(只、昔の
E・テーラーみたいな付け睫毛は、ちょっと・・・(笑))
 相手役のペーターには、「ウェストサイド物語」前のR・ベイマー。ちょっと体
格が良すぎるのが難点だけど、ソツ無くこなしてたと思います。
 他に、オットー役のJ・シルドクラウト、ファン・ダーン夫人のS・ウィンタース、
歯科医を演じたE・ウィン他、皆、好演で、それぞれ印象に残りました。
 
 この映画、各サイトで上映時間150分となっていますが、実際は179分(序
曲と終曲を含む)。
 その3時間の殆んどが屋根裏の狭い空間に限定される、非常に閉塞感の
ある作品なのですが、その限られた空間で3時間の長丁場を持たせたJ・ス
ティーブンスの腕前も、絶頂期とはいえ見事なものだと思いました。
 名作なのか秀作なのか、前述したように「思い入れ」の強い作品なので、余
り客観的になれないのですが、僕の中では昔も今も名作の部類だと思ってい
ます。

※DVDパッケージは彩色してありますが、モノクロ作品です。
※「~洋画劇場」では、殆んどの作品が放映時間に納まるようにカットされてる
訳で、そういう作品を映画館で見直すと、長くなる分、若干、ダレを感じる事が
多いのですが(「みじかくも美しく燃え」、「大陸横断超特急」、「誓いの休暇」etc)
、この作品、1時間近く初見より長くなってる筈なのに、ダレを感じる事が殆ん
どありませんでした。
 でも、やっぱり3時間は疲れるかも。(笑)
※TVで観た時、二人のキスシーンはアムステルダム空爆の中、サーチライトの
光に照らされてだと思ってたら、違ってた(笑)、でも、ノルマンディー上陸後、街
路(橋のたもと)から屋根裏を凝視してる労働者風の男、というシーンは確かに
有ったと思うんだけどなァ、これも記憶違いなのだろうか。
※僕はユダヤ陰謀説とかフリーメイソン陰謀説とかは信じてないのですが、この
作品、それ程有名な訳でもないのに、ビデオの時代から、何処のレンタル屋に
行っても有る、何故なんだろう。(笑)

(告知):8月29日(木)AM4時より、WOWWOWにてオンエア予定。
    (クドイようですが、3時間の作品です)

 
コメント (8)
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「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」

2013-08-04 00:11:47 | 外国映画
 この歳になって、こういうタイプの映画に反応する感性が残ってるのか、
観る前は、かなり不安でしたが、まァ、何とか反応する事が出来たみたい
でホッとしています。

 「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」
  (「Before Sunrise」1995年・米)
   監督 リチャード・リンクレイター
   脚本 リチャード・リンクレイター
       キム・クリザン
   撮影 リー・ダニエル
   音楽 フレッド・フリス
   出演 イーサン・ホーク
       ジュリー・デルピー
 
 人が恋に堕ちる時間を見事に描いた作品。
 なのに、この映画、「会話劇」なんです。
 戦闘的要素の有る「会話」を主体にすれば、本来、甘いストーリーとは水
と油に近い関係になってしまうのですが、二人の甘い雰囲気を損ねる事無
く、恋愛劇の中に会話劇を埋め込んである、これは相当のセンスがないと
出来ない事だと思いました。
 しかも、この映画、恋愛映画に付き物の音楽を殆んど使っていません、殆
んど臨場音だけで、音楽の印象が残るのは視聴室のシーンと早朝のハープ
シコードの音色くらい~でも、それほど映画音楽として使っていない(特に後
者)~、この二つを除けば、僕が気付いたのは唯一、夜、人気のない民家の
軒下で語らうシーンだけ、でも、もの凄く小さい音なんです(笑)。
 (別れた後のエピローグ部分は別)
 それなのに、これだけ雰囲気が出せるのですから、素直に脱帽です。

 大体、会話劇を展開させると「理屈」に行っちゃうんですよ(その方が楽だ
から)、でも、この映画、最低限に必要なだけなんです「理屈や哲学」は、話
してる事は本題の外周部ばかり、ボクシングに例えれば完全なアウト・ボク
シング、ファイティング・ゾーンの外周部を周りながらヒット&アウェイで撃ち
合ってる、観てる最中は「それ」に知らず知らずの内に染まっちゃうから、8
R辺りで急に接近戦(電話ごっこ)になった時、「おお~!!」となって凄く印
象に残る。(笑)
 上手いですねぇ。(どっかで接近戦にならなかったら、「金返せ」ですけど
~笑)

 でも不思議なんです、これはリンク先様の宵乃さんに指摘を受けたのです
が100分中90分は喋り合ってるのに、観て時間が経つと手術時の縫合糸
みたく「会話」が溶けて消えてしまうんですよ。充分に考え抜いた含蓄のある
台詞も一杯有ったのに、記憶の彼方へ薄らいでいってしまう。
 で、その後に残るのは「恋に堕ちていく二人の映像と雰囲気」だけ。
 これが意図的にやったマジックなら殆んど天才的だし、単に映画の神様が
微笑んだのだとしても、「微笑む」だけの総合力が有ったという事なんだと思
います。

 50半ばをとっくに超えたのに、今更、男と女のホレタハレタ映画に、これほ
ど感銘を受けるとは自分でも吃驚。要は相変わらず幼いって事なのかもしれ
ません。(笑)
 (後述しますが、こういうタイプ(「会話劇」という意味ではない)の恋愛映画に
僕は弱いという事が解かりました)
 
 本来なら2部作の後編「ビフォア・サンセット」を観てから記事にすべきなので
すが、本作の印象が強く、又、暫くの間、この余韻を噛み締めていたいので、続
編を観ずに書いてしまいました。

 (ちょっと「遊び」を)
ラウンド    採点(ジェシー:セリーヌ)   寸評
1R(列車内)  10:9     ジェシーの連続ジャブ、セリーヌ戦術的後退も印象点でジェシー
2R(市電内)  10:8     セリーヌ、ジェシーに、いいようにあしらわれる
3R(観覧車)   8:10    ジェシーの攻撃に合わせるようにセリーヌのクロス・カウンターがクリーンヒット
4R(占い師)  10:10    セリーヌ占い師を味方に攻勢を掛けるもポイントまで行かず
5R(詩人)   10:9     セリーヌちょっと前のめりでスリップダウン、印象点でジェシー
6R(クラブ)   9:10    セリーヌ、ジェシーの堅いガードを突破
7R(軒下)   10:10    序盤はセリーヌ、終盤はジェシー、お互い距離を見極める
8R(カフェ)    8:10    突然の接近戦、激しい打ち合いも、終始、セリーヌが主導権を握る 
9R(船上)   10:10    接近戦の後の様子見、セリーヌ優勢なるもポイントに届かず(アデューじゃなくオヴォアールなんだよね)
10R(公園)   7:10    引くと見せかけたセリーヌに油断、強烈なパンチにジェシー最初のダウン
11R(朝)    10:10    何事もなく・・・
12R(ホーム)  7:10    我慢比べに負け、ジェシー白旗
       (109:116)  セリーヌの12R、KO勝ち(笑)

※早朝、関係の進展をセリーヌのTシャツ1枚で見せたのも上手い。

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 R・ワイズ監督「ふたり」(1972年)との相似

 この作品、マミイさんに教えて頂いたのですが、「ふたり」という映画との関連
からでした。
 確かに、このニ作品、共通するものが多いと思います。
 異国で出会う二人、列車、夜の街並み、刻限の切られた恋、どちらも二日間
の物語(「ふたり」の場合、厳密に言えば3日)。

 「ふたり」は1972年という極めて限定的設定が効いた物語(現在でも「イラク
戦争」を使えば使えない事はないけど、当時とは時代的空気が違う)。
 それと比べ、「恋人までの~」は時代、場所を選ばない普遍性を持つ映画。
 ただ、「恋人までの~」と違い、続編を作れない「ふたり」には「切なさ」と「やる
せなさ」があると思います。

 よく似た作品ですから、「恋人までの距離」を好きな方は、「ふたり」を観てみる
のもいいかも。
 (でも、「ふたり」って大林さんのばかりで、ワイズさんのは超マイナーなんです
よね・・・)
 

   
コメント (6)
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