セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「のぼうの城」

2012-11-18 10:12:55 | 邦画
 「のぼうの城」(2011年・日本)
   監督 犬童一心
       樋口真嗣
   原作・脚本
       和田竜
   美術 磯田典宏
       近藤成之
   出演 野村萬斎
       佐藤浩市
       榮倉奈々 成宮寛貴
       前田吟  鈴木保奈美
       山口智充 
       
 TOHOマイレージのポイントが貯まってたので行って来ました。
 これは意外な拾い物、思った以上に面白かったです。
 娯楽時代劇として水準以上の作品。
 勲功第一は主役 「のぼう」こと成田長親を演じた野村萬斎でしょう、彼が居
てこその映画。
 第二は主役を引き立てた佐藤浩市、第三は忍城を上手に再現してみせた美
術陣。
 前田吟、奥方様を演じた鈴木保奈美も好演、犬童一心の演出も手堅かった
と思います。

 以下、「面白い作品」という評価は変わりませんが、「ここは、ちょっと」という所。
・合戦を綺麗事ではなく「リアルに」と言う意図は解りますが、そんなにスプラッタ
ーしなくてもいいんじゃない。
 佐藤の一騎打ちのシーンは兎も角、和泉守(山口)の力自慢のシーンはねぇ、
「ソルジャー・ブルー」思い出したし、やり過ぎ。(リアルと言うなら、そんな事を敵
前で披露してたら弓矢の的~笑)
・この作品、それがサービスだと思っているのか「やり過ぎ」が目立ちます。
 堰を切って水を入れるシーンなんて最たるもの。
 今は大雨で土手が切れるシーンなんてニュース映像で散々見てるんだから、あ
んなダムが決壊したような水の押し寄せ方なんて嘘丸見え(実際の秀吉が行った
備中高松城攻めだって、最初は周りが泥田になっただけ)、ああいうのは白けま
す。
 第一次攻撃の際、石田方(長束隊)の鉄砲の着弾、あれでは鉄砲でなくてショッ
ト・ガン。大袈裟にすればいいってもんじゃない。 
 樋口真嗣、他作品でいろいろ言われてたけど、納得しました。(日光江戸村に
でも転職したら。「日光江戸村に失礼だけど)
・榮倉奈々の姫が酷い。
 僕は「隠し砦の三悪人」で上原美佐さんの演じた「雪姫」が、どうしても「姫」の基
準になるから、ハードルが高いのは自覚していますが、それにしても酷い。
 一城の姫という気品がまるで無い、あれでは、せいぜい豪農のオテンバ娘にし
か見えません、気が強く、お転婆だっていいんです、でも、にじみ出る気品がなけ
れば「姫」じゃない。(外国で言えばヘプバーンの王女は、いくら「お茶目」をやって
も王族の気品がありました)
 姫に気品が無いから、ラストシーンに哀切感が出ず、凄く勿体無い事になってます。
・その姫が剛勇の家臣を投げ飛ばす所、幾ら原作にあるからって、その通り(多分、
原作にそんなシーンがあるんだと思う)やる事じゃない、あれではマンガ、これは映
画なんですよ。
 一度なら油断という言い訳も出来るけど・・・、雪姫だったら、幾ら取り乱したとし
ても絶対、家臣に、そんな「恥」を掻かせるようなマネはしない。
 映画は映画で表現して下さい。
・もう一つ、同じ意味合いで成宮寛貴も場違い。
 眉目秀麗なのを一人入れないとアカンのでしょうが、やっぱりアカンです。
・まぁた歌。
 エンディングに掛かる「いつものやつ」なんだけどさ、「必死剣 鳥刺し」の時も雰
囲気ぶち壊しで、「かくしとりでのさんあくにん THE LAST PRINCESS」だって散々、
今回も例に漏れず。
 映画とコラボしてヒットした曲なんて最近皆無なんだから、いい加減目を覚まして
自分達の映画を大切にしてくれ!

 と、いろいろ書きましたが、肩の凝らない面白い時代劇でした。
 スプラッターが苦手な方は、その辺だけ目を瞑ってて下さい。(笑~大体「来るぞ
!」って解ります)
 ナンか自分でもビックリな「怒涛の週末」が続いています。(笑)

※いやぁ、大声&早口の時は「何言ってるか解らない」
 それって「黒澤映画」の定番じゃない。(笑)
 「慣れ」なのか、黒澤映画の台詞で「何言ってるか解らない」というのは、僕は殆
 んどないのですが(聞き取り難いのは確かだけど)、この映画では、そんな僕で
 も「解読」出来なかった。
 なあんだ、三船さんが悪いんじゃなくて、「大声&早口」で言えば、みんな変わら
 ないじゃん。(笑)
 これは感覚的な事なので解り難いと思うけど、黒澤さんの台詞って(時代劇の場
 合)1センテンス、1センテンスが角張ってるから、ちゃんと指が引っ掛かって掴
 めるんだけど、今の役者さんが喋ると一つの台詞が途切れる事なく滑らかに流
 れて、ニュルニュルの「うなぎ」状態で掴み所がないもんだから、一度、解らなく
 なるとアウトでした。(笑)

(11.21 訂正)
 原作は「マンガ」でなく「小説」でした。
 その部分を訂正しました。
 原作者の和田竜さん、既に読んで頂いた方、申し訳ありませんでした。
コメント (2)
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「アーティスト」

2012-11-11 19:42:33 | 外国映画
 「アーティスト」(「The Artist」2011年・仏)
   監督 ミシェル・アザナヴィシウス
   脚本 ミシェル・アザナヴィシウス
   撮影 ギヨーム・シフマン
   音楽 ルドヴィック・ブールス
   出演 ジャン・デュジャルダン
       ベレニス・べジョ
       (アギー)
       ジェームズ・クロムウェル
       

 「やはり野に置けレンゲ草」
 勲章が邪魔になる映画もあるんですね。
 この映画は「アカデミー賞」とか「カンヌで注目」等、余計な事は頭から追い出
し、純粋に映画を楽しんでただろう戦前の観客になった積りで観る事をお薦め
します。
 映画好きが集まってオシャベリしてる時、ふと誰かが「そう言えば「アーティス
ト」って映画あったよね、あれ、何か大した事ないんだけど、好きだったなァ」
 「あ、俺も、あれ好きだった」
 「私も!あの駆け出しの女優さんが、スターの服に片腕通して抱かれてる夢を
見てたシーン、憶えてるわ」(これ、チャップリンの何かの作品のバリエーション
な気がする)
 そんな位置取りの作品。
 内容は、芸達者達に支えられた極めて「昔風」の、でも、とってもハート・ウォー
ミングな小品です(F・キャプラみたく、みんな良い人だけど)、小難しい事を考え
るのは野暮だと思います。

 サイレントの大スター、ジョージ・ヴァレンティンは、ふとした切っ掛けでエキスト
ラ女優に過ぎないぺピー・ミラーと気心が通じ、彼女に或るアドヴァイスを贈る。
 やがて時代はサイレントからトーキーへ。
 サイレントに固執するヴァレンティン、彼のアドヴァイスで徐々に上昇、トーキー
にいち早く飛び込むぺピー。
 大スターになっても、昔受けた恩義と、密かな愛情を持ち続けるぺピー。
 そんな二人の物語。

 ぺピーを演じたベレニス・べジョという女優さんが、まず、いいですね。
 アップになった瞬間、「あ、この人がこの映画のヒロインだな」と一発で解る存
在感が有ります、決して、美人中の美人という訳ではないと思うのですが、とて
も魅力的です。
 このぺピーの個性と輝きを上手に受けとめてるのが、ヴァレンティン役のジャ
ン・デュジャルダン(上映前の予告編にジャン・ヴァルジャンが出てきた~笑)、
落ちぶれて自堕落、惨めな生活をしていても、どこかにスターだった気品を残し
てる、しっかりした演技を披露しています。

 実は、この映画、詳しくは語れません。
 この作品は昔のいろんな作品にオマージュを捧げてる、それは感じられるん
ですけど、それ以上が解らない。
 サイレント映画に詳しくないんです、僕が観た数本のサイレントは全部「喜劇」、
違うタイプのサイレントは観てないので比較しようにも出来ない。
 僕が解ったというか感じたのは、男優に「多分、ダグラス・フェアヴァンクスが
入ってる」、女優の出世作のポスターってグレタ・ガルボのに似てる、この二点
はパンフレットに出てたから「間違い」じゃなかったようです。
 パンフレットによれば「街の灯」のシーンのオマージュも有ったようですが、こ
れは読むまで忘れてました(「街の灯」のシーンを)。
 ただ、話全体が「街の灯」を引っくり返して「ライムライト」を入れた、で、大枠は
「雨に唄えば」、という感じは受けました。
 サイレントに詳しい方なら、僕が感じる何倍も「面白さ」を感じられるのではない
でしょうか。
 あ、幾ら何でも、F・アステアとG・ロジャースくらいは解りますよ。(笑)

 とにかく、気軽に観て欲しい作品です。
 一つ忘れてた!
 向こうのプロの犬は、いつ見ても「大したモンだ!」
 でも、「恋愛小説家」>「アーティスト」(笑)

※途中、ヴァレンティンがトーキーに対する恐怖感を表現するシーンがあります。
 ここ、サイレントでなくトーキー(実際音)にしてるんですよね、何とかサイレント
 で音を感じさせる工夫をして欲しかった(部外者だから気軽に言えるんで、実
 際、難しいことは理解してる積りですけど)。
 その方が、ラストに対して「より効果的」だったと思うんです。
※J・ギールグッドに似た「お抱え運転手」の人。
 「ええと、何処で見たんだっけ」と思ってたら、「L.A.コンフィデンシャル」のラス
 ・ボスでした。(笑)
コメント (4)
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「チャンプ」

2012-11-04 23:19:36 | 映画日記/映画雑記
 「チャンプ」(「The Champ」1979年・米)
   監督 フランコ・ゼフィレッリ
   脚本 ウォルター・ニューマン
   音楽 デーヴ・グルーシン
   出演 ジョン・ヴォイド
       リッキー・シュローダー
       フェィ・ダナウェイ

 この作品、観てると思ってノートを調べたら観てませんでした。
 何か、頭の中で「ジョーイ」と混同してたみたいで、「チャンプ」のポスターは
ハッキリ憶えているんですが、そのポスターのタイトルが何故か「ジョーイ」(笑)、
昔の記憶は怖いです。

 この作品、世間の垢だらけになってしまった人間には・・・。
 F・ゼフィレッリですから、しっかり作ってはいるんですが(善人ばかりという
のは、この人の特徴かも)、いかんせん結末の付け方が大人から見ると受け
入れ難いんじゃないでしょうか。
 (製作当時はあれで良かったのかもしれませんが、現代では中々通用しな
いと思います~ストーリ的にも、いったい何時、世界ランクに入るだけの試合
をこなしたのか不明だし)
 
 ビリーとアニーの納屋での最後の会話の後。
 
 (短いシーンを音楽で流していく)
 夏が終わり、フラミンゴ達が少しづつ群れを作って飛び去っていく。
 今迄の生活に決別したビリーが厩舎で一生懸命働いている。
 夕方、ジムでジャッキーの助手になり練習相手のバイトに励むビリー。
 夜、TJの貯金箱よりずっと大きい同じ形の貯金箱に、TJと顔を見交わし照れながらバイト代を入れるビリー。
 最後のフラミンゴの群れが飛び去って行く。
 厩舎で働いてるビリー。
 TJ学校で授業中、友達とふざけながらも真面目にノートを取っている。
 学校の帰りジムへ直行、チャンピオンを目指せるボクサーの練習台になってるビリー
 TJ、ジャッキーとはすっかり顔なじみになってる。
 (また時が少し過ぎ)ビリー、ジムの帰り道、昔の馴染みと顔合わせる、男が渋るビリーの腕を掴むように酒場へ連れていく、店のネオンを見て足が動かなくなるビリー、二人言い争いになるが振りほどくようにビリーが立ち去る、罵声を浴びせる男。
 再び、フラミンゴの群れがやって来る。
 練習台になってたボクサーのチャンピオン戦、セコンドに立つジャッキーとビリー、傍らにはTJ
 苦戦
 互角
 エキサイトするジャッキー、ビリー、TJ、その顔が「やった!!」に変わる。
 家のベットで寝てるTJ

ビリー「おい、起きろ!」
TJ眠そうな目を開く
TJ 「チャンプ、どうしたの?」
ビリー「いいから、こっちへ!」
テーブルの上には馬の形をした貯金箱
ベットから出て来たTJの前で、貯金箱をハンマーで叩き割るビリー
ビリー「一緒に数えよう」
二人、夢中になって札や小銭を整理してる
ビリー、札を手にして「3,800$」
TJ小銭の山を数えながら「1365$20¢」
ビリー「馬が買えるぞ、どうする?」
TJの顔が、みるみる内に喜色に包まれる
ビリー「今日、仔馬のオークションがあるんだ、一緒に行くか?」

(オークションの会場)
ビリー、指を指しながら気に入った様子、首を振るTJ
別の仔馬
TJ、父を見上げる、どこかに不都合があるのか、指を指しながらダメを出すビリー
また別の仔馬が歩いて来る
顔を見交わす二人
厩舎に仔馬を連れて戻って来る、仲間が祝福しながら取り囲む、ちょっと自慢気なビリー、仔馬から一時も離れないTJ

(再び音楽)
厩舎で一生懸命、馬の世話をする二人
ジャッキーと別にトレーナーを任され新人の相手になってるビリー
再び、フラミンゴがやって来る

(アニーの家)
アニー、手紙の束からTJの封書を見つける、急いで開封、表情が吃驚から歓びへ
手紙は競馬場への招待状

見渡す限りのフラミンゴの群れ

(競馬場)
TJとビリーの馬のデビュー戦
ビリーとTJに招待された人達がやって来る、ジャッキー、チャンピオン、そしてアニーと夫
4人(ビリー・TJ・アニー・夫)、何とはなしに微妙な雰囲気
ビリーがアニーに視線を送る
アニー、背が大きくなり正装したTJの前に少し腰を落とす
アニー「招待状ありがとう、こんなに嬉しい招待状は初めてよ、○○」(TJの本名何だっけ?~笑)
TJ 「今日はようこそ、お出で下さいました・・・、ママ」
アニー、思わずTJを抱きしめる
ビリー、二人から視線を上げ夫を見る
夫も優しい表情でビリーを見る
(F・O)

暗い画面にテロップ
「この日、TJは新馬戦のチャンピオン・オーナーになった、これはフロリダ州史上最年少の記録である」

(F・I)
 厩舎での記念写真
 馬の左右の手綱にビリーとTJ
 それぞれの後ろに厩舎の仲間、勿論、アニーと夫の姿もある
 写真をバックにエンド・クレジットが流れ出す
コメント (7)
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「赤ひげ」

2012-11-03 12:50:52 | 邦画
 「赤ひげ」(1965年・日本)
   監督 黒澤明
   脚色 小国英雄 菊島隆三 黒澤明 井出雅人
   原作 山本周五郎
   音楽 佐藤勝
   撮影 中井朝一 斉藤孝雄
   美術 村木与四郎
   照明 森弘充
   出演 三船敏郎 加山雄三 土屋嘉男 山崎努 頭師佳孝
       二木てるみ 桑野みゆき 香川京子 根岸明美 杉村春子

 僕は何度か書いてますが黒澤明と中島みゆきの信者です。
 「鰯の頭も信心から」、「だんだん良くなる法華の太鼓」
 まあ、信者というのは、その時点で、もう、一線を越えてますから、そうい
う人間の言う事は「言葉半分」と思って下さい。(笑)

 「男の黒澤、女の木下」、戦後を二分した両横綱のキャッチフレーズ。
 でも女を見る目はイメージとは正反対、黒澤はロマンティストで木下はリ
アリスト、木下さんの女を観る目は、恐ろしい程冷たく醒めている・・・そうで
す。(余り、木下さんの作品を観てないので何とも言えませんが)
 だから、木下さんに関しては「どうこう」言えないけど、黒澤さんのロマンテ
ィストぶりは解ります。
 「隠し砦の三悪人」の雪姫なんて、ロマンティストじゃなきゃ創れないです
よ、気品が有って凛として、さっぱりしていて優しくて、どんな泥の中に居て
も、清潔感と純真な心を失わず・・・、これが夢見るオノコでなくて何でしょう。
 あの殺伐としたブラック・ユーモアに満ち溢れた「用心棒」、捕虜交換の時、
子供の声にハッと顔を上げた時の司葉子の美しさとバックに流れる音楽、
よくまあ照れもせず出来るもんだと。本当に肝の座ったロマンティストです。(笑)

 この「赤ひげ」は黒澤監督の集大成と言われている作品。
 表の主役・三船敏郎、裏の主役・加山雄三、いつものように男臭い映画・・・
なんだけど、この作品くらい女優陣が奮闘してる作品はない、よくよく見れ
ば、男達は、この話の狂言回しやアクセントに過ぎず、それぞれの物語~
六助、狂女、佐八、保本・おとよ・長次~の主役は、おくに、狂女、おなか、
おとよの女性達なんです。(長次は反則!~笑)
 それが例え出番の少ない、画面に見えない「赤ひげ」こと三船敏郎が要石
となって重心をとっていたにしてもです。
 当時、黒澤監督自身が「自分の集大成の積りでやる」と公言していた作品
が、いつもと違って女優達の光輝く作品だったというのは面白い結果だと思
います。

 で、この作品には黒澤唯一とも言えるラブ・ストーリーが収められています
(初期の「素晴らしき日曜日」もラブ・ストーリーですが・・・笑)、これが、実に
ロマンティスト黒澤の面目躍如なんです。
 もう出会いのシーンから全開~大雪の降る中、大店「越徳」の前を足早に
通り過ぎる佐八に思わず声をかける「おなか」~こんな美しい雪のシーンは
観た事がありません。(これ白黒だから一層素晴らしいんです)
 実は、この作品を実際に観るまで、何年も雑誌のスチール写真で、このシ
ーンを見ていて「何て綺麗な写真だろう」とずっと思ってました、そのイメージ
が本当に強烈で、強烈すぎてスクリーンで観た時「写真の方が綺麗」と思っ
てしまったくらい。(笑)
 その雪のシーンに続くのが雪に覆われた田んぼの畦道、夕陽が雪に眩し
いくらいキラキラ反射して、それをバックに二人が「逢引」してる、このシーン
も会話の内容はともかく、二人を捉えてる画面が煌いてます。
 そして、何年か振りの運命の再会。
 浅草寺の「ほうずき市」の物凄い人出の中、偶然すれ違う二人。
 ふっと気が付いたまま通り過ぎ、申し合わせたように振り向く、そこへ一陣
の風が渡って一斉に風鈴が鳴り響く。
 まあ、普通の人がこれやったら石投げられますけど(笑)、話の骨格が浅
草寺の柱みたいに「太っとい」から、直球ど真ん中の剛速球でも思わず見惚
れて溜息が出てしまいます。
 大量の風鈴の後は、たった一つの風鈴の音が情感を高めます、浅草寺裏
の坂道での別れ、家に引き篭もる佐八、買ったまま放り置いてある風鈴、そ
の風鈴を家へ入って来た「おなか」が軒に吊るし戸を閉める。
 これだけ「男と女」の話を正面から描いたのは本当に珍しい。(原作がそう
なってるんですけど)
 この後は、もう一つの黒澤の一面、ダイナミックなシーンになり、舞い上が
る埃と黒い煙で霞む太陽をバックに「おなか」の印象的な独白、
 「・・・やっぱりそうだった・・・これが罰なんだ・・・私は、もう人の一生分も仕
合せにくらした・・・この地震が、区切りをつけろというお告げなんだ・・・うちの
人も、私がこの地震で死んだと思うに違いない・・・それで・・・けりがつく・・・け
りをつける時が来たんだ・・・」
 そして悲劇的なラストへと雪崩れこんでいきます。
 (この章の最後の句読点の「。」は、佐吉の残したたった一つの風鈴の音、
その先の朝日を浴びながら去って行く保本はエピローグと解釈していいと思
います)
 
 この「佐八・おなか」のエピソードは、「赤ひげ」という作品全体から見れば
確かに人が言うように長く、寄席でトリの前の人が「大ネタ」を語ってしまった
みたくバランスを崩してる感じがしないでもない。
 でも、この後の「保本・おとよ・長次」を一つのエピソードと考えれば「大ネタ
中の大ネタ」で、それに較べれば「佐八・おなか」は中ネタと言ってもいいくら
い、それに、これの前の「狂女」、「六助」のエピソードはそれほど長い話じゃ
ないから、短いネタと超大ネタの間に「佐八・おなか」くらいの長さの話が入っ
ても僕はいいと思います。
 それにね、この話、とっても好きなんですよ。(笑)
 切なくて、それなのにロマンティック、これ単独の「恋愛映画」だったとしても
秀逸。
 勿論、この後の「保本・おとよ」、「おとよ・長次」の話は大好きでタオル無し
じゃ観れないんだけど、それに負けないくらい、この二人が好きなんです、と
言うより桑野みゆき・・・がね。(笑)

※メイン・エピソードのヒロイン「おとよ」がドストエフスキーの「虐げられた人び
 と」のネリから来たように、このエピソードの佐八には同じドストエフスキーの
 「白痴」の主人公ムイシュキンが入っているような気がします。
※臨終間近の六助を演じた藤原釜足、素晴らしい演技でした。
コメント (3)
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