セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「みじかくも美しく燃え」(完全ネタバレ)

2011-03-10 22:49:30 | 外国映画
 「みじかくも美しく燃え」(「Elvira Madigan」1967年・スウェーデン) 
  監督 B・ウィデルベルイ 出演 ピア・デゲルマルク、トミー・ベルグレン

 作詞家の岩谷時子さんが付けた美しいタイトルの映画。
 この詩的なタイトルが評判良くて、似たようなタイトルの映画が幾つか出
ましたが、やっぱり、一番最初のインパクトが全てだと思います。
 原題は「エルヴィラ・マディガン」、女性の名前です。
 ヨーロッパ三大心中事件の一つだそうで、スウェーデンの陸軍中尉で伯
爵の称号をもつシクステン・スパーレとサーカスの綱渡り芸人エルヴィラ・
マディガンの「道行き」物語。

 昔、TVで放映した時、解説の淀川長冶さんが、
 「恋愛モノなんですけど、変わった作りの恋愛モノで、二人が出会って幸
せになるまでを描くのが普通なんですが、これは逆、最初が一番幸せで、
そこからラストへ向かって一直線に落ちていく映画」と仰ってましたが、当
に、その通りの作品。
 妻子あるスパーレ中尉が、サーカスのスターだったエルヴィラと激しく惹
かれ合い、遂に、家族も地位も名誉も捨てて駆け落ちしてしまう、映画は、
その駆け落ち直後から始まります。
 スウェーデンの短い夏が始まった頃、二人は野原でピクニックを楽しみ
ます、しかし、貴族の男は働いたことがない、手持ちの金も無くなり、忽ち、
困窮に陥る。
 さりとて、エルヴィラを働かす(見世物を演じる)のはプライドが許さない、
二人は遂に、手に手をとって・・・。
 確かに、タイトル通り「短かった」けど、美しいかどうかは・・・。
 でも、美しいんですよ、内容以外は。(笑)
 スウェーデンの短い夏を写すカメラの映像が、透き通るような感じで美
しい。
 ヒロインのエルヴィラ・マディガンを演じるピア・デゲルマルクが、知的で
清楚で美しい。
 (「伊豆の踊り子」もそうですが、当時の職業柄、「美人で清楚」というの
は信じ難いけど、野暮は言いっこなし)
 モーツァルトのピアノ・コンチェルト第21番・第2楽章の旋律が、画面と
素直に馴染んでいて美しい。
 すぐ話が横へいきますが、僕が始めて好きになったクラッシックの曲は、
これです。

 ピア・デゲルマルクは、この映画で世界中に強い印象を与えた人ですけ
ど、この後、2、3作出ただけで引退?しちゃいました、ちょっと残念です。
 だから、知らない人が殆どかもしれません、例えればスウェーデンのカト
リーヌ・ドヌーヴって感じでしょうか。
 まるで、この映画に出演する為に生まれて来たような人。
 北欧の淡い陽光の中、戯れに物干し場で「綱渡り」をする場面、ヒロイン
の無邪気さが良く出ていて好きなシーンです。
 そんな無邪気さの中に秘めた一途な心、自分が狂わせてしまった男の
運命に潔く殉じようとする一人の女性を、儚さを交えて好演してると思いま
す。

 (ここから、完全ネタバレです)
 この映画で一番有名なのは、最後の心中に至る場面だと思います。
 最後の持ち物を売った金だったか、エルヴィラが中尉の言い付けに背い
て酒場の男達に「綱渡り」の芸を見せて(綺麗な足も見せて)稼いだ金だっ
たかで、パンとワインを買い最後のピクニックへ出掛けるシーン。
 始めのシーンと同じく明るい日差しの中、野原で二人きりの昼食。
 ふとした弾みで零れるワイン、赤く染まっていくシーツ。
 やがて、察したエルヴィラが中尉の胸に顔を埋めて静かに目を閉じる。
 バスケットの底に隠した拳銃を取り出す中尉。
 銃口をエルヴィラへ向け、引き金の指に力が入る・・・、だけど、どうして
も撃てない。
 再び目を開くエルヴィラ、その前を蝶がヒラヒラと飛んでいく。
 つられるように立ち上がり蝶を追いかける。
 無邪気な笑顔を見せながら蝶と戯れるエルヴィラ。
 見つめていた中尉の手が動き出す。
 蝶を追いかけるエルヴィラが笑顔のまま、突然、ストップ・モーション。
 そこへ一発の銃声が被さる、画面はストップ・モーションのまま、やがて、
もう一発の銃声が響きわたりエンド・クレジットが流れ出す。
 内容は絶望的で悲惨なのですが、それを捉える映像は限りなく美しく、こ
のラスト・シーンを、観た人の記憶に残るものとしました。


※フランスで始まったヌーヴェル・ヴァーグが北欧に影響を与え、この作品
 が出来たとも言われましたが、そのヌーヴェル・ヴァーグがアメリカへ渡り
 「アメリカン・ニュー・シネマ」と名前を変え生まれた作品に「明日に向かっ
 て撃て」(ジョージ・ロイ・ヒル監督・1969年)があります。
 ストーリーは勿論、全然違いますが、ストップ・モーションに銃声が被さりエ
 ンド・クレジットという流れはそっくりです。
※ヨーロッパ三大心中事件のもう一つは、オーストリア=ハンガリー帝国の
 皇太子ルドルフと男爵令嬢マリー・ヴェッツェラの心中事件で、オマー・シャ
 リフ&カトリーヌ・ドヌーブで「うたかたの恋」(T・ヤング監督・1969年)とい
 う映画になっています。
 ただ、あと一つは残念ながら不明です。
 
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「太陽がいっぱい」(完全ネタバレ)極私的名ラストシーン第1位、おまけ、第3位「第三の男」

2011-03-09 23:17:07 | 外国映画
 少し前、第2位を書いたので、やはり、第1位も書かないと。
 その前に一つ、お断りを。
 このサイトの記事は確認しながら書いたものも有りますが、記憶だけで書
いたものも沢山有ります、だから、実際に見てみると違ってる場合も有ると
思います、その辺は、どうかご容赦を願います。
 今回は、その「記憶だけ」という方です。

 「太陽がいっぱい」(「PLEIN SOLEIL」1960年 仏・伊)監督ルネ・クレマン
 出演アラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ 音楽ニーノ・ロータ

 ニーノ・ロータの名曲と共に、アラン・ドロンの出世作としても有名な作品。
 監督のクレマンはドロンの起用に乗り気じゃなかったと伝えられるけど、や
はり、これはアラン・ドロンという役者が居てこその作品だと思います。
 アラン・ドロンという人の大きな特徴は、甘い端正なマスクと、その顔にこび
り付いて消えない育ちの卑しさ、それが或る種の陰となって女性の母性本能
をくすぐるんですね、そこが、そこら辺の掃いて捨てる程いる二枚目役者と違
う所です。
 この作品のドロンの役は、トム・リプレィという貧しいアメリカの青年で、金持
ちボンボン、フィリップの中学時代からの仲間という設定、フィリップの父親の
依頼で、遊び呆けてるフィリップを連れ戻す為にイタリアへやって来ます。
 仲間と言っても貧富の差が、そのまま力関係なので、トムはフィリップの子分
というか下僕のような存在。
 横暴な主君フィリップに唯々諾々と従いながら、いつしかトムはフィリップに対
し、ドス黒い野望を胸に秘めるようになります。
 それは、フィリップを亡き者にした後、彼に成り済まし、その財産を自分のも
のにしてしまう計画。
 まさに底辺でもがいていたドロンにとって、これ以上ない程ピッタリの役、トム
の姿は、そのまま当時のドロンそのものだったんじゃないでしょうか。

 フィリップという男は、自分の財力(親の財力)に引き付けられ寄って来たトム
を下僕のように扱う内に、自身の内側に有ったサディズムに目覚め、また、そ
れを使える相手としてトムを取り巻きの一員に選んだのではないでしょうか、そ
こには、同性愛の匂いもします。
 トムが胸に秘めていた計画を実行に移す切っ掛けは、フィリップのサディズム
が一線を越えてしまった、という事も有りますが、より多くの主因は「痴情のもつ
れ」だったと言えなくもない。
 フィリップにはマルジュ(M・ラフォレ)という婚約者が出来ます、マルジュに入
揚げれば入揚げる程、トムは邪魔になります。
 3人で出掛けたヨットでのクルージング、フィリップは狭いヨットの中という閉鎖
空間で当て付けるように、トムの前でマルジュと親密にします、まあ、その辺に
「痴情のもつれ」と解釈する余地が有るんですね。

 まあ、作品の斜め読みは止めにして、ラストの名シーンです。
 フィリップに成り済ましたトムは、彼の財産を横領し、更に悲嘆にくれるフィア
ンセまで篭絡して手に入れる事に成功します。
 完全犯罪の成立。
 南欧の、どこまでも明るい日差しが降りそそぐ浜辺で、ビーチ・チェアに横に
なり、成功の美酒に束の間酔いしれるトム。
 その口から、ふっと漏れる呟き、
 「太陽がいっぱいだ・・・」
 その時、ビーチの売店に背広姿の男が二人入ってきます。
 男達と売店のオバちゃんが、何やら言葉を交わしてる。
 (この辺から、あの有名なテーマ曲が流れ出す・・・だったかな)
 やがて、オバちゃんは決心したように外へ出て声を掛けます、
 「リプレィさん、電話ですよ!」
 ちょっと訝しげなトム。
 再び、オバちゃんの声。
 ビーチ・チェアから立ち上がり、売店へ歩き出すトム。
 固定されたローアングルの画面の中、立ち上がったトムが、こちらへ向かっ
て歩いて来て画面から出て行く。
 画面には、砂浜に残されたビーチ・チェアと、その向こうに広がる青い海とノ
ンビリ浮かんでるヨット。
 音楽が大きくなってFIN。

 この幕切れ感と、後に残る余韻が何とも言えずいいんです。
 まさに完璧!(笑)

 でも、この良さが解らない人が増えてるんですよねえ・・・。
 「何かモヤッとしてて、スッキリしない」とか言って。
 そういう人達って、トムが手錠を掛けられた後、車に乗せられ連れて行かれ
る、或いは、トムが気配を察して逃げ出し、刑事に撃ち殺される、そこまで観な
いと納得しないんでしょうか。
 これって、何から何まで書いてしまうハリウッド映画の弊害だと思います。
 ハリウッドという所は全世界を相手に商売してるので、世界中の子供から大
人まで、誰が見ても解るように作り、全てに答えを出していくのが基本なんです。
 悪い言い方をすれば、人の想像力をアテにしていない。
 そんなハリウッド・スタイルにどっぷり漬かってる人ほど、昔風の「曖昧さが多
い」映画は駄目みたいです、僕みたいな昔の人間にとっては、ちょっと悲しい事
です。

 ここから、ちょっと暴走します。
 僕から見ると、今の映画って飽きさせない事を主眼にするあまり、小さな山を
作りすぎてる、だから、人間も物語も深くならない。
 刺激と感動だけをウリにするから、派手な音響とスピード、それに撃ち合いと
爆発に偏るか、さもなければ、「お涙頂戴」モノばかり。
 日本なんて、絶えずどこかで「難病モノ」やってる、客を泣かせてナンボ。
 お客もお客で、「感動しました!」の馬鹿の一つ覚え。
 宮崎県民じゃないけど、「どげんせんといかん」と思いますよ。

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 第3位 「第三の男」(「THE THIRD MAN」1949年・英)
      監督キャロル・リード 出演ジョセフ・コットン、アリダ・ヴァリ、オーソ
       ン・ウェルズ

 このラスト・シーンは余りに有名で、今更、何も言う事はないのですが、一つ
だけ言わせて貰えば、あそこでチターがウルサク鳴らないのがいい。
 ゆっくりと静かに、画面に溶け込むように鳴ってるのが凄くいいんです。
 それが、ENDマーク後の余韻に繋がってるんだと思います。


※ 他には「カサブランカ」(監督M・カーティス 1943・米)、「みじかくも美しく
燃え」(監督B・ウィデルベルイ 1967・スウェーデン)、リンゼイ・ワグナー(バ
イオミック・ジェミーの映画デビュー作)とP・フォンダの最後の台詞が印象的だ
った「ふたり」(監督R・ワイズ 1972・米)、B・ワイルダーの「アパートの鍵貸
します」(1960・米)、邦画では「天国と地獄」(監督 黒澤明 1963年)、「用
心棒」(監督 黒澤明 1961)、「蒲田行進曲」(監督 深作欣二 1982)が
好きです。
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「映画に愛をこめて アメリカの夜」

2011-03-01 22:54:56 | 外国映画
 ※(40年以上、カンヌ・グランプリ作と思い込んでいました、「絶賛」が何時
  の間にやら「受賞」に記憶変わりしたようで。(汗)
  受賞はアカデミー賞外国語作品、英国アカデミー賞、ニューヨーク批評家
  賞、全米批評家賞の作品賞、V・コルテーゼが英国、NY、全米で助演女
  優賞受賞。
  miriさん、ご指摘、有難うございました。 H28.6.3追記)

 「映画に愛をこめて アメリカの夜」(仏題「LA NUIT AMERICAINE」米題
  「DAY FOR NIGHT」)(1973年 仏・米)
   監督 フランソワ・トリュフォー 出演 フランソワ・トリュフォー、ジャン=
   ピエール・レオ、ジャクリーン・ビセット 音楽 ジョルジュ・ドルリュー

 副題が余計だけど、「アメリカの夜」だけでは桃色映画と間違えられる。(笑)
 題名の意味は、ハリウッド式夜の撮り方。カメラにカラー・フィルターを付け
昼間なのに夜に見せかける技法の事です、本場ハリウッドでは、この方法を
「DAY FOR NIGHT」と呼び、フランスでは「 NUIT AMERICAINE」、原題は、
その言葉を、そのまま使っています。
 映画というのは嘘の世界、見せ掛けの世界、そこに引っ掛けているのです
が、その見せ掛けの世界に命を吹き込むために、スタッフ、キャストが、どれ
だけ愛着を持って作っているかを描いています。
 舞台裏、所謂、バック・ステージものには暗い話が多いのですが、これは、
それに反してソフトな作品、映画を愛してやまないトリュフォーの優しい視線
が心地いいのです、また、その視線に寄り添うようなJ・ドルリューの音楽も、
この人らしい穏やかな旋律で素敵です。

 この映画は、観る人を選ぶ作品だとも思います、映画好きの人には「ああ、
映画の世界っていいなあ」と酔ってしまえるのですが、余り映画に興味がない
人にはどうでしょう、「えっ、これで終わり、何なのこれ?」って感じかもしれま
せん。
 内容は、南仏ニースの撮影所でクランク・インした「パメラを紹介します」と
いう1本の映画がクランク・アップするまでを、面白可笑しく、時にシリアスに
描いていったものです。
 津波のように何度も押し寄せるトラブル、その度に夜中、呻される監督(ト
リュフォー自身が達者に演じてる)。
 「映画作りは駅馬車に似ている、希望に満ちて出発するが、度重なる困難
に出会う内、たどり着くことだけが目的になる」
 これは映画の中の監督の独白ですが、それでもプロフェッショナルな裏方
達や、私生活はどうあれ仕事場では、ひたむきに演技を続ける役者達と一
緒に、なんとか良いものを作ろうと踏ん張る、監督もキャストもスタッフも皆、
映画を作る事に誇りと愛情がある、だから観ていて気持ちいいし、楽しいん
です。
 そんな濃縮された時間が撮影終了と共に無くなり、スタッフ達が散り々々
になっていく時は、家族(擬似家族ですが)がバラバラになっていくようで、一
抹の寂しさを感じてしまいます。

 役者陣では、アル中の往年のスターを演じたヴァレンチナ・コルテーゼが
素晴らしい。
 この役でカンヌ他、いろんな賞を獲ったけどアカデミーだけはI・バーグマン
に負けて獲れなかった、でも、そのバーグマンが「この賞は、貴方が貰うべ
きだったと思う」と授賞式の舞台上から客席のコルテーゼへ向かって言った
のは、結構、正直な気持ちだったんじゃないかな。(「オリエント急行殺人事
件」の演技で助演女優賞を獲ったのですが、長年の功労賞的な感じもあっ
た)。
 主演のJ・ビセットも、この頃が一番綺麗で、彼女の代表作だと思います
(綺麗さで言えば、この作品と「料理長<シェフ>殿、ご用心」が双璧~僕、
ビセットのファンでしたから(笑))。

 トリュフォーの優しい視線と書きましたが、結構、意地悪な所もあります。
 ビセットが精神的に不安定となり、メーク室に引き篭もって「山のようなバ
ターを要求する」というシーンは、トリュフォーが以前作った映画で、フランス
を代表する知性派女優J・モローが実際にやった事だし。
 ヒステリーを起こして喚いた言葉が、そのまま映画の台詞に転用されたっ
てのは、C・ドヌーブだったか、これもJ・モローだったかにトリュフォーが本当
にやった事です。
 コルテーゼがトチリを連発し続けて撮影が立ち往生してしまうエピソードも、
実際に誰かの映画であったそうです。
 (ハリウッドでは大女優が、突然、笑いが止まらなくなり撮影出来なくなった、
という伝説もある)

 「アメリカの夜」という映画の中で、だんだんと出来上がっていく1本の映画
「パメラを紹介します」。
 トリュフォーは、そんな名前の映画を作りながら、映画と映画作りを愛し、支
えている「裏方を紹介」している、この映画は、そんな映画です。
 最後に、コルテーゼの夫(「パメラ~」の中で)を演じたジャン=ピエール・オ
ーモンの台詞を引用して終わりにします(この人も、味の有るいい演技をして
います)。
 「握手は友情の表現と言いますが、私達(役者)にとってはキスがそれなの
です、甘い言葉の交換こそ、我々の糧なのです」
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